第五話
翌日。
今日も今日とて、青空に双子の太陽が輝く好天。
暑さも二倍かと思いきや、適度に乾いた空気は日本の夏よりも数段過ごしやすい。生まれつきの回復力もあいまって、一晩熟睡した涼吾は完全に調子を取り戻していた。
いや、“取り戻した”というのは少々語弊があるか。
「おとっつぁんのためならエーンヤコラ、ってか」
鋸で切り出した材木を担いで運ぶ。汗ばむ陽気のもとでの肉体労働を、特に苦もなくこなす涼吾。
昨日に意識を取り戻した際、身体を支配していた激痛はすでに無い。普通に立ち上がり歩いても、走り回っても跳ねても大丈夫だ。
そういう意味では確かに好調といえるのだが。
「おうアカバ。こっちに運んでくれるか」
涼吾は頭上からの声に眼をむける。ブラムが家屋の屋根に登っていた。地上からおよそ七メートル。決して小さくない材木を、重機もなく人力で持ち上げるのは骨の折れる作業だ。
「うっす」
軽く返事をして、涼吾は下肢に力を込める。肩の上には担いだ材木。重量にしておよそ五キロ強。一般的な成人男性がこの状態で跳躍したとして、垂直に三十センチも飛べれば凄いほうだろう。
「い、よっと」
しかし解放された涼吾の脚のバネはそれを遥かに上回る。あっさりと重力を振り切って、一足飛びに屋根の上へと到達してみせた。
跳躍ではない、空を歩くのだ。どこかで聞いた言い回しが涼吾の脳裏をよぎる。
「だいぶ、具合はいいみてぇだな」
「良すぎて逆に怖いっすよ、これ……」
ブラムの言葉に、涼吾は引きつった笑顔でこたえる。
そう、調子が良すぎるのだ。いっそ異常といえるほどに。
“最弱”なれど吸血鬼。しかしその屋号に過不足はない。
怪物の身体能力が人類よりも上位に位置するとしても、最弱のそれともなれば人間の常識の範囲におさまるものでしかない。それも決してひ弱ではないが強靭でもなく、せいぜい上の下。平均よりは上回るが、本腰を入れて鍛えた人間や才覚豊かな者には簡単に負ける程度のものだ。
軽い跳躍で十数メートルに届き、数十キロの荷物を片手で持ち上げるような腕力など、涼吾には無縁のものだったはずだ。
「ギフトを得てすぐのうちはだいたいそんなもんだ。そのうちなれるだろ」
なんでもないことのようにブラムは言いつつ、屋根にあいた大穴をふさぐべく板を打ちつけ始める。
左手に釘、しかし右手に金鎚はない。
ブラムは右手の指を軽く曲げ、釘の頭に狙いを定めて振り下ろす。
カン! と血肉からは有り得ない硬い音が立った。
少しささった釘に続けて拳を叩き込む。
「改めて見るとビックリ人間ショーっすね」
素手で木に釘を打ち込むとか、驚愕映像百連発みたいな特番に出そうな光景だ。
ブラムもまた、“祝福”を有する人間のひとり。
強靭なパワーの肉体と、身体を鋼鉄のように硬化させる異能を持っている。
「貫手で岩石砕く、とか。人間技じゃないっすよ」
今朝方、ブラムがデモンストレーションに割ってみせた裏庭の巨岩を横目に涼吾は苦笑い。
「お前もその一員になってるんだからな。自覚しとけよ」
ブラムの切り返しには閉口せざるをえない。
作業中の大穴。派手にへし折れた太い梁は先が尖り、軽く人体に刺さりそうだ。
「マジでよく生きてたな、俺……」
昨日聞いた際には今ひとつ実感がなかった涼吾だが、改めて現場をみると自分自身を襲った出来事と変化にうすら寒さを感じる。
聞けば四肢が弾け飛び、内臓が飛散し、肋骨が露出する――――という詳しく文章におこすと十五禁が発動しかねない状態であった涼吾はそこからビデオの逆再生のごとく復活してみせたらしい。
“最弱”の吸血鬼たる涼吾に、そんな再生力は備わっていない。いや、いなかったはずだ。
つまり、ブラムのいうところの“ギフト”による変化なのだろう。
“ギフト”を授けられたモノは身体能力の上昇とともに何らかの特殊能力を得ることが多いらしい。その能力が強力であるほど、体力上昇の幅も大きいのだとかいうから笑えない。
腕力脚力だけならいざしらず、涼吾からしてみれば有り難迷惑なことだ。
「生き延びたのを喜ぶべきか、妙なチカラがついたのを悲しむべきか……」
とりあえずいえるのは、そんな得体の知れないチカラをもつ相手を懐に引き入れるブラムは相当に酔狂な人間だということだ。
「珍しい悩み方をするな。素直に喜べばいいものを」
「強すぎるチカラは災いを呼び込む、ってのがウチの家系の教えでしてね」
“最弱”の家系ゆえ、こと“強さ”に関してはいち嘉言持ちだ。
ほう、と感心したふうに息をもらすブラム。
「なかなか深いことを言うな」
「普通はそんなもんでしょう? あんな対応されるぐらいだし」
涼吾はちょいと視線を外す。屋根の上からは広がる畑がよく見渡せた。大勢の村人たちが働きながらチラチラとこちらの様子をうかがっていたが、涼吾の視線に気付くと慌てて目を逸らす。
正体不明の余所者への対応としては正常なほうだが、得体のしれないチカラがそれに拍車をかけている気がするのは穿ち過ぎだろうか。
「しかし、そうはいっても、なってしまったならばどうしようもなかろうよ。むしろ把握もせずに放っておくほうが危険というものだ」
「……まぁ、そうなんすけどね」
なにがどう変わったのか、どんなチカラがついたのか。さっぱりと分かっていないのが現状だ。
涼吾の場合、種族が種族なのでただの肉体再生能力で済んでいるかどうか。
「そんなわけで、だ。ひとつ提案があるんだが」
悩む涼吾へブラムが言う。そのイタズラ好きな悪童のような笑みからして、良い予感はしなかった。
※
「いやいやいやいやいやいやいやいや……、ちょっと待ってくんないっすかねおじーちゃん」
いい具合に広がった原っぱの真ん中で、相対したブラムに涼吾は言った。
「ん、どうした? ちゃんと身体はほぐしておかないと後でキツいぞ?」
入念に準備体操をするブラムはことのほか楽しげだ。
ヒトが楽しそうにしているのを見るのも好きだが、涼吾自身は全く楽しくないので傍迷惑以外の何物でもない。
「身体能力の変化を見るのには、実際に拳を合わせるのが一番わかりやすいからな」
「発言がものすごーく建て前くさいんすけど気のせいかな〜〜」
嬉々とした表情で言われても説得力が欠片もない。“喧嘩がしたいです”という本音が透けてみえる。
「近頃は手合わせの相手もおらんかったからな。心が踊るのも致し方あるまい」
戦闘中毒者かよ、と涼吾は肩を落としつつブラムの挙動を見る。
…………年齢からして最盛期は過ぎているだろうが、引き締まった全身の筋肉に衰えはみられない……上腕と肩の盛り上がり方は間違いなく戦闘者のそれ……横幅の広い体格は一見してパワータイプに見えるが……先ほど屋根に登る際に涼吾と同じく一足飛びで済ませたあたり、身のこなしも軽い。おそらくかなり敏捷に動ける……
「ほほう、すでに闘いは始まっている――――ということか」
視線に気づいたブラムの発言に慌てて目を逸らすが、もう遅い。すでに武術家スイッチが入っていらっしゃる。
(習慣っておそろしい……)
もはや退路が絶たれたことに涼吾は頭を抱えてうなだれた。
“最弱”の吸血鬼である涼吾にとって、戦闘や争いごとは避けるのが大前提。危険そのものが近づく前に遁走するのが基本である。
そのために唯一人外級といえる鋭敏な五感を駆使し、あらゆる情報を取り入れる。
周囲の状況を把握して退路を確保しつつ、相対する者の風体や立ち振る舞いから性格や行動志向を判断して交渉材料を見つけ出す。
重要なのは、あくまでも戦闘目的でないところだ。戦ったら負けるのが分かっているのだから、それを避けるにはどうするべきか。相手の力量や“強さ”を見抜く洞察力は、涼吾にとって穏便に事を済ますすべを模索する手段にすぎない。
しかし今回、それが少々裏目に出たようだ。
(下手に見抜くと俺が“強い”って勘違いするから面倒くさいんだよなー……)
一定以上の実力者は、一目で相手の力量を察知するという。それを逆にとらえ、相手のチカラを見抜けるならば相応の実力を有している、と考える者は少なくない。
確かに、色んなやつらの色んな“強さ”を見てきた自負はあるが、それで涼吾自身が強くなるわけでもないというのに。
目利きの才覚はあれど、“最弱”はやはり“最弱”なのだ。
(しかしまぁ、今回ばかりは逃げは無しか)
“最弱”のままならその言い訳もたつが、どうやら珍妙なチカラが涼吾の身体には宿ってしまったらしい。それが如何なるものか解らないかぎり、その肩書きは意味をなさない。
“最弱”は“最弱”のままなのか否か――――、涼吾のアイデンティティにもかかわる重要な問題だ。
涼吾は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いて気を整える。
「やる気になったか?」
「不本意ながら」
手短に言葉を交わし、あとは不要と構えるブラム。右足を退き、半身となったまま両拳を前に出す独特の構え。
涼吾は軽く腰を落とし、前傾気味に体重を移動させて精神を集中する。
……一挙一動を見逃すな。
相手の武器と自分のチカラ、手札を並べて考えろ。
総てを見据えて利用しろ。
刹那の一瞬意識を逸らせば、足音立てて“死”が来るぞ。
なぜならこの身は――――
「行くぞ!」
突っ込んで来る老兵を“最弱”の怪物は鬼の眼で睨んだ。