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アーシャラフトの花嫁  作者:
花嵐の娘
35/69

 豊穣を宿したかのような髪のもとには、淡い空色の瞳が据えられる。十七を超える息子を持つにしては若々しい容貌が、やはり彼を彷彿とさせた。祭壇の上に立つその女性は和やかにほほ笑む。

「クェリア修道院へようこそ。わたしが修道院長のクラウディアです」

 それまで呆然と彼女を見上げていたソニアだが、思いだしたように姿勢を正した。

「ミセラ・ファルツと申します。アーシャラフトより参りました」

 クェリアを訪れるのは二度目で、港のすぐ近くにつくられたこの修道院を目にするのも同様だ。最初に見たときは大きな建物だと驚いたものだが、今やソニアはアーシャラフトの神殿に入った身である。修道院の小ささに自らの記憶を疑うことになった。

 まさかふたたび戻ることになろうとは思わなかった。おそるおそるクラウディアを窺えば、穏やかな声が発される。

「ラクスから手紙が届いていましたよ。花嫁をこちらにと……そう、貴女が」

「ま、まだ勉強中です」

 小首を傾げられた。卑下に聞こえただろうかとかぶりを振る。

「ここで多くを学んで帰りたいと思っています。よろしくお願いします、クラウディア様」

 そうして一礼すれば、クラウディアはころころと笑った。ひとつまばたきをして彼女を見つめると、ごめんなさいねと返される。

「ラクスとお似合いだと思って。それともあの子に影響されてしまったのかしら。ほら、あの子、とっても固いでしょう? 真面目すぎるのもよくないと言い聞かせてきたのだけれどね」

「そう、でしょうか」

 安易に同調することもできず、へたな笑顔を浮かべることになる。そこに助け船を出したのはエリーゼで、彼女は膝をついた体制からやや顔を上げる。

「花嫁様をお預けするのは五日、と聞かされております。私はこれよりアーシャラフトに戻りますが、なにかアーシャにお伝えすることはございますか」

 この出張で誰よりも忙しい日々を送ることになるのはエリーゼだ。花嫁をクェリアに預けたあとに無事の到着をアーシャラフトへ報告、さらに帰還にあたって再度クェリアへ出向いて護衛の役を果たすのだから。腕が立ち、かつソニアと見識があることから彼女が選ばれたのである。ソニアとしてはもう頭が上がらない。

 エリーゼの問いに、クラウディアはいくらか考えたあとでうなずいた。

「可愛らしい花嫁さんは私が責任を持って預かります。その帰還、せいぜい首を長くしてお待ちなさいと」

「クラウディア様、それは」

「ふふ、一字一句間違っては駄目よ」

「……承知いたしました。花嫁様はどうなさいますか」

 渋々といったように首肯し、今度はソニアを仰ぐ。

「え、と」考えてもいなかった。慌ててそらを見るが、なにも思い浮かばず首を振ることになる。「わたしからは、特になにもありません」

 気遣わしげな視線をソニアにやって、エリーゼはうなずいた。失礼いたしますと言い残して聖堂を去っていく。クラウディアは灰色の名残が見えなくなるまで彼女に顔を向けていたが、ふたたびソニアに向き直ったとき、麦色の髪が陽光を受けて輝いた。どこから光が、と視線を揺らして、答えにたどり着くのに時間は要らなかった。

 天井に取り付けられた飾り窓だけでなく、聖堂の最奥にも小窓が取り付けられているのだ。今は昼間も昼間であるために空と海の境界線がうすぼんやりと映りこんでいるのみだが、ある時期、時間がくれば、その窓から朝日や夕明かりがこぼれ落ちるのだろう。修道院は几帳面に掃除がされており、アーシャラフトの神殿と比べてすがすがしい空気が漂っている。

「貴女には、そうね、お掃除を頼もうかしら。いつも人手が足りなくて私が済ませてしまっているのだけど」

「クラウディア様が」

「院長の威厳なんてあってないようなものよ。花嫁の貴女にもせかせか働いてもらわないと。お掃除をしたことはある? 頼んでもいいかしら」

 大丈夫ですと答える。母と二人暮らしをしていた時分、家にこびりついた染みやカビを落とすのはいつもソニアの仕事だった。ナヴィア宮殿で過ごすようになってからは働くこともなかったので嬉しいぐらいだ。

 それを聞いたクラウディアが胸をなで下ろす。

「そうよね、よかった。少し前にここに来た女の子がお掃除をしたことがないというから、もしかしたら貴女もかと心配していたのよ」

「新しい修道女の方ですか?」

 掃除がしたことがないというなら名のある家の出ということか。アーシャラフトの令嬢であれば、良識を学ぶため修道院に入れられることも珍しくないという。成熟するまでその姿を紛れこませ、いとけない娘を守るためでもあると。しかしクラウディアは物憂し顔で小さなため息をついてみせる。

「それが違うのよ。しばらくのあいだ、宿を貸しているの。男女の二人連れだったから理由もあるのでしょうけれど、ご飯を出すからには働いてもらわなきゃいけないのよね。そうしないと修道院の娘さんたちに示しがつかないから」

 言いながらも不満げでないのは気のせいだろうか。ソニアは首をかしげて聞いている。エリーゼが自分を見るときにも似た、慈愛のにじむ表情だ。それを口にするべきか否かと考えていたとき、だった。

 高々と床を踏む音がして、聖堂に人影が現れる。ソニアと年頃の同じ少女だ。つややかな黒の髪を揺らし、赤の花を散らしたような鮮やかな衣をなびかせて、堂々と中央を横切ってゆく。彼女はつ、と顔を上げ、クラウディアを視界に入れて艶やかに笑んだ。

「おはようございます、クラウディア様」

「あら、おはよう。ちょうど貴女の話をしていたところなのよ」

 ふたりの視線が同時にソニアに注がれる。少女と目があって、思わず息を飲んだ。

 ついさっき町中で会ったばかりの少女である。はつらつとしながらも形のいい眉目を持ちつつ、立ち居振る舞いは貴族然とした雰囲気を彼女にまとわせている。綺麗だと感じたのも間違いではなかったと確認することになり、ソニアはつかの間、なにも口に出せないでいた。

 少女のほうはしかし、おやと軽く眉を跳ねあげる。

「やっぱり。またお会いすることになった。さっきの銀の騎士様はどうなさったの?」

「エリーゼ……エリーザベトさんのこと、ですか。彼女はアーシャラフトのほうへ」

「あらそう」

 そっけなく返される。確執を生ませてしまっていないかと不安に思っていたが、どうやらさほど執着しているわけではないらしい。それは安心すべきなのだろう。

(でも)

 ソニアは一度唾を飲む。エリーゼがつぶやいた、気を乱されるという言葉を実感していた。少しでも息をつけば容易く気圧されてしまいそうになる。それもこれも、少女が自信に満ち満ちた目をしているせいだ。ここに彼女がいることは至極当然、それを自分自身で肯定するような――目。それも威圧感のみではない。体の内側から湧きあがる、この嫌な予感はなんだ。

 彼女はソニアを上から下まで眺め、最後に胸元の銀薔薇を数秒見つめて、ふうんとひとつ声を漏らす。

(……もしか、して)

「花嫁様、お名前を教えていただいてもいいかしら?」

 きっと、これは問われるべき問いだった。

 ソニアの指先が震える。やめてと叫ぶ未来が見えるようで。もしかすると、今この瞬間にも叫びだしたいほどだったのかもしれなかった。しかし逃げることなど許されず、からからに渇いた喉で、それでも答えようと口を動かす。

「……ミセラ、と」

「あら、偶然」

 対する少女がかくりと首を傾ける。嫣然とその笑みは崩れない。

(やめて)

 黒い瞳。宵闇の髪。似ていることこそが皮肉な、彼女は。

「私もミセラというの。……同じ名前ね?」

 すべて分かっているのだと、そう言わんばかりに笑ってみせた。

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