Act.1-2 反逆の剣
馬鹿な…。
目の前の不遜な態度で自分に剣を向ける男を見て、老人はそれだけ思った。いや、それしか思うことが出来なかった。こんなことは、召喚者が召喚主に対して刃向うなど、不測の事態だった。全く予想していなかった訳ではない。その為に、ウィステリアの最高位魔術師その全ての粋を集めて前回よりもはるかに強力な魔法陣を描いたのだ。拘束力も、強制力も、そして呼び出す召喚者の力も、かの聖国家にも引けを取らぬものと自負していた。操れぬ訳がなかった。それなのに、何がいけなかったのか。それすらも分からぬままに事態は悪化していき、虎の子のかつての召喚者も敗れ、ついにはこんな事態になってしまった。
束縛の無い召喚者ほど恐ろしいものはない。その者が意に沿う者であれば問題はないが、そうでなければ――。
「爺さん」
老人の長考を待ってられぬというばかりに、男は剣を持つ腕を揺らした。
「貴様。どうやって…」
老人に発せれたのは、かろうじてそれだけだった。対して男は楽しそうな笑みから一変、呆れた表情になる。
「どうやって、なんてつまらない台詞が出てくるとはな。予想以上に水準の低い世界に来たみたいだな」
その言葉が老人の癇癪に障り、表情は大きく変えぬも、怒気を孕んだ声で言い返す。
「水準が低いだと? 貴様何を相手にしているのか分かっているのか。不浄の大国、ウィステリアだぞ」
しかし、男は老人の癇癪など知らぬ存ぜぬで冷たく返す。
「知らねえよ」
「何を…」
「良いか、爺さん。勘違いしているようだから教えてやる」
男は老人に向けていた剣を引き戻して肩に乗せ、ゆっくりと老人の周囲を歩き始めた。
「まず、お前らが俺を呼び出したんじゃない。俺がお前らの世界に来てやったんだ。自惚れるな」
「何だと…」
「良いから聞けって」
あくまでゆったりと、優しく諭すような口調で男は言う。
「どんな召喚でもな、その基本は相互契約なんだ。互いに承認が無ければ成功はしない。お前らの描いていたであろう、一方的に呼び出し且つ服従させるなんて離れ業はまずあり得ない。それが出来るとしたら神か自然か、もしくは化け物染みた力の持ち主だけだな。そしてお前らは…」
男は舐めるように周囲を見渡すと
「そうじゃあない」
男に、正面から自分たちの力を否定し、周囲の者らは誰しもが反論を出来なかった。言い訳は意味を成さない。なぜなら現に、目の前を自らの失敗の証が悠々と闊歩しているのだから。しかし、老人のみは、藁をも掴むように、必死に頭を回し、反論の術を探していた。そしてそれを掴むと、自らのプライドを守るように言い放った。
「…貴様の話には可笑しな所があるぞ」
「俺には見当たらないが。まぁ、一応聞いてやろうか」
ともすれば漏れ出しそうな笑いを抑えるように、にやけた口で男が言う。
「貴様は先ほど「来てやった」と言ったな。なら何故、我々の召喚に強制力が無かったならば何故貴様はここにいる。どうして拒まなかった。本当は…拒めなかったのではないか。拒めずに召喚されてしまい、そして今、苦し紛れに我々を謀り、諦めた我々に貴様を元の世界に返させるように画策しているのだろう? どうだ、違うか!」
ウィステリアの最高位魔術師の、その長の誇りにかけて貴様如きに躓くわけにはいかないのだ…!
「哀れだな」
誇りを守ろうと、述べた老人の言の葉の刃は、しかしあっさりと男によって斬り伏せられた。まるでそんなちんけな誇りなど最初から無かったかのように。
「お前は俺がお前らご自慢の魔法陣を切り裂いてやったのを見てなかったのか? そして俺が今こうしてその魔法陣の外を散歩しているのを見れば明らかだろう。 お前らに俺は支配できていない」
男の言葉は、重く、重力のごとく広間に圧し掛かった。老人も自分の論理の儚さに今更気づいたのか、それとも気づきながらもすがっていたのか、とにかく今は歯を食いしばるようにして沈黙していた。沈黙が場を占める。しかし、男はそれを気にすることなく、ゆったりと老人の周りを周りながら尚も語り続ける。一度刺した傷口をさらに剣先で抉るように。
「魔法陣は、召喚者を服従させるための印であり、その効力はそのまま召喚主の力量に左右される。見たところこの魔法陣は爺さんと、そこの雁首そろえた野郎どもが作ったみたいだが、つまりは俺一人の力の方が、お前ら全員よりも上だってことが丸分かりだな」
信じられないが、信じたくは無いが。…そういうことなのだろう。
自らの周りを、悠々と歩きながら高説を垂れる男を認識しながら、老人は静かに自らの敗北を悟った。
男は老人の様子を見てほくそ笑むと、神殿の天を仰ぎ見た。
「この様子だと、今回が初めてじゃないんだろう。この場所はわざわざ召喚のために用意された場所みたいだからな。今までが文句も言えないチンケな奴らばかりで良かったな、お前ら」
天井から先ほど斬り伏せた幽鬼の男に視線を落としつつ、男は言った。その瞳は、感傷などは微塵も携えておらず、ただただ弱者とその結果を見るものだった。
「さぞや今までは楽しかったろうな。弱者を余所の世界から都合を無視して勝手に呼び出し、文句も言わせず服従させ、終いには脳みそを壊して使いつぶす」
「…人道に反するとでもいうつもりか? ふん、我が偉大なウィステリアの糧に成れるのだ。栄誉以外の何物でもないだろう。感謝されこそすれ、恨みなど甚だしいわ」
負けは認めても、老人は今だその精神まで屈服するつもりはなかった。しかし、それは男を前にしては悪手にしか過ぎず、ただの悪あがきであり、男の愉悦を高めるものでしかなかった。
「いや、悪くない。そして、その言葉はそっくりそのままお前たちに返しておこう」
「何を…」
そう老人が言い終わる前に、老人の周りを一周し終えた男が、ゆっくりと再び剣を老人に向けた。
「さて、下らないお説教はここまでだ。お前らの代表を、今すぐここに連れてこい」
悠然とそう言ってのける男に対し、老人とそして周囲の者たちは逆らおうとはしなかった。魔術に携わる者の一端として、自らの力の結晶を行動で、そして言葉で完膚なきまでに否定された今、彼らは嫌というほどに男との力量の差を痛感していた。そして、それ故に、自分たちが何をしようとも、魔術で敵わぬ以上結果は見えていると、項垂れるのみだった。それはある意味、彼らが魔術に従事するものとして仕方がなかった。彼らは魔術で敵を倒せるが、それが封じられれば成す術はないのだ。
そしてそれ故に、魔術が本業ではない者は別だった。
「その言葉、王に対する不敬罪で殺されても文句は言えんぞ」
先ほどまで、沈黙を守っていた騎士の一人が剣を抜きながら口を開いた。それを皮切りに他の4人の騎士も自らの剣を抜いた。
「ほぅ」
彼らが放つ敵意を受け、男は楽しそうに口を歪めた。
「良いだろう。遊んでやる」
「…その笑った顔、直ぐに消してやる」
言葉は短く、しかし確かな迫力を持ってそう言い切ると、騎士らは5人、一斉に男に向かって駆け出した。
位置だけを見れば、男は老人や周りの者を人質に取ることも出来たが、男はあえてそれをせず、向かってくる騎士らを待ち構えた。
騎士らは男の手前でばらばらに散開すると、多方面から斬りかかった。男はそれを余裕の表情を崩さぬまま最小限の動きで躱していく。剣先が顔を掠めても少しも表情を変えはしない。時折避け、時折剣で弾き、まるで剣とじゃれるかのように攻撃を躱していく。
自分たちの剣撃が、しばらくたっても当たらぬことを騎士らは慌てることなく認識すると、その内の二人が一度下がり、三人が男を相手取る間に、剣に手を添えつつ短く呪文を唱えた。
「「剣に力を」」
「付与魔法か…。まぁ、その程度の力は無いとな」
騎士らの唱えた魔法を見て、三人の剣撃を躱しながらやや感心したように男が述べる。
二人の騎士らは男の台詞を意にかけることなく、集中した様子で次々と自らに付与魔法を施していく。鎧、手甲、脚甲、そして肉体。そうして一通りかけ終わると、互いに目配せし男へと突進する。その速度は今までとは比較にならぬほど早かった。
二人の騎士の突進に合わせ、三人の騎士はそれぞれが一太刀ずつ男をその場に留める一閃を放つと、さっとその場を離脱した。そして先ほどの二人と同じように、自らに付与魔法を施していく。
その合間に、二人の騎士は男へと容赦のない剣撃を放つ。一人が頭を狙えば一人が足を狙う。一人が剣を封じれば一人が胴体を貫こうとする。その連携は目を見張るものがあり、息をもつかせぬ高速連撃であった。それは男は知る術も無いが、近隣諸国でも有名なシルヴィアの四従士の名に相応しいものだった。
そしてそこに魔法をかけ終えたらしい三人の内の二人が加わる。その連撃は最早目にも止まらぬものとなっており、実際にウィステリアでは騎士長やウィステリアの騎士団長ですら手を焼くものとなっている。そしてそんな彼らを統べ、尚且つ圧倒する実力者がウィステリア王国騎士団、騎士団長の直属の四人の騎士長が一人、四人の従士が黒尽くめの男を相手取っている内に今なお魔法を練り続けるシルヴィアであった。
《白剣》のシルヴィア。
その実力はアヴァリアの国々にも轟く彼女だが、今、彼女は冷静ながらも心を驚嘆に支配されていた。
まさか…、ここまでの実力者とは…。
目の前で繰り広げられている光景を見ながら、彼女はただひたすらに驚いていた。
彼女の従士は強い。アヴァリアの基準でも彼らが本気で攻勢に出れば敵う者はそれほど多くない。そう認識していた。そして今回もまた、彼女が本気を出し終わる前に、決着が付くものだと思っていた。
何故か魔術師長たちはすっかり戦意を失くしているようだが、自分たちなら負けはすまいと。所詮彼らは兵士ではないのだと。そう思っていた。
だが現実はどうだ。
黒尽くめの男は、速度も、力も、耐久力も上がった自分の従士を、まるで子供に稽古をつけるようにいとも容易くあしらっている。どれだけ彼らが剣を振るおうとも、いまだ一太刀もあの男に入れられていないのが事実だ。そして遂に、従士たちの攻勢に終わりが見えた。
従士らの攻撃に飽きたのか、つまらなそうな顔で男は一人、また一人と一刀の元に斬り伏せていく。その剣は男と違い避けることも防ぐことも出来ず、ただただ彼らを蹂躙していく。
それを見ながらも、シルヴィアの心が揺らぐことはない。じっと集中し、魔力を研ぎ澄ませる。
やがて、最後の一人が斬り伏せられた頃、シルヴィアの準備が整った。
シルヴィアは彼らの掛けた鍛錬の人生を想い、そして嘆いた。
悔しかっただろう。苦しかっただろう。辛かっただろう。歯痒かっただろう。
例え面にその顔を覆われていようとも、シルヴィアには倒れ伏す己が部下の気持ちがありありと想像できた。そして決意する。
私がその憂いを取り除いてやる。
『仲間を想え』
ただ一つ、騎士団長から全騎士に叙任の際に与えられる教えを胸に、シルヴィアは駆ける。その手に、白く光る白剣を携えて。
「討つ!」
「来い」
対する男は、新しい玩具を見つけたと目を光らせてシルヴィアを迎える。そして、一太刀目、シルヴィアの従士よりもなお早い一閃を受け止めた。
「さっきの虫どもよりはやるようだ」
「ほざけ! その口、黙らせてやる」
静かに怒りながら、シルヴィアは剣を押し込む。しかし、男は微動だにしない。
強い。決して侮っていたわけではないが、これは…。
シルヴィアは剣を押し込みながら、改めて目の前の男の手ごわさを再認識する。
一度は援軍を呼ぶ手を考えた。しかし、部下は倒れ、戦えるのは自分のみ。加えて魔術師らは委縮して一歩も動こうともしない。つまり上に知らせる術はない。何よりも、この場を騎士団長から任された身として、簡単に助けを呼ぶわけにはいかなかった。
「はっ!」
気合を込め、剣を力いっぱい押し込むと、シルヴィアは一度下がった。そして、剣構え直すと、再び斬り込む。
それに呼応するかのように、男も初めて自分から駆け出した。それを見ても、シルヴィアの顔に驚きはない。ただ冷静に、しかし熱く剣を振るう。
それが何太刀目か、幾度か剣撃を押収したのちに、シルヴィアは剣を持たぬ左手に魔力を集中させ、そして唱える。
「氷弾」
右手をかざした空間に、小石ほどの氷の粒が十数個出現し、それらが一斉に男へと放たれる。男はあっさりと後退し躱すも、氷の粒は地面へと深く穴を開けており、その威力が当たってはただでは済まないと物語っている。
「まだまだ行くぞ」
そう言って再びシルヴィアは左手をかざす。
「「「氷弾」」」
今度は数十個の粒が空間へと出現する。
「多重詠唱か…。良いな」
「後悔する間も与えん!」
そうシルヴィアが掛け声と共に横に走りだし、そして同時に幾つかの氷弾を男に放つ。放たれた氷弾は、しかし避けられるも、シルヴィアの顔に焦りはない。次々と惜しげもなく氷の粒を放ちながら、再び口で詠唱を紡ぐ。
「「「「「氷弾」」」」」
男の目の色が変わる。その口からはあざ笑う笑みが消え、そして瞳は空間に出現した今までとは比べ物にならない量の氷の粒に固定されている。その数は暴力的なまでに大量で、それらが放たれれば男に避けるスペースはない程だ。
「まだだ」
シルヴィアが追い打ちとばかりに冷たく宣言する。
「氷棘」
いくつも男の足元に打ち込まれた、男の周囲を取り巻く地面の穴から、氷の棘が立ち上り、男の動きを止める。
「これで終わりだ」
シルヴィアは左手を上げる。それに呼応し、空間を埋め尽くす数えきれない氷の粒が男に向かって放たれる。地面は穿たれ、氷の棘は衝撃で折られる。それでもまだ氷の弾丸が尽きることはない。何度も何度も放たれ、地下の神殿中に衝撃音が響き渡る。穿たれた地面からは土煙が舞い、視界が塞がれる。シルヴィアの攻撃はそれでもまだ終わらない。触れたら瞬時に火傷を負うほどに凍てついた剣を構え、男のいるであろう場所へと走る。そして半ば予想通り、土煙が一瞬で吹き飛ばされると、無傷の男がそこにいた。
今までこの手順で殺れずとも、傷を負わなかった者はいない。つまり男は過去最強の危険人物ということだ。
しかし、シルヴィアはその懸念を億尾も顔に出すことなく、構えた剣を男に上段から斬りつける。男はその剣を防ぎ、ふたたび鍔迫り合いになる。その瞬間、シルヴィアが目で笑う。それを見て男が訝しげな表情になるも、時すでに遅かった。
「氷縛」
詠唱と共に、砕かれた男の足元の氷が男の足を固定するように再構成され、氷結する。
「言ったろう、終わりだと」
シルヴィアの左手が上がる。
その直後、男が視線を真上に上げる。
そこには、十数個の氷の粒が今か今かとその時を待ちわびるかのように滞空していた。
「あの時か…」
男の脳裏にシルヴィアが二度目の多重詠唱を唱えた瞬間が思い出される。これ見よがしにシルヴィアの周りに展開された氷の弾丸は囮。本命は男の真上に展開した方の弾丸だったのだ。
「気づいた所でもう遅い」
シルヴィアが左手を振る。それと同時に氷の弾丸が真上から射出される。
殺った。
シルヴィアは半ばそう確信した。さっきの多重詠唱の氷弾と氷棘の連携でも仕留められる自信はあったものの、男は無傷で生き延びた。その原因は詳しくは分からないものの、しかし今度は足を抑え、剣を封じている。その上での氷弾だ。加えて接近しているため、その挙動を見逃すこともない。何をしようと対処し、殺しきれる。そうシルヴィアは確信していた。
その確信は裏切られた。
事も無げに、いとも容易く。
男が言う。
「気づいていないとでも思ったか?」
その瞬間、氷弾が男の脳天を貫いた。そう、シルヴィアは錯覚した。しかし、実際には氷弾は男の頭頂の上、数㎝で何かに阻まれ、そして砕けた。
「なっ⁉」
「次だ」
初めて驚きの表情を見せたシルヴィアを、男の言葉が追撃する。
男は剣を握る手に力を軽く込めると、ふっと剣を前に押し出した。それに合わせて、シルヴィアの剣が押し込まれることはなく、男の剣はシルヴィアの剣を素通りした。
「⁉」
その光景を見ながら、シルヴィアは声を上げることも出来なかった。剣が素通りしたのではない。男の剣が、まるで水でも斬るかのように、一切の抵抗力を敢為させず自分の剣をあっさりと切断したのだ。その動きが滑らか過ぎて、最初シルヴィアは自分の剣が斬られていることにすら気が付かなかった。
馬鹿な!
シルヴィアの剣はウィステリアでも一級の鍛冶師によって造られた、最高級の剣だ。オークションにでも出せば豪邸が3軒は立つほどの値段がする。その剣が容易く斬られた。
「さぁ、次はどうする?」
男のセリフを、シルヴィアの斬られた剣先が地面に落ちる音が彩る。男の放つ威圧感に、シルヴィアは思わず気圧されそうになる。しかし、それを咄嗟に堪え、バックステップでその場から下がる。
焦るな。一旦下がって、動けぬ奴に氷弾を打ち込み、体勢を立て直す。そしてそのまま最大魔法で奴を叩く。剣を斬られた今、それがベストだろう。
気圧されたのは一瞬。シルヴィアは直ぐに冷静に次の手を構築し始めた。それは正しく、適切だった。
相手がその男ではなかったら。
「行くぞ」
その言葉と共に、男が足を固定していた氷に剣を突き刺し、氷が砕かれたと思った瞬間、男はシルヴィアの目の前に迫っていた。
「くそっ!」
瞬時にシルヴィアは詠唱を行う。
「「「氷盾」」」
シルヴィアの身の丈を超える三重の氷の盾がシルヴィアと男の間に展開される。
「中々の展開速度だ。だが足りないな」
男は剣を横に振りぬく。すると、氷の盾は容易に切り裂かれ、シルヴィアと男を阻むものは無くなった。続けて男は剣をシルヴィアの頭を目がけて袈裟斬りで振るう。その速度はシルヴィアの反応速度を超えており、シルヴィアは頭をやや下げるので精一杯だった。
ガキン‼
鋭い金属音と共に、シルヴィアの面が弾き飛ばされ、シルヴィアの顔が露わになる。
男の視線が注がれる。
美しく白い髪。それに合わせてこしらえたかのような陶器のような白い肌。ここが外で日の下ならば、なお一層美しく感じるだろう。顔立ちは人形のように端正で、切れ長の目は意志の強さを感じさせる。
その王国の多くの男を魅了する美しい顔は、今は悔しさに歪められていた。
男に剣を斬られ、魔法を壊され、剣先を向けられ身動きが取れない。
手も足も出なかった…。惜しいどころではない。私は…遊ばれたのだ…。
その事実がなお一層シルヴィアを苦しめるが、下手な動きは出来なかった。代わりにキッと男を睨みつける。
その視線を受け、男は今までで一番楽しそうな笑みを浮かべる。
「上等だ。こっちに来たのも案外悪くなかったかもしれん」
顔から全身を這うような視線にシルヴィアは不快感を覚えたものの、目は逸らさなかった。今や何の抵抗も出来なかったが、視線を逸らすことは今よりもさらに自分を貶める気がして出来なかった。
一通り、シルヴィアを見つめ終わると、満足したのか男は視線を老人に向けた。
「さて、仕切り直しだ。今度こそ、お前らの王とやらを連れてこい。でなければこっちから出向くぞ。色々と破壊しながらな」
かつてこんな事態があっただろうか…。
ウィステリア王国国王、ジェルド・ウィステリアは地下神殿への階段を部下とともに降りながら、考えを巡らせていた。
自室で書類に目を通している時、いきなり魔術師長オーヴェルが血相を変えて現れたかと思うと、至急の用事だと地下神殿へと行くことを求められた。そして道中で聞いた説明は今でも荒唐無稽に感じられた。
曰く、呼び出した召喚者は圧倒的に高位魔術師18名の魔力を上回る。
曰く、四騎士長の一人、かの《白剣》のシルヴィアをいとも容易く戦闘不能にした。
今でも信じられなかった。ウィステリアの規模はアヴァリアの中でも大国と言って良い部類に入る。その高位魔術師と騎士長の一人が相手にもならなかった。もしもそれが本当だとしたら、ウィステリア建国以来の危機だ。王自らがこうして賊の言うとおりに出向いているのがその証拠だ。一応、二人の騎士長を護衛として連れてはいるものの、シルヴィアを歯牙にもかけなかった相手にそれがどこまで役に立つのか。
悔やむべきは、騎士団長と騎士長の一人が遠征に出かけていることだ。もしこの時にいれば、多少は事態が好転したかもしれない。
いや…違うか。
ジェルドは馬鹿ではない。一国の王であり、特に危機に対する的確な判断力は幾度も国の窮地を救ってきた。それ故に、今のこの状況に対しても、比較的冷静に頭が働いていた。
仮に、魔術師長の話が全て真実だったとしよう。敵は恐らく四騎士長と騎士団長を合わせても相打ちに持ち込めるかどうか。更に言うならば、ウィステリアの軍隊を総動員してようやくといった所だろう。そんな相手に戦争を仕掛ける? 馬鹿げている。仮に軍隊を総動員して勝ったとしても、その被害は国を傾けるに十分だ。ましてや今は戦乱の世。軍隊を全て動かすなどそれこそ夢物語だ。では、どうするか…?
半ば答えは出つつも、しかしその期待は薄く、出来ればオーヴェルの話が間違ってることを祈りながら、ジェルドは階段の最後の弾を降り切り、そして広間の中心で圧倒的な存在感を放つ男の姿を目にした。
そしてジェルドは、自らの危機判断が今までと同じように、どうしようもなく正しかったことを知った。
「ようこそ爺。さぁ、話をしようか」
男は不遜に、愉快そうな笑みを浮かべてそう言った。