8 「まぼろしの世界」
ベンツは、西新宿で、二人を降ろした。
きょうは智子の、たっての願いで、
勉強会を遅らせて、ここまで、やってきたのだった。
きのう、知人から、中古ではあったが、
高価なアナログ・レコード・プレイヤーをもらったので、
ひどくウキウキしていたのだ。
ここ西新宿には、
廃盤になったアナログレコードを、
販売している店が、点在している。
現在では、全盛を誇ったCDが、
退場を、余儀なくされ、
ネットからのダウンロードやストリーミングが、
主役の座に君臨しているけれども、
アナログファンは、少数ながら、
根強く存在するのだ。
アナログ録音された曲は、
アナログ盤で聴くというのが、
自然の利に適っているのではないだろうか。
智子は、ドアーズの曲を、
ちまたで言われるところの、
人肌の温かみの感じられるアナログ音源で、
聴いてみたかったのだ。
プラスして、別の目的もあった。
どちらかといえば、
後者のほうに、比重がかかていた。
中古店に入るのは、
初体験であった。
ネットで得た知識を使い、
所定の場所に、バッグを、置いた。
〈万引き防止の措置である〉
CDには見向きもせずに、
優希をともない、
アナログLPレコードのコーナーへ、向かう。
そして、インデックス「D」の場所へ移動。
さらにその中からドアーズ「doors」とネームが書かれ、
区切られた、小スペースを、見つけだした。
「『ストレンジデイズ/まぼろしの世界』・・・」
呪文のように、つぶやきながら、
アナログLP盤を、
いささか、よろしくない、手際で、
表面と裏面を、
慎重にチェックし、
ストン、ストン、とボックス棚に落としていく。
CDとはちがい、手に、たしかな重みがある。
それは、歴史の重みのようにも、感じられた。
「あった!」
優希が、小さく叫んだ。
真横から手を出して、
『ストレンジデイズ』の輸入盤をぬきだした。
「これでしょう、お目当てのアナログ盤?」
残念ながら、と首を左右にふる、智子。
サーカスの一団が写っている、
幻想的な雰囲気をはなつ、
LPジャケットを、
ひっくり返して、裏面をむける。
「リアジャケット写真がないのよ、このアナログ盤には。
表面と対をなす、
リア〈裏〉ジャケ写真の付いた盤があるはずなんだ。
ネットで確認してるから、マチガイない。
表と裏のジャケットがそろったところで、
『ストレンジデイズ/まぼろしの世界』が、
ほんとうの完成をみるワケ」
「ふーん・・・なにやら、
奥の深い世界なのね」
優希は、あらためて、ジャケットに目をやった。
それは、ストレンジデイズという概念を、
そのまま、写真に、焼きつけたような、
不思議でいて、
見る者を、惹きつける、
静かなパワーを、有していた。
かつて、美術館や画集で見た、
すぐれたシュールリアリズムの絵画にも、
匹敵するように、思われた。
西新宿アナログLP盤めぐりは、
合計6件の、
中古店をおとずれたが、
収穫はゼロ。
『ストレンジデイズ』
リアジャケット写真付きアナログ盤は、
まぼろしに終わった。
「ふーっ!」
車に戻ると、優希は、息をついた。
なれない事に、集中力を、使ったので、
へんな疲労を、感じたのだ。
「智子・・・ひとつ・・・私から提案。
ネットオークションでさがしてみては?
スピーディーかつ合理的でしょう」
「ネットは基本、カード決済。
わが家は現金主義だから、
許可がおりない」
「Amazon〈アマゾン〉だってあるじゃないの。
プリペイドカードはコンビニでも購入できるし、
たしか、銀行振り込みもOKなはず」
「それじゃロマンがないのよ・・・優希。
サプライズに遭遇したいの・・・私は!
親から授かった、じょうぶな、この二本の脚を使ってね。
チャリンコ〈自転車〉通学をしないのは、
登校時に、あなたと待ち合わせをするという理由もあるけれど、
歩いたり、走ったりするのが、心底好きだから!
<衝動的に、突如、
全力疾走したくなったりするんだ!>
それに・・・
私くらい、情熱を持っていれば、
近いうちに、
現物のアナログ盤が、
向こうの方から、やってくるって!」
ウィンクしてみせる智子。
楽観主義者の、
めんもく躍如といったところだ。
「ふーっ!」
優希は、シートに身体を沈めると、もう一度、息をついた。
試験二日前の、土曜日。
授業は午前中に終了。
連日の勉強づけのせいで、
さすがに、テンパってきたのか、
智子のようすが、どことなく、おかしかった。
優希は、気分てんかんのために、
ワンクッションおいた方がいいだろうと、判断した。
車に乗り、
学園から、なるべく離れた地点まで、移動。
制服の上に、
薄手のホワイト・ジャケットを着た二人は、
通学用バッグを、車にのこし、
手ぶらで、マクドナルドに入った。
優希は、『月見バーガー』のセット、
智子は、『フィレオフィッシュ』のセットを、注文して、
それぞれのプレートを持ち、二階席へ。
向かいあわせに、腰かける。
いつものように、優希は、
月見バーガーの包装紙を、ていねいにむく。
精巧なオリガミのように、
ピチッと折りととのえ、
バーガーを、すい込むような感じで、パクリとひと口食べる。
禁を犯して食べる、
ファーストフードは、どうしてこんなに、美味なのか?
考察してしまう優希だ。
〈水晶学園は、放課後の、
飲食店への寄り道を、認めていない〉。
「運命の試験まであと二日ね。泣いても、泣いても」
「それを言うなら・・・泣いても、笑っても。
泣きがふたつかさなると・・・不吉じゃないのさ、」
智子は、広いおでこに手をやり、
頭を、左右にふった。
「週末は、
時間延長しても、
オーケーだよね・・・ラストスパートをかけましょう」
指についたポテトの塩を、
パンパンと、センス良くはらいながら、優希が言った。
どうも、智子に、いつものノリが・・・感じられない。
ふだんは、食欲旺盛なのに、
好物のフィッシユバーガーにも、
まったく、手をつけていなかった。
友人のようすを、しげしげと、観察する優希。
「連日の勉強会、
ちょっと、飛ばしすぎて反動きちゃったかな?
かつてないくらい、密度、濃かったから。
それに私・・・礼を失して、
あれこれ、言い過ぎたきらいが・・・あったと思う」
「ちがうよ。そんなことは気にしていない。
優希の指摘は、
いつも、間違いなく核心をついてるよ。
今回の勉強会、
私にしては珍しく集中して、取りくめたと・・・」
智子は、両手で、頭をおさえて、うつむいてしまった。
「あなた、ぐあいが悪いの?」
すばやく友人の広いおデコに手をあてる。
「すごい熱・・・!これで、よく、学校にこれたね」
「朝、起きたときから頭が痛い。
寒けもする。う~ッ・・・ゾクゾクする!」
「車で送るよ。家に直帰する?
それとも、かかりつけのお医者さまのところへ、行く?」
優希は、親ゆびをかんで、冷静になろうと、つとめる。
「ゴメン、きょうの勉強会はムリみたい。
とてつもなく、ベッドが・・・恋しい・・・」
「とうぜんよ。健康が、まずは、第一。
さあ、帰りましょう。私の肩に、つかまってちょうだい」
まるで自分のことのように心配してくれる、
優希のけなげな姿は、
ぼんやりした意識の智子に、
無形の力を、与えてくれた。
友達って・・・ありがたい・・・