22 結界(けっかい)
窓の外を眺めている、智子。
授業中だが、
頭の中は、
もっぱらバスケットボール、が占めていた。
国体の東京代表のレギュラーになれるかどうか?
国体のあとは、
ウィンターカップの予選。
残り半年を切った、高校生活は、
バスケットボール一色になりそうな、気配である。
そういえば・・・
優希と卒業旅行をしようという、話もあったっけな。
ふうー、めまぐるしい。
外を見つめる。
雨に煙る校庭。
鉛色の空から、大粒の雨が落ち、
地面に、
円をえがき出しては、
消えてゆく。
落ち着いた、なんともいえない感じ。
まるで雨に遮断された、
別世界にいるみたい。
脳派は、アルファ派レヴェルにとどまり、
・・・リラックスの水平線。
純度の高い時間。
そんな静けさが、いっきょに、打ちやぶられた。
校門の前には、
数台のワンボックスカーやバイクが、
急ブレーキをかけて止まった。
腕章を巻いた、
マスコミ関係者がキャメラ等を持ち、
校門の前に、たむろした。
すわ、なにごと?
教室内はどよめき、
授業などそっちのけで、
クラスメートの私語が、とび交う。
いったい、なにが、起こったのか?
その解答が、提出されたのは、午後だった。
午前中の授業が終了した時点で、
講堂に、
全校生徒が、集められた。
校長が、沈痛な表情で、マイクに向かい、
言葉を選びながら、慎重に、話をすすめた。
「一昨日のこと・・・ある生徒が、
危険ドラッグを摂取して、
無免許でバイクを運転し、
交通事故を起こしたあげく・・・
被害者を、死亡させてしまうという・・・
なんとも、痛ましい事件が、起こりました。
生徒は、現在、
警察に身柄を拘束され、
事情を聴取中です・・・
・・・まことに、遺憾であります」
校長や教頭、
事故を起こした生徒のクラスを、担任していた教師は、
マスコミ対応に、大わらわであった。
夕方のテレビニュースでは、
三人が頭を下げ、
陳謝する映像が、流された。
【危険ドラッグ、名門私立高校にまで!】
事件は、
新聞の夕刊の社会面に、
紙面を大きくさいて、掲載された。
生徒たちの噂からうわさへ、
メールからメールへと、
多大な好奇心をみたすべく、
膨大な情報が、やりとりされた。
その結果、取り調べ中の生徒の名前や、
さまざまな事情が、明らかになった。
事故を起こしたのは、美術部の部長であった。
コンクールで、賞を得たこともある、
有能な生徒である。
インターネットを通じて、
個人輸入していたらしい。
「絵画表現の限界を、打ちやぶろうとした」
と供述しているそうだ。
彼は、
ある霊山を、おとずれていた。
標高二千メートル地点につくられた、
結界に、さしかかる。
濃い霧が、視界を、おぼろげにしていた。
≪従是俗人結界≫
と表示された、
石造りの道標が、鎮座していた。
中央には、
木材でしつらえた門が、
聖と俗との境界線、
すなわち━結界━となり、
足をふみいれる者を、
睥睨するように、構えられていた。
この、俗人拒否の結界を、ふみこえると、
役角寺ゆかりの、
密教寺が、存在した。
古来より、
きびしい修行の場として、
選ばれし、行者を迎え入れていた。
修行の前に、剣〈つるぎ〉を、渡され、
行に、失敗した際には、
これを使って、自ら、命を絶つのだ。
結界を越え、
戻ってこれなかった者も、
数知れず。
本堂では、護摩が焚かれ、
炎の正面に、
住職が、座して、
静かに、手を合わせ、
お経を唱えていた。
本堂へ、通される・・・火鳥。
住職は、
お経を中断すると、
姿勢を変えて、こちらを向いた。
火鳥は正座をし、
頭を下げ、
バッグから、
紹介状を取り出すと、
住職に手わたした。
高僧と謳〈うた〉われる住職を、
至近距離で見た火鳥は、
いささか拍子抜けした。
ごく平凡な風采の、
小柄な老人でしか、なかったからだ。
古老という形容がピッタリだった。
眼光が、
特別鋭いわけでもなく、
威圧するようなオーラもなかった。
形式的な内容の、
紹介状を読み終えると、
住職は、
おだやかな目を向けて、言った。
「どうさなれた?」
「役角堂に籠って、
<堂入り>の荒行をしたい、
そう、決意して、参りました」
「なぜじゃね?」
「おのれの限界と可能性を、
見究めてみたいのです。
不浄の身を清め、
できることならば、
真実の力に触れてみたい・・・
・・・そのような思いからです」
「ほほう。七日間の断食、
節水、断眠。
横になることも、許されず、
ひたすら自己を、見つめる。
・・・やり抜く意志を、お持ちか?」
「はい。覚悟は、できております」
住職の目を、見据えて、言った。
「では、しばし」
住職は、
ふたたび護摩の炎に向き合い、
念珠の、百八つの珠を交差させ、
お経を唱える。
火鳥も、同じ方向を向き、手を合わせた。
住職のお経は、
空気を揺らすこともないほど、清静としている。
内から内へと、
沈潜していくような、印象であった。
しばらくすると、
住職の身体から発せられる、
<気の質感>が、
微かな・・・
・・・変化を・・・遂げた。
気は、徐々に、
気体から、
透明なペースト状へと、
メタモルフォーゼしていった。
視えはしないが、
触感のある<気>は、
円を描くように、
少しずつ、少しずつ、広がっていって、
本堂内を、
くまなく包みこみ、支配してしまった。
その気に触れた、
とたん・・・火鳥は、
烈しい、嘔吐感に、襲われた。
心身いずれも、制御不能、
身動きできなくなり、
猛烈な、吐き気が、せりあがってくる。
強力な自白剤を、
注射されたような、状態におちいり、
心の・・・中の・・・
ひた隠しにしたい、
闇の部分が、
深奥〈しんおう〉から、
強奪されるように、引きはがされた。
護摩の炎は、
勢いを、増幅させ、
火柱となり、
高い天井に向かって、
轟音をうならせ、
昇竜のごとく、
垂直に、伸びあがった。
炎の中から、
黒点が、
ズン!と現出した。
それは、大きさを増し、
黒い影へと、形を変えた。
影は短時間で、
はっきりした、像〈ぞう〉を、ともない、
明瞭に、認識された。
犬城優希の姿が、
蜃気楼〈しんきろう〉のように、
浮かび上がった。
正座をくずし、
思わず、
うしろ手をついてしまう・・・火鳥。
「火鳥くんとやら・・・どうやら、
<物の怪>に、狙われておるようじゃのう。
きみを、
心底憎悪し、
取り殺そうとしているようじゃ!
「・・・いわずもがな・・・
他人は、いつわれても・・・
・・・おのれは・・・いつわれんのじゃよ!」
住職はひと笑いすると、
たちまち、厳格な表情に変わり、
気合いを、込めた。
本堂に立ちこめた、
<気>が、
激変していく。
急旋回し、
一か所へ、
<優希の像>に向かって・・・
・・・収斂されてゆく。
念珠を、前方につきだす!
「喝〈かぁーーーつ〉!!」
分厚い胆力のこもった声が、発せられた。
本堂全体が、
凄烈なまでに、
鳴動した。
恐怖にかられ、
両手で、頭を押さえて、
必死で、
畳に、
へばりつく・・・火鳥・・・
短時間で、
嘘のように、
鳴動は、収まった。
すると・・・優希の姿は、
ケムリのように消え、
火柱は、またたく間に、沈み、
護摩の炎は、
平常に、戻った。
「役角堂にて、七日間の荒行。
終えた暁に、
『魔除けの護符』を、授けることにする。
<物の怪>は非常に強力じゃ。
生死を賭して、
行に挑むがよいぞ!」
土下座して、
こうべを、深々と垂れる、火鳥。
達人とは、まぎれもなく、存在するのだ。
凄い・・・ただひたすら・・・凄い!
精神の昂揚が、
止めどもなく、突き上げてくる・・・
いつまでも・・・いつまでも、
身体の震えと、発汗が止まらなかった。
週が明け、曇り空の下。
優希と一緒に登校している智子は、
いつになく、上機嫌(V)。
国体〈東京代表選抜〉の、
レギュラーの座に、
手が届きそうな、
言葉にならない、実感があったのだ。
選手個々の実力は、
いうまでもなく、伯仲していた。
だが、
アスリートの根幹をなす、
体力において、
智子は、頭ひとつ、抜きん出ていた。
自信になる、一点が、視えたのだ。
選りすぐりの東京代表メンバーが、
音をあげる練習は、たしかにキツイ!
メンバー全員、
失神寸前まで絞られて、
ヘトヘトになった。
練習後、控え室では、
みんな、マグロ状態で、
しばらく、起き上がれなかった。
シャワーを浴びる気力すら、なかった。
しかし、智子には、余力が残っていた。
一番に、シャワーを浴び、
帰宅後、
一人で行なう、夜間練習も、
欠かさなかった。
短期間ながら、
監督からの信頼も、得ている・・・〈ように思える〉。
それと、
晶学レギュラー達には、
申し訳ないけれど・・・
高いレヴェルに混じって、
バスケットボールをするのは、
刺激があり、
ワクワク度が、まるで違う。
不安より希望が、はるかに勝っていた。
試合のときに、
こういうパスを、このタイミングで、
この軌道上に、出してくれたら、
シュートの精度が、
格段に、上がるのになァ、
と思っていたボールが、
イメージ通り出てくる驚き・・・喜び。
このメンバーをもってすれば、
桃花の女王メンバー中心で、
組んでくる、
三重県の代表チームにも、
たちうちできるに違いない(V)。
明日から、
泊まりこんでの、
本格的な、高地合宿が、はじまる。
ワァオ!
いい方向に転がっているぞ、
残り少ない、私の高校生活。
三年C組の教室に入って、
優希と駄弁っていると、
校内放送で、職員室に、呼び出された。
「なんだろうなぁ?」
といいながら、教室を出る智子
話し相手がいなくなってしまった優希は、
窓から校庭を、ぼんやり眺めていた。
すると、
視界に、
異様な光景が、映しだされた。
それは、
大型サイレンのような、
泣き声を、わめかせながら、
校庭を、犀のように、駆け抜け、
学園から、飛びだしていく、
智子の姿だった。




