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第四話



 涼吾の最後の記憶で、文字通り身体に刻み込まれているのは全身に叩きつけられた衝撃だ。



 ラーメンに手を伸ばした瞬間、足元を襲った浮遊感。次いで眼球が裏返しになったように視界がぐにゃりと歪んだ。


 その時にはすでに五感が半分混濁していて何が起こっているのか全く理解できず、前後不覚のままその状態がどれくらい続いていたのかはわからない。多分、十秒もなかったとはおもう。

 ただ足元が地についておらず、重力から離れて体が浮かんでいるらしかった。



 そんななかで不意に襲ったのが、全身を襲った衝撃だ。


 なにかに、弾き飛ばされる(・・・・・・・)ような。


 大きな何かが衝突して、とにかく涼吾は其処から吹き飛ばされた。



 その大きな衝撃で涼吾は意識を刈り取られ、それ以降のことは覚えていない。




     ※




「上空ウン百メートルから強制紐無しバンジーか。よく生きてたなー俺」



 老人から伝えられた顛末に、涼吾は乾いた笑いを上げるしかない。

 いくら吸血鬼でも“最弱”の通称は伊達ではない。致命傷を食らえばそれは致命傷で、死ぬときはちゃんと……というのも何かがおかしいが、死ぬ。


 首の骨が折れたり、頭蓋が叩き割れていたら死亡エンドは確実だった。


「いや――――……、生きてて良かった!」



 生きている喜びに、今度はただただ楽しく笑う。



「果ってしなく呑気だな、兄ちゃん。こっちは理解が追いつかねぇってのに」



 頭痛をこらえるように額に手をあてる老人。名前はブラム。この村で顔役のような立場にあるらしい。



「ニホン、だったか? その国で学生やってたってこたぁ、それなりにイイ身分の方なのかい?」


「いんや。俺の国じゃ誰でも教育機関で学生をすることになってるんすよ。義務化されてるのは十五までだけど大抵は十八まで。なにも特別ってことはないっすよ」


「……随分、安穏とした国らしいな」



 ブラムの寸評に「違いない」と頷く涼吾。世界規模で平和ボケしていると評されるぐらいだ。人によっては正気の沙汰でないととられても可笑しくない。



「大陸から離れた島国ニホン、ね」


「やっぱり、聞いたことないすか?」


「これでも若ぇ時分には大陸中をまわったもんだが、そんな名の国は覚えがねぇなぁ。噂にきく異大陸の、そのまた向こう側か……? 途方もねぇ話だなぁオイ」



 ブラムは自分なりに納得しようとしているようだが、それは的外れだろう。涼吾は首だけを動かして外を見る。


 やはり変わらぬ現実がそこにはあった。



(太陽が二個、とか……マジでないわー……)



 見慣れたものより、ひとまわり小さいのと、大きいのがひとつずつ並んで浮かんでいる。いくらなんでも地球上にそんな場所があるはずもない。

 間違いなく、此処は異世界だ。



 どういう理屈と事情かは知らないが、昨今の創作では話題の“異世界転移”に巻き込まれたらしい。



 吸血鬼の涼吾でも聞いたことのない異常事態。おそらくこっちの世界(・・・・・・)でもそうだろう。


『どうも! 異世界から来ました!』などと言って信用が得られるとは思えないし、ここは話の流れに合わせたほうがいい。折りをみて、然るべきときに話せばいいだろう。



 それよりも、涼吾が気になったのは。



「ていうかブラムさん。さっきから俺が跳んできたことに関しては驚いてないみたいっすけど……。ひょっとして、よくあることなんすか?」



 話の様子からして、跳んできた場所(・・)に関しては驚いていても、空間を跳んできたことそのものに関してブラムは違和感なく受け入れている。


 そんなにポンポンと人が空間転移する世界なのだろうか。



「ん、ああ。そうだな、多くはないが珍しくもなく……。いや、ここは順をおって話すか。異郷の者じゃあ分からんことも多いだろ?」



 涼吾にとっては願ったりかなったりの提案だ。頷くと、ブラムは小机に置いてあった水差しから木製のカップに水を注ぐ。



「飲むか?」


「お願いします」



 用意する間に涼吾はうめきながらも身を起こす。だんだん痛みになれてきたのか、ゆっくりとなら動かすのに支障はない。渡されたカップに口をつける。味もなくぬるいただの水だったが、贅沢はいうまい。



「……お前さんの故郷がどうかは知らんが、少なくともこの大陸では唐突に人が消える、っていう現象がときおり起こる。それこそ前触れもなく、煙のように消え去ることがな」


「それ、かなり危なくないっすか?」


「いや消えはするが、そのままってわけじゃあない。場合によって消えている時間に差はあったり場所がずれていたりはするが、再び現れる。消えていた間のことは当人に記憶がなく時を超えたような状態になっていて、この国ではそれを『神の箱庭に招かれた』というんだ」



 涼吾の世界でいうところの、神隠しに近いものだろうか。



(あれって日本では天狗やら山の眷族の連中の仕業がほとんどなんだがな……)



 実は涼吾にはその手の(・・・・)知り合いもいたりする。

 おこなわれていたのはかなり昔の話だし、こちらのものとはだいぶ毛色が違うようだが。



「招かれるものの共通点は、これといって無い。実際のところ詳しい理屈はわかっとらんのが現状だが、教会の連中は神が地上のものをその手に取り、愛でる為だと言っとる。時も空間も超えた“神の箱庭”に招き入れ、ひとしきり愛でた後に祝福を授けて地上へとかえす、とな」


「祝福、ってーのは……さっき言ってた“スキル”とかいうやつっすか?」


「教会では“祝福(ギフト)”と言っとるがな。神の箱庭に足を踏み入れたものが得ることのできる、特異なチカラの総称だ」



 無双の怪力。

 頑健な身体。

 森羅万象を操る異能。

 突出した知識・技能。


 カタチはさまざまだがおおよそ世の理を抜け出した、千差万別の神に通ずるチカラ。



「おそらく、兄ちゃんも祝福を受けてるはずだ」


「……特に変わった気はしないっすけど」


「言葉が通じてるだろう? 聞いたこともねぇ遠く離れた国と、使われてる言語が同じなはずがねぇ」



 言われてみればそうだ。ナチュラルに会話が成立しているから気づかなかった。てっきり異世界転移モノにありがちな御都合主義でも発動しているのかと。



「ギフトの内容に関しては、基本的に本人にしか理解できん。なかには“他人のギフトの内容を見抜くギフト”ってのもあるがな。何が変わったかは、そのうちわかるだろ」


「そっすか」



 一応、納得はしたが涼吾としては胸中複雑である。



(あんまり妙なチカラとか付いてほしくねぇんだけどなー)



 言語能力は必須だし助かるのは確かだが、それ以外にやたら突出した異能がつくのは涼吾にとって好ましくない。

 珍妙なステータスなど、吸血鬼というだけで充分である。


 話の様子から察するに、多少の身体的異常性はスキルと称せば誤魔化せそうだ。こちらの世界で吸血鬼がどんな扱いを受けるかわからない以上は、隠しておいたほうが賢明である。


 ひとまずは正体がバレずに済み、肩の力を抜いて一息つく。




 ――――ぎゅるるろろろろろろぅぅ……。




「…………」


「……元気のいい腹だなオイ」



 気が抜けたせいか大音声で鳴る涼吾の腹の虫。あれからどれぐらい時間が経っているか知らないが、この腹具合からすると丸一日は食事をとっていないだろう。

 成長期の男子としてエネルギー不足は深刻だった。



「……あつかましくて恐縮なんすけど――」


「みなまでいうな。何ぞ食い物でも持ってこよう」



 口に合うかは保証せんがな、と言い含めてブラムは部屋の外へとむかう。


 ……得体の知れない人間相手に、随分と良くしてくれる。裏があるのか無いのか知らないが、とにかく有り難い。



 他人の厚意は素直に受け取るに限る。





「ああそうだ。お前さん、名前はなんていうんだ?」



 扉の前で振り向いたブラムがいまさらに聞いてきた。


 そういやまだ名乗ってなかったな、と涼吾は考える。



「アカネバ・リョーゴ。……ブラムさんには『アカバ』って呼んでもらえると嬉しいっすね」



 希望をまじえたその横顔は、誰よりなにより楽しそうだった。






     ※



 客間をあとにしたブラムは静かに歩を進める。古い廊下の床板は足をのせれば大きく軋むはずだが、熟練の脚捌きは物音ひとつ立てはしない。


 進んだ廊下の曲がり角。客間の扉から見えない死角にさしかかったところで足をとめた。



「……なにをやっとるんじゃお前ら」



 壁に張り付くようにして様子をうかがっていたのは愛すべき孫娘と村の大人が十数人。それぞれが手に鍬やら棍棒やらを持ち、物々しい様相である。



「おじいちゃん! 大丈夫だった!?」



 台所の擂り粉木を片手に孫娘が駆け寄ってくる。他の村人たちも、緊張した面もちでブラムの様子を見守っていた。



「まだ本調子ではないようでな、数日は静養が必要だろう」


「そうじゃなくて! なにも変なことされなかった!?」


「なんだそんなことか」



 不安におののく娘とは対称的にブラムは暢気なものだ。



「危うい感じはせん、と最初から言っておいただろうが」


「そんなのただの勘でしょ!」



 ブラムにしてみれば長年にわたって研ぎ澄ました己の勘のほうが余程信頼に足るわけだが、どうもそのあたりは理解を得られないことが多い。荒事からは縁遠い農民ばかりのこの村では無理もない話だろうか。


 集った村人のひとり、二振りの短刀を腰に下げた青年がブラムに問いかける。



「それで師匠、実際どうなんですか? あの男は」


「うむ。ギフトのおかげか言葉は通じる。聞いたこともない遠い異国から跳んできたらしい」


「……人間、なんですよね?」



 客間を疑わしげな瞳で青年は見やる。随分な言いぐさだが、あの光景を見たのでは無理もあるまい。



「こいつで確認もとった。魔族でないのは確実だ」



 ブラムは懐から取り出した小瓶を振ってみせる。中で揺れる透明な液体はただの水にあらず。


 “聖水”。


 人間には無害だが、魔族に対しては命を蝕む劇薬。カップの水に混ぜて飲ませてみたが、男にはなにも変化は起こらなかった。




 しかし、それでも払拭しきれないものもある。



 かの男は遥か上空から落下し、ブラムの住まいの天井をぶち抜いて、地面へと叩きつけられた。落下地点へと駆けつけた際に見た光景は惨惨たるものだったが、その後に繰り広げられた出来事はその場の全員の言葉を失わせた。



「あんな飛沫状から(・・・・・)肉体を再生させる(・・・・・・・・)ギフトなんて、存在するんですか?」


「わからん。儂も覚えがない。本人にも自覚がないようで、新しく得たギフトなのだろうよ」




 強力なギフトはときに人界を超え、化け物じみたチカラを発揮する。肉体を変質化させるギフトも存在するというし、素人目には判別が難しいところだ。


 加えていうならギフトは確かに神よりもたらされる“祝福”であるが、必ずしもその使い手が相応の良識を備えているとは限らない。異端者として横暴をはたらく者も少なくないのだ。



「大丈夫なのかい?」


「もし、あんなのが暴れはじめたら……」



 ただでさえ閉鎖的な村。“大闇夜の年”に入って不安があおられているところにこの騒ぎ。浮き足立つのも無理はない。



「……ひとまずは、ウチで預かろう。しばらくは様子を見させてくれ」



 異端の者ならば討伐対象だが、そうでないならばむしろ保護の対象だ。手近に置いて、その人となりを確認する必要がある。



「そりゃまぁ、ブラムさんなら滅多なことにはならないだろうけど……」


「少し話したかぎりでは、気のいい男だ。粗暴な様子もないし、育ち自体はいいらしい。下手をうって警戒心をあおる必要もないだろう」



 確認の結果、危険と断じたらすぐに動いて対処できる範囲においておくのが最良だ。幸いにして、この建物自体が有事の際の防衛拠点も兼ねている。ブラムにとってはやりやすい場所だ。



 そこまでいうなら、と村人たちは顔を見合わせつつ了承する。その場で解散となりぞろぞろと出口へとむかった。



「じゃあミリア、飯の支度を頼む。いつもより一人分、多めにな」



 夕餉の準備にはいる孫娘にブラムはそう伝えた。





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