36 「二つの部屋」の問題
待ちあわせ場所の、
不忍の池へ行くと、すでに火鳥は待っていた。
彼は、いつも、約束の時間より前にやってきた。
こういう細かい点が好感度を上げる。
智子の中で確実に、
プラスポイントがチャージされていった。
貸しボートに乗る二人。
火鳥が手なれたようすでオールをこぐ。
ボートは水面をすべるように進んでいく。
智子は、カレシに、スマホのキャメラを向ける。
数回シャッターを切った。
クスクスと笑い、撮ったばかりの写メを見せる。
「うむ。まずまずの上がりだな。
なんせ・・・被写体がいいから」
「わぁー、しょってるーっ!」
火鳥を指さして智子が言った。
それではと スマホを操作し べつの画像を見せた。
「では、この写真はどう?」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、
相手の反応を待つ。
鹿間のメールに添付されていた写真だ。
「ほーう。構図といい、
被写体に対するセンスといい、
なかなか見どころがあるぞ」
火鳥は目くばせで、
〈彼女の了解をえると〉
スマホを手にとって、
画像をじっくりながめる。
「子供の頃から変わっていないな、きみは。
あり余るほど元気で屈託がない」
「それって・・・進歩がないってこと?」
彼女のつっこみに、
「まいったなー」
と苦笑する火鳥。
同時進行で、
彼の左指が、
スマホのタッチパネルをスクロールした。
冷静な、
もう片一方の目が、
モニターを、凝視している。
少しばかり・・・間が・・・あいた。
「それはマズイッ!」
キビシイ声が、智子から、発せられた。
「プライバシーには・・・ふみ込まないで!!」
火鳥は、ひどくバツの悪い顔をした。
しぶしぶ・・・スマホを・・・返してよこす。
「すまない・・・
きみが、誰かほかの男性と、
メールを交わしてると思うと、気が気でなくってさ・・・
僕には・・・わかるんだ・・・
この写真は、
明らかに、
異性の視点によって写されている・・・と」
少年のように しょげかえる火鳥。
そんなカレシに、智子は、ウルウルしてしまう。
「心配しなくても・・・大丈夫だよ。
私は・・・翔のことしか、考えていないから・・・」
はげますように、火鳥の手をにぎりしめた。
「それを聞いて安心した。
ぼくも同じ気持ちだよ、月吉くん」
「ト・モ・コって呼んで!」・・・「姓ではなく、名前で、」
彼女の言葉にうなずいて、
火鳥がためらいがちに言った。
「・ト・モ・コ・」
「ああ・・・翔♡」
智子はカレシの肩に広いおデコを乗せた。
水鳥がパタパタと羽音を立てて飛びたった。
小さな波紋が池の水面にえがき出される。
鹿間は、
ノートパソコンのキーボードをたたくのをやめた。
じりじりして、
PCに接続させたスマートフォンを、
テーブルの上から、取りあげる。
時刻は午後八時を、回っていた。
数十通のメールを、
着信していたが、
ほとんどは、新聞部からのモノだった。
かんじんの、智子からのものは・・・なかった。
念のため、
智子のバスケット仲間にもメールを、入れてみる。
鹿間のいる、この喫茶店は、
新聞部員のたまり場になっているスペースである。
日暮里は、
谷中の、
閑静な場所に、
西洋風のレトロな店をかまえていた。
コーヒーと薬膳カレーが、
この店の<売り>で、いちど口にするとやみつきになる。
郷愁を誘うような、
昭和初期のポスターが貼られ、
ゼンマイ式のハト時計が、
振り子をゆらし、時を刻んでいる。
鹿間は、開店直後に、
いつもとは、別の個室に入った。
新聞部員と、顔を合わせたくなかったのだ。
引きこもりの原因などを、
質問攻めにされるのはゴメンだった。
新聞部員特有の資質で、
とにかく、詮索好きなのである。
その、
最たる者が、
自分であることも、
鹿間は、承知していた。
マスターの淹れてくれたこだわりのコーヒーを飲み、
智子の訪問を、
もしくは、彼女からのメールを待っていた。
彼女に、
『優希暴行事件』
の真相を打ちあけたら、
キッパリ自首しようと決めていた。
四杯目のコーヒーを、お代わりし、
人さし指でテーブルをコツコツたたく。
鹿間はさっきから、
臆病風とは別種の、
硫黄色の、
重く息苦しい風を感じていた。
凶事近しを告げる・・・
・・・そんな印象の風だった。
憔悴する気持ちを、
意志の力で圧縮し押さえこむ。
鹿間は、
「よっしゃ!」・・・と、
気合いを入れ、
必殺のメールを送信した。
ダーツ喫茶でコーヒーをお代わりする智子。
ボート遊びのあと、
火鳥の誘いでやってきたのだ。
カレシはダーツで、
素晴らしい腕前を披露して、
智子を感心させた。
「これでも、ぼくは子供の頃、
準硬式でピッチャーをやっていたんだぜ。
コントロールだけには・・・いささか自信がある」
ダーツ初チャレンジの智子。
最初のうちは、
的の中心に当たらず、
狙いをハズしてばかりで、
苦戦をしいられたが、
しだいにコツを飲みこみ、
短時間でめきめき腕をあげた。
こんどは、火鳥の方が感心する番だった。
智子のスマートフォンが、
ヴァイブレーションを起こし、
新たなメールの着信を知らせていた。
コーヒーカップを持って、
テーブル席へ移動する。
席に着くと、火鳥は、
この店のおススメである、
ホットドッグを二個注文した。
会話のとき、
無意識にメガネのフレームに手をやる、
智子のクセは、
コンタクトレンズに変えた現在でも、
健在で、
ときおり顔を見せ・・・火鳥を笑わせた。
フォローするべく、彼は、
彼女のピアスに目をやり、
さりげなく彼女の趣味の良さを褒める。
こういうときの火鳥は、
実に良いナチュラルカーブを、投げる。
受け手のミットにふわっと収まるのだ。
・・・ナイス・ストライク!
智子発のビンビンするような、
熱視線を、受けている火鳥。
彼は、
セカンドバッグから、
カードをひと組取り出すと、お得意のマジックをはじめた。
そのようすをジッと見つめている智子。
・・・彼女は想う・・・
火鳥の辞書には、
『人を退屈させる』という、
言葉は無いに違いない。
相手の注意をそらすコトがないのだ。
話題が豊富で、
ついつい、引き込まれるように聴き入ってしまう。
そういえば、
生徒会長に立候補したときの、
演説もバツグンに上手だったっけ。
そして、十八番のマジックがあった。
レパートリーじたい、
そう多彩ではないが、
個々の完成度は高く、
なんど見ても飽きが来ない。
このあいだ、
自分の無粋なクシャミで、
ブチ壊しに、してしまった、
<白い粉のマジック>を、
何度か、
おねだりしてみたけれど、
そのたび火鳥はこう言って、首を縦に振らなかった。
「ぼくはねえ、一度ミスを犯したマジックは、
パーフェクトな形になるまで、再演しない主義なんだ」
火鳥は、ある種の、完全主義者なのであろう。
ドコルタというマジシャンを尊敬していると言っていた。
∴ヒュン∵
智子の、
目の前の、
空気の色が、
ふいに・・・変化した。
「はて・・・なんだろう・・・?」
だしぬけにやってきた現象に、
ピントを合わせるように、
まばたきを繰りかえす。
すると、
またもや、
あのイメージが浮かび上がる。
〈優希の部屋〉
と
〈火鳥の部屋〉
二つの部屋の問題。
双方とも、
整理整頓のゆきとどいた、
ムダな装飾のない純和風。
ゴタゴタした智子の部屋とは、まあ正反対・・・といえる。
コレはいったい、なにを、意味するのだろう?
なぜこうも、くりかえし、現われるのだろう?
疲れているのかしら?
それとも・・・虫の知らせ?
現実とはまるで、違う、
こういった抽象に、
どう対処すればいいというのか?
今度ばかりは、
諦めずに、
真剣に、
腰をすえて、
しっかり、この問題に取り組んでみよう。
そう・・・決心した。
じっくりと眺め、
比較検討にかかる。
〈優希の部屋〉
と
〈火鳥の部屋〉
ふたつのイメージに、
とりたてて差異はない。
しかし・・・なにか・・・ありそうだぞ。
ひどくもどかしい。
隔靴掻痒。
まるで、鼻が詰まったときの・・・食事のようだ。
落ち着け!
しっかり考えろ!
どこからか、かつての、優希の声が・・・聴こえてくる。
「〈あのね・・・智子は、
問題に対するアプローチが、
あまりに、ワンパターン!
そのうえ、やや強引。
もう少し、柔軟性が・・・出てこないと〉」
「へいへい」
現在の智子が、こたえる。
そうだよな・・・優希の、言うとおり。
雑誌の『七つの間違い探し』じゃないワケだから、
外面の相違ばかり検討する、
アプローチから、離れないと。
いわゆる・・・
見えないモノを視るような・・・気持ちで。
イメージの内がわに、秘匿された相違点。
言うは易し・・・
あまりにもとっかかりが・・・なさ過ぎる。
今度は、
優希のヴィジュアル・イメージが顕われた。
二つの部屋のイメージと、すこしズレて重なり合う。
ちょうどPCの複数のウィンドウが開くように。
〈優希の部屋〉
と
〈火鳥の部屋〉
さらに
〈優希のヴィジュアル〉
三個のイメージを、同時進行で、知覚している。
憂いを秘めた・・・優希の表情。
イメージそのものよりも、
そこから、喚起される感情のほうがはるかに強い。
強迫観念が、
智子の心を圧迫する。
しばらくすると、優希のイメージは、消え去った。
ふりだしに戻る。
ふたたび、二つの部屋のイメージ。
薄氷を踏むような感じで、
内的な注意集中をする。
〈優希の部屋〉━〈火鳥の部屋〉・・・わからない!
もう一度チャレンジ、
〈優希の部屋〉━━〈火鳥の部屋〉・・・やっぱり、わからない!
三たびチャレンジ、
〈優希の部屋〉━━━〈火鳥の部屋〉・・・ん?・・・なんだろう?
二つの部屋が、
かもし出す雰囲気の、
かすかな息づかいの差異をついにキャッチした。
よしよし、
かろうじてではあるが、とっかかりは・・・つかめたようだ。
あとは、
ここを・・・基点に・・・掘り下げていくだけ。
・・・・・・
優希の部屋が、
彼女そのものであるのに対して、
・・・・・・
火鳥の部屋は、
彼自身が、
一部しか・・・反映されて・・・いない。
なぜだろう?
なぜ?
どうして?
イメージから、喚起された印象を、
特殊としか、
たとえようの無い、
努力で・・・形にしてゆく。
その形・・・を・・・
がんばって・・・
言葉に・・・置きかえれば、
そう・・・なんというか・・・血の通っていない感じ。
いわば・・・
タテマエの・・・部屋なのだ。
Q.E.D.
みちびき出される結論は、
どこか別の場所に、
彼自身の個性が、
詰まった部屋が、
存在しているということになる。
そこは・・・彼という人格、
パーソナリティーが、
たっぷりと染み付いて息づいている。
火鳥そのもの・・・というべき部屋。
なにげなく、
スマートフォンを、
取りあげる。
最新の、
受信メールを・・・開く。
動画が添付されてあった。
再生ボタンを押す。
モニターに、映像が展開される。
智子の首が、
ガクン!と、
下がった。
目はモニターへクギづけにされた。
動画の音声をミュートした。
スマホを持つ手にキリキリ力がこもる。
口の端から・・・
押し殺したような息が・・・漏れる。
小刻みに手が震える。
「・・・・・・」
動画は、
優希がめった打ちに、
暴力を浴びせられている内容であった。
全身に毒がまわるような映像だ。
加害者の顔が・・・はっきり・・・映しだされた。
心臓に、
ナイフを、
突き立てられ、
断末魔を上げる・・・優希。
最期の救いを・・・求めるように、
「ト・モ・コ・ォー!」と叫びながら。
読唇術の、
心得は・・・ないが、
優希の、口の動きは・・・ハッキリ・・・読みとれた。
デジタル・キャメラを振ったときに、
急な石段が、
しっかり映りこんでいた。
見覚えが・・・あった・・・ハッキリと!
メールの最後は・・こう結ばれていた。
━《火鳥は、危険だ!!》━
高圧電流が、
背すじを、走りぬけた。
パズルのピースが、
正しい位置に、
ピタリピタリとおさまる。
智子の中で、すべてが、つまびらかになった。
「火鳥さん・・・
とても・・・大事な話が・・・あるんですけど・・・」
智子は、
充血した目を上げた。




