駅からパンキング
今年の春から「駅からハイキング」というJR東日本主催のイベントに土日祝日、月に2~4回ぐらいのペースで参加している。
これは特定の駅をスタートし、地元の名所などを訪ね歩くというイベントだ。何かお祭りがあればそれに合わせて開催されることも多い。
もっとも、たまにスタンプラリーなどはあるものの、大半はスタート時にチェックするだけで後はご自由にというゆるいイベントである。せいぜいスタート時に受け取るおすすめコースが提示してあるマップ(列車の缶バッジ付き)を見せると割引してもらえる店がいくつかあるぐらいだ。
それでも滅多に行かない町を歩き回るというのは良い気分転換になる。皇居を横切ったり、レインボーブリッジを歩いて渡るなど、こんなイベントでもない限りやらなかっただろう。知っている町でも、普段歩くのとは一本ずれた道を行くだけでも結構新鮮に感じるのだから、知らない町なら尚更である。
参加している内に、行く先々でやたら鼻をくすぐる出会いがあった。
パンである。
地元にあるパン屋の焼きたての匂いが歩いていて私の鼻と腹を刺激するのだ。世間では空腹時のカレーの匂いは凶器だと言うらしいが、ならばパンの匂いは大凶器だ。
これは困った。スタート受付が、大抵9:30~11:00頃なので、私はすでに家で朝食を取っている。昼食用に買おうか? いやしかし、それまでの2時間近くをパンの袋を持って歩き回るのはあまり良い図ではない。
迷っていると、近くに住んでいるらしい親子が通りかかった。
「いいにおい!」
補助輪付きの自転車の子供が幸せそうに言った。やはり子供は正直だ。一緒の母親もにっこりと「そうだね」と笑って続ける。
「うなぎの匂いかな」
パンだよ! 目の前にパン屋があるだろう。笑えない実話である。
日本の食文化に一抹の不安を感じさせるこれがきっかけで迷いがなくなった。今の会話と決意にどんな関係があるのかと自分でも不思議に思うが、世の中、こんなものである。世の因果は99%の無理矢理と1%の気まぐれで出来ているのだ。
その次から、私はイベント3日前ぐらいからパン断ちをし、当日も朝食を取らず、あるいは極力軽く押さえた上、コーヒーを入れたボトルを携えて参加するようになった。
行く先々のパン屋で食事を調達するためである。
お目当ては駅ビルの1階にあるようなチェーン店のパン屋ではない。もちろん、それらチェーン店のパンも美味いものは多い。サンジェルマンのコーンパンなど毎日でも食べたいぐらいだ。しかし、それらの系列は私が出勤に利用している駅にもいくつかあり、優先度は低い。コンビニのパンも同様だ。釣りで言えば外道。どんなに美味くても目当てでなければ与えられる評価は低いのだ。
目指すのは地元の商店街の隅や住宅街にぽつんとあるような店である。もちろん、イートインなどない店が大半だ。コーヒー持参はそのためだ。
しかし、それだけにイベント内で当たりに出会えるかは運である。事前にネットで調べるというのも考えたがやめた。これは運に我が命を預けた「運命」の勝負である。ネットでの事前調査など邪道。道が1本違うだけで見逃してしまうがそれも定め。気分はローカル路線バス乗り継ぎの旅、あそこまで深刻ではないが。
結構迷うのはスタート時だ。今やほとんどの駅前には焼きたてパンの店がある。だが、そこで買ってしまってはそれ以後の楽しみが……買って帰って翌日家で食べるという選択も消した。これはあくまで「駅からハイキング」の一端として我が身に課した指令なのだ。
あくまでハイキングの中で買い、ハイキングの中で食べるのだ。学生時代と違って、今の私では食べられる量は限られる。焼きたてパンを半日経ってから食べるなどと言う罰当たりなことはしたくない。
しかし、我慢して買わずに先に進んだ場合、出会えずに終わる可能性もある。ハイキングの中には、スタートとゴールが別の場所というのも多い。私にとって、イベント最初の大きな決断の時である。
商店街の隅ならともかく、住宅街にぽつんと手作りパンの店なんてあるのかと考える人もいるだろうが、これが結構多いのだ。
パンを焼き、具材などを調理するスペースさえ確保できれば良い。店舗と言うより、住居の一角を販売所にしただけのパン屋だってある。商品はケースに入れて注文に応じて店員が取れば良い。種類は限られるが、それはそのパン作りに集中できるということでもある。
それに、パン屋ならほとんどがスタート時で既に営業を開始している。並んでいるのはその日の朝に焼き上がったパンだ。店内はもちろん、店の周囲に焼きたての匂いが波紋のように広がってはお客達を吸い寄せようとしている。
もちろん、先に書いたように店が小さければ種類は少ない。中にはあんパンとコッペパンしか作っていない店もある。かまわない。私が買うのは一度に2つか3つだ。たくさん種類があっても買い切れないし食べきれない。ただ、そんな店が続く場合、同じパンばかり買う羽目になる。何となく損した気分になる。
私が主に買うのはシンプルなもの、コーンパンやチーズパン、コッペパンなどだ。これにちょっと具材にこった調理パンとあわせて2つが私の主な購入パターンである。
パンのもっちりした甘みの中、コーンのプチプチ感や濃厚なチーズの旨みが口の中で踊るあの快感はなかなか味合わせてくれない。コッペパンだって塗るジャムやピーナツバターなどは全てと言って良いほど自家製である。店ごとに個性があってなかなか楽しませてくれる。
美味いパンは噛む度にパンと具材が混ざり合ってうごめきあい、口を内側から優しくマッサージしてくれる。味わいというのは味覚だけではないのだ。
そしてなにより全てが焼きたて! (ほぼ)ハズレなし!
しかし何事もいいことばかりではない。来店時間によっては焼き上がっていないパンが多いのか、棚の半分近くが空の店もある。ここにはどんなパンが並ぶのだろうかと思いつつ、先へ進むときがある。
買うのも焼きたてばかりとは限らない。一角に2~3品入った袋がサービス品としておいてあることもある。どうやら前日の売れ残りらしい。価格は焼きたてパンの半額以下だ。場合によってはこちらを買う時もある。確かに焼きたてパンは美味いし、それが目当てだ。しかし、焼きたてでなければ美味しくないパンというのはやはりどこか違うと思う。
やはり美味しいパンは、焼きたてでなくても美味しいのだ。
そして一番の問題が、食べる場所だ。
イートインがない以上、どこか手近な公園のベンチなどに腰を落ち着かせることになる。日当たりの良いベンチで、買ったばかりの焼きたてパンを袋から取り出してかぶりつく。
「うまっ」
思わずつぶやいた時の快感、勝利感。たまらないものがある。
だが、大きな公園ならまだしも、小さな公園の場合、問題がある。
想像して欲しい。近所の誰もいない小さな公園、薄曇りの中、見たことのない男が一人ベンチに座って黙々とパンを食べている姿を。
それでも食べているのが華やかなサンドイッチならまだ良い。食パンだったりしたら。何も挟んでいないバゲットやクッペだったら。いや、さすがにバゲットやクッペだけというのはまだ経験がないが。
想像して欲しい。近所の誰もいない小さな公園で、みすぼらしい知らない男が一人、ベンチに座って何もつけていない食パンをもそもそ食べている姿を。
ましてや天気が晴れでなく、小雨の降る中、傘を差しながらもそもそ食べていたら。きっと脳内画像がセピア色になり、「禁じられた遊び」のテーマソングがスローで流れ、近所の人達が不安な視線を向けることだろう。
まぁ、端からどう見えようが、パンが美味けりゃそれで良しだ。ということにしよう。
ゴールする頃には昼になっている。そうなると、今度はスーパーやデパ地下のパン屋という選択肢が現れる。最近は店内で焼いたパンを出すスーパーも多い。
侮るなかれ。
いなげやのクランベリークリームチーズパンはもっちり感とクリームチーズの濃厚さ、クランベリーの酸味が美味く絡んでオススメだ。
コモディイイダの包み焼きパンシリーズはどれも絶品。
スーパーの開店時間に従うため、朝食には難しいが昼には大きな魅力を放ち、人々を引き付ける。
朝のパン、昼のパン、それぞれが違う顔を持っている。
昼のパンは、ハイキング後のゆったりタイムとしているのでイートインもOK。途中で買いすぎたパンをそのまま駅前の広場や公園で食べるのも多いが、これは途中でそれだけ多くのパン屋と出会えたと言うことだから嬉しいことだろう。
いつも当たりではない。最後までパン屋が見つからず空腹のままゴールしたことも1度や2度ではない。
いつもハズレではない。思いもかけない場所にパン屋を見つけてそのおいしさに幸せに浸ったことも1度や2度ではない。
人はパンのみにて生くるものに非ず。
人はパンなしで生くるものに非ず。
私は当日、ボトルに入れるコーヒーの香りが流れてくる中、神棚に手を合わせて祈る。
「いいパン屋に当たりますように」
小説ばかりだとなかなか更新できないし、何か書いていないと寂しいもの。
今後も不定期にエッセイを投稿しておこうと思いますので、よろしくお願いします。