34 亀裂(きれつ)
三年C組。
ひらかれた教室の扉が、モーレツな音を、たてた。
クラスメイトの視線が、音の方向へと、集中する。
優希の席へ、猛進していく智子。
ニラみつけると、鼻息も荒く、言葉をぶつけた。
「ああいう態度はないんじゃないの・・・優希。
とっても、残念だった!」
「ゴメンなさい。
私、どうしても、火鳥さんが苦手で、」
「ムシのいい話と、受けとめられるかもしれないけど。
お願いだから、もう少し、
私のために・・・努力してもらえないかな?
優希とも、今までどおり、仲よくやっていきたいし、
火鳥さんとの関係も、大切にしていきたいのよ」
優希は、
立てた人さし指を、
くちびるのところに当て、
懇願するように、小声で言った。
「もう少し、声のトーンを、落としてちょうだい」
ふと気づけば、
クラス中の視線を、独占していた。
「ああ、ゴメン、ちょっと興奮ぎみ。
私、優希と違ってガサツだから、」
冷静さを、つかみ取ろうとでもするように、
智子は、頭を左右にバッバッと振った。
「あのねぇ・・・彼・・・火鳥さんの事だけど、
近畿にある、
全寮制の仏教大学に、
進学することになってるのよ。
晶学を卒業したら、逢えなくなってしまう。
残された、貴重な時間を、大切にしたい。
笑われるかもしれないけど、
彼とのあいだに、萌したものを、はぐくんでいきたいの。
優希にも、
一番の親友にも、
見守ってもらえたら、いいなって。
なにもムリに、火鳥さんに、好意を、持ってほしいなんて、
押しつけするワケじゃなく。
ただ、きょくたんに、当てつけがましい態度は、
つつしんでちょうだいと、お願いしてるだけ。
いちいちフォローするのも、疲れるし、心乱れるのよ。
努力してくれるよね、優希!
聡明な、あなたのコトだもん。信じてる」
「・・・できないと思う・・・」
「えっ、いま、なんて言ったの?」
「できない!」
こんどは、しぼり出すようにして、キッパリ言った。
「優希・・・あなたが、
そこまでのエゴイストだとは、
想像もしなかった」
「・・・・・・」
「これは、返すから」
智子は、ドアーズのアナログ盤LPを、
優希の机の上に置いた。
そして背をむけると、言った。
「私・・・どうしていいかわからない・・・もう・・・」
優希は、
目の前に置かれた、
アナログ盤の、リアジャケット見て、涙を流した。
写真が、ひどくゆがんで、見える。
まぼろしの世界が、幻想の度合いを、いっそう高めた。
「あなたのために、一生懸命さがしたのよ。
自分の二本の脚を使って・・・
智子のために・・・」
「そういう話は、聞きたくないから」
身を切られるような思いに、
肩を震わせる智子。
「ずいぶん、もろいものね。友情って、」
涙声で、ポツリと、優希がつぶやいた。
その言葉は、智子の心に、深く突き刺さった。
親友と、たもとを分かつ、かたちになってから、
智子の学園生活は、
火鳥へと、完全に軸足を、移した。
登下校はもちろんのこと、
昼休みも、学生食堂で、火鳥と共にとった。
お弁当箱のサイズは、ひと回り、小さくなっていた。
放課後は、役角寺へと、日参した。
部活は、
受験勉強を理由に、
さぼることが多くなっていた。
秋らしさを増した、朝の空気の中を、
火鳥と一緒に、学園までの、道のりを歩いていると、
通学路が、
ふだん、見なれた、街並みや風景が、
とても、みずみずしく新鮮に、うつった。
不思議なことだが、
木々が呼吸しているのを、感じることもあった。
火鳥と交際を始めてから、
日に日に、感覚が鋭敏に、なってきている。
それから、
以前よりこころもち、優しくなったような気がする。
ちょっとしたことで、涙が、流れでてしまうのだ。
ささいなことが、感動の対象になる。
あと一歩で、素晴らしいメロディーや、
人を、感心させる詩が、生まれ出そうな、気配すらあった。
火鳥と一緒にいられる喜びを、かみしめる。
ああ、彼と私の・・・・・・ラブ・ストリート♪
時間よ止まれ、
さもなきゃ・・・伸びて!
日を追うごとに、充実度を増していく智子。
ルックスにも、それが反映されていった。
反比例するように、
優希は、意気消沈していった。
目の下にできたクマが、いたいたしい。
二人は、日常、
ほとんど、
会話を、かわさなくなってしまっていた。
優希が、言葉を、かけようとすると、
気配を、察した智子は、
急に、机の中や、
通学バッグ内を、
探すふりをしたり、
身体の向きを、ずらして、
相手に、
不自然ではない、
ギリギリの角度をたもち、
背を向け、
スマホを、のぞきこんだりした。
それどころか、自然な態度を、よそおい、
シカト・・・〈無視〉・・・することすらあった。
そのたびに、
肩を落とし、小さなため息をつく・・・優希。
智子は、相手の気持ちを、痛いくらい感じていた。
まったく、胸が、張りさけそうな気持だ。
自分自身の、意地の悪い、
イヤったらしいリアクションに、
言いようのない、自己嫌悪が、つのる。
以前のように、屈託なく、
となりの席の優希と、話したかった。
ところが・・・おかしなプロテクトが、はたらいて、
おそろしく簡単なことが、できないのである。
心と頭のほんの一部が、
異様に硬直してしまっているのだ。
優希にたいする、素直な、感情表現を、
どこかに、置き忘れてしまったかのようだった。
自然体でいるということは、
なんとムズカシイのだろう。
一度、レールを、ハズレてみると、
はっきり、それが、理解できる。
智子の毎日は、
ある意味、とても充実していたが、
夜遅く、ベッドの中で、目をさましては、
寝汗をびっしょりかいている、
自分を発見することがあった。
優希の、憂いを秘めた、
哀しそうな顔が、夢の中に、浮かび上がる。
映像それじたいより、
そこから誘発される、
感情の磁力の強さに、
とても、驚ろかされる。
これが、強迫観念と、いうものだろうか?
優希と火鳥。
二人のあいだの、板ばさみ。
心がズキズキ痛む。
ひょっとしたら、
いつのまにか、自分は、とんでもなくまちがった、
軌道上に、
足を、ふみ入れてしまったのでは、ないだろうか?
優希への態度は、
あまりに、
一方的すぎやしなかった、だろうか?
立場が、逆だったら、どうだろう?
もしも、優希に、カレシができて、
その人を、自分が、好きになれなかったケース。
どう対応する?
うまくやっていけるだろうか?
そんな器量が、私にあるだろうか?
・・・わからない・・・
しかし、優希の、火鳥への態度は、あまりにカタクナだ。
なぜなんだろう?
解せない?
単なる、嫌いにしては、反応が、極端すぎる。
優希のことだから、
意味があると、
考えるのが、
妥当だろうけど。
ひょっとして、友人である私を、
火鳥さんに取られてしまった・・・ジェラシー?
優希だって人間だ、
嫉妬心だって、とうぜん、持っているに違いない。
けれど、
彼女の、人間性からいって、
どうも、しっくりこない。
∴ヒュン∵
「あれっ・・・なんだろう・・・!?」
不思議なことに、
ふたたび、
唐突な感じで、
智子の、目の前に、
〈優希の部屋〉
と
〈火鳥の部屋〉
のイメージが、浮かびあがった。
イメージを、壊さないように、
特殊な感じの、集中を、
保持しながら、
そのまま、追いかけてみる。
多くの共通点を、持ちながらも、
ある一点だけが、
決定的に、異なる、
・・・ふたつの部屋。
薄氷をふむように、
二つのイメージを、
オーバーラップさせて、考察してみる。
分かりそうでいて・・・分からない。
どこに、違和を・・・感じるのだろう?
智子の呼吸は、
イメージの現出に、
添うかのように、
変化していった。
・・・ひどく切なくありながら、
同時に、
芯の部分が、どうしょうもなく熱く、心地よい・・・
二律背反呼吸。
バスケットボールの、試合の接戦で、
その、大詰めにやってくる、
あの呼吸と、同質であった。
しばらく考えていたが、
しだいに、脳みそが、ムズ痒くなってきた。
けっきょくのところ、
解答を、みちびき出すことはできずに、
シャットダウンしてしまった。
いつか、きっと、理解できるときが、来るだろうと、
割りきり、
潜在意識に、まかせることにした。
頭を、左右に、ブルっと振る。
現実に戻ると、
ひと息ついて、
充電器から、スマホを取り上げた。
火鳥から、新着メールが入っていた。
ストラップの、<白い招きネコ>が、かすかに揺れる。
優希と、回転寿司店に、
行ったときのことが、回想される。
あんなに、シャリだけ食べたのは、前代未聞!
きっと、生涯記録・・・〈レコード〉・・・に、違いない。
しばらく、胃の調子が、おかしかったっけ・・・
優希って、ときどき、突飛なこと、するのよね。
天然ボケというか、シュールというか。
智子は、こみあげてくるおかしさを、押さえることができず、
真夜中にもかかわらず、
ベッドの上で、一人、ケタケタ笑い続けた。
一礼して、
智子が、職員室に入っていくと、
海先生が、手招きをした。
応接室に通され、
向かい合わせに、腰をおろす。
学食で、火鳥とランチしていたとき、
校内放送で、呼び出されたのだ。
笑顔が、不在の・・・海先生。
いつもとは違う雰囲気の、
先生を、目の前にして、
智子の中に、
ピリッとした緊張感が、走った。
試験のとき、
クリルの一件で、
でっかい雷を、落とされた時のことが、よみがえる。
記憶って、ほんとうに・・・怖い。
海先生は、無表情のまま、
二個の湯呑みに、お茶をそそぐ。
一方を、智子の目の前に、置いた。
お茶を、ひと口飲むと、
うって変わって、
その、福顔をニコニコさせ、
用件を、語り出した。
「月吉・・・おめでとうを言わせてもらうよ!
水晶学園大学への、
推薦入学が、
正式に決まった」
智子は、背もたれに身体をあずけ、ホッと息つく。
「そんなことですか。
試験で、手応えがあったので、
べつに、心配は、していませんでした」
海先生は、PCを立ち上げると、
老眼鏡をかけ、
智子の成績表をひらき、目を、細めた。
「試験の成績は、
どの科目も、おおむね上昇しておる。
生物の試験で、八〇点を越えたのは、
お前さんの他に、五名ほどだ。
よく、ガンバったね。
これなら胸をはって、大学へ送り出してやれるというものだ」
「犬城さんと一緒に勉強したことが、
たいへんプラスになりました」
「うむ。いい関係を構築していているようだね。
学生時代の友達というのは貴重だ。
大切にすることだ」
「ええ、まァ。はい」
海先生は、智子を、鋭く一瞥すると、話をつづけた。
「話が前後して恐縮だが・・・月吉。
この推薦入学は、
成績はもちろんだが、
主として、
クラブ活動の実績が、
認められてのものだ。
体育推薦の特待枠に、
選ばれたのだよ。
特待推薦とは・・・
入学金と授業料が、
全額免除される制度だ。
これで、
親孝行が、できるね。
大学側も、どうやら、
本腰を入れて、
女子バスケットボール部を、
強化する気でいるらしい。
舞台は整いつつある。
力いっぱいがんばることだ!」
海先生は、智子の肩を、ポンと叩いた。
「やったーっ!バンザーイ!」
ド派手なボディランゲージで、
よろこびを、炸裂させる。
そのようすを見て、
満月のような顔を、
ニコニコさせる海先生。
あいさつもそこそこ、
智子は、ダッ!と応接室をとびだした。
ものすごいスピードで、屋上に、かけ上がる。
階段を、
三段飛ばし、四段飛ばし。
無意識に、こう叫びながら。
「優希ーッ!やったぜ、優希ーッ!」
またたく間に、屋上に、到着。
体当たりをするように、
屋上の鉄扉を、開けた。
屋上の、解放感のある、
風景の中に、
ポツンと、優希の姿が、あった。
寂しそうに、
ペットボトルのお茶を飲む、優希を、
目にした・・・とたん、
智子の、
発熱状態は、
一気に、冷めて、引っこんだ。
外気が、寒さぶくみ、というのもあるが、
優希の、孤独な、たたずまいを見たら、
はずれかかったプロテクトが、
しっかり、元通りに、戻ってしまったのだ。
話しかけて、お礼を言い、
特待推薦の、
喜びを、わかち合いたかった。
しかし、そいう状況にないことを、思い知らされた。
もし、優希に、
冷たくあしらわれたら、
シカトされたら、
その、屈辱に、耐えられるだろうか?
傷つきたくなかった。
智子は、きびすを返し、
すごすごと、屋上から、退いた。




