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アーシャラフトの花嫁  作者:
嫉妬と後悔
13/69

 時間に余裕を持てるのは富める者の特権だ。寝る間を惜しむような生活を送っていたせいで、ソニアにはすっかり早起きの癖が染みついている。どれほど遅い時間に眠りについても必ず一定の時間に目覚めるように体ができていて、ナヴィア宮殿に暮らしていても誰かに起こされることは一度もなかった。

 けれどそれにも限度はある。

 山の端から日が顔を見せるころ、扉を叩きながら名前を呼ばれて、ソニアは渋りながら目をひらいた。夢と現を行ったり来たりする意識のままで返事をすれば、扉の向こうからエリーゼが顔をのぞかせる。すき間から入りこんできた冬の気配に体がすくんだ。

「申しわけありません。まだお眠りでしたか」

「だい、じょ……です」

 そう言いつつも、こっくりこっくりと頭が揺れるのは止められない。

 エリーゼは苦笑いを浮かべ、部屋のなかに身を滑り込ませた。彼女が後ろ手に扉を閉める音で眠気が薄れていく。

 窓の外はやっとのことで黎明に染まりはじめていた。朝の到来を告げる鳥のさえずりも、この時間ではまだ耳に入ってこない。身を刺す寒気があって、衣と毛布で包まれている腕に鳥肌が立っているのに気付いた。

「どうしたんですか、こんな時間に」

「ひとつ頼みごとがあってまいりました。急ぎの用件ゆえ、ご容赦いただけませんか」

 エリーゼが背に負った荷のなかを探って、蝋できっちりと封のされた手紙をつかみだす。その端にはマティアスとラクスの名が連ねて記されており、中を見る必要もなくアーシャラフトの国自体に深く関わるものだとわかった。

 この国に王はいない。代わりにまつりごとを一手に引き受けるのは総大司教であるマティアスだ。他国であれば大臣にあたる身分の聖職者たちがその下に並び、国の意である彼の意見を仰ぐ。アーシャは助言という形を取って彼に口添えをするが、その立場には象徴的な意味合いが強い。

「昨夜、メリアンツから書簡が届きました。近日中に新皇帝の即位式を執り行うため、総大司教並びにアーシャの出席を願うとの旨を伝えるものです。その返事を届けるため、神殿騎士から私とレオンハルトが選ばれました。……彼のことは」

「わかります」

 面と向かって会話をしたことはないが、顔にならば見当はつく。普段ラクスと行動を共にしている無口な青年だ。朴訥としながらも超然とした雰囲気をまとっていたように思う。

「いつもは私と彼とでアーシャの身辺警護と付き添いを分担しているのですが、今回はどちらも外出してしまいます。その間の警備は他の者に行わせますが、傍で生活の補助をするとなると、アーシャの見慣れた人間でなければ支障が出るので。そちらをソニア様にお願いしたく」

 ラクスからその相手へ、そして何より、付き添いにあてられた者が彼に遠慮をしてしまう。メリアンツとの往復であれば長くとも二日というところだろうが、苦の種は取り除いておきたいはずだ。誰か代わりにと考えたすえ、ソニアに白羽の矢が立ったということだろう。

 任せてくださいと胸を張れないのがつらい。ここ最近でなんとか会話ができるまでにはなってきたけれど、いまだに彼からはソニアを拒もうとする意志が感じられた。食事に同席しても言葉を交わすことは皆無だ。

 知らず知らずのうちに下を向いていたソニアをうかがい、エリーゼは瞳に苦しげな色をちらつかせた。

「これからアーシャにも伝えてまいります。お嫌であれば他の者をつかせますが」

 苦渋の選択であることぐらいはソニアにもわかる。わがままを言える立場でないことも。

(これがきっかけになるかもしれないし)

 そう自分に折り合いをつけた。わかりましたと小さくうなずくと、エリーゼがほっとした様子で胸に手をあてた。

「では、朝食のあとからお願いします。ありがとうございます、ソニア様」

「あ、あの」

 扉に手をかけようとしたエリーゼを呼びとめる。ソニアはわずかに迷ってから、きょとんとした彼女を見あげた。

「ソニア様、ってやめませんか。エリーゼさ……エリーゼは、わたしのことも知っているし。それに生まれのことを言うなら、エリーゼのほうがずっと上なんでしょう?」

 エリーゼの表情に険が宿った。ソニアがびくついたのに気付かぬわけでもないだろうが、あえてそこに言葉を添えることをしない。鋭い目のままで問うた。

「それをどちらで?」

「人のうわさで。ごめんなさい、訊いちゃいけないことでしたか」

「……いえ。別段、隠しているわけでもありません」

 彼女の目が逸らされたのをソニアは見逃さなかった。触れられたくなかったのかもしれないと歯がみする。生まれのことを問われたくないのはこちらも同じなのだから、気安く口に出すべきではなかった。

 エリーゼは指の節でくちびるに触れ、小さく息をついた。ゆるやかに表情の険しさが消えていき、ソニアを安心させるようにほほ笑んで見せる。

「大丈夫ですから。そんなに怯えた顔をなさらないでください」

 はっと口元を覆った。それをくすりと笑われる。

「おっしゃる通り、メリアンツのチェルハ家は名門です。ただ私の両親は敬虔なノーディス教徒だったので、娘が生まれたらアーシャの花嫁にと考えていたようでした」

 胸を強く殴られたような衝撃が走った。急にエリーゼが別人のように見えた気がして、ソニアは二度またたく。

 花嫁となる娘は神殿の側から選ばれる。今代の花嫁を出したのがファルツ家であるとはいえ、もちろん次代のアーシャの相手がまたファルツ家から出されるとは限らない。アーシャラフトという国家との結び付き、利益を計算された上で、長期にわたり強固な繋がりの欲しい家が選ばれてゆくのだ。

 エリーゼが照れたように視線を迷わせる。そこにソニアやミセラに対する揶揄は感じられなかった。

「とはいっても、私は幼少のころから棒きれを振り回していたような娘ですし、教会に掛け合った時にはすでにミセラ様が選ばれていたようでした。親も落胆はしましたが、今度は神殿騎士になるようにと言いつけました」

「嫌だ、って」

 思わず口に出せば、なだめるように目を細められる。

「もちろんはじめは反発もしました。部屋にこもったり、食事に手をつけなかったり。……ですが、結果は出ませんでしたね。剣の稽古のかたわら、ファルツの名に恥じぬようにと教養や礼儀作法を叩きこまれました」

 だから彼女には武人に不釣り合いな気品が備わっているのだろう。ソニアが尊敬の目で見ていたそれらはみな、彼女が望んで身につけたものではなかった。親の意向によって取り決められた道に従わざるを得なかったのだ。

 ミセラも、そしてアーシャであるあるラクスも同じこと。その血筋に生まれ落ちてしまった以上は、幼い子供であろうと自身の夢を見ることは許されない。彼らの未来を区切った両親ですら、その親に選ばされた世界を生きているのだから。

(自由な人なんて、どこにもいないんだ)

 夢見た道を選べば、名を失う覚悟さえも負わねばならない。ミセラ・ファルツという名を棄ててアーシャラフトを出ていった彼女のように。生きたいように生きるには、血のもとにある平穏をすべて投げ打つだけの、無謀さとも言える決意がなければ。

「……それでも、こんな人生、と思ったことは一度もありませんよ」

 取りこぼしたようなエリーゼの言葉につられて顔をあげた。

「エリーゼが望んだことではなかったんでしょう?」

「望んだ場所でなければ幸せになれないなどというのは世迷言です。納得と諦めをいざ越えてしまえば、案外生きやすいものですよ。この命をささげようと思えるあるじを得ることができましたし、兄さんもついてきてくれましたから」

「兄さん」

 当然とばかりに吐き出された呼称に思い当たりがない。眉を寄せたソニアに、エリーゼは意外そうに首をかしげた。

「そちらは聞いておられませんか? レオンハルト・チェルハは私の兄です。家の話が出たので、てっきりご存じのこととばかり」

 初耳だ。ぶんぶんと首を振る。同時に、そういうことかと納得する自分がいることに気がついた。

 たとえば書庫の廊下でレオンハルトを目にしたとき、敏感な獣のように周囲に目を光らせている様子が、どことなくエリーゼに似ていると感じたのを思い出す。暗さのためによく見えなかったが、髪も同じ灰の色をしていたはずだ。

 ビアンカがエリーゼの家系の話をしたときも、彼女はエリーザベトとレオンハルトの名を並べて口にした。会話を終えたあとに残った違和感はそのことだったのだろう。

「私情をはさむつもりはないので、公の場では名を呼ぶようにしています。ふたりとも第一はアーシャ、兄妹は二の次ですから、よそよそしいのも事実ですね」

「兄妹なのに?」

「ええ。今回は久しぶりにふたりだけですから、日ごろの鬱憤を晴らそうかと」

 いたずらめいた笑みを浮かべたエリーゼの姿に、はじめて妹らしさを見る。かと思えば、彼女は次の瞬間には姿勢を正して穏やかさを取り戻すのだ。

「話がそれましたね。いま申し上げた通り、私はチェルハ家の者である前に神殿騎士のひとりです。アーシャに忠誠を捧げる身です。あの方がミセラ様でないあなたをここにとどめ置く限り、私はあなたにも信を尽くすつもりでいます」一度言葉を切って、エリーゼは瞳を閉じた。「ですから、ソニア様。どうか卑下なさいませんよう。あなたは、ここにいていい方ですよ」

 震えそうになった歯を、口を引き結んでおさえこんだ。ぐっと呼吸をつめて数秒。細く息を吐き出す。

「欲しい言葉を、くれるんですね」

 声は震えなかったろうかと心配になる。言った瞬間に後悔が押し寄せた。

 胸の奥に隠しておいたものを、彼女はそっと撫でてゆく。自分ですら隠し場所を忘れていたそれらは触れられるだけで痛みをもたらし、ときおり無自覚にこぼれ出しては声高に存在を主張するものだ。

 ――胸を軽くするに足る言葉を知っている。けれど他人に求めてはいけないこともまた理解していた。それをあまりにも簡単にエリーゼが口にしてしまうから、もたれかかりそうになる。痛みを意識することをやめそうになってしまう。

 エリーゼはふと笑みを消して、地に膝をつく。そうして、伏せられたソニアの目を下からのぞきこんだ。

「私がどれだけ優しい言葉を吐いても、あなたが陥落なさらないことは承知の上で申し上げております。アーシャの存在あってのことだとお忘れなく」

 しかと視線を合わせ、どちらともなくひとつまばたきをする。それを合図とばかりに、失礼しますと言い残して彼女は部屋を出ていった。ゆっくりと閉じられた扉の向こうで、石の床を踏む靴音が離れてゆく。

 いつの間にかずり落ちていた毛布のはしを拾いあげ、胸元に引き寄せた。かじかんだ指先をやわく包み込む。

(優しくされた)

 打算のほうが心地いい。釘を刺されたほうが信じられる。その心の内を慮った上で、最後に瞳を射抜いていった。

 (優しくされた、な……)

 吐息に白が混じる。今日も寒くなりそうだ。

 ふたたび下りてきた睡魔を、首を振って追い払い。ソニアはもぞもぞと身を動かした。

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