嘘発見器、猛る
十分ほど洞窟の前の空き地で待っただろうか。
ようやく、のそりと禍渦がその姿を現した。
俺は腰を上げ、禍渦の攻撃に備える。ちなみに左腕はまだ動かないままだ。
禍渦は俺を視認したのか唸り声をあげている。
どうやらご機嫌斜めのようだ。
まあ、目の前に何度も邪魔者が現れたんじゃ仕方がないとは思うが。それに俺は仇でもあるわけだしな。
「イア、いいな」
禍渦が襲いかかってくる前に最後の確認をする。
『…………もう知らない』
どいつもこいつも機嫌が悪くて困る。
イアが突き放したような返事をした瞬間、目の前の禍渦が突進を仕掛けてくる。何度見ても凄まじいスピードだ。
吹き飛ばされ一体目のときの戦いと同じように木々に叩きつけられる。
「っ痛う!」
すぐに態勢を立て直し、今度はこちらから禍渦に攻撃を仕掛ける。
狙うはヤツの脳天。
脳を揺らして平衡感覚を奪う。
禍渦の攻撃が届かないように高く飛び上がり空中から蹴りを繰り出す。
重力も加算された蹴りが禍渦を襲う。威力は申し分ない。直撃すれば脳を揺らすどころかそのまま頭を蹴り砕けるかもしれないほどの一撃。
しかし、その威力の程を悟ってか禍渦は前脚を交差させ防御の姿勢を取る。
俺の足と禍渦の脚がぶつかり合い、辺り一帯に轟音が響く。さっきの戦いで折れた木々が衝撃によって吹き飛ばされていく。
俺の攻撃を見事に防ぎきった禍渦はそのまま脚を振りきり、俺は再び弾き飛ばされる。
それでも俺は攻撃の手を休めない。
それどころか更に苛烈に。
より鋭く。
ひたすらに攻撃を繰り返す。
懐に潜り込み、腹部に対して繰り出す拳と蹴りの連撃。
そのまま素早く正面にまわり眉間に数発全力の蹴りを見舞う。
「おおおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
しかし、それでも攻撃は禍渦には届かない。
一撃一撃にいま持てる最大の力を込めても禍渦には届かない。
よしんば届いたとしても、その傷はすぐに再生してしまうだろう。
だが、禍渦の攻撃は徐々にこちらの体力を削り取っていく。
その凶悪な切れ味をもった脚で。
もしくはその巨体を活かした突進で。
少しずつ、少しずつ俺の身体を壊していく。
既に俺の身体は細かい切り傷だらけで、身に纏ったコートはズタズタだ。俺の血を吸っているためかいつもより重く感じる。
そういった必要のない意識を切り取り、再び禍渦に突進するが、禍渦はそれを読んでいたかのように前脚を振り上げて俺に襲いかかる。
しかし、読んでいたことはこちらも同じ。
そうそう馬鹿な突進をするつもりはない。俺は禍渦の前脚による突きをかわし、血を吸ったコートを脱ぎ禍渦の顔面に投げかける。
コートは顔面に直撃し、数秒だが禍渦の視界を奪うことに成功した。
だが、その数秒の内に俺が繰り出した攻撃は十を超える。これまでのやり取りの中で禍渦の急所だと思われる顔部分を集中的に狙う。
そして最後に狙うのは禍渦の両眼。
顔面への打撃はそれほどダメージを与えられた様子はなかったが、さすがに両眼を潰されたのは効いたらしい。コート越しに眼窩へと両腕を押し込み、その眼球を握り潰す。嫌な感触が腕を伝って俺の脳へと届けられる。
それでも禍渦は咆哮をあげない。
禍渦は俺を振り払おうと頭を振りまわす。その力に耐えられず、地面へと弾き飛ばされる。
「ッハ……!」
背中を叩きつけられた衝撃で息ができない。
だが、ここに留まっては禍渦の餌食だ。すぐ立ち上がらなければ――。
「あ、れ?」
力を込めたはずの両足が動かない。右腕だけで何とか身体を起こそうとする。
しかし、当然のことながら右腕の力だけで身体を動かせるわけもなく再び仰向けに倒れこむ。
俺の身体の状況を知らない人間が見たとしたら、その姿はさぞ滑稽に見えただろう。壊れた人形のようだと。
実際そう言われても相違ない程に、いま俺の身体は壊されている。
頭部には大きな裂傷。
左腕は骨も神経も切断され動かない。
両足はここ数分の無理な動きに耐えられなかったのかどちらも腱が切れている。
無事だと自信を持って言えるのは右腕と胴体ぐらいなものだ。
幸いにしてイアが身体を修復してくれているのでどの箇所も既に痛みは無い。もし痛覚が生きていたら身体中を走る激痛でとっくに意識を失っていたことだろう。
俺が無様に地面に転がっていると巨大な足音が近づいてくる。
禍渦は俺が動けなくなったということがわかったのだろう。その足音に最早焦りや苛立ちは感じられない。ゆっくりと一定のリズムでこちらに向かってくる。
「……イア、もう一度確認しておくぞ。もしもの場合は同調を解除して全力で逃げろ。いいな?」
『…………』
イアは答えない。
「おい、いまさら駄々をこねるなよ!」
『…………嘘つき』
いつの間にか俺の側まで到達していた禍渦が再生した両目で俺を見下ろす。
そして、それまで頑として開けなかった口を、俺を喰うためだけに開ける。
ボタボタと涎が俺の上に落ち、鼻を覆いたくなるような臭いが辺りに漂う。
だが、俺は右手を自分の鼻ではなく禍渦の口に向かって伸ばす。まるで、そこに求めるものがあるように。
口を完全に開き切った禍渦は俺に狙いを定める。そして次の瞬間、その口内に並ぶ数十本の牙が俺に襲いかかった。
いまの俺にそれを避ける術はない。
そうして、俺の身体を赤い雨が濡らした。