35 伏兵(ふくへい)
鹿間はベッドの中にいた。
シーツのあいだから、
おそるおそる顔を出して、時刻を、確認する。
午後11時15分30秒。
こわごわカーテンを開く。
外のようすを、慎重に・・・うかがう。
誰もいない。
ここ何日か、優希の姿を、見ることはなかった。
新聞部からのメールによれば、
蜂谷は、いまもって、行方知れず、
猪瀬は、相変らず、重体で、
ICU〈集中治療室〉に、
入っているらしい。
学園に、舞い戻った火鳥は、
智子と交際している、との情報も・・・得た。
なにゆえ、一番、悪いやつが、
優希の復讐を、
のがれ続けていられるのか?
理解に・・・苦しむ。
どんな、手品を、使っているのだろう?
堂々としているところから、
察するに、
狡猾なカラクリが、隠されているに・・・違いない。
正面きって、
二人の友情を、分断するなど、
そのやり口は、実にイヤらしい。
まったく、死神のようだ。
とり憑いたが最後、
ためらうことなく、
魂の尾を、切り離し・・・
屍肉を、すすり・・・骨をも・・・砕く。
ゾクっと身体をふるわせる、鹿間。
空を、見あげた。
息をのむような、大きくて、立派な月が、
ポッカリ浮かんでいた。
予報によると、明日は、満月らしい。
晴れた濃紺の夜空には、
雲ひとつない。
星々がキラめいている。
ベッドをおりると、部屋のドアまで、歩いていった。
扉ごしに、室外の気配を、うかがう。
誰もいないのを、たしかめてから、
こそこそっと、ドアを開け、
夜食の乗ったお盆を、すばやく、引っぱりこんだ。
お盆の上には、夜食用のパンとコーヒー牛乳、
カップ麺の、ネギらーめんが乗っていた。
彼の部屋には、
グラビア・アイドルのポスターが、
ところせましと、天井にまで、はりめぐらされ、
本棚には、ゲームソフトが、乱雑に、積みあげられている。
コレがないと生きてはゆけない、PCやゲーム機、
オーディオセット、大画面の液晶テレビが、
完備されている。
室内にキープしてある、電気ポットから、
カップ麺に、お湯をそそぐ。
もわっとした湯気が、あがった。
そろそろ、お湯のありがたい、季節になった。
机のまえに腰かけ、お盆に、手を伸ばす。
鹿間の好物、
[aurora]のクリームパンを、ひと口かじる。
やっぱり・・・ウマイ!
いい味出してる。
智子とは、幼なじみだ。
同じ街に住み、
家族ぐるみの付き合いも・・・かつては・・・あった。
小さい頃から、智子には、
抜群の存在感があった。
彼女の磁力によって、
子供グループが、構成されていた。
子供の時分から、
その、運動神経には、
目を瞠るものがあり、
スポーツと名のつくものなら、
なにをやっても、見事に、こなした。
鹿間はヒ弱で、
スポーツは、不得手の、
目立たない少年だったが、
ひとたび、キャメラを持てば、
存在感を発揮した。
自己を、表現できる、
最初のきっかけを、キャメラが、あたえてくれた。
猪瀬や蜂谷に、
盗撮写真のテクニックを、
手ほどきをしたのも、鹿間であった。
活発少女の、
智子を、モデルにして、
彼女の、生き生きとした瞬間を、
鹿間少年は、懸命になって、切り取った。
出来あがった写真を見せると、
智子は、ストレートに喜んでんでくれた。
当時の写真を、見返してみると、
つたない技術で、恥ずかしくなるが、
そこには、まぎれもなく、ハートがあった。
自画自賛で、面映ゆいが、
いま見ても、心を打つものが・・・ある。
「初心、忘れるべからず」・・・写真が語りかけているようだ。
以降、鹿間は、
智子のグループ内で、
好ポジションを、占めることになった。
鹿間が、リスペクトを持って、接していたこともあり、
ふたりの仲は、ひじょうに、うまくいっていた。
ある時期までは・・・
自他ともに認める、
仲だった、ふたりだが、
中学に入ったころを、さかいに、
智子の方から、
鹿間に、距離を、置くようになった。
嫌われた?・・・飽きられた?
よくある、ありふれた理由なら、
・・・〈それでも、悔しいが〉・・・
まぁ、納得がいく。
しかし、どうも・・・違うようだ。
原因を・・・深く・・・掘りさげてみた。
おぼろげながら、理解できたのは、
だいぶ、あとになってからだった。
鹿間は、ガクゼンとした。
彼自身の、本質に、かかわることだったからだ。
智子に、直接たずねた・・・わけではなく、
もしかしたら・・・考えすぎかもしれない。
だが、月吉智子という、
生物の本能が、
鹿間の、根幹を・・・拒絶したのだ。
マチガイない!
残酷な話ではないか・・・
鹿間は、自分を、あわれんだ。
以来、
その怒りは、
ペンを通じて、
智子に、向けられることになった。
中学時代から、一貫して、
新聞部に席を置き、
学内の有名人たる智子を、
痛烈な筆致で、
批判し続けている。
ありったけの、暗い情熱を、傾けて・・・
自嘲ぎみな笑いを、浮かべる。
同時刻。
智子は、
自室で、ベッドに横たわり、
お気に入りのDVDを見ていた。
80年代のカルトなSF映画。
脳髄に、食い込んでくるような、
圧倒的な、ヴィジュアルと音楽。
ハードボイルドの要素もある、
ダークな作品で、
見るたびに、
生と死の意味を・・・・考えさせられてしまう。
鹿間は、
伸びてしまったラーメンに、
液体スープとマイコショーを入れ、
ふーふーしながら食べ・・・ピリ辛スープをすする。
秋の夜長には、もってこいのカップ麺だ。
いまでこそ、敵対しているが、
気のいい、幼なじみが、
つぎの、餌食として、
火鳥の毒牙に、かかろうとしている。
ヤツは、智子にも、まちがいなく、
サディスティックな暴力を、浴びせかけるだろう。
自分自身の、勇気のなさと、
恥ずかしながら、好奇心で、
優希を、見殺しにしてしまった。
じっさい・・・あのときは、暴力に・・・魅せられていた。
暴力は、人を麻痺させ、興奮させ、陶酔させる。
否定できない・・・
人間の本性の・・・・一断面。
だが、それは、加害者か、
傍観者の、ヤジ馬にかぎった話だ。
暴力を、たたき込まれる方は、たまったものではない。
後悔の念が、
どうしょうもなく、
頭をもたげてくる。
一縷の望みとしては、
非力な優希とは違い、
剛腕の智子ならば、
自力で、
最悪の事態を、
切りぬけられる、可能性は・・・ある。
彼女は、運も、強い!
ただし、相手が火鳥となると、はなはだ・・・悲観的だ。
ヤツの奸智には、とうてい、たちうちできまい。
鹿間は、鏡の前に、立った。
じっくりと、自分の顔を、ながめる。
なんと上っ面だけの、人間なのだろう。
意気地のないところが、透けて見える。
コブシで、自分の頭を、なぐりつける。
幼なじみのピンチに・・・
手をこまねいているだけなのか・・・お前は!
幼少のころから、彼には、
素朴な疑問が・・・あった。
そのことが、終始つきまとい、彼を苦しめた。
自分が、贋物なのではないか、という不安。
いつも、傍観者然としている・・・オレ。
なにか、ある部分が、
決定的に欠けていると、
本能が・・・ささやきかけてくるのだ。
アイデンティティーの・・・欠如。
男性という、生き物を、構成する、
重要なピースのひとつが、
欠落している・・・気がしてならない。
歳を、重ねていけば、
自然消滅していく、
観念かと、思っていたが・・・そうではなかった。
より・・・強固になって・・・迫ってくる。
智子を、前にすると、
その感じは、よりいっそう強くなった。
本物という言葉は、
自分には・・・ほど遠く、
智子にこそ・・・相応しい。
そして、認めたくなかったが、
火鳥もまた、まぎれもなく、本物だと思った。
たとえ・・・ねじくれ、ゆがんでいても・・・だ。
本物に、なれないまでも、
少しくらい、近づくことは、できないだろうか。
ときたま・・・
父親が、酔っぱらったときに、
食卓で、口にする言葉が・・・思い起こされた。
「男の人生には、正念場が、かならずやってくる。
そこで、真価を、発揮できるかどうかで、
そいつの価値は、決まる。
ぜったいに、逃げてはいかん!」
その時・・・
横にいる母親が、
必ず、付け加える。
「女の人生にだって、正念場は、ありますとも!」
夜食を、終えると、
鹿間は、
机の前で、
まんじりともせずに、考察に・・・ふけった。
夜が明け、朝がやってきた。
共働きの両親が、出かけるのを待った。
ひさしぶりに、彼は、
ゆっくり風呂に、浸かり、
シャンプー&リンスをすると、
ボディーソープを、潤沢に使い、
全身を、すみずみまで、洗いながした。
風呂に入ると、気分まで、さっぱりした。
深夜の考察で、
行動計画は、しっかり立てた。
あとは実行あるのみだ。
めったにないことだが、
神棚に、手を、合わせた。
ショルダーバッグに、
『優希暴行事件』
その・・・動画が・・・収められた、
フラッシュメモリと、
ノートパソコンを入れ、肩から、下げる。
それから、
スマートフォンを持って、玄関へ、むかった。
ドアノブに、手をかける。
大きく・・・深呼吸。
ノブを回す。
思いきってドアをあける・・・開いた!
開かれたドアから、
外気が侵入してきて、
頬をかすめた。
いままで、出ることができずにいた・・・玄関。
クツをはいて、
第一歩を、ふみ出す・・・できた!
扉の向こうに・・・ふみ出せた。
ようやく、
引きこもりの呪縛から、
解放された。
外に出た・・・瞬間、
太陽光線とは、
こんなにも、まばゆいものなのかと・・・一驚した。
アスファルトの感触が、
クツ底から、伝わってくる。
最初のうちこそ、違和感があったが、
しだいに、
外を歩くという行為に、慣れた、
否・・・元に戻った・・・というべきだろう。
ズボンのポケットから、スマホを取り出し、
素速い、指づかいで、
緊急メールを、送った。
送信相手は・・・
・・・月吉智子。
学園から帰宅した、智子は、
あわただしく、着がえ、
薄く化粧をし、
身だしなみを、整えると、
火鳥との待ち合わせ場所へ、向かった。
ポケットに、ぶるぶるっと、ヴァイブレーションを感じた。
スマホを取り出す。
「またか!」
舌うちした。
鹿間からのメールだった。
すでに朝から9件目である。
彼には、
過去のいきさつもあり、腹を立てていた。
それは現在も、リアルに、進行中だ。
彼のペンによる、批判記事には、
陰湿な執念・・・というべきものがあり、
陽性な智子の、忌み嫌うところだった。
何回、
いや・・・何十回、
ハリ倒してやろうと、思ったことか。
メールの内容は、
《急を要する話があり。
直接、会って、話がしたい。
日暮里にある、喫茶店
『ペール・ラシェーズ』で、待つ。
地図参照のこと・・・・・・鹿間》
過去8通のメールは、
さらっと読みながして、すべて、削除した。
いっさい、返信は、しなかった。
だが、今回のメールだけは、
削除ボタンを押すのが、ためらわれた。
添付されていた・・・写真のためだ。
子供時代の智子が、
〈鉄棒で、大車輪をする、
躍動感あふれる姿。
その瞬間が・・・〉
すばらしい構図で・・・活写されていた。
学校新聞の、写真には、
あきらかに、悪意があったが、
この写真には、リスペクトと、
ほのかな愛情が・・・にじみ出ていた。
しかし・・・
意地でも、
返信だけは・・・するものか!




