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アーシャラフトの花嫁  作者:
雪色の花
11/69

「なにを、しているんですか!」

 肩で呼吸をして、声を張り上げる。扉に背を向けていたふたりの男が体を揺らした。

 この花園には、今代のアーシャであるラクスと管理者である教徒以外が入ることは禁じられている。ソニア自身もアーシャの庭に踏み入れたのは初めてのことだ。追って処罰が下るだろう、ということにはやわらかい地面を踏みしめてから思いあたった。

 しかし入ってしまえば怖いものはない。夜空の下でもくっきりと映る衣を睨みつけた。夜間はナヴィア宮殿の扉が固く閉ざされるため、この花園にまで忍び込むということは内部の人間以外にあり得ない。それを裏付けるかのように、彼らは神官の証である白で統一された修道服を身にまとっていた。

「は、花嫁さま」

 声を震わせてひとりが立ちつくすが、もうひとりは布の袋を背に彼の背を叩いた。

「おい、逃げるぞ!」

「でも入口は、」

 庭に通じる道は、今しがたソニアが開けた扉ひとつのみだ。ソニアが道を譲らないかぎり彼らもここを通ることはできない。くいとあごで扉を指し、袋を担いだ男が叫んだ。

「強行突破だ!」

 あの袋のなかに花がある。道を塞ぐために両手を広げたソニアを男が突き飛ばした。

 よろめいたのは一時。すぐに彼の袋につかみかかる。背中をひかれた男が苛立ったように足を止めて大きく袋を振った。そのなかで土と草のぶつかり合う音がする。花園の様子を見ることはなかったが、大量の花が入っていることは間違いない。

 アーシャの庭で育てられるのは、庶民の暮らす町では目にすることのないような高価なものばかりだ。アーシャラフトの教会に各国貴族から贈られた花の苗がここに植えられているという。植物の根は信頼を示しており、この庭では何年にもわたって子孫を残し受け継がれるような花々が育てられる。そんな花を売ればもちろん大金が手に入るだろう。

「やめてください、こんなこと……!」

「はなせ、このっ」

 男は手を離させようとするが、負けるものかと袋へ食らいつく。うしろから肩をひかれるもののその力は弱々しい。前の男に専念すればいいときつく目を閉じて歯を食いしばった。くそ、と毒づく声があって、直後、腹にねじ込むような衝撃がきた。うめいて力がゆるんだところを、今度は強く突き飛ばされる。

 鈍い痛みが体に走ってから蹴られたのだと気付いた。土に転がって、二度、三度、とせき込む。立ちあがろうとしてもうまくいかない。それまで背後に立っていた男がソニアを見下ろして顔を青くした。

「花嫁さま……おい、これまずいんじゃないか」

「早く!」

 頭の上を駆け抜けていく影に手を伸ばしても、むなしく空を切るばかりで届かない。やがてその影さえも闇にまぎれていった。ぐらりと揺れた脳がすぐに追いかけろと指示を出すけれど、身を起こしたときにはすでに彼らの姿はなかった。

 怪我はない。修道着が土にまみれて汚れたぐらいで、目につく外傷はかすり傷ぐらいだった。

 地面に爪を立てる。自分のふがいなさが悔しくてたまらなかった。花を守りたいと飛び出した結果、なにも為せずに座り込んでいるなどと。

 ついとふり返れば花壇には無残に掘り返された跡があった。隣に支えられていた背の高い花は均衡を崩して斜めに傾き、小花の集うべき茂みにはぽっかりと穴があいている。あるべきもののない空間はただひたすらに滑稽だった。

 ――思いあがるな。戒めの声が上がる。

 小さな両手で、か弱い指で、小娘にすぎない自分になにができる? ノーディスに仕える者とて相手は大の男だ。それがわからなかったわけがないのに、走り出してどうするつもりだった。問いかける自分の声に、ソニアは迷わず答えを出した。

(守りたかった)

 彼の思い出を。

 ひとつだけ、彼が笑顔でいられる場所を、守りたかった。

 自分の両腕に力がないことを知っていて、それでもここを目指したのだ。彼の幸福をつくりあげたものが、花園で作られた記憶が、すべて自分と無関係のものだとしても、両手を広げない理由などソニアにはなかった。

 ちくりと痛んだ目頭が熱を帯びた。こぼれそうになった滴をまばたきと共にふり払う。頬を伝わせては負けだと思った。

 歯を食いしばって立ちあがり花壇を見おろす。惨状の花園に残った花々が、冬には負けるまいと花弁をひらいていた。空を渡って吹きこんだ風がその茎を揺らし、枯れ葉をさらい、円を描いては抜けていく。

 ソニアはやわらかい土を踏みしめて花園の中心に立った。こんもりと盛り上がったなだらかな丘の上に膝を抱えてしゃがみこむ。

(逃げられてしまうかもしれない。明日には花も、全部売られてしまっているかも)

 月の光に照らされた一輪の白い花が、ほんのりと青みを帯びて輝いた。細い茎としなやかな葉、ゆるやかに曲線をえがく薄い花弁。周りの花々に比べて地味なそれがソニアの目をとらえる。瞬間、ひくりとえずいて、胸につまった小さな痛みがあふれだした。

 ――うるさい。

 気だるげなその声が聞こえた気がして、ソニアはすんと鼻をならす。嗚咽が漏れた。

「きみの声は、頭に響く」

 今度こそはっきりと耳にとらえた。ぱっと体を裏返すと目をすがめた少年の顔が視界に映る。そばに神殿騎士の姿はなく、彼は壁に手をついて庭に足をおろすところだった。

「ラクス」

「ここはアーシャの庭だろう、……ほかにも人がいたようだけど」

 騒ぎは聞こえていたのだろう。何があったときつい口調で問う彼に、やや迷ってからふたりの神官のことを伝える。アーシャの庭で不敬を働こうとする彼らを止めようとしたこと、そして太刀打ちできずに花を奪われてしまったこと。自分の力不足を口にしようとしたところで声が震えて、ラクスが眉をひそめた。

「どうして助けを呼ばなかった? ひとりでなんとかできると思ったのか」

「逃げられてしまう、と、思ったんです。……いいえ」言葉にしてすぐに打ち消す。冷静になってみれば、それは後付けの理由にすぎなかった。「頼るところが、思いつかなくて。迷っている暇もなくて」

 言い訳じみている。苦々しさを感じながら告げれば、案の定ラクスは呆れたように肩をすくめた。

「それならきみが出ていく必要はない。仮にもアーシャの花嫁になる人間が、たかが花のために乱闘までするな」

「でも、ここには、ミセラさんと植えた花があるんでしょう?」

 もしくは、あった、だ。その花さえも引き抜かれてしまったかもしれない。ラクスが目を見開く。

「まさか、そのために出てきたのか?」

 こくりとうなずく。

「きみに関係のあるものではないだろう」

「あなたの大切なものでしょう」

 ラクスが言葉を失って、それから深くため息をついた。馬鹿げているとは自分でも思うが、いてもたってもいられなかったのだから仕方がない。

 ミセラの名を出すときの彼は、決まって空虚な顔をする。失われたものを思い出すための遠い目と、笑みの浮かばない口元、そして昔語りのような声で彼女を呼ぶのだ。ラクスにとってのミセラはもはや思い出のなかのもので、けれど焼きついて離れない傷跡となっている。

 ここにない相手を懐かしむのは、限られたものをいとおしむことと同じだ。記憶を、残されたものを、手にとっては胸に抱きしめる。増えていくことのないそれは消えてしまえば取り戻しようがなく、だからこそ大切にしまいこむべきものだ。

 ソニアにとっての母も。ほこりにまみれていた廃屋同然の実家もまた同じこと。

 だからこそ守らねばならなかった。ミセラのいないこの宮殿から、ミセラの思い出を失わせてはいけなかった。

「……きみは、馬鹿だ」

 嘆息とともにつぶやいた彼が、一歩、また一歩、と足を動かし始める。足元を確かめるようにゆっくりと歩を進め、葉をすべて落としてしまった裸の木の前で止まった。その根元に顔を向ける。先ほどソニアが目にとめた白い花が彼の視線の先にあった。

「ここに一輪、花が見えるか」

「白い花ですか? はい、そこに」

「なら、そのとなりには?」

 花の横には掘り返されたのであろう穴がある。土を戻している余裕はなかったのだろう。

「ほかには……なにも」

 声を落として答えると、ラクスは音もなくその場にしゃがみこんだ。さまよった彼の手が細い茎にたどりつき、それを手がかりとするように白い花へと顔を寄せる。空色の瞳がしかと花弁を映した。ふとゆるんだ顔つきにわずかな安心がにじむ。

「盗まれてない。これがその花だ」

 えっと声をあげた。目印にするには、他の花に埋もれてしまいそうなか弱い花だ。動揺を聞きとったのかラクスが続ける。

「あまり高価な花じゃないし、見た目も地味だから。気に止まらなかったのかもしれないな」

 肩から力が抜けて、ふらふらと彼のかたわらにへたりこんだ。

 庭にあふれる花々をすべて掘り起こすつもりはなかったに違いない。それには小さすぎる袋を抱えた神官たちは、見た目の派手なものを選んで袋に詰め込んでいったのだろう。ならばとなりの花が目くらましになったのか。

 青白く花びらを光らせる花は、ソニアの気など知らずに悠々と風に身を任せている。ラクスはその茎を手放して立ちあがった。

「きみを叱るのはあとにする。アーシャの庭に忍び込んだ不届き者を捕まえるのが先だな」

「でも、もう逃げてしまったんじゃ」

「前々から花が減っていると報告は受けていた。奴らも味をしめているに違いない、そう簡単に宮殿を離れることはしないはずだ」

 淡々とした答えに唖然とする。花泥棒がいることを知っていながらこの少年は手を下さずにいたのだ。捕らえる機会をうかがっていたか、それとも、どうでもいいからと手放しでいたのか。背を向けてしまったラクスの意図まではソニアには知れない。

 どちらにせよ、彼にその気を起こさせたのは、ほかでもない。

「きみを泥まみれにしたことぐらい、責任を取らせる」

 葡萄色の染みと土の汚れ。周囲に比べソニアが宮殿にいる期間は短いけれど、その修道服はすでにみっともなく汚れている。ナヴィア宮殿の洗濯物をも担当している修道女たちにまた嫌な顔をさせてしまうだろう。ソニアの焦りを知る由もないラクスが庭を出ていくので、また声をかけそびれたと歯がみした。

(……いまだったら)

 もともと汚いですから、と、笑うことができたかもしれないのに。

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