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アーシャラフトの花嫁  作者:
花嵐の娘
39/69

 ミセラは朝が弱いということをクラウディアは語り、彼女が食卓に現れる前にさっさと食事を始めてしまった。彼女の席の前はパンとスープが手つかずの状態で置かれ、その主の着席を待っている。対してさきの青年のほうはといえば、平気な顔でパンをつまんでいるのだ。どうやら始終行動を共にしているというわけではないらしい。

 ソニアの目の前にも白パンと具の少ないスープが並ぶ。そっとスプーンですくい取ると、ほんのりと磯の香りが漂った。よく見ればスープの中には小さな貝柱が入っており、塩味のそれにほのかな甘みを与えているのだった。

「そうだわ、ソニア」

 ややあって、クラウディアが手を止めた。ソニアが顔を上げるのを待ってから続ける。

「ミセラにはもう伝えておいたのだけれどね。今日は彼女たちと一緒に買い物に行ってくれないかしら」

 返事をしようとして、咀嚼していたパンを喉につまらせ、慌てて水を飲んだ。離れたところで青年が笑い声を漏らすのを消え入りそうな思いで聞く。

「クラウディア様、でも……」

「ミセラは快く受け入れてくれたわ、ねえアルバ?」

 そう言って例の青年を仰いだので、彼は肩をすくめてみせる。

「あれを快い返事と呼ぶのであれば」

「彼もいることだし心配はないわ。ねえ、ソニア。お願いしてもいいかしら」

 当然ながらそこにソニアを支援する者はいない。仕方なくうなずけば、クラウディアはふわりと微笑んだ。

 アルバと呼ばれた青年がソニアに同情の目を向けるので、どうやらミセラに対しても同様にして頼み込んだらしい。宿を借りている身では断りきれないだろう。それをおいても、クラウディアの言葉には有無を言わせぬ迫力があるのだ。心の中でため息をついて食事を続けることにする。

 それ以来会話の絶えた一室に風を吹き込んだのは、眠気を隠そうともせずに姿を現したミセラだった。先日のはつらつとした表情はどこへやらで、半分ほどしか開いていない目は焦点があっているかすら怪しい。クラウディアの対応は慣れたもので、くすくすと笑いながら彼女を迎える。

「おはよう、ミセラ」

「おはようございますクラウディア様、ふあ」

 一息に言って、口もとに手を添えあくびをひとつ。その礼儀は優雅だとは言いがたいが、仕草のひとつひとつを取れば彼女はまさしく令嬢なのだ。周りに見守られながら朝食をとるうちにようやく目が覚めてきたのか、思いついたように声を上げた。

「ねえ、あなた」

 話がふられたのは自分だと気付くまでに数秒かかった。ソニアは目をしばたかせ、わたし、と問い返す。

「そうあなた。結局訊いていなかったわ、あなたの名前は?」

「ええと」

 口にしていいものか悩んだものの、もはや隠し続ける意味などないのだった。早々に朝の支度を済ませた修道女たちの姿はもうここにはない。食事の席についているのはミセラの正体を知っている者のみだ。

「……ソニア」

「聞こえない」

 声を抑えれば切り捨てられる。心なしか腹が立って、「ソニアよ、家名はないわ」と答える語気は図らずも荒くなった。ミセラはそれを気にするふうもない。

「そう。それでソニア、クラウディア様の話は?」

「聞いたわ。あなたと買い物に行くって……」

「あらアルバ、あなたさっぱり忘れられてるじゃない」

「そ、そういうつもりじゃなくて!」

「大声を出すものじゃないわ、はしたない」

 会話のリズムが合わない。完全に呑まれている。ぷるぷると体を震わせながら浅い息をくり返していると、ミセラはさっさと食事を終えて席を立ってしまう。それに機を合わせるようにアルバが部屋を出ていった。彼に続こうとしたミセラはしかし、去り際にソニアをふり返る。

「昨日のことを謝るつもりはないわ。だからあなたも謝らないでちょうだい。……きっと私、あなたのことは理解できないでしょうから」

 驚きに息を飲んだ。それだけよと言い残して背を向けた彼女に向かい、ソニアは急ぎ椅子から腰を上げる。

「ミセラ!」

 それだけで歩みを止める足はきっと、呼び止められることを予期していたのだ。

「……なにかしら」

「わたしも、あなたのことはずっと分からないままだと思う」

「そう」

「でも、それでもいいって思えたの。……ミセラ、わたしやっと、あなたに遠慮をしないでいられる」

 本物と偽物にわだかまりがあったのも、引け目を感じていたのも、自分だけだった。ミセラの代わりにはならないと固めていたはずの心は、その座を奪われまいとすることに精いっぱいになっていた。本物であるところの彼女があんなにも自由に見えるはずだ。

(もう、終わりにしよう)

 ほんの少しだけ正直になる。それだけでいい。ソニアでいることを恐れなければいいだけだ。

 ミセラはふり向きかけて、やめる。そして、

「お好きにどうぞ、花嫁さん」

 精いっぱいの皮肉と祝福を、一息にこめて送るのだ。

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