19 智子のプライド
優希は、窓際の海先生のところまで行くと、
遅刻の理由を説明した。
「おくれてすみません。
軽いヤケドをしてしまい、病院へ寄ってからきました」
海先生に、ペコリと、頭を下げ、
クラスメートに向き、一礼すると、
自分の席へ、つかつかと歩いた。
智子は、ホッとしたようすで、友人を迎える。
「心配したよ。事故にでも、遭ったんじゃないかと思った」
「ごめんなさい。連絡もしないで」
いつもと、変わりないようすの、優希だ。
「で、どこをヤケドしたわけ?」
「けさ、シャワーを浴びたとき、とっても熱いお湯が出て。
あわてて、とびのいたんだけど、
熱湯が、かかってしまった、というわけよ」
「容態〈ようだい〉はどうなのさ?」
一見したところ、
なんともなさそうにみえる友人に、たずねる智子。
「だから、軽いヤケドだってば!
お母様は心配性なのよ。
それで、急きょ、病院へ直行したわけ」
「でも、まぁ、なにはともあれ、
元気な優希を見れて、安心したよ」
ホームルームが終了すると、
火鳥は、
学校を早退して、行方をくらました。
待ちに待った、
智子の一番好きな、
体育の授業が、やってきた。
女子と男子に別れ、
C組とD組の合同で、行なわれる。
体育の授業を受け持つのは、
女子バスケットボール部の監督でもある、スキンヘッドの団先生だ。
三十代後半、
スポーツマンタイプの、教育熱心な教師である。
先生は、
教え子である智子の、
運動能力は、もちろんだが、
メンタル面を、特に、高く評価していた。
「きょうは、走り高跳びを、おこなう。
まずは、ランニングで、体育館を5周だ。レッツ・ゴー!」
体育着すがたの、女子生徒たちに、指示を出した。
その間に、
智子を助手にして、
あらかじめ準備してあった、
エバーマットや高跳び用のバーなどの、セットをする。
国体選抜の肩を、
勢いよく叩く、団先生。
「月吉、しっかりガンバって、レギュラーをとれよ!」
「はい!」
元気いっぱいに答える智子。
ランニングが終わり、
準備体操を入念にすませると、
背の低い者順から、
走り高跳びを、スタートさせた。
バー設定、80センチから、開始。
50名弱の生徒のうち、
10名が、早くも脱落した。
「お前たち、このていどの高さでバーを落とすなんて、情ないぞ!」
頭に手をやり、天をあおぐ。
バーは90センチ、
1メートル、
1メートル10センチと、
設定が、高くされていく。
続々と、脱落していく、女子生徒。
1メートル30センチにまで、バーが、上昇。
残った生徒は、わずか5人であった。
「まァ、おおかた、こんなものだろう」
団先生の、予測の範囲内であった。
意表を、つかれたのは、
月吉智子が残るのは、とうぜんとして、
あまり、運動能力に、
恵まれているとは、思われない、
犬城優希が、5人の中に、ふくまれていたことだった。
「ふむ、バネだけは、人並み以上のものを、
備えているようだな。けっこう、けっこう」
バーは、1メートル50センチへと、上げられた。
智子は、背面跳びで、楽々クリア。
他の三人は、あえなく、玉砕。
残るは、優希ひとりだけ。
助走をつけて、踏み切る。
ピョーンと跳びあがり、
バーに触れることなく、着地した。
「ほーう、犬城はベリーロールか」
ニコニコし、感心する団先生。
1メートル60センチ。
智子が助走する。
一回目は失敗。
二回目は、素晴らしいフォームで、クリアした。
優希の順番が、やってきた。
助走開始・・・スピードが乗る。
グッドタイミングの、踏み切り。
しなやかなジャンプで、あぶなげなくクリア。
「こいつは、凄いぞ!」
目を輝かせる団先生。
1メートル65センチ。
「この高さを跳べたら、
水晶女子の校内新記録、
〈レコード〉達成だ」
と団先生。
智子の身長より、13センチ低く、
優希の身長より、5センチ高い、
バー設定だ。
C・D組の女子生徒たちはかたずをのんで、
推移を、見守る。
優希を横目に、プライドを賭けて、疾走する智子。
潜在力が、ほとばしる。
見る者の、息を止めてしまう迫力。
パーフェクトなタイミングの踏み切りで、ジャンプ。
背中に、少しバーが触れたが、なんとか持ちこたえた。
1メートル65をクリア。
「よーし。
水晶学園女子校内新記録達成だ!」
団先生が言うと、
拍手が起こった。
お次は、優希。
親友を、上回る助走で、踏み切った。
大きくジャンプしながら、空中回転。
バーを、軽々飛び越えた。
1メートル65を、美しくクリア。
「二人の、新記録達成者が出るとは凄い。
こいつは快挙だぞ!」
と団先生。
バーは、1メートル66センチまでに、上昇された。
「先生、あともう1センチ、高くして下さい!」
智子は、頭から、いまにも、湯気を噴きだしそうだった。
ここだけは、どうしても、譲ることはできない。
自分自身の、
存在理由が、抹殺〈まっさつ〉されてしまう。
団先生は、
気圧〈けお〉されたように、
バー設定を、167センチまで上げた。
「だいじょうぶか、月吉?
限界スレスレの1センチは、10センチにも、ひとしいぞ」
「とっとと、ホイッスルを、吹いてくださいよ!」
噛みつきそうな勢いで、智子が言った。
ホイッスルの音が短く、鋭く、吹き鳴らされた。
智子の全身から、殺気が、みなぎった。
空気をガッと噛み、馬力のかかった助走をする。
高温の熱が、一点に向かって、集中される。
跳ぶということのみに、意識が、集約。
心身が、一体化した。
1メートル67センチのバーに、触れることなく、クリア。
鼓膜に、薄皮がかかったように、
先生の褒め言葉や、みんなの拍手が、
遠くから聞こえた。
薄皮がハガれ、音がクリアになった。
われに返った智子は、
「やったー!!」
と両手をあげ、
全身で、喜びを、表現する。
団先生も、拍手をしていた。
彼女の、喜びの表現には、
屈託というものがなく、
見る者に、ストレートな快感をあたえた。
団先生は、ふり返りながら、言った。
「さて、犬城・・・
・・・1メートル66で跳ぶか?
それとも、月吉と同じ高さに、チャレンジしてみるか?」
優希の方へ、目を向ける。
数人の女子生徒が、
彼女を、取り囲んでいた。
団先生と智子が、あわてて駆けよる。
「どうした、犬城?」
「・・・軽度の貧血です。すみません」
弱々しく、優希が言った。
「歩けるか?ムリそうなら、担架を用意するが」
「ええ、平気です。歩けますから」
彼女の脈拍を調べ、
顔色と眼の光りぐあいを、たしかめる団先生。
「よーし。二、三人で、ヘルプして、
保健室まで、連れて行ってやってくれ。
よく、がんばったな犬城。お疲れさま!」
団先生は、優希の頭をゴシゴシなでて、励ました。
それから、智子の方に、顔を向ける。
「ところで、月吉」
先生はニヤリとして、
「1メートル68にチャレンジしてみるか?」
「先生、わたしも、疲労こんぱい、」
智子は、体育館の床に、ペタリと、座りこんだ。
「フフフ、あれだけ燃焼すれば、とうぜんだわな。
よーし、月吉も、保健室に連れていってやってくれ」
「ひとりで、歩けます!」
きっぱり言うと、
フラフラした足取りで、保健室へ向かった。
「しかし、たいしたヤツだ」
腕組みをした団先生は、
智子のうしろ姿を見ながら、つぶやいた。
授業終了を知らせる、チャイムが鳴った。




