第二十二話
夕刻前になり、帰還したブラムは長老衆に報告を上げた。
内容は、昨夜に涼吾が確認したものとほぼ同じ。森のなかの一区画が大きく荒らされており、木々が何本か幹ごとえぐられるようにして倒されていた。
残された足跡や暴れた痕跡からブラムが推測するにやや大型……身長三メートル前後の人型の魔物、とのこと。
しかし、わかったのはそこまで。局地的に残された暴虐の嵐の跡以外は、手がかりになりそうなものは見つからなかった。
いくらブラムといえども、闇夜の森で魔物を探すのは自殺行為。ひとまずは捜索を打ち切って帰還する運びとなった。
更なる探索は明日に持ち越して、村は厳戒態勢のまま“夜”を迎える。
※
月浮かぶ、真夜中。
ドラクリア村の入り口付近。
「小鬼」
「犬人」
「大喰鬼」
「森巨人」
「あー……っと、大猪鬼」
「蜥蜴人」
「大牛鬼」
「人狼」
「人虎!」
「半魚人」
「えー、あー……食屍鬼?」
「独眼巨人」
「…………あ〜〜、無理。出ねぇよもう」
がしがしと男は頭を掻いて降参する。
焚き火をはさんだ向こう側に座る涼吾は、それを横目に外へ広がる森を見ていた。
「なんでお前そんな魔物に詳しいんだよ」
「基礎知識ってやつですよ。なんなら基本の生態とかから一席開きましょうか?」
「やめろ。この状況でそんなん語られたら三十秒で寝落ちしちまう……」
緊張感と抗いがたい睡魔との板挟みで不機嫌そうな半眼に目をすがめたこの男の名は、ロド。熊のような、という形容がぴったりの丸っこい巨漢である。夜間の見張りの、涼吾の相方であった。
昨夜の異変発生から丸一日。太陽の元で昼を過ごし、ひとまずの落ち着きを取り戻した村ではあるが、再びの夜をむかえた今は、やはり不安がぬぐえぬ空気が充満している。それぞれが家の中に閉じ籠り、それでも安心できないという者はブラム宅の礼拝堂に集まり身を寄せあっていた。
そのなかで若者の中から有志を募り、こうして持ち回りで見張りをおこなっている。
村の周囲は魔除けもほどこされた陣に囲まれているため、侵入のおそれは少ない。よっていくつかある出入り口や家畜小屋の周辺を中心に二人一組で見張りをすることになっていた。
しかし早寝早起きが基本の田舎村の住人にとって夜中に起きているというのはなかなかに重労働だ。さきほどから油断するとロドが手製の槍に寄りかかって船をこぎ始めるので、気晴らしに古今東西でもやろうかと涼吾が発案したわけだ。ちなみにお題は“二足歩行の魔物・魔族”である。
しかし、やはり現代日本出身者との知識量の差は大きかった。魔物に対する知識なら共通項が多いと涼吾は思ったのだが……。
「この辺は日常的に魔物が出るわけでもないからな。冒険者志望でもないかぎりそこまで詳しく学んだりしねぇよ。つーかお前、学生だとかいってたけどなに? 魔物討伐の騎士学校の生徒とかそんな感じ?」
「そーいう殺伐としたところではないんすけど……むしろ方向性でいうと逆、かな?」
表社会の肩書きとしては日本在住のしがない高校生であるが、涼吾は吸血鬼で、怪物である。
いわゆる怪物社会における肩書きや立ち位置もあり、当然ながら人外のもの同士の交流もある。人間のような単一種族で構成された大きな社会ではなく、多様な種族の小さな共同体が寄り集まって構成された社会なのだ。種族によって欠点、弱点、得意分野はもちもん生活様式も大きく違う。それらの知識を学ぶのは怪物間交流の基本中の基本だ。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからずってね」
いやなんか違うか? と自分で言って首をひねる涼吾。
「おお! なんか深いな! 格好いい!」
「……いや俺の考えた言葉じゃないんすけどね」
ロドの反応が好感触すぎて逆に恥ずかしい。深夜帯の奇妙なハイテンションを素面で目にして若干いたたまれない気持ちになりつつ、気を取り直して涼吾は森の奥を見やる。
…………なにもいない。
魔物はいない。魔族もいない。
しかし獣もいない。虫一匹いない。
ただ風に揺れる葉ずれの音だけが、静かに静かに響く森。
「……静かすぎる」
昨夜までもそうだったが、今日はまたことさらに静かだ。それも、ただの静寂とはまた違う。
獣も虫も、姿は見えずともそこにいる。森の随所に隠れている。
それだけなら昨日までと同じ。だが、彼らの発する“音”と“臭い”が変わっているのが涼吾にはわかる。
不安からくるストレスから早まる心音。
にじみ出る呼気からは緊張ゆえのすえた臭いがわずかに混ざる。
見えない何かに恐々としながら、息を殺して眠りについている。
「人も獣も、変わらんね」
しかし、ここまで獣が闇を恐れる様子は涼吾は見たことがなかった。
「……さっきからずっと森んなか見てっけど、もしかして見えてんのか?」
「? そりゃ見えるでしょ。星も出てるし」
吸血鬼ゆえに夜目が効くというのもあるが、これだけ星明かりがあれば普通の人間でも闇に目が慣れる筈だ。
「マジかよ……。俺には門の先辺りから暗くて何にも見えねぇぞ?」
半眼をさらに細めて眼をこらすロド。嘘を言っている様子はない。門の先というと、焚き火の光が途切れるあたりからだ。いくらなんでも鳥目が過ぎる……。
(……いや、待てよ)
そういえば、と涼吾は思い直す。
この世界では二つの太陽が存在し、十年に一度の大闇夜以外は常にどちらかの太陽が空にある。
つまり“闇”が自然発生するのは十年に一度きり、ということだ。
闇が少なく、慣れる機会が少なければ当然、夜目も効かなくなっていく。
見えない領域を過度に恐れるのは生物の本能だ。それはなにも、人間だけに限った話ではない。
(ひょっとしてこの世界の生き物は、極端に夜目が効かないのか?)
そう考えると、死んだような夜の森の様子も合点がいく。夜行性、という生態の概念が根本的に違うのだ。光源が必ず空にあるなら、感覚器自体の長じかたが視覚によりがちになってもおかしくはない。夜と闇が日常的ではない異常事態ならば、その間は活動を控えようとするのは自然なことだろう。
植物が栄えているのも当然だ。この十年間、ずっと太陽の光を浴びて成長し続けていたのだから。そして蓄えた栄養を糧に、この一年を生き延びる。冬眠のようなものだと考えるとわかりやすいだろうか。太古の昔からそうして営んできたのなら、それとともに生きるモノたちの活動もまた、落ち着かざるおえないというのも自然なことだろう。
森そのものが眠っているとするのなら、妖精やあやかしの類いがいないのも頷ける。自然の営みとともにある彼らもまた、眠りについて休んでいるのだろう。
この世界において“闇”とは、共にあるものではなく、ただ過ぎ去るのを待つ一過性の驚異なのかもしれない。
ならばーーーー闇のなかでしか生きられないという魔族とは、果たして如何なる存在なのか。
人が闇と共にあり、その闇に隠れて息づいてきたのが涼吾の先達……地球の怪物たち。しかしその闇すらもごく僅かなこの世界で、敢えて闇に身を潜めるメリットはーーーー……。
『ーーーーーーーー!』
「ッ!?」
と、そこで涼吾は思考を打ち切る。いや打ち切られた。
声を上げるよりも、咄嗟にギフトを発動させる。手首から溢れた流血が宙に広がる。涼吾の側面とロドの頭部を覆うように壁をつくる。
瞬間、閃光と爆音が響く。
それは流血の防壁にぶち当たり、弾けとんだ。
「なっ……!?」
完全に不意をつかれたロドは眼を見張る。流血の壁に当たって砕けたそれは、足元に転がって光を放っていた。
ーーーー蒼い、炎。
焚き火のとなりに転がる欠片は、見たこともないような青白い光を発しながらチロチロと揺らめいていた。
「……ロドさん。走って、伝達を」
涼吾は視線をそらさず端的に告げる。
その先には、さきほどまで影も形もなかったはずのものが居る。
闇に浮かぶ眼光は赤く、口元より漏れ出る燐光は蒼く。
星明かりのもとに映える長毛が肉体を覆い、ピンと立てられた尾の先で揺れている。
目算体長二メートル。銀色の大狼が、唸りをあげて現れた。
次回、vs. 魔狼。久々に戦闘描写の予定。
一ヶ月ぶりの更新。相も変わらずスローペース。
リアルの仕事がうまくいかないと良い言葉がでてきません。orz
転職しようか迷ってます。
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