6 試験勉強 パートⅡ
ふすまが開いて、優希の母親がすがたをみせた。
おやつを運んできてくれたのだ。お盆の上にはケーキと紅茶が乗っていた。
「ひゃっほー、休憩、ティー・タイム!」
小踊りしてよろこぶ、智子。
さっきまでの睡魔はどこへやら。
「智子さん、おひさしぶり。あいかわらずお元気そうね。インターハイでは大活躍でしたね。さあ、めしあがれ」
優希の母親に声をかけられると、いつでも妙に照れてしまう。
上品で所作の美しい彼女は、
自分とはまるでちがう人種のようにかんじられた。
その身体から発せられる波動はシルクのようなここちよさなのだ。
二人の注意がそれているあいだに、
優希は、張り扇をテーブルの下にそっとしのばせた。
勉強会を一時中断して、ティータイム。
ケーキをあっというまに食べおえた智子は、紅茶をのみながら部屋を見まわす。
「優希の部屋って、おっそろしく整然としていて、かえって落ちつかない」
「なに言ってるんだか。さっきまでリラックスモードで、Zマークを連発してたくせして」
「デへへへ」
フォークを使いケーキをていねいに切りとり、口にはこぶ優希。
彼女のかきあげた髪からのぞく小さな形のよい耳がひくひく動いた。
その反応に智子は瞬時にシンクロした。
ふすまの向こうがわをカリカリ引っかく音が聴こえる。
ふすまを開くと、そこには、小さな黒ネコの姿があった。
やさしく抱きあげると優希は、友人をふりかえる。
「クリルよ。この前、うちの門の前にダンボールに入れて捨てられていたの。智子にははじめましてですよネ」
「はじめまして、クリル」
人さし指で黒い子ネコの鼻さきをちょこんと突つくと、
小さな口を開き、「ミャア」とおさない声で鳴いた。
「わっ、可愛いーイ」思わず語尾がのびてしまう。
なかば奪いとるようにクリルをかっさらい、
だきかかえ、たたみに寝ころがり、夢中であやす。
子ネコの反応がバツグンなのでうれしくなってしまい、
われを忘れてはしゃぐ。
これではどちらがあやされているのか、さっぱりわからない。
「しょうがないなァ」
なかばあきらめの視線をむける優希。
友人のノートを引きよせ、
パラパラめくり勉強の進みぐあいをチェックする。
筆圧の強い文字や、
数字がところせましとガチャガチャ並んでいた。
「おや?」
粗い線でえがかれたスケッチが目にとまった。
「はて?」
じっと目をこらす。
意味するところをあますことなくくみ取った。
優希の口もとに笑みが浮かび、じんわりひろがる。
「へぇー。あなた、火鳥さんがタイプなんだ」
1オクターブ声を高めて言った。
智子はクリルを両手でだきかかえたまま、ガバッと起きあがる。
ノートを取りかえそうと手をのばした。
長いリーチをすんでのところでかわし、
さっと立ちあがると、ノートを大きく広げ、
見開きにえがかれたスケッチ画をかかげてみせる。
そして、はやしたてた。
「フフフあの手のタイプが好みなんだ。将来は由緒ある、役角寺のあとつぎにして、マルマル頭のお坊さん。香水がわりにお線香、木魚の音は、原始のリズム♪ポクポクポク♪」
バシーン!
優希のもりあがった小づくりのヒップに衝撃が走った。
「痛ぁーい!」
「ラッパーか、あんたは!」
智子の手にはしっかり張り扇がにぎられていた。
「火鳥さんのことが好きで悪い?なんかゾクッとするじゃない。ホリの深い整ったマスクは、どことなくジム・モリソンを連想させるし。おない年とは思えない大人びたところがステキ!」
優希は、友人のまえに正座すると、ちょっぴり意外そうに言う。
「火鳥さんは、あなたのハートに火をつけた!わけだ」
「うん。彼とイイ関係になれたらという願望はもってるよ。高校生活もあとわずか。燃えあがるよなステキな恋愛してみたいもん。十七歳、青春のど真ん中にいるんだよ、うちら。『ライト・マイ・ファイアー』にになりたいじゃん」
60年代後半にデビューしたアメリカ、ウエストコースト出身の〈四人組〉ロックバンド。
ザ・ドアーズ・・・『The doors』
智子は、かれらの音楽、
とりわけ夭折した、
ヴォーカリストにして詩人のジム・モリソンに心酔していた。
出合いは、衛星放送で見た、
ある混沌とした戦争映画であった。
映画の挿入歌として使われていた曲を耳にしたとき、マジックが起こった。
その音楽は心の奥ふかい場所に、
侵入してきて、未知の扉のカギをあけた。
かつてない音体験だった。
さっそくファーストアルバムを入手、
聴いたてみたところ、ビンゴであった!
スピリチュアルな詩や、
幻想的なサウンドは、ある種の暗さも含めて、彼女を魅了した。
曲を聴きこむにつれ、しだいにドアーズの世界にひきこまれていった。
しかし、なんといっても、
CDジャケットのジムを目にしたとき、
そのルックスに、ミーハー的に、ガツンとハートをうたれてしまったのだ。
以来、ジム・モリソンは智子にとって理想の男性なのである。
「あなたが、あの火鳥さんをねぇ」
いささか複雑な表情の優希。
「きみは、火鳥さんのことをあまりよく思っていないでしょう?」
「そんなことないよ、」
「正直に言いなさいよ」
「うーん。火鳥さんはりっぱな紳士だと思う。けれど苦手なの。どこがどうと言うより、彼の持つ本質的ななにかが、ちょっと。心理学をもってしても解明不可能。ゴメンね。さあ、勉強を再開しましょう」
友人の提案をさえぎって、前から気になっていたことを質問してみる。
「優希のもつ将来に対するヴィジョンというのを、ぜひ聞いてみたいな」
「ヴィジョンといわれても・・・ごめんなさい、かくすつもりでなく、具体的なものはないのよ。あなたはどうなの?」
「私のベースラインはただひとつ。バスケットボールを続けること、そのためにこんどの試験をガンバって晶学大に進みたい。そのあと、社会人リーグでやれたゴキゲンだけど、それは、夢に近い。分相応というのがあるしね。ただし優希はべつ。高い目標をもっていい。いや、もつべきだと思う。さずかった能力を生かさない手はないよ。いまからでもおそくはない、進路変更してみたらどうかな?」
「水晶学園大学のレべルは一流とはいえないけど、名だたる福祉系でしょう?教授陣の質も高いと評判だし。私は将来そっち方面にすすみたいと思っているから、ちょうどいいんじゃないかしら」
「晶学大なんて、しょせん二流だよ。優希の能力だったら、一流大学に行けちゃうって」
「うーん、進路相談の先生にも、同じようなアドバイスをうけたけど。晶学大だってけっして悪いとは思わない。勉強するのは結局のところ自分自身なのだから。心がけしだいでは?」
「人それぞれというけど。欲がないね、きみは」
「運命を積極的に切りひらいていくタイプじゃないのよ、きっと。冒険家の要素はゼロね、私」
「よくよく考えてみれば、現世で生きていくには、申しぶんない人なんだろうね。家はお金持ち、容姿端麗にして、能力もじゅうぶん。この上なにかをもとめるのはどだいムリな話なのかもしれない」
「うん、そうよね。」
よどみなくこたえる優希。
「おいおい」
智子はおおいにズッコケて、
「ふつう、カタチだけでもいちおうは、否定してみせるものよ」
「でもね、もしも、かなうのなら、実現してみたい夢が、ひとつだけあるのよ」
ちょっぴり上目づかいの優希。
「ほーお。で、その夢とは?」
ひどく好奇心をそそられる智子。
「エヘへへ。笑われるからやめておく。ある意味、とても空想的だし」
「言いなさいよ、友達でしょう!」
「ケイベツされたくないしィ」
もじもじする。すぐとなりにクリルがちょこんとすわっている。
バスケ部の主将は、目の前の消しゴムを手にとり。
「私ね中2の時、古本屋で買った、あるミステリ小説をすてたことがあるの。なぜだか、分かる?」
「さあ?」首をひねる優希とクリル。
「メモを取りながら真剣勝負で知恵くらべをしてたのよ。こったミステリでね、最後の1ページで犯人の名前が明らかにされるという趣向。興奮はマックス状態。ところが最終ページが落丁していたわけ。そこでビリビリに破ってゴミ箱いき。そのときの気分とひどくにているんだな」
ぐいっと消しゴムをひねりあげた。
「わかったから、エキサイトしないでくれる。話すからさ」
「OK!」
智子の投げてよこした消しゴムを、
キャッチした優希が、夢を述べる。
「私のひそかな夢、それはバスケットボールの選手になって、試合に出場すること。緊迫した試合のなかに身をおいて、活躍してみたい。予選決勝時の智子みたいに。そして、アプローズを受けるの。もっといえばダンクシュートを決めちゃったりなんかして!そうなったら、サイコーに気持ちいいだろうな」
「あまりに、壮大な夢をきかされて、頭がクラクラするわ」
「でしょう?自分でもちょいと高のぞみにすぎると思うもの」
夢とうつつとのギャップをしんけんに考える、優希お嬢さま。
「さてと、素晴らしい夢を拝聴したところで、現実にもどるとしますか。さあ勉強、勉強」
めったにないことだがすすんで教科書とノートをひろげる智子であった。
勉強会が終わったあとは、砂漠のオアシス、夕食タイム。
料亭を思わせるお座敷へと移動する。
和服に身をつつんだ優希の母親が、
目の前で次ぎからつぎへと、天ぷらを揚げてくれる。
お座敷天ぷらだ。
新鮮な野菜や魚貝の味わい、
ころもを噛んだときのサックリ感、まさに絶品。
舌がとろけ、ホッペが落ちそう。
たまにするぜいたくというのは、
心をゆたかにしてくれるものだなぁ、智子はつくづく感じいった。
胃も心もみたされた智子は、ベンツで自宅まで送ってもらった。
門限をはるかに過ぎての帰宅であったが、おとがめはなし。
犬城家での試験勉強はいつものことであったし、
優希の母親が根回しをしていてくれているおかげで、
こそこそ家に入る必要はなかった。
シャワーをあびて、ベッドにたおれこむと、あっというまに意識がとびさった。
夢もみない眠りにまっしぐらにおちていった。