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ブレイクオンスルー  作者: カレーライスと福神漬(ふくじんづけ)
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5 試験勉強

 鏡のなかには、真剣(しんけん)な表情の優希がいる。

 いつものやわらかい雰囲気はかげをひそめ、

 勝負をかけたアスリートのような目つきで、

 あくまでも(りん)と身だしなみをととのえていた。

 ここまで念いりであれば、

 創造していると表現した方が、適切(てきせつ)かもしれない。

 肩までかかっているくせのない黒髪を、

 クシとブラシで、ていねいにとかしてゆく。

 手鏡を持ち、

 合わせ鏡にし、

 360度あらゆる角度からチェックを入れる。

 

 そんな友人のようすを、ななめ後ろでカベによりかかり、

 うで組みをして眺めている智子。

 ときおり、

 スマホで現在時刻をかくにんしながら、

 感心とリスペクトをおりまぜ、

 優希の儀式ぎしき・・・〈ひそかにこう呼んでいた〉・・・に、

 つきあっていた。

 

 以前のことだ、

 儀式の時間が、

 昼休みを、超過ちょうか、してしまい、

 先生にカミナリを落とされたことがあったので、

 長びきそうになると、声をかけることにしていた。

 

 合わせ鏡につぎつぎ映しだされる。

 さまざまな角度からの優希の表情を見ていると、

 軽い酩酊めいてい状態に、誘いこまれてしまう。

 

 全身から、(きよ)らかなフェロモンが、立ちのぼっていた。

 つぶらで黒目がちな瞳、

 長いマツ毛、

 すっきりとおった鼻すじ、

 ちょっぴりぽってりしたくちびる、

 (ほお)からあごにかけての美しいライン。

 どのパーツも、

 まだ、少しばかり、あどけなさを残していた。

 

 リップクリームを引いて、

 くちびるをモニョモニョ動かし、ぜんたいに広げていく。

 

 おつぎは、小物入れから小さなヤスリを取りだし、

 慎重にツメ(みが)きをはじめた。


 短く切りそろえた、

 手入れの行きとどいている、

 文句もんくのつけようのないツメに見える。

 だが、

 ご当人(とうにん)は、納得(なっとく)がいかないようで、

 ぶつぶつ言いながら、ヤスリを当てている。

 

 美しさを追求ついきゅうしていく、

 友人のしせいは、

 智子の理解をこえていた。

 同性どうせいとして、

 少しは見ならわなければいけないなぁ・・・とは思う。

 

 自分だって年頃だ、オシャレに興味がないわけではない。

 ただ困ったことにそっち方面(ほうめん)には、

 とんとエネルギーが発揮はっきされないのだ。


 性格的なこともあり、

 身だしなみは、

 なるべく、簡潔(かんけつ)に、すませることにしていた。

 とても優希(ゆき)のようにはやれない。

 

 そもそも・・・土台(どだい)が・・ちがうしなあ。

 

 儀式を観賞(かんしょう)するのは、ひそかな楽しみであった。

 つぎからつぎへと、カットインされる、鏡のなかの優希。

 一連の動作は、リズミカルでここちよい。

 多彩たさいにして、

 あどけない表情のかずかずは、こぼれおちそうな水のしずく。

 

 智子の胸のうちに、

 快感をともなったあたたかい液体が、満ちてくる。

 

 この時間だけに存在(そんざい)する別人(べつじん)のような優希は、

 なつかしいような・・・(あこが)れの感情を・・・よみがえらせてくれる。

 子供のころの変身願望へんしんがんぼうを、

 理想的なかたちで、体現(たいげん)してくれているかのようだ。


「パチン!」

 鋭い音がトイレ内にひびいた。

 

 指をならした優希が、

 鏡の中から友人の視線を、

 つかまえる。


 そして、笑顔を見せていった。

「はーい、お待たせ」

 

 一瞬にして催眠術をとかれたかのように、

 智子はわれに返り、

 目をパチクリさせた。


 午後の授業を知らせる予備(よび)チャイムがなった。

 

 五時間目、六時間目は、

 二時間ぶち抜きの生物(・・)の授業なので、

 C組の生徒は、生物室へ移動する。

 

 おおむね、退屈な授業のなかで、生物の時間は例外であった。

 どこか解放感があり、生徒たちの目も、自然といきいきしてくる。

 その理由は、生物の授業の内容というよりは、受けもちの先生の魅力である。

 

 教卓に両手をおいて、おもむろに生徒達をながめる、かい先生。

 白衣姿、丸い顔に浮かぶほほえみは、生徒達の緊張をてきどにほぐす効果があった。

 語り口はおだやかで、肩の力はぬけている。

 静かな水面に()り糸をのんびりたらしているふぜいであった。

 釣りばりには、ユーモアというエサが、仕掛(しか)けられており、

 生徒の興味を引きつけ、

 パクリと食いついた瞬間、

 さっとリールを巻きあげるのだ。


 いつものとおり、まずはマクラから入る。

「先生は寄生虫(きせいちゅう)が大好きです。

かわいくってしかたがない!

あんまりかわいいので、

さきごろ、自分のおなかをつかって、

育てるという実験をしてみました」

 

 海先生の意表(いひょう)をつくツカミに、

 生徒達は、のっけから、興味しんしんである。


回虫(かいちゅう)のタマゴをのみましてですね、

お腹のなかで、育成いくせいました。

順調に育っていきました。

・・・ところがです・・・

悲劇ひげきは、どこに、口をあけて待っているかわかりません。

昨晩、ひどい下痢げりをしてしまいましてね、

体外へ排出はいしゅつされてしまいました。

六十センチほどに成長しておった、

ミミズのおけのような回虫かいちゅうが、

かわいそうに、わが家の便器のなかでのたうちまわっていましたぞ。

その子はげんざい、準備室じゅんびしつのかたすみで、

ホルマリンにつかり、

やすらかに眠っております。

合掌がっしょう!」

 

 生徒たちから悲鳴や喚声(かんせい)があがった。

 優希と智子も、驚き、あっけに取られ、そして爆笑した。


 すかさず手をあげ、立ちあがる智子。

「先生、悩める女子を代表して質問します。

ちまたで言われているように、

寄生きせいちゅうで、

ダイエットは可能でしょうか?」

 

 海先生は、ゆで卵のようにつるんとしたあごに手をあてると、

 ゆっくりさすりながら、口を開いた。

「ふむ、そういう(せつ)も一部にはあるようだが、

確実な、研究結果が出ているわけではない。

まだまだ検証(けんしょう)が必要だ。

どうだね、月吉(つきよし)

いっそのこと、お前さんが、被験者(ひけんしゃ)になってみては?

生物準備室に保管(ほかん)してあるシャーレには、

多種多様(たしゅたよう)の、

寄生虫のタマゴがコレクションしてあるから。

いつでも歓迎かんげいするぞ!」


 智子は苦笑しながら頭をかいた。

「それは、ちょっと、遠慮しておきます」

 まわりから、

 笑い声や拍手(はくしゅ)がまきおこった。

 

 生徒達をリラックスさせると、

 海先生はスムーズに、

 授業を本題に移行(いこう)させた。


 

「じゃあね、智子。またあした」


「バーイ。優希」

 一日の授業が終わると、

 優希は家庭教師の待つ自宅へ。


 智子はわき目もふらずに部活動、

 体育館へまっしぐらにかけて行く。




 三週間が過ぎた。

 放課後。

 西にかたむいた、太陽の光を受けながら、下校している二人。

 低くさしこんでくる金色の光線を右手でさえぎって、優希が言う。


「今日から試験終了までの期間、私の家で勉強会よ」


 うわの空で返事をしてよこす智子。

 どうしても体育館の方が気になるらしく、

 たびたびそちらをふり返っていた。


「気持ちはわかるけど・・・

試験一週間前から部活は禁止なのだから。

そのあいだ、意識を、勉強の方にむけてちょうだい。

できるよね?」


 あたまひとつ、背の高い、バスケ部の主将を、

 下からのぞきこむように言う。

「わかってるって。

体育推薦はたれたわけだし、

こんどの試験が、進学を決定づける重要なものだってことは。

けどさ・・・容易(ようい)に、チャンネルの切りかえが、きかないんだな」


 通学バッグを、空中高くほうり投げる智子。

「どりゃーっ!!」

 

 滞空時間たいくうじかんを長くたもち、

 ゆっくり落下してくるバッグを、

 キャッチする体勢(たいせい)にはいる。

 

 そのとき、裏庭(うらにわ)から、

 プログラミングの(くる)ったロボットのような動作(どうさ)の男子生徒が、

 奇声(きせい)を上げて、走ってきた。

 彼は首すじをおさえ、

 さけび、

 ドタドタと、

 変てこりんなリズムの走りかたで、

 二人の方に急接近してくる。


「ナイスキャッチ!」

 落ちてきたバッグをうけ止めようとする瞬間、

 男子生徒は、

 智子の背中に、

 まともにタックルするかっこうで突っこんできた。


「あ・ぶ・な・い!」

 優希がさけぶ。

 

 バッグをキャッチすると同時に、

 智子は、

 男子生徒とのゲキトツを、

 ひょい!とかわしてのけた。

 男子生徒の方は、つんのめって、その場に転倒てんとうした。


「うそぉー?」

 バスケ部主将の反射神経と、

 そのすばやい身のこなしに、

 黒目勝ちの瞳をまん丸にする優希。

 

 たおれた男子生徒は、のたうちまわり、うめき声をあげている。

 キョトンとしながらも智子は友人とともに、彼のもとにかけよる。


「どうしたの?」

 優希がたずねた。


(いて)ぇ、いてぇよーっ!」

 首すじをおさえている彼は、しぼりだすように、

「ハチに刺された。スズメバチだと思う!」

 

 あお向け姿勢の彼の頭の下に、

 優希は自分の通学バッグの裏がわを、さしこんで枕がわりにする。

 リレーするように、

 智子が男子生徒の腕と肩に、手をのばし、

 ゆっくりとひっくり返して、うつぶせ姿勢にした。

 つぎに優希が、

 患部(かんぶ)にふたをしている、

 彼の手を、

 静かにはがすようにはずして、

 首すじをかくにんする。


「うわぁっ、これはひどい!」

 優希が声をあげる。


「あちゃーっ」

 メガネの奥の目を見ひらいて智子。

 

 患部かんぶ(ねつ)をはなち、

 子供のコブシ(だい)に、()れあがっていた。

 二人は、男子生徒にかたをかすと、保健室まで送りとどけた。

 

 優希とバスケ部の主将とでは、

 身長差がおよそ二十センチあるので、

 バランスをとるために、

 智子は、

 低くかがみこまなくてはならなかった。

 しかも・・・彼の体重は・・・どーゆーわけか、

 コチラの方に全面的にかかってくるので、

 かなりしんどい思いをした。


 男子生徒は、すぐさま車で、病院へ搬送(はんそう)された。


 あらためて下校(げこう)している二人。

「いやよねぇ。

裏庭(うらにわ)にスズメバチの巣でもあるのかしら」優希が言った。


「季節が季節だから、じゅうぶんありうるね。

ニュース番組の特集で見たことがある。

この時期は、被害が多発(たはつ)するから、

スズメバチバスターといわれる専門家に、

駆除(くじょ)依頼いらいするわけ。

でさ、

その人たちは基地(きち)となっている巣を、

まるごと捕獲(ほかく)して、

一網打尽(いちもうだじん)にしちゃうんだ」


「ふーん。費用(ひよう)は、どのくらいかかるのかしら?」


「さあ、そこまでは分からないな」

 

 校門を出る。

 学園をあとにして上野公園近くを歩いていると、

 背後からクラクションの音がした。


 智子がふり返る。


 黒塗りのベンツであった。

 最後の授業が終了すると、

 運転手へ連絡を入れることが、

 優希の日課にっかとなっていた。

 あらかじめ、

 学園ちかくに待機たいきしていた車が、

 むかえに来るというわけである。


 フロントグラスの向こう側に、四脚門(しきゃくもん)が見えてきた。

 あしもとが()石積(いしづ)みの筋塀(すじべい)が、

 門の左右に伸びている。

 門には、数台の、防犯キャメラが取りつけてあった。

 

 車は()妻反(つまぞ)りの破風屋根(はふやね)をかけた門をくぐり抜けて、

 敷地(しきち)(ない)に入る。

 両側(りょうがわ)を、木々で、かこまれた長いアプローチを走っていく。

 

 犬城家をおとずれるたびに、

 智子は、

 時代劇のセットにまぎれこんだような気分になってしまう。

 優希の生活しているところは、家というよりお屋敷だった。

 玄関先(げんかんさき)で、お手伝いさんが、にこやかにむかえてくれた。



「智子、集中きれてるよ!」

 さっそく、

 友人のお小言(こごと)がとんでくる。

 

 タタミのにおいのすがすがしい、

 整然(せいぜん)とした優希の部屋。

 高級旅館を思わせるような、和室である。


 木製のりっぱな(つく)りのテーブルをはさんで、

 むかい合わせに数学の勉強をしているさいちゅうなのだが、

 苦手科目とあって、

 進捗状況しんちょくじょうきょうはかんばしいとはいえない。

 

 私服にきがえた優希は、

 ふかふかのザブトンの上でみけんにしわを寄せ、

 むずかしい顔で正座せいざしている。 


 かたや・・・智子は、

 水晶学園のモダーンな夏用セーラー服に、

 そのよく発達した身体をつつんで、ザブトンの上で、あぐらをかいている。

 友人のお小言ならびに、

 さすような視線に、頭をポリポリかいてみせた。

 

 けはなたれた窓の、あみどしに、

 庭の池の水面をつたって入ってくる、

 涼しい風が、

 なんとも心地よい眠りを誘ってくれちゃうのだ。

 

 優希が先生役をつとめる勉強会で、

 もっとも心をくだくのは、

 翻訳家(ほんやくか)役目(やくめ)も、

 どうじに、こなさなければならないことである。


 優希にはわりあい、かんたんに理解できることが、

 相手にはすんなりとはいかない。

 その距離をうめるためには、

 そうとうなエネルギーと、

 忍耐(にんたい)要求(ようきゅう)された。


 感覚的なタイプの智子に、

 ダイレクトにつたわるように、

 ことばを、慎重にえらんで、組みあわせ、

 しんぼう強く、りかえし、教えていくのだ。

 

 時間はようしたが、

 努力は、

 やがて・・・相手の脳内に吸収(きゅうしゅう)されていった。

 

 文系科目は、あうんの呼吸(こきゅう)でいけたが、

 理数系はいつでもこのプロセスをふんだ。

 

 苦手とする科目の赤点を、

 どうにか

 まぬがれているのは、

 まったくもって、優希センセイのおかげなのだった。

 

 試験の結果を見るたび、

 もつべきものは友達だなァと、心から思う智子であった。

 しかし・・・

 ふたたび・・・バスケ部の主将は、

 こっくりこっくり、(ふね)をこぐ。

 

 すっくと立ちあがる優希。

 

 押し入れをあけ、あるモノをさがしはじめる。

 二段にわかれた下の段のすみには、

 ダンボールいっぱいにつまった大量の花火が、

 収納(しゅうのう)されていた。


「よしよし」

 あるモノを見つけだした優希はニンマリする。


 いつだったか、広間で「講談(こうだん)の会」をもよおしたときに、

 講釈師(こうしゃくし)から(おく)られた、

 ()(おうぎ)だ。

 よもや役にたつときがくるとは思わなかった。

 

 うしろ手に押し入れをしめ、

 みずからの手のひらにパタンパタン当てて、

 感触をたしかめる。


 目の前には、

 きそく正しい寝息たてている、

 無防備(むぼうび)なバスケ部の主将。


 アタマはかわいそうだから、

 肩かテーブルにめがけて・・・一発かますかぁ!

 などと思案していると、

 ふすまごしに上品な声がかかった。

 

 同時に智子の両目がパッチリひらいた。

 

 

 優希はあわてて、張り扇を、背後(はいご)にかくした。



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