第十七話
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「……男の悲しみの声は、遠く世界に響き渡り。やがてその“最強”のチカラが、ひとつのカタチをとってふるわれました」
すべてに絶望した慟哭を引き金に発動したチカラは、男の意志を置き去りに、溢れでる感情そのままに。
理不尽への憤り。
喪ったことへの悲しみ。
全てが無為になった空虚。
それらが向かった矛先はーーーー男自身。
「過ぎたチカラが言葉を曇らせるなら、そんなチカラはいらない。過ぎた強さが平穏を遠ざけるなら、そんな強さはいらない。その一念を徹すためだけに尽くされたそのチカラのカタチは、男自身を縛り上げる“呪い”となりました」
その想いが、忘れられることのないように。その身体に、魂に、流れる血潮に、刻み込むように。
そのチカラが何者も傷付けることがないよう“呪い”をかけた。
怪物の、それも吸血鬼の血は、通常の生物のそれとは文字通りモノが違う。
不死身の再生力、眷属の生成、異形への変身ーーーーあらゆる異能の源泉。そして吸血鬼を吸血鬼たらしめるすべての要素がこめられている。本当の吸血鬼にとって、最も重要なのは自分自身の血液なのだ。心臓も脳髄も、それに附随するオマケにすぎない。
それ故に、それが心身に及ぼす影響もはかり知れない。
「男が……俺の御先祖様が生きた時代から、幾星霜。長い年月のなかで“チカラ”は失われていきましたが、“呪い”のほうは変わることなく現代にまで受け継がれている、というわけです」
「それが、アレか」
フィリオは殴られた頬に手を添える。痣にすらなっていない、極めて軽い一撃。その代償に、涼吾の身体は内側から破裂した。
「俺に流れる血は、誰かを傷つけることを赦さない。ヒトを傷付ければ、俺の身体を食い破って倍以上の傷を成す」
ヒトを傷付ければ己が傷付く。
ヒトに害為せば己を害する。
ヒトを殺せばーーーー、己を殺すことになる。
チカラありきの怪物の世界において、一切の戦闘行為を封じる呪いを背負った怪物。
それ故の、“最弱”の称号。
殺戮も、暴虐も、狂乱も。望みようもない身となって生きることを自ら選んだ、いわくつきの一族だ。
「初代がどういう心境だったかは……正直、俺にははかりかねますけど、よほど哀しかったんでしょうね」
自分自身に呪いをかけるなど正気の沙汰ではない。まして子々孫々にまで残るほどの呪いをつくりだすなど、如何に怪物であろうと真っ当な精神状態でできることではない。自分の全てを投げ捨てるほどの、強い強い激情がなければ不可能だ。
会ったこともない御先祖様のことを考えると、そのはた迷惑さに怒り半分その境遇に同情半分で涼吾の顔には苦笑いが浮かぶ。
「そこまでわかってて……なんで、わざわざ……」
「再生能力に関しては確認済みでしたからね。とりあえず、死にゃあしないだろうと思いました。予想より大分激しかったっすけどね」
いや死ぬかと思った実際、とカラカラと笑い飛ばす涼吾に、フィリオは愕然とするしかなかった。
戦いの場に立つ者として、フィリオにも傷を負う覚悟ぐらいはある。痛いだの辛いだのでいちいち騒ぐようなぬるい気構えは持ち合わせていない。
だがそれは戦うことへの、相対した者を傷つける覚悟あってこそのものだ。
命の軽いこの世界でも獣であれ魔物であれ、何かを殺めるというのは肉体的にも精神的にも多大な負荷を強いる。だが相手はそんな躊躇などするはずもなく、こちらの命を狙ってくる。
黙っていれば死ぬしかない。生きたいのなら、戦うしかない。だからこそ痛みも苦しみも耐えられる。
因果応報の言葉どおり、傷付け傷付けられ殺し殺される関係性が両天秤だからこそ、どちらの覚悟も成り立つのだ。
しかし涼吾は違う。
戦わなければ殺されて死ぬ。
戦って相手を傷つければ呪いで死ぬ。
なにひとつ傷つけることも許されない身で戦場に立つなど、フィリオには出来ない。いや師匠たるブラムにだって出来はしないだろう。
ただ死ぬためだけに戦端に立つなどという真似ができるのは、自殺志願者か狂人だけだ。
そして幾度も死に、蘇りを果たしたその男はいま、目の前でへらへらと笑っている。文字通り死ぬほどの痛みを味わいながら変わらぬその顔色が、フィリオには狂人の笑みとかぶって見えた。
「イカれてんのか、お前は」
「さて、ほどほどに正気のつもりですがね。……言っとくけど、好きこのんでやってると思わんでくださいよ? 本音としちゃあ痛いのも苦しいのも真っ平なんすから」
そう言いつつも、その顔色に暗さは無い。軽妙な言葉尻にはあせようもない陽気さすら感じさせる。
「なら、とっとと訳を話して仕舞いにすれば良かっただろう!」
「御指摘はごもっとも。ですが、それじゃあ俺の筋が通らんもんでね」
「“筋”だと?」
なんだそれは、と視線をとばせば、したり顔で涼吾は言い放つ。
「何事も。愉快に、陽気に、オモシロオカシク」
「…………あ?」
空を泳ぐ魚でも見たかのように、フィリオの口が半開きで固まる。
「そりゃどういう」
「言ったままの意味ですよ。愉快に陽気に、“笑いたい”。オモシロオカシク、“生きて行きたい”。俺にとって、この世に在るうえでの第一条件です」
その言葉どおりに、涼吾は空を見上げて笑みを深める。己の行動言動に、嘘偽りないことを示すように。
……人間と怪物の違いというのにも色々ある。
単純な姿かたちや身体能力、生命力、物理学に真っ向から喧嘩を売るような数々の異能。分かりやすいのはそれらのような、外見的な違いだろう。
そしてそれらに附随する部分もあるが、内面部分、つまりは精神面においても相違点は存在する。
喜怒哀楽はもとより、それらを産み出し彼ら怪物の行動規範となるもの。
すなわちはーーーー、“価値観”。
何を願い、
何を求め、
何を望み、
何を喜び、
何を悲しみ、
何を好み、
何を嫌い、
何をもって幸福とし、
何をもって不幸とするか。
その判断基準となるものだ。
怪物は総じて、寿命が長い。千年万年生きるモノも珍しくはない。そんな怪物たちにとって、ただ漫然と、“生きるだけ”の生には価値が無い。
その身を危機に曝しても、死線の一本や二本を踏み抜いてでも、何物にも替えがたい“何か”を求めてこその一生だ、と。
己の深奥から沸き上がる渇望に殉じる、その“生き様”にこそ価値はあるのだ、と。
そんな思考を旨とする傾向が根底にある。
ある鬼は、天災がごときそのチカラで、闘争と戦乱のさなかを駆け抜けるのに生涯を捧げ。
ある獣は、奇術幻術その化けの業で、世に混迷と無秩序を産み出すに一身一生を費やし。
ある妖精は、定めた唯一人に全身全霊をかけた憎愛を贈り、繁栄と滅びをもたらし去って行く。
その行動の多くは、人間の理解の外にある。いや、理解できないからこそ怪物なのだと言えるかもしれない。
怪しなるもの。
その文字通り、不可思議で理解不能なナニカを、ヒトは怪物と呼んできたのだから。
そしてそれは、“最弱”というヒエラルキーの最下層であろうと変わらない。
「やっぱり、御先祖様の影響ってやつですかね。俺もまぁ、ちょいとマトモじゃあない部分もあるんですよ」
涼吾の先祖、茜羽一族の初代とされる男が怪物として求めたのは、“平穏”と“安息”。
幾千の年月を越えて残る“呪い”を生むほどに想い焦がれ、そのために世界を相手に戦い抜いてみせた、最古の吸血鬼。
その血が、涼吾には流れている。
穏やかな毎日を。
心地よい日常を。
誰より何より、愛すること。
それが、茜羽の吸血鬼の生き様だ。
「俺は楽しいことが好きです。愉快なことが大好きです。オモシロオカシク愉快なことで満たされた毎日を、笑って陽気に暮らしたい。そのためになら俺はーーーー何だってできますよ?」
深く意味を孕ませた一言に、フィリオは背中を総毛立たせる。目の前の男が一瞬だけみせた、底知れないナニカが彼から言葉を奪っていた。
「……ま、そう硬くならんでください。少なくとも、あなたがたの害になるようなことはしませんて」
手を振って無害を示す涼吾。フィリオは半信半疑のまま、ようやっと口をひらく。
「お前が、やったことの、どこがどう愉快になるのか。俺にはさっぱりわからないんだが」
手前勝手に納得されても、フィリオからすれば自刃自傷のスプラッタを強制的に見せられただけだ。正直、しばらく夢見が悪くなりそうなぐらい不快である。
そんなフィリオを横目に、涼吾はスックと立ち上がると大仰な動作で両手を広げて語りだす。
「かつて、俺の御先祖様は考えました。この世で最も不幸なことは、誰にも理解されないことだと。自分の意志も、在り方も、正しく伝わらないままに打ち捨てられてしまうことだと」
心の底から平穏を望み、ただそれだけを求めていたはずが、気付けば戦場の真っ只中。欲しいモノは手に入らず、その想いも紡いだ言葉も、なにも伝わらないままに裏腹な結果ばかりが積み上がっていく。
その無念は、果たして如何なるものか。
理解されず、いや理解しようともされず、頭から存在そのものを否定されるその悲しさを、涼吾はよく、知っている。
「俺が“愉快”を徹すのにはそれが要る。伝わらず、燻っているモノがそこにあるなら、俺が紡いで繋ぎましょう」
それが、なにより愉しくーーーー面白い。
幾千年の年月を、チカラを封じたその身の上で、言葉ひとつを武器に生き延びた怪物が、ゆっくりと口角を上げてその本領を覗かせた。




