21 ハチ合わせ
蜂谷は、
テストの成績がかんばしくなかったので、
補習で、こってりしぼられた。
午後9時30分すぎに、ようやく解放され、
ひとり帰路についていた。
月のない夜だった。
学園周辺は、人家が少ない。
裏の、役角寺をはじめ、
いくつもの寺が、衛星のように、点在していた。
水晶学園は、
最寄駅から、徒歩で、二十分以上かかる。
都会にしては、
意外に、さびしい立地にあった。
蜂谷は校門を出て、少し歩くと、
束縛を解かれた気分になり、
むしょうにタバコがすいたくなった。
制服姿の彼は、
あたりをうかがい、ひとけのないのを確認。
内ポケットから、
ラークマイルドとジッポーライターを取りだした。
タバコの箱をひょいと上下させ、
とび出した、一本を、
くちびるの端にくわえる。
ジッポーを、
手のひらの中でクルクル回転させる。
ピタッと停止。
親指で、
上ブタを開け、
シャッと火をつけた。
闇に炎が浮かびあがる。
タバコの先に近づける。
炎が・・・スッと・・消えた。
おかしいな?
一瞬、首をかしげ・・・もう一度、着火。
ユラユラ炎が立ちのぼる。
タバコに近づけた。
またしても消えた。
自然に反逆するうような、
異質な、消え方だった。
「ム・ム・ム!」
ガッ!
と、うしろをふり返り、あたりを見まわす。
だれもいない。
なんの気配もない。
三度目の着火に、チャレンジする。
今度は、カバンを、脇でしっかりかかえ、
慎重に、
両手でライターをあつかい、
風に注意をはらい、火をつけた。
ジッポー特有の、メラッとした炎が、あがる。
「うっ!?」
今度も、
動かない空気の中で、
ありえない消え方をした。
蜂谷の背すじが、冷たくなる。
この場から、立ちさろう、
一刻も早く!
タバコとライターを、
光速で、内ポケットにしまい、
早足に歩きだす。
自分の足音に、ピタッと、かさなっている、
もうひとつの足音が、かすかに、聴き取れる。
身の危険を、全身で、察知した。
心臓の鼓動が高まり、脈拍があがる。
冷や汗が流れ出て、
アドレナリンの分泌が、
急上昇した。
視覚に、匂いがまざり、
夜のダークな色彩が、聴覚化される。
異様な精神状態に・・・シフトした。
金縛りにあったように、
身体の自由が、制限された。
ふみ出すべき、一歩が、なかなかふみ出せない。
動かない・・・動けない・・・
ふいに、衝撃波が、背中を押した。
夜の闇に落下していく、蜂谷。
ドシン!
尻もちをついた。
どこかの穴に、落ちたみたいだ。
生あたたかく、すえたニオイがする。
水の流れる音が、聴きとれる。
ゆっくり、体勢を、立てなおす。
腰のあたりに、
鈍い痛みと重みを、感じた。
ポケットから、ジッポーを取りだし、火をつける。
深呼吸をして、
落ち着いて、まわりを、確認する。
どうやら、マンホールに、落ちたらしい。
状況がわかると、
恐怖は、ひとまず、一段落した。
慎重に、細心に、
マンホール側面に、埋めこまれている、
鉄の梯子に、右手をかける。
地上まで、およそ、三メートルの距離だ。
ジッポーの炎を、消さないように、
注意深く、左手で、持ちながら、
バッグをかかえ、梯子を、のぼっていく。
地上が、すぐそこに、見えてきた。
そのとき!
マンホール上に、黒い人影が、あらわれた。
空気を一閃!
長く鋭利な、
五本のツメが、
蜂谷の顔面を、ガリッ!と引っかいた。
またもや、マンホールの底に落下・・・
・・・転倒する蜂谷。
えぐられた顔の、五本のラインから、血がしたたり落ちる。
背中と腰を、したたか打った。
歯を喰いしばって、起きあがる。
マンホール上の、
人物の正体を、
見きわめようと、
ライターの炎を、かざす。
「くそっ!とっ捕まえて、
<深爪の刑>に処してやる!」
そう吐きすて、地上に、目を凝らした。
ジッポの炎の向こう。
揺らぐように見えたのは、
犬城優希だった。
日頃のチャーミングさは、
消え失せ、
凄ざまじい形相だ。
目は吊り上がり、
耳は尖ンがり、
髪の毛は逆立ち、
全身から、
殺気を、放電していた。
いまの彼女からは、
優雅さが、消え失せ、
人としての、理性や道徳は、感じられなかった。
「あれは、もはや、犬城じゃねえ・・・
似て非なる、
・・・<物の怪>だ・・・!」
優希は、背後から、
黒い大きなビニール袋を出して、
目の前に、掲げ、
逆さまにすると、
中身を、マンホール内へ、落とした。
片手で、軽々と、
鉄のフタを持ち上げ、閉ざした。
再び、闇に包まれた、マンホール内・・・
おそるおそる、
ジッポーの炎を、
落下物にかざす、蜂谷。
落とされたモノとは・・・・・・
「(ギャッ!!)」
驚愕の声を、
あわてて、呑みこんだ。
なんと、それは、スズメバチの巣であった!
巣の中から、姿をみせた、
スズメバチの大群が、
カチカチと、不気味な噪音を、たてている。
炎をかざした人物に向け、
その、気性の荒々しさ、
攻撃的性向を、
むき出しにしていた。
蜂谷の神経を、
バリ立たせ、
逆なでする、
羽音・・・・・・
スズメバチの大群が、
死の序曲を、うならせながら、
一斉に、
攻撃の火ぶたを、切った。
「うわーッ!」
「助けてくれェー!」
「グ・グ・グ・グ・グッ!・・・・・・グギャーッ!!」
閉ざされたマンホールの中から、
絶叫が、連続して・・・あがった。
しばらくすると、
くぐもった声に変わり、
やがて、沈黙が、おとずれた。
翌日の朝。
土曜日。
私立高校である水晶学園には、
独特の教育方針があった。
週休二日制を、採用しておらず、
補習という名目で、
土曜日も、授業を、おこなうのである。
というわけで、
きょうも雨の中、
傘をさして、登校している、
びみょーに、憂うつそうな表情の、
智子と優希の姿が、あるというわけ・・・デス。
「雲の切れ目もないし、
どうやら、一日じゅう降りつづきそうね・・・残念」
うらめしそうに空を見上げ、
ため息をつき、優希が言った。
「花火大会は、
またしても中止か」
傘を、くるくる廻しながら、智子。
優希の顔に、ピチャと、水しぶきがかかった。
「なにするのよ、水滴が、かかるじゃないの!」
「へへーい!べそをかいている、お嬢さまに、
ダメを押したの。泣きっつらにハチってとこ、」
楽しげに挑発しながら、
ふたたび、回転傘で、しぶきをかける。
「コラーッ!!」
優希の怒りを背に、
サッと傘を閉じ、
思いっきりダッシュする、イタズラ智子。
「鬼さんこちら!」
素晴らしいスピードで、疾走する。
同じように、
素早く傘を閉じて、
負けじと、追いかける優希。
ふたりは、またたく間に、
マンホールの上を、駆け抜け、
校門に到達した。
その直前に、
優希は、友人に追いつき、
バスケ部主将の背中に・・・
ドン!とタックルした。
驚きと感心をミックスさせて、智子が・・・言った。
「すごく、脚が速くなったね・・・優希!
駆けっこで、
この私に、
・・・追い着くなんて・・・!?」
雨に濡れた優希は、
妖しいような美しさを、
全身から、にじませていた。




