第九話
ご無沙汰でした! 10日ぶりですいません!
ドラクリア村の畑は現在、ミルエットと呼ばれる作物が栽培されている。涼吾の世界でいうところの大麦に近い形態をした植物で、大陸全土で広まっている一般的な農作物だ。
成長が早く、春に種を蒔くと夏には収穫ができ、そのまま粥にしたり、挽いて粉にしてパンや麺、すいとんのように調理して食する。シャイナール王国では主食として食卓に上がる穀類である。
今の季節は初夏。収穫手前のこの時期には、風に揺れる青い穂の群れが畑に広がっていた。
しかしながら、今年はいささか陽の光が強すぎる。大気もかなり渇いていた。元来乾燥に強い作物とはいえ充分な育成にはひと雨恵みが欲しいところだが、その兆候もない。ゆえに人の手で水を与えるのだが、これがなかなかの重労働だ。
近くの泉の水を瓶に汲み上げ、大八車で畑まで運び、柄杓で水をまく。人力で運べる量などたかがしれているから、何度も往復することになる。もっと規模の大きな村なら治水工事をなすこともあるだろうが、山間の閑村であるドラクリア村にはそこまでの労を割ける余裕はない。
しかし、ここ数日の光景はいささか毛色が違っていた。
ぱしゃりぱしゃりと、水を蒔く柄杓。その水を運ぶ手桶。
それらが音もなく、畑の周りの宙を飛び回っている。
それもひとつだけでなく、あちらこちらと計六つ。それぞれが一定の範囲に撒水し、桶を空にしては畑の端に置かれた大きな水瓶へ給水に向かい、再び飛んでいく。
「まったく、珍妙な光景だね」
眉をひそめてボヤくのは、あぜ道に立つ黒魔女だ。
「あ、カルミラさん。お疲れさまっす」
大瓶の隣に立っていた涼吾は軽く会釈して挨拶をする。
「不用意に使うのはよしな、とアタシゃ言ったはずだがね」
「返すもんはちゃんと返せ、とも言ってましたよ?」
憎まれ口をきくカルミラに、涼吾は笑顔で揚げ足をとって応える。
「口の回る小僧だね。可愛げのない」
「ま、それが取り得みたいなもんですから」
そう言う涼吾の手もとをみれば、指揮を執るように指を曲げ伸ばししたり左右に振ったりしている。注意してみると、その動きと眼前の光景が連動しているのがわかる。
「あいにく、代価になりそうな持ち合わせがありませんでね。とりあえず“汗”と“血”とでもってお返ししようかと」
「無駄に頓知の利いたことを……」
要は労働でもって返礼するという意味での言であるが、カルミラは飛び交う柄杓と桶をみて鼻を鳴らす。
間近に引き寄せてみればわかるだろう。柄杓の柄に、桶の外枠に、細く赤い線が刻まれている。水に濡れようとも落ちることのないそれは、塗料ではない。涼吾の身体から流れ出た“血液”だ。
「アカバさーん。そっちが終わったら、こっちの畑もお願いします」
「はいーっす」
向かいの畑からの声に応え、血塗られた――――というと何か嫌な響きだが別に血まみれドロドロなわけではなく涼吾のセンスでもってキチンとデザイン調に塗られている――――柄杓と桶をハンドサインで呼び戻す。大瓶から水を追加しようとして、しかし既に空になっていることに気がついた。
「汲みにいかないとか」
涼吾が呟き指を振ると、柄杓と桶がひとまとまりになって地面に降り立ち、整列する。そして手のひらを開き手招きするとそれぞれに塗られた血が剥離し、蛇のような動きで宙に飛び上がった。
飛んだ血液は涼吾の手のひらの上に集結し、テニスボール大の球型にまとまって浮かぶ。
「ほいっと」
軽くスナップをきかせて、血球を今度は大瓶に向かって飛ばす。
一瞬で投網の形状に変化したそれは、瓶に纏わりついてメッシュ状の紋様を描き込む。
再び涼吾が指揮をとると、大瓶はゆっくりと宙に浮き上がった。
――――涼吾がドラクリア村に堕ちてきて、はや五日。ブラムとの拳闘での不調から回復した涼吾は、勤労と現状の整理につとめていた。
まず、祝福について。まだ全てが理解できているとは思えないが、現状で使えるものは大方洗い出した。
第一に、最初にわかった“言語理解能力”。
そして“肉体の再生能力”、“流血を操る能力”、“霧・狼・蝙蝠への変身能力”、“眷属の生成能力”……。
総合して考えた結果、これらは全て“吸血鬼”の異能だった。
それが証拠に、使うたびに腹から湧き上がってきた飢餓感。それがいわゆる吸血への衝動なのは、自ずと理解できた。
ブラムの話ではギフトというのは、その人間の本質的な部分が発露する傾向があるらしい。勇猛果敢な者、気性の荒い者には直接戦闘向きのギフト。手先や性格の細やかな者には技能・知識系のギフト、というふうにだ。
涼吾は異世界生まれの吸血鬼。“最弱”として薄め続けてきたチカラを、ギフトというかたちで一気に取り戻してしまったことになる。
正直、それに関してはおもうところがないわけでもない。しかしここで足踏みしていても何にもならないと自身に言い聞かせ、慎重に把握を始めた。
いま使っているのはそのなかの、“流血操作能力”の応用だ。
“流血操作”は文字通り身体から流れ出た血液を操る能力。
前例通り、使いすぎると貧血状態になるため制御可能な範囲を把握する必要があった。発動しては立ちくらみの向こう側への行ったり来たりを繰り返すこと数十回、吸血衝動を飼い慣らしつつ、ようやく落ち着いて操作可能な分量がわかった。
コップですりきり一杯分。容積にして約三百ミリリットル。
小ボトル一本分かそこらの液体が操れたところでなにができるものか――――と思うかもしれないがどっこい、これがなかなかあなどれない。
ブラム渾身の一撃を難なく受け止めたあたりで予想はしていたが、この能力で操る血液には物理を超えた性質が宿っていた。
イメージに沿って空中を流れる血液は、涼吾が念じれば自在に形状を変える。そして、そのまま空間に固定される。 涼吾が念じて動かさないかぎり固体化したまま、叩こうが引っ張ろうがその空中の一点からピクリとも動かせないし、破壊することもできない。極端な話、浮かせた流血を“足場”にして宙に立つこともできる。
涼吾の感覚をそのまま語ると、“空間というキャンバスに絵の具を置く”ようなチカラだ。
世界を一枚の絵画に見立てて、描かれた人物や風景が現実に存在する物品とする。その絵の上に、赤い絵の具をぶちまけるようなチカラ。絵の中の人物がどう足掻こうとも、描き手である涼吾が塗った赤色に干渉することはできない。それでいて、赤色自体は絵画全体に影響を与えてくる。
(【血液の“支配”】、ってか。らしいけどらしくねぇよなぁ)
聞き覚えのあるフレーズに、涼吾は自嘲も込めて思ったものだ。
とはいえ、使い方次第でかなり便利なチカラなのは間違いない。その利用法のひとつが現在村で繰り広げられている光景だ。
「そんな強力なギフト、荷運びや水撒きに使うなんて聞いたことがないよ」
呆れた様子でカルミラが言うが、涼吾はどこ吹く風だ。
血液、すなわち液体であり、決まった形状をもたない。
セロハンのような極薄状にも、シャーペンの芯のような極細状にもなりつつ、ひとたび形状をかたちづくれば決して壊れない。そんな魔法の液体だ。
そこで考えたのが流血を“手”に見立て、マジックハンドのように扱う方法だ。
涼吾が操る血液は、涼吾の意思以外のものから干渉を受けない。質量も速度も関係無く、だ。
つまり、流血で物品を包み込めば相手の質量に関係なく持ち上げられる。理論的には、どんな重さの物でも。
当初は手のひらそのものをモデルにした血の造形物を使ってみたが、宙に浮かせた際のバランスの関係から全体を薄い膜で包むようにしたほうが安全だとわかり、さらに重心を見極めて包む必要のない部分を削っていった結果、3D画像のワイヤーフレームのような幾何学模様を描き込むことで、最低限の血でより多くの物を一度に動かすことが可能になった。
「血の総量には余裕がでてきたけど、コントロールはまだまだ。もうちょい慣れてくれば、もっと数も増やせると思うんすけどね」
「まだ満足してないのかい?」
「鍛錬は積んでおくにこしたことはないですから」
生き残りのツテもない孤立無援の独りきり。
“最弱”だからこそ常に生存の術を考えつづける涼吾がいま切れる手札は、降って湧いたこのチカラしかない。
「帰る方法を探すにしても、飯の種すら稼げないんじゃ話にならないですしねぇ」
「受けるつもりなのかい? あの話」
「あーいや、それは……ちょっと保留で」
苦い笑いを浮かべつつ、泉のほとりについた涼吾は水を汲み入れはじめる。
自分自身の身体の変化をひととおり確認し終えて、次に涼吾が考えたのはこれからの行動指針。
しばらくはこのドラクリア村の厄介になるとしても、ずっとそのままでいられるわけもない。そうでなくとも、こっちの世界に骨を埋めるつもりは涼吾にはない。金輪際ラーメンも漫画もない生活など涼吾には考えられないし、むこうで待っている連中もいる。
(とりあえずの指針は、元の世界へ帰る方法を探すこと)
そのためには、こちらの世界に来ることになった原因を探るのが一番の近道だろう。
ブラムの話にあった“神の箱庭”。
人間の突発的消失と出現、それにともなうギフトなる異能のチカラの源泉。涼吾がこちらに飛ばされたのにも、かかわっているとみて間違いない。
(それと、キサラと伊紀川……あとついでに天麻のやつもか)
こちらは推測だが涼吾がここに来ている経緯からして、あの場にいた者が同様の現象に巻き込まれている可能性もある。もしそうなら、放っておくわけにもいかない。
(まぁ仮にこっちに来てても、そこまで心配はいらないだろうけど)
主人公体質な悠志は勝手にどうにかしてしまいそうだし、和紗もそう簡単にくたばるタマではない。美咲の状況が唯一不安ではあるが、現状では打てる手立てもない。そもそも、全て推測の域をでない話だ。
それらの情報の収集を、元手無し経歴不詳の身でこなしつつ生活する方法はないか。ブラムに相談したところ、ひとつの方法を示唆された。
それが【冒険者】という職業である。
魔族や魔物、野党に盗賊。なにかと物騒なこの世界では、町村の外にでるうえで一定以上の戦闘力をもつことは必須。しかし商売人や農民にまでそれらを求めるのは酷な話だ。
町々を巡る商隊の護衛や魔物の討伐、そのほか細々とした雑用にいたるまで、さまざまな依頼を請け負って生計を立てる――――まぁファンタジー世界にありがちな職業。それが冒険者なわけだ。
しかしそれら冒険者が掲げる命題のひとつに、“【迷宮】の探索”というのがある。
【迷宮】はこの大陸に散在している森や洞穴などの形態をした不可思議空間で、外観よりも広大な内部構造をもち、大抵の場合は魔物の巣窟となっている。通常とは違った生態の植物や貴重な鉱石も存在し、それらを採集することも冒険者の仕事のうちだが、重要なのはそこではない。
迷宮の奥深くには、恒久的に“神の箱庭”に繋がっている場所があるのだ。
その“箱庭”からの出口は迷宮のすぐ外になっているのが確認されているが、それを見越して“箱庭”に対する調査・研究をおこなう冒険者の一派も存在する。“箱庭”に対する詳しい情報を手に入れるのには、その冒険者たちと接触をはかるのが最適だろう。
職業自体が慢性的な人手不足に悩まされているところもあり、有用なギフトをもつ人材ならまず受け入れられる。試験に通る実力さえあれば経歴不問で、元手もかからない。
ここまでの話だと涼吾にとって好都合なように聞こえる。実際そうではあるのだが、問題はそれに伴ってブラムから告げられた提案だ。
実はブラムは若かりし頃、大陸の各地を廻って数々の魔物を討伐し、ついには伝説級の魔族を討ち取った英雄のひとりとして語られる実力派の冒険者だったらしい。当時に築いた人脈は現在も生きており、冒険者ギルドの幹部級の方々にも顔がきくのだとか。
『アカバが儂の弟子、つまり二代目として師事するつもりがあるなら、そのあたりにも話が通りやすいよう工面してやることもできるぞ?』
情報を集めるならば、コネと伝手は多いにこしたことはない。願ったりかなったりの提案、かと思いきや。旨い話の例にもれず、やはり落とし穴はあるもので。
「もし受けるなら“ヴァンパイアハンター”アカバ、ってことになるのかねぇ」
「止めてください……」
いや本当に、と額をおさえて涼吾はうなだれる。
……こちらの世界で“魔族”とよばれる種族は、涼吾の世界の怪物たちとほぼ相違ない。しかしむこうよりもずっと凶暴で、嗜好性をもって人間を襲う悪辣な存在である。少なくとも、人間のあいだではそう認知されているらしい。
そのなかでブラムが討ち取ったのは宵闇にまぎれ空を駆け、生き血を啜る不死身の種族……吸血鬼。
こちらの世界では、すべての魔族を統べる王族とされている存在。
ブラムはそれを討ち取った、ヴァンパイアハンターだったのだ。
大事なことなのでもう一度。
ヴァンパイアハンターだったのだ!
(…………繰り返したらへっぽこみたいに感じるかと思ったけど、そうでもねーなぁ。えらい危険地帯に放り込まれたもんだ。吸血鬼ハンターとひとつ屋根の下て……)
安全地帯と思っていた場所が実は地雷原だったと告げられたような絶望感。
こちらの世界の吸血鬼がどれだけ強いかはわからないが、そんな大層な肩書きをもっているのならあの強さにも納得である。
とはいえ、別にブラムは吸血鬼のみを狩って生計を立てているわけではない。元の世界の、偏執的な信仰心と変態に近い執着心で迫ってくる時代錯誤な連中とは違う。涼吾の正体にも気づいていないようで、そこだけは安心できた。
正体を隠しつつ名前だけ借りるのは、褒められた行為ではないが実行不可能なわけではない。
(けど、なー……)
たかが呼び名。されど呼び名。とりわけ“怪物”にとって、名前というのは色々な意味で重要なのだ。
二代目を受けるメリットは理解しているが、そのあざなを背負うのは涼吾にとって躊躇いがある。同族殺しの名に忌避感があるのはもちろんだが、それ以上に切実な問題だ。
前時代的な武闘派の怪物ならともかく、“最弱”を張っている涼吾の一族は平穏を求めて人間社会に溶け込むことを選んだ吸血鬼の一派。
怪物としての価値観をもってはいるが、同時にかぎりなく人間に近い“感性”も持ち合わせている。それも突出せず目立たない、一般人に近いものをだ。
さて、ここで問題だ。
Q、一般的な現代日本の感性からして、『吸血鬼のヴァンパイアハンター』とはいかなる存在か?
A、どう考えても“厨二”です。
(高校生で吸血鬼、ってだけでも相当アレなのにヴァンパイアハンターて……!)
どこの機関の最終兵器ですか、という話である。二丁拳銃で暴れまわるフィクション作品は涼吾も一読したが、現代の怪物側の視点からするともはや黒歴史の公開処刑でしかない。
(どう描こうと勝手っちゃー勝手だけど、もう少しイメージってもんを考慮してほしいよなー……)
あんな貴族然とした気取った振る舞いなど、今どきの吸血鬼は絶対にやらない。日常生活で“ござる”口調で喋るぐらい有り得ない。
要は涼吾の感性として、滅茶苦茶“恥ずかしい”のだ。あるいは現在進行形の黒歴史の一員になるのだけは勘弁してほしい。故郷の同族に会わす顔がない。腸転捻起こすぐらい笑われる。
(人間だったら誹謗中傷で訴えられるレベルだよなぁ)
ままならぬ現状に、涼吾の悩みは尽きそうになかった。
いまいち進行の少ない説明回。次回も会話がつづく予定。今後の伏線にもなる内容なので、もうしばらくお付き合いください。
作中のアカバの心情は作者が常々思っていたことです。妖怪とか霊異怪異ってサブカルチャーで好き勝手に描かれているけれど、本人たちはそれをどう受け止めているのやら。
吸血鬼は特に色々パターンがありますが、アカバは小市民の庶民派なので貴族主義的な古式ヴァンパイアにはアレルギー的な拒否反応を示します。過度な期待はしないであげてください。
ちなみにアカバは漫画は好きですが、ディープなオタではありません。




