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アーシャラフトの花嫁  作者:
花嵐の娘
40/69

 鳴き交わす海鳥の名を尋ねれば、ですってよ、と青年のほうへ問いを投げられ、あれはカモメだとようやく答えが返ってくる。海辺を飛び交い、少しでも油断を見せた船乗りから小魚を取り上げていくのだと。

 アルバという名は鳥の名をもじったものであるようで、それもあってか彼は鳥の話をすることが好きであるらしかった。どうでもいいわと聞き流すふりをするミセラが、中断はしないで耳を澄ましていることには傍目から見ていればすぐに気付く。最後まで聞き終えた彼女が誤魔化すように彼を見上げた。

「それより、あなた、やるべきことはわかっているんでしょうね」

「お前たちの護衛と目付け役」

「大事なものが足りないじゃない。荷物持ちよ、私たちに重いものを担がせるつもり?」

 ほらこれ、と鮮やかな色の果物が詰まった紙袋を彼に手渡し、ミセラは身を翻す。その調子で露店をいくつか回れば、あれよあれよという間にアルバの両腕はふさがってしまった。少しでも手を貸そうとすれば先をゆくミセラに袖を引かれるので、どうやら彼への配慮は皆無であるらしい。

 人のすき間を抜けるミセラの足に迷いはない。さらに大股で進むものだから、街を歩き慣れていないソニアでは彼女に追いつこうとするのがやっとだった。目を離せばすぐにその背を見失いそうになる。市場の人ごみを抜け広場にたどり着いたころには、ソニアの息はとうに上がってしまっていた。

「どんくさいわねえ」

「あなた、みたいには、いかないわ」

「私だって少し前まで箱入りだったんだから。あなた運動不足なんじゃなくて?」

 ソニアは頬を膨らます。やや遅れて広場までやってきたアルバが、抱えこんだ荷物を一度ベンチに下ろした。

「人に荷物を持たせておいてよく回る口だな、うん?」

 山のようとは見たままの感想だ。クラウディアも三人で持ち帰ることを意図して頼んだ量だろう。彼の腰には用心にと剣が提げられているが、護衛などという役はあって無いようなものだった。

「帰りは手伝いますね」

「いや、いい。このまま運ぶ。剣も必要なさそうだしな」

「本人もこう言っているから、放っておいていいわよ」

「お前はもう少し働くことを覚えろ」

「なにか言ったかしら? 訛りがきつくて聞きとれないわねえ」

 遠慮のない言いあいに、ソニアはつい噴き出してしまう。同時に不機嫌そうな視線を投げてくることさえおかしかった。こらえられずに笑いの衝動を引きずっていると、ミセラにはもういいとばかりにため息をつかれる。「好きに笑ってなさい」と言ったきり荷物の点検を始めてしまった。

 果物を始めとした野菜や海産物などの食材、そして春を待って蒔くという花の種。これはクラウディアの趣味のようで、種類の見分けがつかないミセラたちでは言いつけられた品名を店主に告げるほかになかったのだった。小分けにされたそれらを見ても、やはり違いがわからない。

 指をさして一袋ずつ確認をしていたミセラが、突如あっと声を上げる。

「綿糸がないじゃない、魚も足りないわ」

「お前の責任だぞ、買い物担当」

「ただの荷物持ちは黙っていてちょうだい。はあ、買ってくるしかしかないわね」

 疲れた様子でミセラが首を振るのを見て、ソニアは苦笑する。

「それならわたしが行くわ、なにもしていなかったし」

 今度はねめつけるような視線を受けることになる。ソニアは慌てて付け足した。

「買うものはわかっているから、ひとりでも大丈夫」

「却下、よ。さっきも人ごみに呑まれかけていたじゃないの。私たちで行ってくるから、ここで待っていて」

「でも」

 いいからと眼前に指をさし向けられ、言葉が続かなくなる。

「ここで、荷物の、見張り。わかった?」

 子供扱いを受けているのではないか。唇を尖らせ、それでもソニアはしぶしぶうなずいた。ミセラは鼻を鳴らし、決して動かないこと、危険を感じたらすぐに助けを呼ぶことを言いつける。ソニアがそれぞれに了解したところで、彼女はアルバを連れだって市場へと舞い戻っていった。ふたたび言いあいを始めたのが遠くからでもうかがえる。

 彼女らの姿が見えなくなったところで、荷物の隣に腰をおろす。途端に深い息が漏れた。

(いいな、なんて)

 思ってしまった。

 気心の知れた相手と、砕けた言葉を交わす。悪口じみた冗談を言い合えるのは、そうしても関係が変わらないと確信しているからこそだ。

 頭の隅で考える。敬語でもかまわない、ラクスと笑いあうことができたなら、と。うまく冗談を言えるほど自分も彼も器用ではないだろうけれど、想像することならできる気がした。

(なにを言おう)

 クェリアで学んだことを。海の広さに驚いたことを。カモメのこと、市場のこと、彼の母親のこと――そして、ミセラたちのことを。思いつく限りの土産話を持って、アーシャラフトに帰ろう。彼の故郷がどれだけ素敵な場所であったのかを伝えられるように。

 頬が緩みそうになって、ソニアは手のひらで口もとを覆う。誰が見ているわけでもないのに恥ずかしくなって、荷物に目をやった。何気なくその向こうの気色を視界に入れて、凍りついた。

(う、そ)

 横切った影には見覚えがあった。震える膝で立ち上がり、走り出す。

 導かれるように、引きつけられるように、足は速度を上げた。歩幅の狭い彼女の小さな影を懸命に追いかける。あのころはそんなふうに歩く人じゃなかった、別人だ、そうであれ、と強く願いながら。目の前のものを信じたくなくて、胸は痛いほどに鼓動を早く刻んでいた。広場をそう離れないうちに距離はぐんぐんと縮まる。今なら声が届くだろう。どうか、とひときわ強く祈った瞬間、彼女がふり向く。――息ができなくなった。

「…………あ、あ」

 力が抜ける。二歩、三歩、と後ずさった。

 毒々しいまでの唇の赤さと気だるげな瞳。手入れの届かない黒髪は、粘りつくような艶を帯びる。触れれば折れてしまいそうなほどの風体に、染みやほつれだらけの服。なによりも彼女の顔は、アーシャラフトにたどり着いたころのソニアによく似ていて。

「おかあ、さん」

「……ソニア?」

 呆けた声で名を呼ばれて、胸が詰まった。

 彼女の姿はとても小さい。ともすればソニアのほうが背は高いのだ。それどころか町娘と同じほどの体つきを得て、髪は整えられ、血色のいい顔で彼女と相対している。変わり果てた娘の姿を上から下まで時間をかけて見つめ、母親はひとつまばたきをした。

「あなたは、ソニアなの?」

「おかあさん……お母さん、わたし」

 証明しなければと思う。けれどそのためのものを、ソニアはひとつとして手にしていないのだ。母から与えられたものは十数枚の銅貨だけで、もはや船賃となって消えてしまっている。着たこともなかった修道服を身にまとい、高価な銀の装飾品を首にかけて、これではまるで別人だ。

 震えながらうなずいて、口を開く。

「信じて、くれる?」

「ああ、ソニア、あなた」

 あかぎれだらけの手を伸ばして、彼女は寸前で触れるのをためらった。それを引き寄せ、胸に抱きしめる。ソニアのものよりもずっと冷たかった。ぼろぼろで、傷ついた母の手。捨てられた日から変わらない手だ。

「たくさんのことがあったの。……嘘だって、言うかもしれないけど」

 どうしていただろうと思い浮かべる。あのころの自分は、母に笑いかけることができていただろうかと。不安になりながら口の端を引き上げる。下手な笑顔を浮かべている自覚があった。

「お母さん。わたし、アーシャの」

 花嫁になったんだ。口にした瞬間、ぼろりと涙が落ちた。その理由に思い至ることができず、けれどいきさつを伝えなければという思いが先に立った。

 アーシャラフトの教会に拾われ、人違いを起こされて、花嫁として生きることになったこと。その勉強のひとつとしてクェリアを訪れ、あなたを見つけたのだということ。言葉を選ぶような余裕はなく、思いつく端から口にする。母はそれにうなずきながら耳を傾け、ついにソニアが口を止めたとき、ゆらりと頭を傾けた。

「あなたはもうソニアではないの?」

 大きく首を振る。

「わたしはまだ、ソニアでいるよ」

 花嫁になっても変わらない。彼女はその答えにほっとした表情を見せた。

「昨日、立派な馬を見たわ。鎧を身に付けた騎士と、誰かが乗っていたの。あれはあなただったのね」

「わたしひとりじゃ乗れないの。エリーゼ……ええと、神殿騎士さんと一緒じゃないと」

「アーシャはどんな方? きっと私のいたころとはもう違っているわね」

「アーシャは」久しぶりにその呼称を用いたせいか、むずがゆさを感じてしまう。「同じぐらいの、男の子。ほんとうに綺麗な目をしているの」

 冬空色の瞳と、そこにふりかかる陽光のような金糸。彼の姿を思い描くことは容易かった。

「いつも眉を寄せていて、難しい顔をしてる。どんなに小さな音も聞こえるけれど、目が見えないの。だからわたしが伝えてあげられたらって」

(ああ、そうだ)

 傍にいると約束していた。彼の世界と、自分の世界をつなげるのだと。ならば、なぜ離れようなどと考えたのだろう。孤独に寄り添いたいと願ったのは自分であったはずなのに。

 ソニア、と呼ぶ声を聞いた。広場のほうからであることに思い当たって、言いつけを破ってしまったことに気がつく。ミセラの声はよく響き、そこには切迫した色がこめられていた。戻ろうとする体に、母の存在が待ったをかける。ふたつの方向を交互に見ていると、母はかすかに笑った。

「お行きなさい、ソニア」

 それでも躊躇するソニアに、母はうなずいてみせる。

「町の東のはずれにひとつ小屋があるわ。私はそこに住んでいるの。……いつでもいらっしゃい」

 ソニアの手を払い、背を向け、彼女は何ごともなかったかのように道を歩いていった。小さな背が街角の向こうに消えるのを見届けて、ソニアは涙のにじんだ目元を乱暴にぬぐう。そうして呼び声に応えるためにと来た道を戻っていった。

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