第十二話
「その赤光の吸血鬼とやらは、やっぱり血を求めてこの村まで来たのか?」
「たぶん、そう。目的があってこの村を選んだわけじゃない……と思う。吸血鬼に襲われて村ひとつ滅ぶなんて“大闇夜の年”なら珍しい話でもないし、“箱庭”から出てきたところが偶然この近くだったんじゃないかな」
しかしこの村と吸血鬼の縁というと、ブラムとの因縁が疑われたこともあった。今から三十年前の“大闇夜”に討ち取った吸血鬼の眷族が復讐に来たのでは、と。
「おじいちゃんはヴァンパイアハンターって呼ばれるようになってから、ずっと心配してたんだ。いつか自分たちの主を殺された復讐に、魔族たちがやってくるんじゃないか、って。その矛先が、自分以外のものに向かうんじゃないかって」
そのために村の防衛を強化し、“大闇夜の年”には必ず村へと帰還して村の守りに就いていた。
しかし、十年前の“大闇夜”ではそれができなかった。高まりすぎたその威名から、国やギルドの拘束と干渉を無視できなくなってしまったからだ。
「冒険者って、危険な職業だから。おじいちゃんみたいに若いころから戦い続けて、今になるまで五体無事に残ってる人って本当に珍しいの。若手の人たちを育てるのも期待されてたけど、おじいちゃん自身がまだまだ現役だったこともあって戦場の最前線に居ることが求められてたんだって」
ブラム自身はそれにいややはなかったが、故郷の村の安全だけは不安だった。だから私費を投じて冒険者仲間に村の防衛を依頼し、留守を任せていた。
「けど、やってきた吸血鬼が強すぎた」
そもそも不死身の魔族相手に戦って、退けるだけでも伝説的偉業。ブラムが見込んだ実力者たちとはいえ、配下を率いた吸血鬼を相手取るのは荷が重すぎた。
結果、なんとか退けることには成功したが村人は少なくない被害を出し、冒険者は全員死亡した。
「私のお父さんとお母さんも、そのときに……」
傷跡を掘り返す痛みに耐えるように、ミリアの声が硬くなる。涼吾はただ黙って、それを見守るしかない。
理不尽に家族を、命を失う。
不慮の事故ならともかく、害意をもった存在からそれらを奪われるというのは、平和に生きる現代日本の“人間”ならば縁遠い出来事だろう。
とはいえ、“怪物”の涼吾には少しだけ身近な話だ。
大切な存在を、一度に大きく喪失する。そんな悲劇に、涼吾も覚えがないわけではない。
けどだからこそ、安易な慰めの言葉は意味がないことも分かっていた。
(それでも、申し訳ねぇって思っちまうのは……勝手が過ぎるかね)
縁もゆかりもない異世界でのこととはいえ、同族のやらかした事態に心が痛む。
どうやらおおっぴらに人間を襲うなどという命知らずな真似をするのが、この世界の吸血鬼の主流らしい。それはそんな真似ができてしまうほどに、人間が吸血鬼に対抗する手段をまだ確立できていないということだ。
敗北を知らぬ圧倒的な強者は、弱者をおもんぱからない。喰う喰われるの関係性ならば、なおのこと。
これは接触するのは止めておいたほうが無難だな、と涼吾は結論づけた。
「で、その十年前の襲撃があってから、ブラムさんは冒険者を辞めたのか」
先を読んでミリアに問えば、こくりと頷いて肯定した。
ブラムが村を離れたタイミングを、計ったかのように起きた吸血鬼の襲撃。
この世界では既に“天災”に近い存在の来訪は予期できるものではなく、ただ不運だったとしか言いようがない。立場上仕方がなかったとはいえ、それで折り合いがつくものでもなかった。
「しかし、あれだけ強くてよく辞められたもんだな。相当引き留められたんじゃないかい?」
こちらの世界の吸血鬼がどれだけ強いかは知らないが、直に相対し殴られた涼吾の見立てでは鬼の四天王あたりとガチンコでやり合えるぐらいの気迫がブラムにはある。間違いなく英雄の器の持ち主だ。現役から退いて十年でこれなら、最盛期はいったいどれだけ強かったのか想像もつかない。
えてして、そういった実力者は一度組織に加入したら抜けようとしてもまず抜け出せない。いなくなれば組織の屋台骨から傾きかねないし、なまじ力があるぶん首輪もなく自由にさせておくのは不安に過ぎるからだ。
集団というのは結束を強めて弱者が身を守ると同時に、そうして突出した個人を縛るものでもある。
「もともと無理をいって遠方の守護を受けさせてた負い目もあって、ギルドのほうは納得してくれたみたい。それでも神殿や王都の騎士団からの説得も、かなりあったらしいけれど……」
「全部突っぱねてこの村に戻った、と。無茶するねぇ」
権力者相手に真っ向から反目するなどという真似は、普通の人間にはできはしない。するのはよほどの傑物か、あるいは後先考えない阿呆だけだ。
「大事にしてるんだな。この村のこと」
喧嘩好きで変わり者な爺さんだが、身内を大切にする心意気は本物だ。
そういう人間は無条件で尊敬できる。少なくとも涼吾はそう思う。
(となると、こっちも本気で応えにゃならんよなぁ)
向こうが本気なら、それと同じだけの誠意でこたえるのが“怪物”の流儀。尊敬に足る相手なら、なおのことだ。
「あの、アカバさん」
遠慮がちにかけられたミリアの声に思考が引き戻される。
「見てるかぎりアカバさんって強いけど、その……戦ったりするのって、あんまり好きじゃない、よね?」
「……そう見えたのか?」
「なんていうか、立ち回り方とかかな。ずっとおじいちゃんを傷つけないように気遣いながら動いてる気がしたの」
なかなか真意をとらえた物言いに、涼吾は目を丸くする。
さすがに英雄の孫か。平穏な村に住んではいても、天性の勘は少なからず受け継がれているのかもしれない。
「そうさな。あんまり、っていうか好きになる理由もねぇよな」
なるだけ荒事を起こさないように、巻き込まれないように立ち回るのが“最弱”の吸血鬼の信条だ。こちらの世界に来てチカラを得てしまった以上、その呼び名も不釣り合いかもしれないが、生き方というのはそう容易く変えられないし、変えるつもりもない。
「なるだけ誰も傷つかず、愉快に陽気にオモシロオカシク世の中まわせていけたなら、って考えてるけど。なかなか上手くいかないもんだ」
「じゃあその、昼間みたいにおじいちゃんと取っ組み合うのって、やっぱり、嫌?」
「嫌は嫌だけど……。だからって背中をむけていられる余裕もないしな」
選択肢というのは平等に得られるものではない。置かれた状況はもとより、当人のもつチカラの如何に左右される。
大抵の場合、“最弱”の涼吾が選べる道は非常に少ない。少ないなりに一番マシな結果を望むなら、うじうじと悩んでいられる暇も無い。
涼吾には、そうした壁にぶつかる機会が普通よりずっと多い。それだけに行動力もあるし、その度に努力したりもする。
しかしそれは、“強くなる”ことには絶対につながらない。
「生き残るための努力は、必要だからする。けどああやって好きこのんで喧嘩をするほど酔狂には――――まぁ、なれないわな」
ブラムのように“強く”はなれない。なりたくもない。
それは茜羽の、“最弱の吸血鬼”の血が許さない。
それが涼吾自身の本音であり、まぎれもない現実だ。
「……そっか」
言葉にしない涼吾の胸の内はわからずとも、詰め込まれたものの密度を感じてかミリアは一度うなづいた。
「私ね。喧嘩してるときのおじいちゃんって、実はけっこう好きなの」
遠く、昔の記憶を眺めてミリアは語る。
「小さいとき、まだおじいちゃんが現役だったころ。年に何度か村に帰ってくると、色々な場所のお話しをきかせてくれてた。南部の村で熊みたいな魔物と喧嘩したとか、王都の冒険者と喧嘩したとか、神殿の神官様と大喧嘩したとか」
「喧嘩ばっかだな」
――――『喧嘩相手を探しに行く』。
村を出立するにあたってブラムが残した言葉に、誇張はなかったらしい。
「遠い街でいろんな人に会って、いろんな人と喧嘩して、仲間になって、一緒に暴れまわって……。いま思うと物騒な話ばっかりだったけど、なによりも楽しそうに話してくれるおじいちゃんが私は大好きだった」
「いまも大体そんな感じに見えるけど」
過去形で語るほど変化しているように涼吾は思えなかった。
「それは、アカバさんが来たからだよ」
「俺?」
実感もなく、繰り返した涼吾の台詞にミリアは頷く。
「おじいちゃん、村に帰ってきてからは畑仕事ばかりで、このあたりは“迷宮”があるわけでもないし普段は魔物も少ないから、戦える相手もいなくて。口にはしなかったけど、きっと窮屈に感じてたと思う。アカバさんが来て久しぶりに見たよ。おじいちゃんがあんなに楽しそうにしてるところ」
「窮屈ね」
たしかに、組み手に際してのあの喜びようは積年の鬱憤を晴らすかのようだった。
喧嘩に、戦いに享楽を見出す。
戦ってなにかを得るのではなく、戦うことそのものを望む。戦うことが生活の一部であり、戦いこそが人生である。
決して珍しくはない。怪物のなかでも、割とよく居るタイプだ。
敵と、災禍と、困難と。戦って討ち倒し、糧にする。
何者よりも鮮明に鮮烈に、弱肉強食を体現するモノ達。
そんな者からしてみれば、こんな何もなく平穏な村に閉じこもるのは退屈だろう。たとえそれが自分で選択して得た結果だとしても、すべてに綺麗に折り合いをつけて仕舞い込めるほどヒトの心は単純ではないのだから。
「アカバさんは、故郷に帰りたいんだよね」
「ああ。むこうに家族も居るからな」
もう少ししたら、帰る手段を探すために出発するつもりだ。いつまでもこの村にいるわけにもいかない。
ミリアは「そっか。まぁ、しょうがないよね」と寂しそうに呟いた。
「でも……それじゃあ、さ。この村に居るあいだだけでいいから、おじいちゃんに思いっきり付き合ってあげてもらえないかな?」
「それは思いっきり喧嘩しろってことか?」
変な言い方だが内容は正鵠を射ていたらしく、ミリアは頷く。
「二代目、とか。名前を継ぐ、とか。そういう小難しい事情もあるだろうけどさ。私はとりあえず、おじいちゃんが楽しそうにしてるところが見たいの。私や、村のためにおじいちゃんが我慢してくれてるのは知ってるし、いま暮らせているのもそのおかげだから止められない。けどやっぱり、できればおじいちゃんにも自由に楽しく笑っててほしいって思うの」
受け取るばかりでなく、なにかを返したい。それが無理なら、せめて分かち合うぐらいはしたい。
そう思うのは、自然なことだろう。
「家族だから、か」
誰にともなく呟いた涼吾の言葉に、ミリアは笑みを浮かべて応えた。
「喧嘩について全否定しないあたり、血の繋がりを感じるねぇ」
「やっぱり、孫だからかな。カルミラおばあちゃんは怒るかもだけど、それも含めて私は楽しいって思えるの。おじいちゃんも、きっとそうだと思う」
殴り殴られ、怒り怒られ、暴れ暴れて。騒々しく落ち着きなく。
けれどそんな日常を楽しいと思えるのならば、それ以上に幸せなことはないだろう。共感し、共有できる者がいてくれるなら尚更だ。
「で、俺をそれに巻き込もうってか?」
「ダメ、かな……?」
ミリアはばつの悪そうに涼吾の顔色をうかがう。
ミリアの言う思いっきりというのは、今度からは手心を加えることなくブラムと相対してほしい、ということだろう。それはブラム自身も望んでいたことだ。
(どうしたもんかねぇ)
“最弱”である涼吾だが、弱肉強食の怪物として世に身を置く以上、荒事の全てを否定する気はない。涼吾自身が矢面に立つのは御免こうむるが、喧嘩を嗜好する者の感情が理解できないわけではない。
だが好き嫌い以前に、喧嘩はできない。そんな“最弱”としての事情はあるが、結局は実演しなければならないだろう。口で説明したところで、理解を得るのは難しい。それぐらい突拍子もない事情なのだ。
(……ま、いいか。一回だけ我慢すりゃいい話だ)
今の涼吾ならば、なにがあっても死にはしないだろう。結果、二代目の話が流れたとしても仕方ない話だし、隠し通すのも無理がある。
なによりここまで真摯に頼まれて、偽りつづけるのは涼吾自身が嫌だ。
「酔狂な人間ってのは嫌いになりきれないからタチが悪い」
ぼやく涼吾だが、顔に浮かぶのは平時と変わらぬ気の抜けたニヤケ面だ。
愉快に陽気にオモシロオカシク。
酔狂な人間に付き合うのも、それはそれで愉快なものだ。
「ま、やれるだけやってみようか」
そう言う涼吾に、ミリアは顔をほころばせた。
それからしばらく、他愛もない話をして過ごした。
故郷の、元の世界のこと。むこうの家族や友人のこと。
軽々に口にできない内容もあり、多少の誤魔化しと誇張を織り交ぜながらだが、それでもお互いに楽しく笑えた。
日も暮れたあと、ミリアと別れた涼吾は広間を後にして、間借りしている部屋の寝床に潜り込んだ。
久しぶりに愉快な気分で、涼吾は心地よい眠りについた。
※
で、翌朝。
今日も今日とて畑仕事に勤しまんとする涼吾の前に、ひとりの男が立ちふさがる。
ブラムではない。涼吾と同じ年頃のその青年は、上背の高い視点から敵をみるかのように睨んで言った。
「喧嘩、しようぜ」
流行ってるのか? その誘い文句。




