7.昼ドラでよく見かける一幕
リオミ視点
アキヒコ様が旅立たれてから三日。
あれからずっと、わたしは多くの時間を部屋で目を泣きはらすのにつかった。
目の前でアキヒコ様が消えてしまったとき、まっ暗な世界にひとり取り残された気がして、こわくてこわくて涙した。
頭ではわかる。
アキヒコ様のおっしゃっていたこと。
ご自身の力が国に害を及ぼすから、残れないのだと。
だけど、感情がついてこない。
なんで一緒にいられないの?
ひとりで行ってしまわれるの?
どうして……わたしを連れて行ってくださらなかったの?
アキヒコ様がアースフィアに残ってくださるときいて、とてもうれしかったのに。
すぐにこんな裏切りが待っているなどと、タリウス師の占術だって予見できまい。
アキヒコ様への想いや怒りがぜんぶごっちゃごちゃになって、自分でも整理できなかった。
あのとき、わたしがいっしょに連れて行ってほしいと言ったら、アキヒコ様は国を敵に回してでも、自分をさらってくれたんじゃないか。
そんな、有り得もしない押し付けの幻想を抱いてしまうほど、わたしはどうしようもなくなってる。
自分はこんなにも、醜くて身勝手な人間だったのか。
「まあ、普通に考えて。俺は用済みだしね」
用済み。
あの言葉を、許せない。
あの方の口からだけは絶対に出てほしくなかった。
でも、それさえも押し付けだったのではないか。
アキヒコ様に重みを背負い込ませていただけではないのか。
その重みがお嫌で、わたしから距離を取ろうとしたのではないのか。
わたしは、あの方にとって重い女。
そんなのは、いやだ……。
でもだからって、この胸の痛みをどうすればいいというの。
最初は追いかけようと思った。
探索の魔法は手間がかかるけど、わたしなら使えないことはない。
あの方が使っていた部屋から毛髪を見つけ出し、触媒とすればいい。
でも少なからず自信があったわたしの試みは、あっけなく失敗した。
あの方はアースフィアの地上にはいないとわかっただけだった。
きっとあの方は、あのアースフィアの空、ずっとずっと高いところにいるのだ。
アースフィアのどんな魔法を使っても、決して辿りつけない高みに。
あの方は予言の勇者様。
わたしにとっての救世主。
だから、多少は想いに補正がかかっていたことは認めよう。
でも、わたしの気持ちはほんものだ。
生まれてきてからこの方、こんな想いを抱いたことはない。
これが寝物語に語られた恋なのだとわかるまで時間はかからなかった。
ともに過ごした時間は短かったけれど、あんなに濃い一日を過ごしたことは、修行時代にもない。
ずっと驚かされっぱなしだった。ハラハラした。
聖鍵の力と機転で、わたしたちを窮地から救ってくれた。
アースフィアのほんとうの形、うつくしさを教えてくれた。
お父様とお母様と再会したとき、そっと身を引いて去っていった気配りにも涙が出そうになった。
魔王を滅ぼした力もさることながら、そこに至るまでの決断の早さには、もはや驚きを通りこして言葉もない。
ゴズガルドのときもそうだったけれど、あのお方は一瞬で熟考しているのではないかと思えるくらい、頭の回転が早い気がする。
壇上での演説。
つたなく、技巧も計算もない想いを吐露しただけの叫び。
でも、あの方の言葉に心動かされなかった貴族はいないだろう。
領民や家族を魔王によって直接的、あるいは間接的に奪われて、こころに傷を負っていた者たちだ。
アキヒコ様はロードニア主要支配階級の大部分の支持を得たのだと、気づいていなかったのだろうか。
「初めてだったんだ。誰かに、自分のしたことで喜んでもらえたの」
ぜったい、そんなの嘘だと思う。
あの方がそう思い込んでいるだけだ。
無意識の行動で、ひとびとに感謝されていたはず。
そのひとたちは、どうしてアキヒコ様にお礼を言わなかったのかと思うと怒りがわいてくる。
アキヒコ様は、まわりを引っ張っていく力があるのだ。
ただ単に自分を低く見積もって、損をしている。
あのひとはもう、会いに来てくれないのではないか。
わたしはきっと、あのひとのトラウマを抉ってしまった。
傷つけてしまったんだ。
いつでも会えると言っていたけど、それはアキヒコ様がその気にならなければ、決して出会えないということだ。
アキヒコ様はわたしにいつでも会いに来れるけど、わたしからは決して近づくことができない。
あんまりだ。
こんな仕打ちはあんまりだ。
こんなことなら、好きにならなければよかった。
魔王を倒してもらって、すぐにお帰り願えばよかった。
いや。そもそも、どういう形でかアキヒコ様とのお別れが来ることをわかっていたのに、勝手な想いを抱いたのはわたしじゃないか。
どこまで自分勝手なんだ。
「わたし、どうすればいいの」
こうやって今日も一日、枕を涙で濡らすのか。
もうわたしは傷心のまま、どこへも行けないのではないか。
こんな痛みがずっと続くと思うと、消えてしまいたかった。
扉がノックされる。
「リオミ様、王妃がお呼びです」
「……すぐにいきます」
王族を敬称略する事が許されている唯一の侍女、フェイティスだ。
わたしが幼い頃からずっと世話をしてくれたひと。
お父様とお母様が石になってしまわれた後、わたしを支えてくれた。
姉のように慕っていたのに、いつしか距離を感じるようになったんだ。
どうしてわたしは、いろんな人とすれ違ってしまうのだろう。
お母様の部屋に顔を出す。
あんなにお話したいと思っていたはずのお母様が、今はわずらわしくて仕方がない。
どんなお説教があるのだろうと身構えていると、意外なお言葉をいただいた。
「リオミ。アキヒコ様がタート=ロードニアを離れたのは、わたくしたちのせいでもあるのです」
「……はい?」
おっしゃっている意味がわからない。
あの方が去っていったのは、わたしのせいだ。
怒りを覚えた。
あの方が去っていった理由まで奪われると思うと、心穏やかではいられない。
「お母様。何を根拠にそのような」
「あの人が事を性急に進めようとし過ぎたのです。
貴女もおかしいと思ったでしょう。
突然、食事の席であのようなことを言い出して」
お母様の言うことに覚えがあった。
あのひとが去っていった日の朝、お父様はいきなりわたしの結婚の話を持ちだしたのだ。
たしかに、わたしは年頃だ。
お父様とお母様があんなことになっておらず、弟でもできていたら、わたしは他国に嫁いでいたはず。
とはいえお父様、アキヒコ様の前であんな話をして!
あのあと、フォローに慌てたものの、アキヒコ様がまったく意識していなかったことにも、内心腹を立てたものだ。
「はあ。その様子だと、貴女は気づいていなかったのですね」
嘆息するお母様。
いったい、何に気づいていなかったというのか。
「お父様はね、貴女とアキヒコ様をとりなすおつもりだったのですよ」
「えっ……」
そんな。お父様がそのようなことを?
困惑するわたしに、お母様がためいきをついた。
「アキヒコ様を王族と同等に扱っていたでしょう?」
「で、でもそれはあの方が、予言の……」
「そうであっても、客賓として扱うのが妥当です。
わたくしも、そうすべきだと苦言を呈したのですが」
お母様が頭を抱える。
聞けば聞くほど、確かにおかしな点はいくつかあった。
兵たちもアキヒコ様を異常なほど丁重に扱っていた気がする。
てっきり、魔王を倒した英雄に対する態度だと思っていたのに、そんな裏があったなんて。
「貴女が話してくれたではないですか。
八鬼侯と遭遇したときに見せた、アキヒコ様の機転を。
あの方は確かに聖鍵の力を使いこなすこと以外に長けているとは言えないかもしれないけれど、決して考えることをやめない方だと。
敏感ではないですが、状況を分析し続けることを絶やさないのだと」
わたしはお父様とお母様と再会したあと、如何にアキヒコ様が素晴らしいかを語りきかせた。
おふたりとも、嫌な顔ひとつせず聴いてくださったっけ。
ちなみに聖鍵を使いこなすしか能がないみたいな言い方は、わたしは断じてしていない。
鈍感みたいな表現も使ってない。
あの話のどこを聞けば、そんな解答を導き出せるというのか。
わたしの主観や脚色が含まれていた話をお母様なりにかみ砕いて解釈してくださっているのでしょうけど、余計なお世話ですよ。
「お父様は入念に根回しして、アキヒコ様と貴女が結ばれるよう、取り計らっていたのよ。
アキヒコ様も最初は気づいていなかったのでしょうけど、さまざまな状況証拠から分析して、真実にたどり着いたのでしょうね。
わが国に取り込まれると思ったのでしょう。
そういうのがお嫌いだとしたら、逃げ出しても仕方がありません。
お父様も反省してらっしゃいましたよ? 事を急ぎすぎて、結果としてリオミを傷つける結果になってしまったと」
そうだとしたら、やっぱりアキヒコ様がこの国に帰ってくることはないのではないか。
結婚がお嫌で出ていったのなら、わたしに逢いに来てくれるはずがないではないか。
わたしの想いが煩わしかったから、離れていったということではないか。
「まだ自分のせいだと思っているのね、リオミ」
口調を崩して頭を撫でてくれるお母様。
お母様にとって、ついこの間まで七歳の子供だったわたし。
子供扱いしないで欲しいと思うけど、お母様の気持ちを思うと言い出せない。
なにより、撫でられていると昔を思い出して落ち着いた。
「いいこと、リオミ。
別れを告げるということは、そのひとにとって別れの言葉をかけないといけないほど、大切に思っていたということなのよ。
みんなの力になりたいと言ったひとが、唯一。貴女にだけは別れを告げた。
そのことをもっと、汲み取ってあげてもいいのではなくて?」
……そうなんだろうか。
そうだとしたら嬉しいけど、それでも別れを告げられたほうはたまったものではない。
「別れのとき、アキヒコ様はどんな顔をされていたの?」
橋の上での最後のやり取り。
消える寸前、アキヒコ様の表情をはっきり覚えている。
「……笑っていました」
「なら、信じてあげたら? また逢いに来てくれると言っていたのなら」
「ほんとうに、来てくれるでしょうか」
どうしても不安になってしまう。
これでも精神修養の修行は欠かさずやっているのに。
「女は待たされる生き物よ? 男を待たせるのもいいけど、わたくしはそちらのほうが好きね。
待たされるということは、自分が殿方の帰るべき場所になっているかもしれないということだもの。ワクワクするわ」
「お母様は強い、です」
わたしのつぶやきに、お母様はくすくすと笑った。
「リオミ、これだけは約束しなさい。
再会したらいろいろ言いたいことはあるでしょうけど、一番アキヒコ様に伝えたい言葉だけを言いなさい」
「それはどうして……」
言いたいことが沢山ある。
全部伝えたいのに、お母様はそれが駄目だという。
「言葉なんて、たくさん言った所で多くのことは伝わらないわ。
だから、たったひとつの言葉だけに魔法をかけなさい。
貴女の声はアースフィアに祝福されているのだから。誰よりも素晴らしい魔法が使えるのだから」
考えこむわたしに、お母様は口調を直して続ける。
王妃としての言葉だ。
「今度は決してアキヒコ様と離れてはなりません。
離れようとしてきたら、すぐに捕まえなさい。どのような手でもお使いなさい。
貴女がアキヒコ様の心を射止めるのは、この国の最大の国益になると心得なさい。
そして、心の声に従いなさい。それ以外のことは些末事です。
たとえ、タート=ロードニアの王女という立場であってもです」
力強く断言した。
なるほど、これが無数にいたライバルを跳ね除けてお父様と結ばれた女の根幹なのだろうと納得した。
その女傑の血がわたしにも流れている。
「かしこまりました、お母様」
まだ、傷の痛みが癒えたわけではないけれど。
もうぐずぐずと泣いているだけの日々には、さようならだ。
あのひとが帰ってきた時に伝えるべき言葉がなんなのかを、自分の中から探し出さないといけない。
それはどんな公務や修行よりも、やりがいがありそうだと思った。