25 代表選出
三日が過ぎた。
智子の胃腸のぐあいも、
すっかり正常に、戻っていた。
国体の一件も、
切りかえの速い彼女の中では、
すでに太古のできごとであった。
ウィンターカップの予選に、
出場できないのは残念だったが、
ありあまったエネルギーは、
後輩の指導に、傾注していた。
もっとも・・・注がれる方の下級生は大変で、
戦々恐々の毎日であった。
ホームルームの時間。
教室内には四つの空席が見える。
クラス委員長の火鳥をはじめ、
猪瀬、蜂谷、鹿間が学校を休んでいた。
欠席はめったにしない面々だけに、
奇妙な印象をうける・・・智子であった。
議長の火鳥がいないので、
海先生が議事を進行させる。
秋の校内行事。
◇クラス対抗球技大会◇
その種目が、『バスケットボール』に、決定された。
対外行事は、自粛中なので、
せめて学園内で、もり上がろう、
という意図であった。
C組の代表を、選ぶことになった。
自薦他薦で、女子・男子を問わず、
7名を、
選出していただきたい、という海先生の話であった。
ここで、読者に、お断りしておくと、
水晶学園は、創立当時は女子高であった。
共学になったのは、
ここ二十年のことに過ぎない。
現在でも生徒の比率は、
女子が<五分の三>を占める。
クラブ活動でいうと、
女子は、スポーツに優れ、
男子の方は、文化方面に、目だつものがあった。
インターハイ初出場のバスケットボール部を筆頭に、
バレーボール、テニス、ソフトボール、柔道など、
女子スポーツ部の成績は、
年々、上昇傾向にあり、勢いがあった。
男子はというと、スポーツ系は、からっきしダメであった。
どことなく女子生徒の方が、はばを利かせている、
そんな・・・学園内の雰囲気は、
人数も、さることながら、
女子が発散する熱量が、
男子を、上まわっているためである。
球技大会の種目は、毎年変わる。
今年の種目に、
バスケットボールが選ばれたのは、
校長の裁量によるものだった。
ひとりの有望な生徒の、
将来を、
犠牲にしたかもしれないという、
罪ほろぼしの意味が、
あるいは、込められていたのかもしれない。
代表に選出されなかった生徒は、
自動的に、応援団にまわる。
クラス代表を応援する、役まわりを、受けもつ。
総合優勝したクラスには、
トロフィーと、
副賞として、
クラスメイトを含めた全員に、
最新の文具類一式と、
チャンピオンズ・リングが、授与される。
意外なことだったが、
A・B・C・Dと四クラスあるうちの、
海先生が代理担任をしている、
女子バスケットボール部の主将たる、
智子を擁するC組が・・・
下馬評では、二位に、甘んじていた。
A組が、圧倒的優位という声が高かった。
なにしろインターハイ出場のレギュラー五人のうちの、
四人が在籍しているのだから。
いくら月吉智子の能力が、抜きん出ていようとも、
バスケットボールは、チームプレイが、ものをいう競技である。
A組有利という声が、
大勢〈たいせい〉を占めるのも、いたしかたないことだった。
きのう、
体育担当兼女子バスケットボール部の監督である、
団先生が、
海先生に耳打ちをした。
「月吉は別格として、
もし犬城が代表に選出されれば、
私は、C組に賭けますね。
穴狙いと言う意味で、大変おもしろい」
ここで、読者にもう一つ、お断りしておくと、
ひじょーに、少額ではあったが、
球技大会は、
先生達のトトカルチョの対象になっていた。
教師といえども、人間なのである。
海先生は、人生に楽しみを与えてくれるものを、
ことごとく愛する性質であった。
賭けごとも、むろん、その広い懐の中に、ふくまれる。
インサイダー的な情報が、
確かなスジから、入ってきたのである。
ファンファーレが、心の中で、高らかに鳴りひびいた。
水晶学園は、
民主主義を、
その、基本精神に置く学校である。
したがって、
代表選出も不公平を来たさないよう、
投票によっておこなわれる。
海先生は、投票用紙を、配り終えると、
生徒たちを見まわし、
やや上気した顔で言った。
「みなさん、日ごろの先入観を捨てさり、
代表選手に、ふさわしと思われる、
生徒の氏名を、記入してください。
もちろん、ワレこそがふさわしいと考える人は、
自薦おおいにけっこうです。
あるいは、
あの生徒の持っている跳躍力を、生かせば・・・
というような、
可能性重視の投票も、
おもしろいかもしれませんね。
他者の可能性を見入だす視点というのは、
社会人になったとき、
人の上に立ったときに、
役立ってくれる力だと、先生は考えますゾ」
代理担任の言葉は、
生徒たちに、思いっきり、
先入観を与えるものだった。
海先生の思惑どおりに、コトは運んだ。
満足のいく投票結果となってあらわれた。
とうぜんのごとく、
月吉智子が、
ダントツの票数を、獲得した。
以下六名の代表の中に、
犬城優希の名前も、しっかりあった。
この結果は、かならずしも、
海先生の暗示によるものだけではなかった。
クラスの女子生徒の何名かには、
体育の時間に、実際に目にした、
優希の跳躍が、
強い印象となって鮮明に残っていた。
彼女の名前を、主体性を持って、
記入する者が、少なからずいたのだ。
残る五人は、チアリーディーング部のキャプテンと、
スポーツ系クラブで実績を持つ生徒が、
順当に選ばれた。
ただし、バスケットボール・プロパーは、智子ただひとり。
C組代表の名前は、海先生の口から、団先生へとさっそく伝えられた。
スキンヘッドの体育教師は親指をグイッと立て、
ワイルドな笑みを浮かべた。
さて、話はトトカルチョに戻るが・・・
あくまでも、
自分の受け持ちのクラスに賭ける、見あげた教師もいたし、
不参加という、堅物教師も、少数だが、存在した。
しかし参加者は、
大穴狙いをのぞけば、
大半が・・・A組にベッドした。
C組に賭けたのは海先生、団先生と他一名なり。
かくして、
〈一口ワンコインが、参加チケットとなる〉
トトカルチョは、締め切られたのである。
生物の授業を終えた白衣姿の海先生は、
ニコニコしながら自分の城である、
準備室に戻ってきた。
セキュリティー対策のため、
三か所に取り付けた、カギを開けて、中に入る。
午後のコーヒータイム。
手動でもって、コーヒー豆を挽き、
サイフォンに顆粒状の豆をうつし、
ミネラルウォーターをそそぐと、
アルコールランプに火をつけた。
炎がポッと上がる。
専用の木製机の前に、腰を落ちつける。
淹れたてのコーヒーを、
愛用のカップにそそいで、ひとくち含む。
しばらく目をとじ、芳醇な香りを楽しんで、
ゴクリとのどを鳴らした。
かけがえのない、ひとときである。
コーヒーカップを持ったまま立ち上がり、室内を移動する。
※インキュベーターのウインドウをのぞきこむ。
多種多様な寄生虫の卵が、
シャーレの中で、培養されていた。
培養基の上で、生命を育んでいる。
笑顔をいっそう大きくして、
可愛らしい子供たちに、温かいまなざしをそそぐ。
海先生の目には、『エイリアン』という映画で、
船員〈クルー〉たちが、遭遇する、
あの卵の群れのように映っていた。
顕微鏡的コロニーだ。
小さいながら、途方もない宇宙の広がりを、感じさせた。
「(おや?)」
シャーレを前に、
ゆたかな想像力をめぐらせていると、
あることにふと気がついた。
「(シャーレの数が・・・足りない!)」
老眼鏡をかけ、
パソコンからデータを呼び出し、
照らし合わせながら、
シャーレの数を、念いりに数えてみる。
何度確認しても、
シャーレの数は・・・足りなかった。
まちがいなく、ひとつ、減っていた。
「いったい、どうなってるんだ!?」
猪瀬は、
混乱し、むしゃくしゃしていた。
まんが喫茶でヘッドフォーンをかけ、
インターネットでアダルト動画をサーフィンしながら、
コーラのお代わりを重ねていた。
ここ数日、家には帰らず、
身をかくすように、
『まんが喫茶』に入り浸っては、
一畳たらずの個室で、
パソコンのモニターを、眺めている。
うす暗い個室には、天井がなく、
背伸びをすれば、隣室がのぞけてしまう、
パーテーション・タイプの安普請だ。
店内は、二十四時間出入り自由。
持ちこみも、OKなので、
空腹を、覚えると、
近くのコンビニや100円ショップ、
ファースト・フードなどで、食糧を買いもとめ、
無料サービスのドリンクを飲み、食事をとった。
猪瀬の頭の中は、
思考が、秩序を失い、
迷走していた。
火鳥のせいで、
人殺しの共犯に、させられてしまった。
死んだはずの犬城優希が、
元気に姿をあらわし、
変わることなく、学園生活を送っている。
「いったい、どうなってるんだ!?」
彼女はまちがいなく、死んだのだ。
心臓が止まり、息もしていなかった。
死後硬直も始まっていた。
確かなことだ。
あれは、誰なんだ?
双子の姉妹でも、いたのか?
それとも、従姉妹か?
信じたくないが・・・亡霊なのだろうか?
「いったい、どうなっていやがるんだ!?」
蜂谷は、行方不明。
鹿間のやつときたら、
自宅に引きこもったきりだ。
「腰ぬけめ!」
もっとも、他人のことを、
とやかく言えた、
義理ではないが。
張本人である火鳥は、
行方をくらましたままだ。
火鳥のとった行動は、
どう考えても、理解不可能。
・・・不可解きわまりない・・・
当初の予定では、
犬城優希のH写真や、動画を撮影。
手に負えないような抵抗を見せたら、
輪姦〈りんかん〉するという、手はずだった。
しかし火鳥は、計画を、書き換えた。
まさか、あんな酸鼻を究める結末を、
迎えるなんて。
彼は・・・狂人・・・なのか?
心臓の鼓動が停止した優希の死体を、
火鳥の指示にしたがって、
遺棄した。
そのあとで、
「最期の仕上げは、オレがやっておくから」
と彼は言い、
不気味に笑った。
あの火鳥の言葉には、
どういう意図が、隠されていたのだろう?
裏に、なにか、
思惑が張り付いているようだったが。
ひょっとしたら、オレは、悪い夢を、見てるんじゃないだろうか?
このやっかいな状況から、
一日も早く、抜け出したいと、切に願う。
猪瀬は、オニギリを食べ、コーラを飲んだ。
店内のシャワー室に入り、
鬱屈した気分を、
熱い湯で、一時的に、追いはらった。
※インキュベーター=恒温器。
温度を、一定に保つ、精密装置。




