Act.1-1 反逆の導
アヴァリア、そのロスラルド大陸の東に位置する不浄の大国ウィステリア王国。
戦乱に包まれたアヴァリアにおいて各国が異世界から召喚者を喚び出し、その戦力とする中、ウィステリアもその例にも漏れず、召喚者を自国の戦力としていた。
召喚者の扱いは国によって、それこそ千差万別である。神の如く崇めたり、そこまではいかずとも機嫌を取る為に優遇をしたり、逆に不遇に落としたり、実に様々だ。そんな中で、ウィステリアの召喚者に対する扱いはアヴァリアでも極めて有名であった。
『使い潰し』
喚び出された召喚者は、その一言が的確に当てはまる境遇を与えられる。
ウィステリアは喚び出した召喚者を一戦力として極めて冷酷に線引きをし、人間とは扱わない。
召喚者は人に非ず。
ウィステリアの何代目かの王が発言した、その詭弁とも言える建前により、初めて召喚を行って以来、百を超える召喚者が使い潰されてきた。
ある者は人体実験に使われ、ある者は死ぬまで戦場に立たされ、ある者は玩具として壊された。
自国の民を穢れさせず、汚れは全て召喚者に押し付ける。それが不浄の大国ウィステリア、建国から数百年後に自称し始めたその名の由縁であった。
ウィステリアに召喚される位ならば、他のどの国でもまだましだ。
それはアヴァリアの召喚者らの共通見解である。
そのウィステリアで、今日もまた異世界から駒を喚び出す為の召喚の儀式の準備が着々と行われていた。
ウィステリア王国、その地下神殿。
荘厳な雰囲気に満ちた地下神殿は広く、数百人の兵士が整然と並んでもまだ余るほど空間が確保されている。
地下ゆえに薄暗い空間は、松明の仄かな明かりのみが光源であり、人の視力で見渡せる視界はそう広くない。薄暗さが漂う中で認識できるのは、光源の中心となっている広けた場所と、そこを中心に天井まで並び立つ巨大な乳白色の石柱群、そして広間に佇んでいる十数人のローブを着こんだ人間だけだ。
彼らはみな一応に物々しい雰囲気を発しており、強張った表情からは異常な緊張感が感じ取れる。その張りつめた雰囲気は彼らがこの場所に集う前から続いており、そしてそれは未だ止む気配はない。
やがて、場の緊張感が最高潮に達した時、一人の老人が広間の中心へと歩みだした。老人の装いは、一見して神職に就いていることが分かる服装だった。白を基調としたローブを羽織り、決して下品ではなく、神々しさを感じさせる程度に金の装飾を身に着けている。
老人は齢を感じさせぬ力強い足取りで進み続けると、やがて広間の中心に描かれた壮大な魔方陣の手前で歩を止めた。そのまま老人は魔方陣の周囲を円に添うように歩きながら、入念に視線を走らせる。仮に一か所でも陣の描き方が間違っていえば、想像するだに恐ろしい結末が待っていることは分かりきっているからだ。それ故に老人のチェックは厳重にならざるを得ない。
魔方陣を一周し終えると、固い表情は崩さずに老人は周囲に目くばせをする。それを受けて他の者らが魔方陣に沿う形で等間隔に散開し、配置に着く。一部、魔法陣からやや距離を置いたところに佇む数人は微動だにしないが、その服装は魔方陣に散開する者らのローブとは違い、鎧を着こんでいることから騎士階級であり、この儀式の形成には関与しない役職であることが分かる。
老人も自分の配置、魔方陣の上の座へと着き、周りの者も準備できたことを確認すると徐にその口を開いた。
「始めるぞ」
老人は物理的な圧力を伴っているかの様な、低く響く声でそれだけ言った。それ以外は要らないとでも言うように放たれた言葉は、実際に周囲の者をたった一言で動かした。
誰からともなく、皆が一斉に一つの口で発しているかのように寸分違わず言葉を紡ぎ出し始めた。魔方陣の円周沿いから同時に放たれた言葉は、その円の中心でぶつかり合い、混ざり合い、溶け合っていき、一つの呪文となって紡がれていく。反響し合う音は神殿に響き渡り、まるでここだけが世界と切り離さていく様な感覚を聞く者に抱かせる。
呪文は紡がれ続け、そして現実に空間に変化が起こり始める。魔方陣が輝き始め、その円周沿いにいる者たちを包み込み、広間を照らす。松明の光も飲まれ、魔方陣の輝きだけが辺りを照らす。しかし、その光は決して眩しくはなく、妖しい柔らかさを以て周囲を包む。
老人らは尚も言葉を紡ぎ続ける。その額には少なくない汗が滲んでおり、精神的に疲労しているのが見て取れる。それでも彼らは呪文を止めない。絶え間なく口を動かし、息をする間も惜しんで吐き出し続ける。
やがて、待ち焦がれた変化が現れた。魔方陣の中心にうっすらと、仄かな白い光が現れ始める。光は粒ほどの大きさから次第に形を変え大きくなっていく。大きくなるごとにその輝きは増し、魔方陣から立ち上る光さえ飲み込んでいく。極限まで眩くなった輝きは広間の全てを包み込む。いつの間にか音は、呪文は消えていた。老人を筆頭に、呪文を紡いでいた者たち全てが言葉を紡ぐのを止め、固唾を飲んで光を見守っているからだ。
光は、限界まで空間を照らし切ると、やがて収束を始めた。見る見るうちに小さくなっていく光は、そのうちに人間大の大きさになり、そして正に人の姿を模し始める。
誰かが溢した。
「成功した…」
その呟きの余韻が消え去ると同時、魔方陣から発せられる光は止み、また中心の白光も輝きを失った。そして白光の代わりに、そこには一人の男が立っていた。
男は、一言で言えば黒かった。肌がでなく、その装いがである。
黒い漆を塗ったかのような鈍い輝きを放つ鎧に、場の主導権を取り戻した松明の光を根こそぎ吸い取ってしまうかのような肩を越える波打つ黒い長髪。広間の薄暗さにも関わらず男の黒さはなぜか場に溶け込まず、むしろ異様な存在感を持って周囲の者の視線を吸い寄せている。まるで白光が消えたのは、彼が吸い込んでしまったかのように。
「成功だ」
今度は先ほどの呟きよりも力を込めて発せられた。その言葉を皮切りに周囲の者ら、そして鎧の騎士からも口々に歓声が上がる。それは場を弁えた決して大きくはないものであったが、そこからは彼らの喜びようが察せられた。ただ一人、高位の老人を除いて。
老人は鋭い眼光を黒尽くめの男に向け、観察するかの様に嘗め回す。
……及第点は超えたといった所か。
観察の結果、老人は男をそう評価する。見た目だけでなく、男は手練れの雰囲気を伴っているため、一先ずは老人の眼鏡に適ったようだ。現に今も男は突然呼び出された今も慌てることなく落ち着いている。その目線は魔法陣に注がれていることから、どうやら冷静に現状の把握を行っているのだろう。
まぁ、これだけの労力と対価を払っておるのだ。役に立つ駒でなければ困るがな。一先ずは安心――。
そこで老人の思考は遮られた。男が明確に動きを見せたからだ。それに釣られて皆の視線が、その一挙手一投足を見逃すまいと男に注がれる。
男は、そんな視線を気にすることなく腰に下げた剣を抜いた。その剣は刀身が黒く、華美な装飾などは施されていないものの、自然と周囲の視線を集めた。男は黒剣を構えたまま周囲を眺め、そして老人の所で目を止めた。
何をする気か…。
男の異様な雰囲気に老人がそう思ったのも束の間、男はにやりと口の端を上げると、軽い動作で剣を振った。
「なっ!」
老人が声を上げた時には、時すでに遅く、男の太刀筋から発生した何かが魔法陣を切り裂いた。
「まさか…。有り得ない……」
驚愕に包まれた声が老人から発せられる。
何故だ⁉ 魔法陣に間違いは無かった。召喚の手順も間違えていない。何一つ間違えてなどいない! なのに、どうして奴は抗える……‼
老人も、周囲の者も皆一様にその表情を固めたまま動けない。違うのはたった一人だけ、相も変わらず楽しむような笑みをその顔に携えた黒づくめの男のみ。
魔法陣を切り裂き、完全に拘束から逃れた男は、やがてゆっくりと魔法陣外へと一歩踏み出した。
その動きを見とめ、老人が咄嗟に指示を出す。
「奴を放て‼」
老人の大声に、すっかり場の空気に呑まれて固まっていた騎士の一人がハッと我に返り、短い呪文を唱える。
それに呼応するかのように光りだしたのは、騎士らの中心で一人佇んでいた男の首輪だった。男の顔に覇気はなく、その瞳はすっかり生気を失っている。その代わりにとでもいうように、首輪の光が鼓動のように脈打ち始める。それに応じて幽鬼のような男が黒尽くめの男に向かって一直線に駆け出す。
その動きは顔つきに似合わず俊敏で、今にも魔法陣から外へ出ようとしていた黒尽くめの男も足を止め、楽しそうに笑みを見せた。
幽鬼の男が剣を抜き、一閃二閃と切り付けはじめる。それに黒尽くめの男も黒剣で応じ、今度は逆に一閃を切り返す。その威力は幽鬼の男のそれとは桁違いに強く、たった一斬りで幽鬼の男を弾き飛ばした。
弾き飛ばされた幽鬼の男は、しかし躊躇うことなく再び攻勢に移る。黒尽くめの男は余裕の笑みを浮かべたまま応戦し、何度目かの剣戟の後、幽鬼の男の剣をあっさりと弾き上げると軽い動きで男の腹を袈裟切りに斬りつけた。
それはどう見ても致命傷だった。しかし、幽鬼の男は表情を変えることなく再三攻撃を続行する。それを見て黒尽くめの男は怪訝な顔をし、やがて合点が行ったというように言葉を溢した。
「あぁ、そうか。脳味噌を壊されてやがる」
そこに同情するような響きはなかった。
「面倒だな」
黒尽くめの男は小さく呟くと、先ほどとは段違いの速さで瞬時に幽鬼の男に斬りかかった。幽鬼の男はその速度に反応できず、一太刀目で剣を持つ腕ごと両腕を斬り飛ばされ、二太刀目でその首を飛ばされた。
幽鬼の首はそのまま宙を舞い、切断面からは鮮血が舞う。首を失い、意識を失った体が倒れると、それと同時にその首は地面に落ち、転がった後に老人の足元で動きを止めた。
老人はそれを見て、愕然とした表情で一言も発せずにいる。対して黒尽くめの男は、今度こそ魔法陣の外へと歩き出す。周囲の者は何も出来ず、ただじっと見ているだけだった。
コツコツと男の足音だけが広間に響く。やがて、男は老人の前までやってくると、その手に持った剣をすっと老人に向け、変わらない笑みでこう言った。
「さぁ、爺さん。お話と行こうか」
ゆっくり、でも確実に書き続けられたら良いなーって、今ここに決意表明します。多分。