3 予知能力
九月一日。
新学期のはじまりである。
青空が広がり、太陽が明るくかがやいている。
昨夕の雨のおかげで空気は明度を上げ、きわめてクリアであった。
さわやかな朝だ。
京成上野駅から不忍方面へ、
勢いよく飛びだしてきた制服すがたの女子学生。
赤いフレームのメガネ、小麦色の肌。
背が高くがっしりとした身体の彼女はバネのきいた動作で、
映画館のある道を折れ、ズンズン不忍の池の方へ歩いていく。
成人映画のポスターにちらりと目をやった。
通常の三倍速くらいで流れていく風景。
頭の中で、
扇情的なポスターのイメージがリピートされ増幅される。
月吉智子、十七歳。好奇心おうせい。
「ワオ!」
目的地に到着。
池のほぼ全面をおおうハスの葉を見て賛嘆の声をあげる。
バスケットボールの練習づけでひさしく来れなかったけれど、
この風景を心ゆくまで眺めたかったのだ。
夏という季節と不忍のハスは、
智子のなかで分かちがたく結びついている。
みごとに咲いたピンク色の花は輪郭が鋭く際立ち、
彼女の美観、琴線にびんびん触れてくるのだ。
池の風景をながめ大きく深呼吸する。
制服のスカートのポケットに振動を感じた。
あわててスマートフォンをとり出し発信者を確認。優希からだった。
受信ボタンを押す・・「おはよう」
すると、左がわの視界からハスの葉群をワイプするように優希の姿が現れた。
彼女の視線は、智子に向き。声はマイクへ発した・・「おはよう」と。
「待ち合わせじゃないこの場所に、どうして優希が?」
「ふふふ、テレパシー」
「お車は?」
優希を送ってきた黒ぬりのベンツは不忍通りで信号待ちをしていた。
そちらへひょいと顔を向ける優希。
犬城財閥の一人娘である優希お嬢サマは車で通学しているのだ。
白手袋、制服に制帽姿の運転手が、走り去る車の中から一礼した。
智子は笑顔を浮かべ元気いっぱい、運転手に手をふる。
そのおおらかで派手なジェスチャーに、運転手は思わず顔をほころばせた。
優希もつられて笑う。通りがかりの人達も笑った。
不忍の池をあとにして、二人は学園にむかう。
上野の山にはいり、
いつ見てもユーモラスなカエル殿の小噴水を横目に、
坂をあがり桜並木を歩く。
二人とすれちがう男性のほとんどが、
─なかには女性も─オドロキの表情をうかべ、
まばたきの回数が不自然に多くなり、そしてふり返る。
げんみつにいえば二人のうちのひとりがスレ違う人の視線を独占した。
優希のほうだ、彼女の魅力がそうさせるのだ。
彼女と一緒に通学するようになって、
はじめのころこそビックリしたりカン違いしたりした智子だが・・
いまでは状況の核心をイヤというほど理解しているので、
ごくあたりまえのこととして受け流していた。
ちょっぴりくやしく、またうらやましくもあった。
智子はときどき想う・・
異性からあこがれの視線を、
一身に受けるってのはサイコーの気分だろうな。
その種の視線をどう受けとめているのか、
優希の表情はあまりに自然すぎてうかがい知ることはできなかった。
美術館や動物園を通過。
いつもの正式な待ち合わせ場所であるところの、
大噴水の近くにさしかかったとき、
優希は急ブレーキを踏むように立ち止まった。
なにか、視えないものを必死で見ようとでもするような表情で、
みけんに指をあて、前方をみつめている。
「どうかした?」
「なんか、変な感じが・・・」
「ひょっとして、例の予感かな?」
「小さな波動を感じたの。ゴメンなさい。たぶん気のせいね」
みけんから指をはなした優希は、
笑顔をつくると、気をとりなおして歩きだした
周囲の空気と同化するように、
または空気とのあつれきを避けるように歩く優希。
一方、バスケ部の主将の歩みは、空気をバリバリ引き裂くようだ。
優希は青空を見上げて眩しそうな表情をした。
流れるように友人の方に視線を向けて口をひらいた。
「おしかったね、インターハイ。せり合いでとってもいい試合だったのに」
「第3Qなかばくらいまではね。
みとめたくないけどさ、挌がちがう。全国のカベは、あつかった。
桃花のエースはモンスターだよ。
それにあの小さいポイントガード・・こにくらしいほどスキルが高い」
「国体とウィンターカップでリベンジだネ」
「出場できれば、のはなしだけど」
「ところで、水晶学園大学への体育推薦は、
ベスト16以上が条件だったかしら?」
「そうなんだ!ついてない!
どうせなら桃花とは三回戦であたりたかった。
そうすれば条件はクリアできたのに。
すべては水のあわ。受験勉強するのか・・気が重いや」
「水のあわといえば、きのう予定していた恒例の花火大会。
雨で流れてしまって、残念ね。
ふたりでぞんぶんに花火を楽しみ、
夏休みに別れをつげて、新学期を迎えるのがいつものパターンなのに」
くちびるをトガらせる優希。
「花火大会は、機会を見つけて近いうちにやればいいさ。
それより問題なのは一カ月後にせまった試験だよ」
「ふふふ、わたしがみっちりしごいてあげるから。覚悟なさい」
白魚のような指をポキポキ鳴らす。
「うれしそうに言ってくれちゃってさ。いいよな、優希は。頭いいから」
大噴水の横を通りすぎ、
横断歩道をわたり、
登校する一団の生徒達に合流した。
二人の近くを歩いているカップルがいた。
男子生徒の方が智子の姿に気づいて、控えめなものごしであいさつをした。
相手の視線をぶった切るように、そっぽを向く智子。
背のひょろりと高い猫背気味の彼は、
目に動揺のいろを浮かべた。
カップルの相方である女子生徒もおろおろする。
キレツのざっくり入った空気を取りつくろう優希。
「おはよう。鹿間くんに斎藤さん。
月吉さんはちよっとムチ打ちぎみで。エヘへ悪気はないの。ごめんネ」
カップルはぎこちのない笑みをのこし、逃げるようにその場を立ちさった。
カップルの姿がみえなくなると、
智子はモーションコントロールカメラように顔を元にもどした。
「ちょっとさ、幼なじみでしょう・・鹿間くんは。
ああいう態度はいただけないな」
バラのつぼみのようなくちびるをプリプリさせながら優希。
「あいつはホントにムカつく!いっつも批判記事を書きやがって。
公正がスローガンの新聞部が聞いてあきれる。
鹿間がキャップに選任されてからというもの、
女子バスケットボール部のことを目のかたきにしてくるんだ。
あいつが学校新聞に掲載した記事のせいで、
部費の予算増額は棚上げ。
ゲームウェアの新調もパア。くそ、ペッ!」
バスケ部の主将は地面にツバを吐いた。
ふたりは九月のまだおとろえていない太陽の下を、
セミの声をBGMに歩みをすすめる。
通学路は樹木が多く、緑ゆたかであった。
それらが暑さにワンクッション置いてくれていた。
「あ~あ、またお決まりのコースを来る日も来る日も登校するわけだ」
あたりを見まわし、うんざりしたような表情で智子。
「でもね、感覚のアンテナを広げて、よーく目をこらしてごらんなさいよ、
びみょうに色合いが変化してるから。
肌にふれる空気や、
止まっているようにみえて確実に動きつづけている時間。
かすかにだけど、木々が呼吸しているのを感じるときもある。
そんなとき、ほのかなエクスタシーを覚える。生きている実感がするの」
優希の言葉は、智子の鼓膜を経由して、
頭にではなく、心へダイレクトに届いた。
「ようは感性をみがき、物事の本質を見きわめれば、
新たな視点をかくとくできるってことだな。
これはバスケにも通じる。
よーし、目を特盛りカレーの皿のようにして、
風景をビシッとやきつけてやっか!」
メガネ越しに、まぶたを限界まで開きり、
周囲を見まわしてみせる。
「もーう、まったく、きょくたんなんだから」
「わっ・・・目がつった・・・ヘルプ・ミー!」
変てこりんな叫び声をあげ、
顔をはげしく上下させるバスケ部の主将。
目がつるという不測の事態を前にして、
どう対処したらいいのか分かりかねる優希は、
とりあえず友人の後頭部を、
空手チョップの要領で、とんとん叩いた。
ドタバタしている二人のあいだを、
切り裂くように、
一台のバイクがエンジン音を爆発させながら、ジャンプして飛び込んできた。
とっさにはなれる、優希と智子。
バイクは、急ターンしてぴたっと止まった。
バイクにまたがっている二人はフルフェイスのヘルメットを取った。
ライダーは猪瀬。
後部席は蜂谷だった。どちらもクラスメートである。
バイクから降りると猪瀬は、
ハンドルに下げてあるコンビニの袋から、マス寿司おにぎりを取りだす。
包装フィルムをてぎわよくむき、旨そうにひと口食べながら言う。
「ふん!スターと付き人が、仲よく登校か」
「見目麗しき白優希姫と、
黒焦げトースト、パン屋の娘、智子の白黒コンビでござーい!」
蜂谷が、二人の後方にまわり、言葉をついだ。
「まるでオセロゲームだな」
しぶい低音で、猪瀬は吐きすてた。。
「朝っぱらから智子の顔を見ると、せっかくのおにぎりがまずくなるぜ」
あくまでも結果としてだが・・だしぬけに突っ込んできたバイクが、
ショック療法となり、
目がつるというめったにないアクシデントから・・ぶじ解放された智子。
彼女の頭の中に疑問符がうかぶ。
猪瀬はふだんから、なにかにつけ自分に突っかかってくるけれど、
ベースラインではどこか理解しあえる個性どうしだとおもっている。
キライなタイプではない。
だが、どうしたことだろう?今朝の言動はいつもよりキツイ感じなのだ。
体勢を立てなおした智子の中で、
持ち前の負けん気がむくむく頭をもたげてくる。
「なにさ、そっちこそ!九月の青空が曇るようなシケた顔さらして。
あいにくだけど、バカにつけるクスリは持ってない」
「へっへっへ、二回戦の負けっぷりときたら、お見事としかいいようがなかったぜ。
どんなバラエティ番組よりも笑えた。
水晶学園のピエロ。全国区のはじさらし」
ニヤニヤしながら、おにぎりをパクつく猪瀬。
智子の両肩が怒りで小きざみにふるえてくる。
「ここは、おさえて!挑発にのってはダメ!
謹慎処分になって対外試合ができなくなるよ」
友人の感情の荒波をしずめようと、
せっぱくした口調で優希。
智子は、自分の真横に立っている優希へ視線をむける。
つぎの瞬間、
智子の通学用バッグが、
下側からブーンとうなりを上げて半円をえがいた。
猪瀬のマス寿司おにぎりが真上にポーン!とはじき飛んだ。
間を置かず、背後にいる蜂谷の横っつらを、
はらうようにバッグで力いっぱい張りたおした。
小さな悲鳴をあげる優希。
「なにすんだよ、智子!」
猪瀬がバイクからはなれ、
生来の気性の荒さを、
前面に出して、相手の方にすばやく二、三歩つめよる。
「やる気?いつでも相手になってやるよ!」
挑発するように、
ぐーんと胸を張ってむかえうつ。
背後の蜂谷はバランスをくずしたまま、左頬を、押さえている。
智子の不意打ちが、そうとうきいたようだ。
「言っとくがな、智子。先に手ぇ出したのは、そっちだからな!
あとあと・・・問題になるぜ」
猪瀬は顔をあかくして言った。
「わかってないねぇ。先に手を出したのはあんた達のほうなんだよ」
相手の視線を押しかえすように、
にらみつけながら智子が言った。
「さっぱり、わからねぇ!
おめぇ、正気を失ったか?
ゴマかそうたってそうはいかねぞ。事実は動かねぇ」
目をつり上げ、猪瀬がやりかえす。
至近距離すれすれで、にらみ合う智子と猪瀬。
猪瀬の目が血ばしって、身体がワナワナと震えている。
〈まずい、危険信号!〉優希の心臓がキューンと収しゅくする。
不敵な笑いをくちびるのはしに浮かべる智子。
「じゃあ、証拠あらためといきますか。
あんたが、こちらの注意を引きつけているあいだに、
蜂谷が背後から、優希を盗撮してたんだろう?
いわば陽動作戦。
猪瀬!あんたの突っかかり方が、へんに不自然だったので、
なにかあると思ったわけ。
あとあと問題になるのは、あんたたちの方なんだよ。
かくごはいい?」
息をのむ優希。
大きく目を見ひらき、
あわてて制服のスカートのすそをととのえる。
「おい、おかしな言いがかりはやめろ!
もし、おめぇのマチガイだったら、どーする?」
猪瀬は食いしばった歯の奥から、しぼり出すように言った。
「そのときは、責任を、きっちり取らしてもらうから」
顔を押さえ、うずくまっている蜂谷のもとへ、まっすぐに歩みよっていく智子。
優希は、友人の腕をつかんで、心配そうに耳打ちする。
「かくたる証拠があるの?
疑わしきは罰せずよ。
やめといた方がいいんじゃない?」
「まかしとき!
盗撮用のキャメラを見つけ出して、
こいつら・・・ぐうの音も出ないようにしてやるから」
自信にみちた表情の智子。
「かりにそうだったとしても、
引っこみがつかなくなるほど、追いつめる必要などあって?」
声は小さいが、せっぱつまったひびきだ。
「お人よし、なんだから。
盗撮されたのは、きみ自身なんだよ。とっちめる時は、てっていしなけりゃダメ。
このふたりには反省が必要なの」
登校中の学生たちが、足を止めて興味深げに見つめている。
その数はしだいに増してきている。
人気ゴルファーを囲むギャラリーのようだ。
スマートフォンで、写真や動画におさめる者もいた。
ギャラリーに向かって宣言する智子。
「いい?みんなが証人だからね。
これから盗撮の証拠品を、
押収します」
「あちゃー。万事休す」
優希が片手で目をおおう。
盗撮用キャメラを見つけだすべく、
うずくまっている蜂谷のもとに、かがみこむ智子。
おおよその見当はついていた。
猪瀬との言いあいのさいちゅう、
横にいる優希へと視線をうつしたせつな、
蜂谷の右足の位置が不自然だということに気づいた。
彼の右足が優希のスカートの真下ともいえる場所に置かれていたのだ。
クツ先に小型キャメラが仕掛けてあるに違いない。
智子は、自分のカンに、けっこう自信を持っていた。
蜂谷のクツへ(右足側へ)手をのばす。
「ちょっと待ちたまえ!」
背後から、鋭い声がかかった。
その声が内包している、
有無を言わせぬひびき。
智子の手の動きがピタリと止まった。




