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アーシャラフトの花嫁  作者:
あなたへの呼び声
41/69

 夜を待つばかりの礼拝堂には紅の光が差し込んでいる。さざ波の音が耳を打つそこに、ソニアとクラウディアの他に人影はなかった。

 身を寄せるようにして長椅子に腰を下ろすも、互いに互いの顔を見ない。お使いを済ませた後の食事時は散々なものだった。大声で叱りつけるミセラを前にソニアはひたすらにうつむき続け、クラウディアとアルバは無言を貫いた。クラウディアに促され、周りに当たり散らさんばかりの様相でミセラが、彼女に続いてアルバが出て行ったあと、礼拝堂には居心地の悪い静けさが漂っていた。

 母の存在を伏せたままソニアが経緯を話し終える。クラウディアはもう一度口を開くまでに長い沈黙をおいた。

「危険なことだとは理解していたのね?」

「はい」

「あなたはよく理解した上で、ひとりで裏通りへ向かった」

 こくりとうなずく。

 まるで記憶を確かめるように、厳かに、丁寧に。クラウディアのあくまでも穏やかな口調は、ソニアにより一層身を縮ませる。単純に謝っても許してはもらえないだろう空気があった。

 瞳を閉じて考えこみ、クラウディアは絞り出すようにして言う。

「貴女には花嫁の地位というものがあるの。私たちが心配するのは勿論、貴女に危機が及ぶようなことがあってはならないのよ。それぐらいはわかっているはずね」

「……すみません」

「なにか理由があった?」

 首を振った。アーシャラフトを追われた母との邂逅が、教会の側に立つ彼女らに快く受け入れられるものでないのは考えるまでもないことだった。伺うような視線を感じたが、ソニアは頑なに口を閉ざす。結局、クラウディアが困り果てたように深く息をついて、仕方がないわね、と呟いた。

「アーシャラフトの迎えが来る日まで、貴女の外出を禁じます」

「そんな、クラウディア様!」

 弾かれるように顔を上げると、形のいい眉を寄せたクラウディアと目があった。曲がらない意志の光をそこに認めて、ソニアは言葉を失う。

「私には貴女を無事に送り返す責任があります。……分かってくれるわね」

 唇を引き結んだまま目を伏せる。やがてその口からはいと小さな返事が発されると、クラウディアはほっと息をついた。

「ともあれ、今日はありがとう。疲れているでしょう、ゆっくりお休みなさい」

「はい、……失礼します」

 ぺこりと頭を下げてから礼拝堂を離れ、まっすぐに与えられた部屋へと戻った。最奥に設えられた簡素なベッドに身を横たえると、再び起きあがろうとするだけの気力はたちまち霧散する。無心で毛布に顔を埋めていたが、自然とやつれた母の姿が頭に浮かんだ。

(あんなに、小さかったっけ)

 幼い頃、捨てられるその直前までは、母という存在はソニアにとって唯一であり、半ば崇拝めいた感情を抱かせるものだった。刹那的な生き様にすれ違いを覚えてもそれを口に出すことはなく、世を捨てた亡霊のように日々を送る彼女を一心に慕うばかりだったのだ。

 ところが、あの姿は。

 ソニアは息を詰める。――母は変わらない。ならば変わったのは自分のほうだ。二度目に見た修道院が両の目に小さく映ったのと同じ、視界が開けただけのことにすぎない。

 苛むような胸の痛みに、毛布をきつく握りしめた。吹き付ける潮風が窓を叩く。

 もう彼女に会う機会はない。修道院から出ることの無いまま残りの三日間を過ごし、アーシャラフトへ帰ることになるだろう。そしていつまでも拭えないしこりを残したままで生きてゆくのだ。

(……駄目だ、そんなの)

 会いに行かなければいけない。ふたたび顔を合わせて交わす言葉が見つからなかったとしても、クェリアに後悔を残していきたくはなかった。

 押し殺していた息を限界まで吐き出して顔を上げ、胸元の銀薔薇を握りしめる。ファルツの血を引く者の証を携えていても、ソニアの母は一人だけだった。アーシャラフトを追われ、夫を喪いながら、十七になるまで自分を育てあげたか細い女性、マーシアその人。代わりなどいようはずがない。

 体を起こす。窓越しに映った海は寂しかった。藍色の空を覆い隠すように薄く雲が立ちこめ、月の光は海に届かない。部屋の前を行き過ぎる修道女たちの足音は絶え、耳に流れこむのはとうとう波の音のみとなる。孤島にひとり取り残されたような静寂のなか、ソニアはいつまでも外を眺めつづけた。




 一日が過ぎ、二日が過ぎた。

 機会を待ちながら修道院に留まるソニアを縛り付けんばかりに、クラウディアは山のような仕事を与えた。それが監視の代わりなのだと思い至るのは当然で、しかしソニアに首を振ることなどできるはずもなく、言われるまま働くほかになかったのだった。

 廊下ですれ違うたびに受けるミセラの非難の視線にはどうしても慣れない。理由を話せばあるいは、とは思うだけに留まった。そうして終えた帰還の前日も、ソニアはついに修道院を抜け出すことのないままだった。

 クェリアを訪れて五日目の太陽が、海に隠れたままその光だけをのぞかせる。他の誰よりも早く目を覚ましたソニアは、そろそろとベッドから起き上がった。這い上がった冷気に耐えながら毛布を整え、よし、と呟く。

 ソニアを除き、修道院で最も起床が早いのはクラウディアだ。もちろん彼女の目覚めを待っている暇はない。細心の注意を払って足音を消し、廊下を抜ける。修道院の扉を開け放って飛び出すと、数日ぶりに踏みしめた白煉瓦の道がくぐもった響きを足に伝えた。

(確か、町の東のはずれだ)

 アーシャラフトを発つ前に一度クェリアの町の地図を確認している。北と東に門を持つ港町の全景を頭に思い描いて、辿るべき街路を確認した。踏み出してから修道院をふり返る。

「すみません、クラウディア様」

 彼女だけではない。突如広場を離れた先日のように、ミセラ達にもまた心配をかけるだろう。戻ってきてから叱られるだけの覚悟はできているが、それだけが気がかりで足は鈍くなった。

(行かなきゃ)

 翼を広げ、かもめが空を渡っていく。甲高い鳴き声は海を切り裂くようだ。迷いを振り切るように鋭く息を吐き出して、ソニアは地を蹴った。

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