31 接近(せっきん)
火鳥翔。
彼は、
密教寺で、
七日間の荒行を、
強靭な意志の力で、乗りきり、
魔除けの儀式をすませて、舞い戻ってきたのだった。
火鳥の視線は、
ターゲットの犬城優希に、
ピタリと照準を、合わせていた。
試合は、点差が広がり、
べらぼうな開きとなった。
C組 138対42 A組
体育館の中は、
異常な興奮につつまれていた。
C組の応援団である、
クラスメートの喜びは、ひとしおである。
内心は、
A組の圧勝で、終わると思っていたので、
安全圏にまで、点差が開き、
勝利が見えてくるにつれ、活気づいたのだった。
トロフィーと副賞が、
近づいてきてくれたわけで、ウレシくないわけがない。
それにも増して、目の前でくり広げられる、
<智子と優希>
二人のファンタジスタによる、スーパープレイに、
身も心も酔いしれていた。
なんという華麗さ、なんという素晴らしさ。
試合終了のホイッスルが鳴りひびく。
コート中央で、
C組とA組の代表選手が向き合い、たがいに礼をした。
「ありがとうございました」
A組の選手たちが、力なく言った。
C組の選手たちは、元気いっぱいに、
「ごちそうさまでした!」
声を爆発させた。
A組代表・・・ユイの目に・・・涙があふれ、
顔を隠すように、薫の肩へ、乗せると、
わっ!と泣き出した。
がっちりハグする智子と優希。
まわりを、C組代表が、取りかこむ。
「優希最高、チーム最高、
試合結果は、超サイコー!」
智子が、はじけまくった。
「そういう智子もサイコーよ」
ニコやかに返す優希。
「ブレイク・オンスルー!」
智子がコブシを、前方に、突きだした。
「トゥ・ジ・アザーサイド!」
C組代表全員で、勝利のグータッチをカチッと決めた!
三年生による、決勝戦は、とうぜんのように、C組が制した。
トーナメントの最後を飾る、
学年対抗戦は、
一年生との対決に勝利した、
二年生が・・・下級生代表として、
三年C組と、
総合優勝を賭けた試合を、行う予定であったが、
体調不良者・・・
〈こむら返りや、腹痛、
急性ゲップ症、疑似コレラなど〉
が続出して・・・棄権することになった。
かくして、下克上のチャンスは・・・失われたのである。
理由は・・・不明であるが?
奇怪なことに・・・
棄権した、
二年生代表メンバーの体調は・・・
その後・・・15分ほど経つと、
・・・劇的な回復・・・を見せたのである。
三年C組は、総合優勝とトロフィー、
それから副賞の、
最新の文具セット一式とチャンピオンズ・リングを、
もぎ取った。
C組代表は、客席に向かい、
熱い応援に感謝をこめて、
礼を返し、大きく手を振った。
観客は、盛大なアプローズと、
スタンディングオベーションでたたえた。
「智子ーっ、優希ちゃーん。よくガンバったね。
いいものを見せてもらったよ・・・ありがとね」
智子の母は、目じりを、ハンカチでぬぐった。
ホットな握手を交わす、智子と優希。
笑顔満点。
客席で観戦していた、A組の薫は、
くちびるを、強く噛んだ。
あらためて、ふたりの絆のかたさを、見せつけられた思いがした。
感動の余韻にひたっている、智子。
なにげなく、右手を見る・・・
おや?・・・と思った。
手のひらに、柔らかくて、細い毛が、
何本も、付着しているのに、気づいたのだ。
〈なんだろう?変だな?〉
けげんな顔で、その毛を、
ゲームウェアのズボンの横ではらった。
酷薄な笑いを、浮かべている火鳥。
彼は、パチリパチリと両手を、たたく。
心の無い、
渇いた拍手が、
二人のファンタジスタに、向かって、送信される。
火鳥の胸もとには、
護符が納められた、
紫色のお守りが、ぶら下がっていた。
鹿間は自室で、
新聞部員から、
ネット経由で、送られてくる、
水晶学園情報を、
念いりに、チェックしていた。
その中には、
球技大会で、優希が、繰りひろげた、
人間ばなれした活躍を、
記録した、動画データもある。
それを見て、
やはり、
彼女は・・・<物の怪>・・・だと、確信した。
あんなジャンプは、NBAの選手だって、とうていできるものではない。
人間わざの範疇を、超越している。
オリンピックに出場したら、
金メダルどころか、プラチナメダルだ!
もうひとつ・・・
猪瀬が、緊急入院した、
という情報もあった。
なんでも、
身体中に、回虫が涌いて、
意識不明の重体らしい。
だからあれほど、
「〈マス寿司は、やめたほうがいい!〉」
と忠告したのに。
鱒は・・・特に、
虫が涌きやすい・・・食物なのだ。
しかし・・・妙だぞ?
コンビニ食ともなれば、
衛生管理の面では、
考えられるかぎりの対策を、ほどこしているはずじゃないか!?
思わず・・・背すじが・・・冷たくなる。
最後に、追伸が、付されており。
次なる一行が、
モニターに映しだされた。
《火鳥が、学園に、舞い戻った》
その文字を読んだ時、
ひどくイヤな予感が走った。
災厄の高炉に、
火が・・・くべられたような・・・
きょうは、休校日。
祭日に、球技大会が催されたので、
その代休というわけだ。
智子は、めずらしく、
自力で、早起きした。
きのうの興奮を、ひきずっていたのだ。
そこで、ボールを持ち、
自転車を駆って、公園へとむかった。
ダンクシュートの感覚を、忘れてしまわないよう、
トレーニングするためだ。
目的の公園には、
バスケットボール専用のゴールが、備えつけてあった。
一夜明けたら・・・
きのうの出来事は夢だった・・・
そんな不安が、
心のどこかに、
あったのである。
ひと汗かききって、
タオルで、顔や首すじをぬぐう。
スポーツドリンクを飲み、
スマートフォンをチェック。
メールを一通、着信していた。
知らない相手〈unknown〉から、
送信されている。
未登録のアドレスだ・・・
ウイルスを、警戒しつつ、
ためらいながら、メールを開く。
とたん・・・
智子の内面に、ある変化が、生じた。
鏡の中には、真剣な表情の智子がいる。
いつもの活気は、影を潜め、
しっとりと、女性らしい物ごしで、
身だしなみを、ととのえていた。
彼女は、自室で、鏡台の前に、腰を落ちつけ、
じっくりと、自分の顔を、見た。
メガネをはずし、さまざまな表情を、浮かべては、
いろいろな角度から、チェックをいれる。
後ろ一か所に、
束ねている髪の毛を、
思い切って ・・・解きはなち、
肩まで、サラリと、落とした。
ふだんから、
化粧っ気の、まるでない、智子だが、
きょうは、違う。
優希センセイを、お手本に、
けんめいになって、美の創造へと、
エネルギーを注ぎこむ。
化粧を、ほどこし、
仕あがっていくプロセスの中で、
自分がいつもとは違う、
オトナの女性に、変身していくような、ときめきを感じた。
ルージュを引き、
くちびるの上と下とを合わせ、
モニョモニョ動かし、
全体へと、ゆきわたらせる。
少しあやしげ、目がちょっぴり潤んでいる。
午後二時半。
不忍の池を、一望できる、喫茶店。
『クロスロード』にて、
智子は、約束の、一時間以上も前から、
メールの送りぬしを、待っていた。
指定された席である、
店の奥のコーナーに腰かけ、水ばかり飲んでいる。
この店は、
ゆったりとした椅子、
快適な空間、
ゆき届いたサービス提供を、
モットーとしており、そのぶん、コーヒーの値段も、高い。
約束の相手は、待ち合わせ時間の、十分前に姿を見せた。
「わざわざ、お呼び立てしてどうも。
来てくれてうれしいよ」
相手は、
智子の、
ななめ正面に立ち、右手をさし出した。
じゃっかんの、タイミングずれで立ちあがり、
相手の手をにぎる、智子。
少し冷んやりしていたが、
その手は、繊細な、肌ざわりであった。
火鳥は、ヒゲを、きれいにあたっており、
清潔な印象だ。
眼光は、あいかわらず強いが、
親しみをたたえた笑みが、智子をリラックスへと導く。
彼は、包装されたモノを、
左わきに、はさむようにして、持っていた。
火鳥はホットコーヒー。
智子は、迷ったすえに、
アイスレモンティーを、セレクション。
カップに、
直接、口をつけるのを、相手に見られたくない、
それと、
ストローを・・・優希のように、
おシャレにあつかってみたいという、女心からである。
「月吉くんは、
晶学大に進学するんだろう?
きみが入れば、
大学バスケは盛りあがること、まちがいなしだ」
「まだ、正式な通知は、受けてないんですけど、
進学するつもりです。火鳥さんの方は?」
「うむ、ぼくは、和歌山県にある、
全寮制の仏教大学へ、
入学が決まった。
卒業したら、お別れだね」
「全寮制?
なにやら、大変なキャンパスライフになりそうですね」
「ああ。大学というよりは、
坊主になるための、修行の場だからね。
こってり絞られるみたいだ」
「少し痩せましたか?」
「先日・・・
大学生活の予行演習のつもりで、
うちの役角寺と、つながりの深い、
密教寺へと、おもむいた。
短期間だが・・・
断食をふくむ、荒行をしただけで、
10キロ落ちたよ。
これでも、だいぶ戻ったほうなんだぜ」
「へぇー。私なんか、
一食ぬいただけでも、
フラフラしちゃうのに」
ホットコーヒーとアイスレモンティーが、
ウェイターによって、運ばれてきた。
火鳥は、ブラックでひと口飲み、
微妙な間を・・・置いた。
ストローを、ぎこちなくなく、あつかい、
レモンティーを飲む智子を、
さりげなく観察する。
タイミングを、正確に、計ると、
彼女の、はにかんだ視線をとらえ、
キリリと結びつけ、固定した。
そして、きっぱり言った。
「月吉くん。
ぼくは、きみとの交際をのぞんでいる。
高校生活も、あとわずか。
残り少ない学園生活を、
充実したものにしたい。
どうだろうか?」
こういう場面に、
慣れていないというか、
初体験の・・・智子・・・
顔をこわばらせ、
思わず、知らず、身がまえてしまった。
フリーズ状態・・・かなりの凍度・・・
マズイ展開だ。
「しまった!」
と思いながらも、
どうすることもできない。
がんじがらめ・・・
火鳥は、落ちつきはらって、
ウインカーを、点灯させた。
話題を、
別方向へ、
スムーズに誘導する。
「ところでさ、月吉くん。
きみは・・・ドアーズが好きだろう?」
虚をつかれ、
まばたきをくり返し、言葉をかえす智子。
「ど、ど、どーして、知っているんですか?」
「フフフ、きみの通学バッグに貼ってある、
<doors>のロゴ・シールを見れば、
類推するのは、さして、むずかしくは・・・ないさ」
「ああ、そうか。なるほど」
いくぶん、落ち着きを取りもどして、智子。
「じつは、ぼくもドアーズが好きでね。
かなり、心酔していたりするわけだ。
きみの、一番お気に入りのアルバムは・・・なに?」
「ファーストやセカンドは、
文句なしの名盤なんですが。
私は、
サードアルバムの『太陽を待ちながら』が好き。
ゴキゲンなナンバーが、キラ星のごとく、散りばめられているから」
「うーん、いいセンスだね!
『Yes’the River Knows〈川は知っている〉』は、
彼らの、上位にランクされる名曲だと、
ぼくは個人的に思っている」
火鳥は、
相手の好みに同調するように、
深くうなずいた。
智子は、わが意を得たり、とばかりに、
ゴキゲンな感じで、
ハッピーなリズムをキープするように、
テーブルを、指先で叩いた。
同じ対象を好むどうしの、
快い、共有感が、生まれた。
智子の、心のとばりは、消えさり、
言葉が、なめらかに発せられる。
「ドアーズサウンドもさることながら、
私はミーハーなので、
ジムの声とルックスに、まいっちゃってマース。えへへ」
「ジム・モリソン・・・。
彼の生き方、
短かった生涯を、
きみは、どのように、解釈しているの?」
「私は、ジムを、偶像視・・・
つまり、ヒーローとして見ているから、
ひとりの人間として、ナマナマしく考えたことは、ないですね。
詩人、才能のある人、破滅型。
キーワードの羅列しかできない」
レモンティーで、のどを、うるおす智子。
ほんらいの、自然な動作に、もどっていた。
「ぼくはね・・・」
火鳥は、こころもち、身を乗りだした。
「彼のことを、
視てはいけないモノを、視てしまった人物・・・
・・・だと考えている。
ごくマレに、そういう幻視者がいるんだよ。
ひとが一生をかけて体験し、
学びとっていくべき事がらを、
直感視してしまう・・・・・・ディテールまでをも。
若くして、人生の本質を、悟ってしまう。
そうなると、未来は、
既知〈きち〉のレール上を、追体験していくような、
味気ないモノにならざるをえない。
ジムは、アーチストとしての天分に、めぐまれていたから、
幻視のいくつかを、
バンド仲間の力を、借りてだが、
楽曲へと昇華させることができた。
おかげで・・・後世・・・
ぼくらは、わずかながらも、
人生の未知の領域を、
曲をとおして、知覚し、
感じとることが・・・できるというわけだ」
「ジム・モリソン=幻視者説ですか。
ユニークで面白い、
説得力あると思いますよ。
いつか、文章にまとめて・・・発表して下さい」
「支持者がひとりできたわけだね。
光栄の至りだ」
ドアーズの話を、
きっかけとして、
二人は、
学園生活や、バスケットボールの事など、
さまざまな話題で盛りあがった。
意外にも、火鳥は、バスケットボールに詳しく、
智子の試合を、ほとんどすべて観戦し、
細部まで、実によく、記憶していた。
智子が、特にうれしかったのは、
夏休み明け直後の、猪瀬たちとのアツレキ。
その原因である、
盗撮の一件を、
しっかり、調査していてくれたことだ。
残念なことに、
証拠は、つかめなかったようだが、
ものごとを、ウヤムヤにしないところに、火鳥の誠実を、感じた。
それとは別に、火鳥には、ひょうきんなところもあった。
担任だった、女教師が産休に入るとき、
「〈海先生が、代理担任〉」
と、彼女の口から発表された瞬間、
叫びだしたいほど、うれしかったが、
クラス委員長という立場上、
表情に出せず、
苦痛だったと・・・告白した。
こういった面は・・・
・・・好もしいサプライズであった。
今回のテストの結果、
主要科目のほとんどで、
優希に、敗れ、
学年二位に甘んじ、
両親に叱られて、落ちこんだエピソードを、
やや硬質なユーモアで、語った。
「犬城君は、ぼくの天敵だね!
ああいう天才は・・・勉強しなくても、
いい点が、取れるんだろうなあ・・・うらやましいかぎりだ」
火鳥は片手で、目を、おおってみせた。
「そんなことはありません!
けんめいに、努力してますよ・・・優希は!
試験勉強のときの、熱の入れよう、
集中度を、見せてあげたいくらい。
マジで、空気が、
ピリピリ音をたてる、ほどなんですから」
火鳥は、指をひらき、
そのスキ間から、智子を見て、笑い声をたてた。
「フフフ、きみは、犬城くんのこととなると、
とても・・・ムキになるんだね。
おー、くわばら、くわばら・・・せいぜい気をつけないと」
「いえ、私はただ・・・
優希は、努力してるってことを・・・言いたかっただけで、」
智子は、上目づかいで、
両手をからめ、
指先を、動かした。
「冗談さ。
きみたちの友情の厚さは、じゅうぶん認識している。
いや、少なくとも・・・そのつもりだ。
月吉くん、
こうして知り合いに、なれたのだから、
ぼくのことも、
きみの、心の片すみに、ちょっぴりでいいから、置いてくれたまえ!
これは、お近づきのしるしだ・・・
・・・受け取ってくれるだろう?」
贈り物を、受け取った智子は、
お礼を言い、
リボンと包装をとき、テープをはがす。
袋の中から、
プレゼントを、抜き出した。
━『ストレンジデイズ/まぼろしの世界』━
ドアーズの、アナログLP盤だった。
リアジャケット写真が・・・付いて・・・いた。
火鳥は、
胸にぶら下がった、
紫色のお守りに、
手をやりながら、
智子の反応を、静かに、うかがっていた。




