Act.1-3 反逆の狼煙 ~断の王~
「ようこそ爺。さぁ、話をしようか」
黒尽くめの男は、そう言って軽く笑った。実に楽しそうに、世間話でも始めるような調子で。
一方、ジェルド・ウィステリアは額に汗が滲むのを感じながら、表情が変わろうとするのを押し殺し、この建国以来最大の危機ともいえる「お話」に臨む覚悟を決めていた。
神殿を見渡せば、終始俯いているウィステリアが誇る最高位魔術師達に、地面に伏すシルヴィアの四従士、そして、黒尽くめの男から遠くない位置で、睨むように男を睨んでいる丸腰のシルヴィアが目に入った。
それだけで、ジェルドに現状を認識させるのには十分だった。
オーヴェルの話が、真実でないことを願っていたが…これは…。
「話とは、身になるものであろうな?」
努めて冷静に、平静を装った声が出ていることを確認し、ジェルドは内心で安心する。自分よりもはるかに年の若い相手に対し、ここまで緊張するのはいつ以来だったか。
「なるさ、だがその前に…」
男は笑いを消し、数歩ジェルドに向かって歩み寄ると
「口の効き方がなっちゃいないな」
剣をジェルドに向けた。
「何だと?」
迂闊にも、ジェルドは自らの内で怒りがこみ上げるのを感じた。このような状況では、冷静に対処することが望ましいのは分かってはいたが、本来は使いつぶされる存在でしかない召喚者に上からの物言いをされ、反射的に顔を歪めた。そして、怒ったのはジェルドだけではなかった。
「貴様こそ! 王に向かってなんだその口の効き方は! マリア! ドーチェス!」
シルヴィアの激高が神殿中に響く。
しかし、その激高に水を差すかのように、声をかけられた男女の返答は冷静だった。
「無理ね…悔しいけど」
そう言ったのは、マリアと呼ばれた銀髪の女性騎士。その容貌はシルヴィアに劣らず美しかったが、表情はその輝きに反して暗かった。
「申し訳ありません、王よ。剣としての役目は果たせませぬ」
そう言ったのは、ドーチェスと呼ばれた男性騎士。その身の丈は2mを越え、背中にはその身の丈を更に超す大剣を背負っている。そして、その顔はマリアと同じく曇っていた。
「二人とも…」
二人の無抵抗を受けたシルヴィアの顔は、これもまた二人に負けず劣らず曇っていた。
その淀んだ空気に、ジェルドは柔らかな口調で口を挟んだ。
「良い、シルヴィア。それとマリアとドーチェスも、手は出すでない」
むしろ…感謝せねばな…。
シルヴィアと並ぶ、二人の騎士長、マリアとドーチェスの声を聞き、ようやくジェルドに落ち着きが戻る。シルヴィアが手も足も出なかった相手を前にして、残る二人の騎士長でも相手にならないことは、どうやら当人たちが一番身に分かっているようだった。その様子を見て、ジェルドは改めて目の前の男の危険度を再認識した。
「…済まなかった。許してほしい」
そう言ってジェルドは、大国ウィステリアの王は、素性も知れぬたった一人の男に、その頭を下げた。
「王…」
ジェルドの耳はシルヴィアの悲痛そうな声を捉えた。
自分でも、見っとも無いことさまを晒していることは分かっている。もしも、近隣諸国の他の王にでもこの様子を見られたならば、笑いものになるのは避けられないだろう。しかし、それでも、目の前の男の機嫌を損ねることだけは躊躇われた。
「良いだろう。許してやる」
ジェルドの謝罪を受けて、男の顔に笑みが戻る。
「あぁ、あと、口調は前のままで良いぞ。それなりに芯があるのは分かったからな」
「そうか…」
そのからかう様な言のあっさりとした撤回への憤りよりも、男の怒りを逃れたことに安堵する気持ちの方が大きかった。
「それで、話とやらに移りたいのだが、…その前に名前を聞いても良いだろうか?」
ジェルドは伺うように、慎重に男へと尋ねた。ウィステリアに、最大の危機をもたらした男の名前も知らずに、この先の話になど望めない。そう思ったからだ。それに対し、男は機嫌を損ねることなく、意外に素直にその名を教えてくれた。
「ラグレス、そう呼べ」
「ラグレスか…。性は無いのか?」
「無い。ただのラグレスだ」
「そうか…」
名前だけというのも気になったが、下手に追及して男の機嫌を損ねるのもまずいので、ジェルドは特に触れずに流した。
「次は私だな。ウィステリア第31代国王、ジェルド・ウィステリアだ」
「そうか」
しかし、ラグレスは興味無さげにそれだけ返した。こちらの名前が何であろうと、本当にどうでもよいのだろう。
「して…話とは?」
ジェルドは、そう躊躇いがちに切り出した。ラグレスの目的が、まるで想像も出来なかったからだ。
金か、地位か、それとも元の世界に帰せか? そうは簡単に呼べぬ召喚士をあっさりと帰してしまっては大きな損失だが、しかし、機嫌を損ねてそれ以上の損失を得るよりはましだろう、な。仕方がない。
そう、ジェルドは腹の内で、被るであろう国の損失を強かに計算していたが、しかしそれは無駄に終わった。ラグレスの返答は、計算も何もなかった。
「全てを捧げろ」
「今…何と?」
冷たく、あっさりと言ってのけたラグレスの言葉に対し、思わず聞き返してしまったが、無理もないことだろう。それほどのラグレスの言葉は、ジェルドの計算の外だった。
「聞こえなかったか? 全てを捧げろ。金も、地位も、女も、お前の持っているこの国全てを俺に捧げろ。そう言ったんだ。本当は元の世界に帰せでも良かったんだがな。少し興味が湧いたんで、しばらくこっちにいることにした。その間、俺に不満が無いように尽くせ」
「それは…」
最悪の事態だ…。
ジェルドは心の中で、そう大きく呟いた。
これなら元の世界に帰す方が何倍もましな話だ。まさか、こうくるとは。いや…、想像を避けるあまり、現実逃避をしていただけか…。
そうジェルドは心中で、ひっそりとラグレスの通常ならば拒絶するだろう要求を飲み込みかけた時、一つの声が響いた。
「許さん!」
激高したシルヴィアが、敵意を新たにラグレスへと向け、そしてその口を開いた。
「「「「氷の螺――」」」」
《氷の螺弾》。。
シルヴィアの得意とする《氷の弾》よりも、上級であり、さらに威力の高い攻撃魔法。それの四重詠唱をシルヴィアの口が唱え終わるその前に、その口は一瞬でシルヴィアの目の前にまで移動したラグレスの唇によって塞がれた。
全員が沈黙する。それは口を塞がれたシルヴィアも同じで、しばしの間、何をされているのか理解が追い付いていないのか、固まっていた。しかし、直ぐに意識を取り戻すと、ラグレスを突き飛ばし、羞恥に染まった顔で、唇を手で拭いながら、キッと男を見据えて言った。
「貴様何を…」
そして、そう言い切った直後には、シルヴィアはラグレスの手によって地面へと転がされていた。赤子のように。あっという間に。
「がっ!!」
ラグレスは、地面に倒すだけでは飽き足らず、シルヴィアの腹をその足で足蹴にした。シルヴィアの口から苦痛漏れるも、その目はまだラグレスを睨みつけている。
しかし、その視線が逆にラグレスの嗜虐芯を煽ったのか、ラグレスは口の端を釣り上げてシルヴィアを見下ろしている。
「やはり良いな、お前は。こっちに残ることを決めて正解だな。楽しめそうだ。…だがな、相手は選べ。お前の強さなど、俺にとっては只の羽虫だ」
「私は…負けてなどいない」
苦しげに、しかし不屈の意志を持ってシルヴィアは言い放つ。
「ほぅ」
だが、それすらもラグレスにとってはスパイスでしかないのか、楽しむように微笑んでシルヴィアの視線を見つめ返している。
「お前のような女が屈服した姿は、実に良いだろうな」
「誰がお前などに屈服などするか」
「するさ。いや、させる」
「ぐっ…」
言うと同時、ラグレスは凄まじい圧力を発する。それは実際にシルヴィアを押さえつける足にもかけられたようで、シルヴィアの口から再び呻きが漏れる。
「おっと、力を入れすぎたか。悪いな」
「貴様…」
「何だ、嫌なのか?」
そのラグレスの言葉に、激しい怒りの籠った視線をシルヴィアが向けるも、ラウレスは涼しげな顔でその視線を流した。そして、少しの間、思案にふける様な顔をした後、こう言い放った。
「そうだな。お前は俺が気に入らない。俺はお前を屈服させたい。ならば、改めてお前に汚名を返上する機会を与えてやろう。今日から俺がお前に稽古をつけてやる。もちろんお前は殺す気で構わない。そして、負けた方は相手の言うことを一つ聞く。どうだ? 怖いか?」
もはや、この国に居座ることが前提のその台詞に、しさきシルヴィアは怒りの所為か、二つ返事でその挑発に乗った。
「舐めるな」
「上等。稽古は今夜からだ。場所は…そうだな。練兵場くらいあるだろう。そこでだ」
シルヴィアの強きを味わうかのようにして、ラグレスはしばらくシルヴィアを見下ろしていたが、やがて面を上げ、そして沈黙を守っていたジェルドへと向き直った。
「それで、どうする?」
そう、重い重圧とともに言い放つラグレスを前にして、ジェルドは直ぐには答えなかった。しかし、目の前で、実際にシルヴィアを赤子の手を捻るが如く、あっさりと倒した男を見て、ジェルドの腹は決まっていた。だが、答える前に、一つだけ、ジェルドには通さねばならぬ要求があった。
「一つだけ、頼みがある」
重々しく口を開いたジェルドに対し、ラグレスは機嫌よさそうに返した。
「一応聞いてやる、何だ?」
「この世界は、アヴァリアは、今戦乱の中にある。諸国が互いに互いの領地を食い潰そうと、日々策略と血をまき散らしている。戦乱の世を生き抜くために、様々な国が、わざわざ外の世界から召喚者を喚び、軍備を増強し戦へと望んでおる。それはここウィステリア
も例外ではない。今日、貴様を喚び出したのも、軍備増強のためだ。召喚者はアヴァリアでは一騎当千の存在だからな。どこの国も必死で召喚者を集めておる」
「それで?」
「…貴様が先ほどシルヴィアとその従者を倒す前に殺した男、マルスも我が国が呼び出した召喚者で、そしてまともに使える最後の召喚者であった…。マルスが死んだ以上、ウィステリアは危機に立たされる。召喚者失くして他の国には立ち向かえん。マルス一人でも危うかったが、迂闊に攻め込まれなかったのは山に囲まれた地形のお蔭。しかし、今はもはやその守りも無いに等しい。それほどに、召喚者の存在はこの世界の戦争にとっては重要なのだ。隠しても、いづれはマルスの死は他国へと知れるだろう。そうなれば…ウィステリアは…」
ジェルドは自分の言葉が苦々しい口調になるのを感じたが、止めることは出来なかった、それに反し、ラグレスは納得したような笑みを浮かべる。
「あぁ、なるほど」
その先は、ラグレスは延べず、ジェルドの言葉を待った。そして、ジェルドが口を開き、悪魔へと手を差し出した。
「この国を、導いてくれ」
言いながら、ジェルドは、重い、ゆっくりとした動きで、膝を着き、そして頭を垂れた。
すまぬ…民よ。
「王…」
ひっそりとした神殿内に、誰かの悲壮な呟きが聞こえるも、ジェルドは耐え、ひたすらに頭を下げ続けた。やがて、じっと頭を垂れるジェルドを見つめていたラグレスが口を開いた。
「それは何の為だ?」
推し量るような、今までで一番真面目な口調でラグレスが尋ねる。それにジェルドは間髪入れずに、面のみ上げて言い切った。
「我が覇道のため」
その言葉を受け、表情を見て、ラグレスは笑みを浮かべる。
「全てを捨てるその心意気…気に入ったぞ。良いだろう。その邪道、俺が叶えてやる」
悪魔との契約が成立したのをその耳でと確認しながら、ジェルドは再び頭垂れて、そしてもう一度謝った。
すまぬ…民よ。我が覇道のため…贄ととなってくれ。
「ところで、全てをお主に譲るといったが、王位も譲った方が良いのか?」
面を上げ、すでに立ち上がったジェルドが、場を移すためにその場の処理を部下に命じ終わったころ、ジェルドはさり気なく隣に佇むラグレスへと確認を取った。
譲れと言われてしまえばそれまでだが、自分が王位に就いたまま、ウィステリアが世界を席巻できる日が来るのを目に出来るならばその方が良い。
そういった、半ば諦めつつの確認であったが、ラグレスの返答は予想以上にあっさりとしていた。
「いや、いい。お前はそのまま王座に就いていろ。よく考えたら国の雑務は人に任せた方が面倒くさくないしな」
「お主がそう言うならば、そうさせて貰おう」
王の業務を雑務と言い切るラグレスに対し、思うところが無かった訳ではないが、それでもジェルドはその返答に概ね満足した。そんなジェルドに対し、ラグレスは一足先に神殿の出口へと歩きながらこう言った。
「俺は、そうだな。《断の王》とでも名乗るか」
「《断の王》…か」
その言葉の響きに、ジェルドは遠くない未来訪れるであろうウィステリアの覇権の未来図を重ねながら、ゆっくりとラグレスの後を追って歩き始めた。
ウィステリア王国建国から1800年。
その日、喚び出されたたった一人の黒尽くめの召喚者によって、一日にしてウィステリアは支配された。
そして、翌日、ウィステリアの国中に掲げられた国旗は、ひっそりと黒い剣が一本、堂々と真ん中に描かれたものへと替えられた。
ウィステリアの形式上の陥落、そして再起。
その報は、一月後行われた隣国アゴールとの一つの戦争を以て世界に知られることとなり、アヴァリア中を震撼させた。
《断の王》。
その王の名を伴って。