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第二十話

 陽もとっぷりと暮れて、夜。

 夕げも済ませ、あとは眠るばかりとなったこの時間。


 だがしかし、涼吾にとってはここからが修練の本領といえる時間である。



 あてがわれた小さな一室。藁と布で仕上げた固い簡易ベッドと申し訳程度の戸棚があるのみの部屋。

 開けた窓から差し込む月光。暗い室内に唯一ぽっかりと浮かびあがる木の床板に涼吾は禅を組み座していた。


 結跏趺坐(けっかふざ)。仏教式の瞑想の座法であるが、特に深い意味はない。なんとなくこの方が集中できる気がする、というだけである。


 背筋を伸ばして目を閉じ、瞼の裏で瞳の焦点をできるだけ遠くへ遠くへ延ばしていく。するとある一点で、フッと意識が切り離れる感覚とともに別の視点へと切り替わる。

 森のなかの一本の木。その小さな(うろ)の中。その別の両目が開くと逆さになった視界が涼吾の脳裏に映し出された。


 その視界の持ち主、コーちゃんこと涼吾の眷属たる蝙蝠はひとつあくびをして、もぞもぞと虚から這い出すと月夜の空へと飛び立った。



『おなかすいたー』



 不満げな思念が頭のなかで響く。数日間、涼吾のもとを離れて別行動させていたせいか時間を経るごとにはっきりとした自我が生じてきていた。



『……今日は腹ごしらえ優先でいいぞー。俺も腹減ってるから…… 』


『たいへんだったみたいだねー』


『いや、もう理不尽過ぎて困るよあの爺さん。英雄ったってあそこまでのは地球でもそうそういねぇよ?』



 先日、手刀で斬撃飛ばしてきたあたりからわかってはいたが、やることなすこと無茶苦茶が過ぎる。



ガチで空中蹴って(・・・・・・・・)空跳ぶとかありえねぇだろ。効率無視の完全力業だし……』



 上空の足場を飛び回る涼吾を捕らえるのに大ジャンプしたと思ったら、眼前で空中疾走かましてきたときは流石に目を疑った。異能のチカラを使った様子もなく、ただただ単純に、全力で空中を蹴り軌道を変える荒業。自由に空を駆けるというわけにはいかず、数回跳ねるので精一杯らしいが生身でそれをやってのけるというのが涼吾は信じられなかった。



『そのうち“人体を撃ち抜くのに弾丸など要らん”とか言いだしそうで俺は怖い』


『あとにこでろくしきー』



 ギフト込みで考えると某人界超えの謎体技が三分の二まで体現されてしまっていることになる。諜報とか絶対できなさそうだけどブラムなら不落の神話は打ち立てられる気がした。


 そんな超人爺にのされた挙げ句、兄弟子と仲良く揃って貧相な夕げをつつきハングリー精神を養うはめになって今に至る。精神的に繋がっているコーにもその空腹感はシンクロしているらしく、近場の木に実っていた果物めがけてすっ飛んでいった。見た目は大きなビワに近いそれにかぶりつく。独特の酸味があるが柔らかく、甘い香りが鼻に抜ける。桃とレモンを合わせたような味だ。



『うまうまー』


『見たことねぇ果物だけどイケるよな』



 感覚を共有している涼吾にも充分な満足感を与えてくれた。シャクシャクと食べ進めるコーに身をまかせつつ、思考する。



『……にしても、見つからねぇな。これだけ植生が豊かなら、あやかしの一匹ぐらい住み着いててもおかしくないのに』



 眷属使役の修練と同時に、深夜の森を飛び回るのは人外種族の探索の意味合いが強い。


 元の世界では、涼吾のように人間社会にとけこみ生きる怪物がいる一方で、人の少ない山奥などに昔ながらの隠れた集落をつくって暮らす人外の一団もいた。


 飛騨山麓のスクナの里。

 京都鞍馬、出雲大山をはじめとした天狗郷。

 奥州遠野の河童村。

 九州熊蘇の土蜘蛛一門。


 日本国内だけでも枚挙にいとまがないが、共通していえるのはそうして生きる彼らは基本的に自然の豊かな環境でないと生活できないのだ。

 生い茂る木々、綺麗な水、澄んだ空気。現代の人間の生活圏では手に入らないそれらが、彼らの営みからは切り離せない。それらが豊かであるほどに、彼らは数を増やし栄えていく。

 ここ百年あまりで人間社会に紛れる人外も増えたが、そうやって隠れ住む厭世派のモノたちのほうがまだまだ主流といえた。


 こちらの世界の話に戻ろう。


 コーの視界を借り、数日かけてドラクリア村の周辺を探索してみたが、この世界の自然環境は地球とは比較にならないほどに美しい。科学技術が発達していないせいか、特に植物の多様性と生命力の高さは折紙付きだ。

 村から数十メートルしか離れていない場所でも、緑の濃い匂いが肺腑の中を満たしてくる。生えている樹木や草花の品種は地球と違うようだが、太く根を張り、幹を伸ばし枝をひろげ、肉厚な葉をつけている。なかには花をつけ、実を鈴成りにしているものもある。一時期にこれだけの品種が栄えている環境は地球でもなかなかない。



 しかし、それに反して人外の影ひとつ見つからない。

 怪物どころか、妖精の一匹も見つからない。


 歳経た樹木なら木霊が宿る。

 澄んだ清流には水妖が住み着く。

 空気が絶え間なく流れれば風の子が舞い踊る。


 地球の片田舎ですら自然に見えていた営みが、此処にはない。明らかに異常だった。



『考えられるのは……見つけられないぐらいに隠密性が高いのか。それとも妖精自体が住んでいない、とか……いやそれはないか』



 二つ目の推測は、涼吾の常識からは考えにくいものだ。自然物と妖精は切ってもきれない間柄。片方が在るのに片方が存在しないのは矛盾でしかない。自然が在れば精霊が産まれ、精霊が居れば自然が育まれる。これは地球では絶対的な法則だ。

 これだけ豊かな環境で精霊妖精が存在していないならば、それは世界の理そのものが違うということになり、いささか発想が突飛すぎる。


 となれば、住んでいる妖精たちが全員、能動的に姿を隠している可能性が高い。


 もともと実体をもたない存在である精霊たちは、身を隠すのが非常に巧い。生命体であると同時に自然物そのものに近く、気配とよべるものがほぼ無いのだ。見鬼の才覚があったとしても、ひとたび隠れられたらまず見つけられない。



 しかし、隠れている、となると新たな疑問も生じた。



『わざわざ隠れなきゃならない理由がある、のか?』



 妖精や精霊の類は“不自然”を嫌う。


 それは地球でいえばアスファルトの地面であったり、鉄筋コンクリートでつくられたビルであったり、化学精製の薬品であったり、闇を切り裂く電灯の光であったり。要は自然発生しない筈の、イレギュラーな物品や環境だ。


 地震だろうが嵐だろうが雷だろうが、それが自然の営みなら精霊妖精はなにひとつ動じない。彼らにとってのいつも通りとして受け止める。逃げることも隠れることもしない。


 つまりこの森では、それに類さないイレギュラーが発生している、と考えられる。



『植物の成長具合は問題なさそうだし、水や空気が濁ってる様子もない。これだけ潤沢な環境で、姿を消すなんてあり得るか……?』



 そもそも太陽が二つ在るという突飛な世界なのだ。妖精精霊の営み自体が、地球とおおきく異なっている可能性も否定できないが……。


 考えても答えは出そうにない。判断材料が少なすぎる。早いところ、その辺りの詳しい情報が欲しい。それを補うためにも人外の情報源(ソース)が欲しいところなのだが。



『フツーなら、こういう山には“(ヌシ)”さんぐらい居る筈なのに、それすら見つからねぇとは……』


『……むぐむぐ……もすこしとおくまでいってみるー?』


『いやでもそうなると消耗が激しいだろ』



 涼吾も索敵能力には自信がある。今日まで探した範囲に人外の輩はいないだろう。しかし更に遠くまで探すとなるとコーとの意識共有がうまく働かない。ただでさえ睡眠時間を削り、日中はブラムとフィリオに限界まで絞られているのだ。これ以上は体力的に厳しい。あまり消耗が激しいと日中の生活に支障が出て、怪しまれるかもしれない。



祝福(ギフト)の扱いで、どこまで誤魔化せるか分からねーのが痛いよな』



 今のところ、再生能力と流血操作以外の異能はブラムたちに披露していない。それ以外の異能……霧化も変化も眷属使役も、あまりに吸血鬼らしすぎて表立って使うのは危険すぎる。吸血鬼が魔族……つまりはこの世界の“悪”の象徴であるなら、それに似通う能力は迫害の対象となる可能性が高いからだ。


 なにが困るってこの場合、実態はともかく正体という意味では正解なのだから困る。


 迫害は偏見を生み、偏見は疑念を生んでいく。その先で、涼吾の正体に感づかれるかもしれない。いまの実力なら逃げることぐらいはできるかもしれないが、あまりにリスキーすぎた。



『探し方にせよ身の振り方にせよ、もう少し考えねぇとな』


『……けっぷ。ごちそうさまー』



 コーは咀嚼を終えて小さくゲップをひとつ。皮翼の先でちゃしちゃしと顔を拭いて毛繕いをする。



『そんでー、どーするですかー?』


『そうだな、とりあえず周辺を軽く見回ってくれ。昨日となにか変化があるかもしれん』



 あいさー、と返事を返してコーは飛び立つ。パサパサと羽ばたきの音を静かに響かせて、木々の隙間をぬって進む。








 ……静かな、本当に静かな森だ。


 飛行運動をコーの意識にまかせ、涼吾は極限まで耳を澄ます。




 澄ます。


 澄ます。


 研ぎ澄ます。



 樹の裏、枝の蔭、ウロの中、茂みの下。


 眼には見えない闇の中、頼りになるのは鼻と耳。


 感度を限界まで引き上げて探す探す。

 生き物の姿を。“話し相手”を。


 どんなに身を潜めようと、生きている以上は“音”と“臭い”をもつ。心臓の鼓動。肺腑から出る呼気。にじみ出てくる体臭や血の脈動から居場所を感じ取るのは、地球でとった杵柄もあってかなり慣れてきた。



『……みんな寝てやがら。夜行性の生き物とか、いないのかね』



 しかし見つかるのは会話できるほどの知性がない動物ばかり。それもねぐらで隠れるように身を寄せあっていて、動く様子がまったくない。

 普通の森なら夜といえど、少なからず活動している生き物がいるものだが異様なまでに数が少なかった。コー以外に蝙蝠の一匹すら飛んでいないのだ。


 そんなもの寂しい森をコーはすいすいと進んでいく。小さな蝙蝠であるが、襲ってくる生き物の影すらないので特に危険もない。


 この分だと今日も成果無しか、と考えかけた。そのときだった。ぴくり、とコーの耳に物音が引っかかった。








 ……足音。場所は、かなり遠い。




 ガサガサと草を踏み、枝を折る音。


 荒く、隠す気のない地鳴りを生むような足運び。


 涼吾の感知圏内に、唐突に、現れた。接近の予兆もなく突然にだ。



『かなり、デカイな。しかもこれ……二足歩行?』



 重々しい、ゆっくりとしたリズム。この夜更けに、森のなか、人よりもずっと大きな体をもち二足で歩く。


 人外しか有り得ない。判断した涼吾は即決でその場へコーを向かわせる。


 何故急に姿を現したのか。果たして話の通じる相手なのか。そのあたりの疑問は棚上げにした。手がかりの少ない今、状況を打破する絶好の機会だ。


 直線距離は二百メートルほど。コーの翼なら十数秒でたどり着く。



 しかし、現場を視界にとらえる前に、ひときわ大きな地響きが森を襲った。



 木々を揺るがし山の峰に響く大音響。コーの皮翼を震わせ突き抜けて、こずえ青葉を吹き散らし、果ては麓の村にまでーーーー涼吾の本体(・・)にまで届いてきた。



『っ!? 止まれコー!』



 異常事態に涼吾はストップをかける。近くの枝にとまったコーの感覚器を通して、ざわりと涼吾自身の背中が粟立った。



 二発、三発。地鳴りは続く。


 それと混ざり聴こえるのは、獣の吠える声。

 木々が幹から折れる音。

 そしてーーーー肉を打ちすえ骨が砕ける音。


 やがて広がる、血の臭い。



『っ……!』



 感覚の鋭さゆえに、伝わってくる“暴力”の気配。音と臭いから脳裏で再現される現場の状況は、凄惨の一声に尽きる。


 二発、三発と肉を叩くその者の感情が、涼吾にはわずかながらに察せられた。



 享楽。

 愉悦。



 暴虐を、楽しんでいる者の気配。


 禍々しいその気配に、涼吾はその場に縫い付けられる。姿を隠し、息を殺し、跳ねる心臓をおさえつける。



 ずるずる。ゴキリ。べちゃべちゃべちゃ。



 鈍く、重く、汚い、音。


 胃の腑の周りをなぶられるような、不快感が身を包む。



 やがてその気配の主は、血の臭いを引きずり森の奥へと去ってゆく。数十メートル離れたところで、足音は消えた。出現と同じく、唐突に。



 後にはただ、茫漠とした静寂が残るばかりだった。



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