不揃いな果実
目が覚めると身体中を鎖でがんじがらめに縛りつけられていた。
「…………ぉわあああっっ?!?!」
状況を把握するのに数秒。
手は後ろ手でがっちり。首から胴まで二重三重とぐるぐる巻き。足首もぎちぎち。
鎖は鉄製でちょっとやそっとでは外せそうもなかった。
「な、なんだなんだ、なんだこれええぇぇっっ!!」
じたばたと暴れるが、口を塞がれてはいなかったので叫ぶことしかできない。
顔を横に向けると、巨大紙の上にいる篝が一瞬だけ顔を向けて、ふいっと興味なさそうにそっぽを向いた。
「ちょ、そこのお嬢さん! 無視しないで助けて!」
鎖ということは篝の仕業ではないだろう。
だがこの状況を見てなんの関心も示さないのは……篝らしいが今は助けて欲しかった。
自力で外そうと力をこめるが、堅くてとても無理だ。
オーロラを出そうと手首を動かす。
ダメだ、後ろ手だからいま出したら身体を貫通してしまいかねない。
うつ伏せになろうと身じろぎしたとき、短剣が飛んできて目の前の地面に突き刺さった。
「…ひっ!」
「動くな、コタロー」
それは本当に紙一重で瑚太朗の鼻先をそれた。
あと数ミリで刺されていた。
「し、静流さん?!」
顔をあげると静流が両手にナイフを持って今にも瑚太朗を攻撃しようとしていた。
その殺気たるや、数多の可能性世界で出会ったどの静流よりも際立っている。
「動けば殺す」
「ひいっ?! 俺なんかしましたか?!」
「動くなと言っている!!」
殺意をこめた声で一喝され、瑚太朗は死を覚悟した。
目を瞑って観念すると、グサッ、と何かがナイフで突き立てられる音が聞こえる。
ああ、静流に殺された……と思ったが、どこも痛くはない。
おそるおそる目をあけると、すぐ目の前に大口をあけたまま死んでいるワーム型の魔物がいた。
静流がナイフを抜き取ると、さらさらとした粒子になって消えた。
「大丈夫か、コタロー」
「お……おどかすな……」
魔物の接近にまったく気づかなかったが、この魔物は気配を絶って近づくのが得意なタイプだった。
静流は遠くから察知して助けてくれたわけだから、気づかなかったのは自分の落ち度だ。
いや、そもそも。
「これ、外してくれよっ!」
瑚太朗は蓑虫のように身をくねらせて静流に詰め寄るように言った。
こんな状態で魔物に襲われて殺されたりなんてごめんだ。
だが静流は困ったように首を傾げて言った。
「それはできない」
「なんでっ?!」
「外すなと言われている」
「誰にだよっ!」
「みんなに」
はあ? と問い返すと、静流は瑚太朗の側に座り込んで、少しキツイ表情で睨みつけた。
……怒ってる?
だがまるで見当もつかなかった。
「コタロー、正直に答えて欲しい」
「は、はい」
「コタローはふしだらなのか?」
「はい?」
「ルチアは不潔だと。小鳥はふしだらだと。ちーは最低変態男だと」
「待て待て待て。なんの話だ?」
静流は携帯を操作して写真を瑚太朗に見せた。
そこには……。
「……あー。それは」
いつの間に撮られたのか。
瑚太朗が上半身裸で上着を片手に持ったまま部室の窓から逃げるように飛び出している姿が映っていた。
そういえばあの時、物見鳥の気配があったような気がする。
ただ慌てていたので気づかない振りをして、それっきり忘れていた。
(小鳥の仕業か)
最近、なんか監視されてるような感じがしていた。
「このとき、なんでコタローは裸だった?」
「そ、それはですね」
「みんなが部室に行ったときは会長しかいなかった。汗だくで、外を気にしているような感じがしたけど、コタロー?」
静流はぐいっと瑚太朗の顎を持ち上げた。
そこには普段の大人しい静流の顔はなく、ただ静かな悋気を秘めたような顔。
静流もこんな女の顔するようになったんだなあ……と少し感慨深くなる。
と思った瞬間、ジャキッ、と静流の片手からサバイバルナイフが現れた。
「ひいっ!!」
「正直に答えるんだ、コタロー」
「やめてください、それしまって、落ち着いて!」
「答えないと殺す」
「わわ、わかった、わかったからあっ!」
半泣きで叫ぶと、静流は渋々とナイフをくるりと回して鞘に収めた。
軍用の殺傷力に優れたタイプ。
静流は本気で怒っているようだった。
「まずこれ、外してくんない? 落ち着いて話せないんだが」
「ダメだ。逃げる」
「逃げないって!」
「信用できない」
「…………。はあ。わかったよ。話したら外してくれる?」
「約束する」
瑚太朗は観念して仰向けになったまま顔だけ静流に向けた。
静流の背中越しに篝が見える。
ただし向こうはまったくこちらを見ようとしていなかった。
聞こえてはいるだろうけど。
(せめて場所変えたい……)
そうは思ったが、静流はきいてくれそうもなかった。
「まずな、その写メだが……ええと、つまりはそういうことだ」
「どういうことだ」
「だから! ……わかるだろ。会長と、その」
「肉体関係だと」
「だからどうしてはっきり言うの!」
「違うのか?」
「い、いや、違わない……けど」
ちらりと篝を見る。
「そんなたいそうなものじゃなくて、あの人と俺は、ギブアンドテイクな関係なわけで、わかる?」
「わからない」
「ですよねー。……すいません、静流さん、そのナイフしまってください」
「コタロー、がっかりだ。もっとはっきり言って欲しい。こそこそしてるなんてコタローらしくない」
「い、いや、こそこそしてるわけじゃ……」
「ずるい。私だってコタローとはまだなのに」
静流はさめざめと泣いた。
途端に罪悪感が押し寄せてくる。泣かせるつもりじゃなかったのに。
「わ、わかった。静流、お前がそんな気でいてくれたなんて嬉しいな! とっても嬉しい!」
「…………」
「ほんとだって! えっと、そうだ、今から俺ん家に来い。前も一緒に暮らしたろ? ちょっとの間だったけど。それ再現しよう。うん。そうしよう」
「……本当?」
「ほんとほんと。だからこれ、外してください。マジ頼んます」
静流は納得しかねているようだったが、瑚太朗の家に行くという提案に負けたのか、鎖を外していった。
がちゃりと何度も錠前が開く音がする。……いったい何個つけられていたんだ。
すべて外されると、ぎしぎしと鳴る身体が主観時間で数百年経っている感じがした。
どれだけ前に縛られていたのか考えたくない。
篝の前で鎖放置プレイ。
(死にたい……)
すべては自業自得なのだが。
「コタロー、痛くないか?」
「平気平気。じゃ、行こうか」
彼女たちも自分と同じように存在確定しているが、瑚太朗ほど現世の影響を受けていないため、主観時間は感じていない。
だから瑚太朗を鎖で縛っても吊るしあげても、それは一瞬前の出来事だ。
ここでは時間は関係なく、事象だけが推移するから。
とはいえ。
骨のあちこちが変な形で固まってしまった。
(今度から軽率な行動は控えよう……)
静流の手をひいて歩き、背後にいる篝をなるべく意識しないようにした。
「……」
篝は今の会話のやり取りをしっかりと聞いていた。
意味はわかるのだが、瑚太朗がなぜあんなふうに発汗・心拍数・脳神経伝達速度を活発化させていたのか、その原因を掴みかねている。
そして辺縁系を彷徨わせていた指先を、ふいに自分の唇にあてた。
以前、瑚太朗が篝に理解不能な行動をしたとき、先ほどの体内変化と同じことが瑚太朗に起きていた。
その記憶を参照して、相互の関係性と齟齬を検証してみる。
しかし篝の指は唇から動かなかった。
「……」
研究がとまっていることは自覚していたが、やはり唇の上の指は動かなかった。
「バカね」
部室に朱音を呼び出した瑚太朗は、開口一番にそう言われて思わずカッとなった。
「どっちがだよ!」
「こうなることはわかっていたでしょう、私たちを目覚めさせたときに」
「……わかってなかった」
「だからバカだと言ったの」
ぐぐ、と言葉を返せず唸る。
こう言ってはなんだが、一瞬でも考えなかったわけではない。
ただここまで彼女たちの独占欲が強いとは思わなかった。
「それで、中津さんはどうしたの?」
「新婚気分を満喫してますよ。喜んでくれてるのは嬉しいんだけど、今はそれどころじゃ……」
「あら、よかったじゃない。私たちの中で唯一おまえと結婚しなかったのだし、願いを叶えてあげられて」
「会長ぉ!」
「なによ」
「そもそもあんたがあんなことしなければ!」
「あんなことって?」
「……っ!」
「なんのことかしら、わからないわ」
(この……女狐!)
瑚太朗はグッと殴りつけたい衝動を抑えた。
「瑚太朗。おまえの人生に何があったのかなんて、私は訊かないし、ききたくもないわ。だけど私も含めておまえがしたことの責任だけはきっちり取ってちょうだい」
「責任?」
「記憶を残したこと」
朱音の言葉に瑚太朗は眉を伏せた。
「それは仕方ないんだ、朱音さん」
「会長で」
「今は朱音さんと呼ぶよ。……前世の記憶があるのは申し訳ないと思う。だけど俺の縁を辿るなら、どうしても必要になる。じゃないと再生することができなかった」
「今からでも消すことはできないの?」
「無理だ。そもそも俺はもうみんなを学園にいた頃と同じように見ることはできない」
「救いようがないクズね」
「うるせえ! ならあんたはどうなんだよ!」
「ええ、他の娘たちにおまえを取られる前に先手を打ったわ。しょうがないわ、おまえは一人しかいないのだし」
(こ、この女……)
こえええ、と瑚太朗は改めて朱音の性格に戦慄した。
今思えば、あのときおかしいと気づくべきだった。
あの朱音がタダでやらせてくれるはずもなかった。
「まったく、おまえがこんな節操ないなんて思いもしなかったわ。びっくりくりくりね」
「ひどい言い草だけど、それ間違ってるから。俺は誠実なほうだよ」
「どこみてそう言うの。バカなの死ぬの?」
「少なくとも朱音さんには生涯誠実だったと言い切れるよ。他のみんなも同じだ」
「自覚のないタラシなんて本当に救いようがないわ」
「だから……っ! 信じろとは言わないけど、少なくとも朱音さんが死ぬまで側にいただろ!」
「……そう、だったかしら」
「そうだよ! 覚えてるだろ! 俺はずっとあんたと……え?」
「わからないの。街を出たところまでは覚えているけれど」
(覚えていない……?)
瑚太朗は目を丸くした。
そんなはずはない。朱音を再生するとき、自分の持つ記憶をすべて転写した。
そういえば。
(静流も俺がどうなったか覚えていなかった……)
「私は死ぬまで瑚太朗といたの?」
「……ああ。本当に覚えてない?」
「というより、思い出そうとすると何かブレーキみたいなのがかかるみたい」
「……わかった。それ以上思い出さなくてもいい。無理しなくていいから」
頭を抱える朱音を引き寄せ、抱きしめる。
不完全だったのだろうか。
所詮、命を再生するなど自分の理論などでは……。
だけど、辛いことまで思い出してもらう必要はない。
あの後どうなったかなんて、自分だって考えたくもないのだから。
(朱音さんは、立派だったよ)
そう言ってあげたかった。
言うまえに逝ってしまった。
それが瑚太朗には少し寂しいだけだった。
篝がエラーを起こしてしまったので、魔物の襲撃は途絶えてるということで。
そうじゃないと一緒になんて暮らせませんね……。