嘘発見器、逃げる
既に戦いの舞台はさっきまでの空き地ではない。あそこが一番周りに被害が出にくいといっても、もうそんな余裕はない。
森の中に入り木々の間を縫って、身を隠しながら走る。
「イア、どういうことだ!? 禍渦は完全に壊したはずだろう!?」
そう問う俺の左腕からは血が流れ続けている。
俺の硬直した瞬間を狙って前脚で薙ぎ払われたときに受けた傷だ。どうやら禍渦の脚は刃物のような切れ味をもっているらしい。
『確かにさっきの禍渦は壊したはずだよ! はずなんだけど……』
イアも戸惑っている。
それも当然だろう。壊したはずの禍渦が再び現れたんだから。
後ろを見て追ってくる禍渦をもう一度観察する。やはり姿、形は寸分違わずさっきまで戦っていた禍渦そのものである。
突然のことで頭がうまく働かないが驚いてばかりもいられない。すぐに状況を分析しなければ。
いまのところ初めに左腕に受けた傷以外に大したダメージはない。といっても全身の打撲はまだ回復していない上に、「ジャベリン」を使った後なので頭痛はしないまでも足元がおぼつかない。
それでも何とか距離を稼いで禍渦の攻撃をかわす。
……妙だ。
さっきは嫌というほど糸を口から吐いてきたはずの禍渦がいまは全くその素振りすら見せない。
禍渦が木々を切り倒して俺の姿を発見し、こちらに突進を仕掛けてくる。
そう、突進はさっきの戦いでも繰り出してきた攻撃の一つだ。
だが、おかしいと感じるのはこの後。
突進をかわした俺を狙って鎌のような足が襲いかかってくる。
「クソッ!」
いまのは顔をかすった!
すぐに態勢を立て直し、再び距離をとる。
やはり、違う。こいつはさっき俺が倒した禍渦ではない。
戦い方が根本的に違い過ぎる。
最初は核を壊し切ることができなくて復元したのかとも思ったが、恐らくそうではない。初めからここには複数の禍渦がいたのだ。
一体目の禍渦が最後にあげた咆哮。あれは断末魔などではなく、このニ体目の禍渦を呼び寄せるための咆哮だったのだろう。
「イア、アレの中には核は感じるか?」
『うん、確かに核の気配は感じるよ……。でも何で? さっき核は確かに壊したはずなのに』
イアはまだ現状がどのようなことになっているのか理解していないようだ。仕方がないので簡潔に俺の考えを伝える。
『えー、そんなのアリ!? 反則だよ、そんなの! 一つの場所に複数の禍渦がいるなんて!』
反則って、お前。
「何にせよ、これでますますあの禍渦を倒せなくなった」
『何で?』
「そりゃあ――」
作戦会議の隙をついて禍渦が前脚で攻撃してくる。
それを姿勢を低くしてかわすが、今度は右手に切り傷が新しく刻まれる。
「三体目が出てこない保証がないからだよっ!」
続けて足を振りかぶって突き刺そうとする禍渦を全力で蹴り飛ばす。
態勢を崩した禍渦は見当違いの場所に足を突き立ててしまい、一瞬身動きが取れなくなる。
その隙を逃さず顎にアッパーを打ち込み、その場から離脱。
少しは効き目があればいいのだが、痛みに耐えきれず吠えるどころか、怒りに咆哮をあげることさえもしない。依然としてその口は歯をむき出しにして、唸るだけだ。
「ったく、可愛げのねえ……」
一体目はもう少しマシな反応を返してくれたものだけど。
こうまで反応がないと無性に腹が立ってくる。
だが、ここで感情に任せて突っ込むわけにはいかない。そうすれば極上の切れ味を持つ脚で八つ裂きにされておしまいだ。
「あれの核がどこにあるかはわからないんだな?」
『ごめんなさい……』
「謝るなよ! 何かいじめてる気分になる!」
別に責めてるわけじゃないんだから!
さっきのイアの反応から一つの場所に複数の禍渦が集まるのはイレギュラーなことだということはわかった。
そう考えると三体目が出てくる可能性は低いと考えていいだろう。だが、絶対にないという確証もない。ここでこの禍渦を捨て身で倒したとしても三体目を呼ばれたらそこで詰んでしまう。
三体目を呼ぶ暇もなく倒すという方法も力を使えばできなくはないだろうが、生憎と力は殆ど使い果たしてしまっているため現実的な方法ではない。
禍渦が切り倒してきた大木を避けながら、作戦会議を続ける。
「禍渦は核を潰したらすぐに消えるのか? さっきは肉片がしばらく残ってたけど」
『基本的にはそうだよ。多分さっきの禍渦は核に直撃を与えて壊さなかったからしばらく残ってたんだと思う』
ということは、核さえ正確に破壊することができるのであれば少しの力で済むということか……。
恐らく力を使えるのはあと一回が限度。その最後の一回は核を破壊するために温存しなければいけない。
とすれば、核の位置を探るのに頼れるのは自身の身体能力だけということになる。
だが、その身体能力もイアのおかげでかなり向上しているといっても禍渦にダメージを負わせることができないのはさっきのアッパーが全く効いていないことからも明白だ。
そして、禍渦に接近した際、完全に逃げ切れないのはさっきのやり取りで既にわかっている。これでは核の位置を探るどころではない。
どうする!?
どうすればいい!?
焦りという重石が徐々に身体に絡みついてくる。意識していなくても身体の動きが少しずつ鈍り始める。
そこを突かれた。
禍渦の鎌のような鋭さをもった両前脚を使った薙ぎ払い。
辛うじてその攻撃は伏せることで回避することができた。
しかしかわした瞬間、ずっと慣れ親しんできた感覚が俺を襲う。
それが示しているのはさっきの禍渦の動きが嘘だということ。俺にこうして避けさせるための嘘だったということだ。
「ああぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
禍渦の前脚が地に伏せた俺の左腕を貫く。
同調のときとは比較にならないぐらいの激痛。
噴水のように勢いよく吹き出る血液。
痛みに呻きながらも咄嗟にその脚を蹴り飛ばす。そのおかげで禍渦の脚が浮き、左腕が一瞬自由を得る。
その隙に起き上がり、俺は全力でその場から逃げ出した。
さっきまでは逃げ回りつつも、ある程度の距離を保ち禍渦を壊す方法を探っていたが、いまは違う。
生き延びるために逃げる。ただの敗者の逃走。
「イア! アイツは追ってきてるか!?」
荒い息を吐きながらイアに問いかける。
『うん! でも身体が大きいから森の中では動きにくいはず! こっちが逃げることに徹すればそう簡単には追いつかれないはずだよ!』
よし、それなら一度完全に引き離して態勢を整えることができる。
『って、そんなことより腕を気にしてよ!』
そう言われて改めて左腕に目をやる。
イアのおかげで血は止まっているようだが、指一本動かせない。
刺された瞬間は頭が禿げるんじゃないかと思うほどの激痛だったが、いまはもう修復が始まっているせいか、ピリピリと痺れるような感覚があるだけだ。
俺はイアと同調しているため通常の人間とは比較にならないほどの回復力を得ている。そのため傷を負ってもある程度は大丈夫だと思っていたのだが、どうやらそれは認識がずれていたようだ。
「腕の状態は?」
詳しい情報が知りたい。戦闘中に動く見込みがあればいいんだが。
『ダメ! 筋肉だけじゃなくて骨も神経もやられてる! これじゃ当分動かせないよ!』
……どうやら更にハンデが増えてしまったようだ。
ただでさえ、切羽詰まっているというのに。
「とりあえず、イアは左腕の修復に専念してくれ。その間にアイツをどうにかする方法を考える」
『どうにかって……、無理だよ! 一体は倒したんだから、ここは一度引いて明日もう一度――』
「ダメだ! それじゃ確実に美咲は喰われる!」
現時点で既に喰われている可能性もあるのだ。これ以上時間をかけることはできない。
『だからって頼人が食べられちゃ意味がないでしょ!? それこそ助けられなくなっちゃう!』
イアの言うことは正しい。この状態では到底勝ちは望めないのだから一度逃げて失った体力を取り戻すことが賢い選択だ。
だが、そう頭でわかっていても引けない。引くことができない。
勝つことはできない、引くわけにもいかない、そしてイアとの約束を果たすまでは死ぬわけにもいかない。
完全に手の打ちようのないこの状況に思わず笑ってしまう。
『……何笑ってるの』
明らかに不機嫌そうなイアの声が頭の中で響く。
「いや、ここまでくるともう仕方ないなって思ってな」
『仕方ないって何が?』
イアの問いには答えず、走るスピードを一層速める。
『ちょ、ちょっとどこ行くの!? そっちは……』
もちろんわかっている。禍渦の巣となっている洞窟の方角だ。
「洞窟の前で待ち伏せる。先回りしてあそこで待てば必ず禍渦は現れるだろ?」
『だからダメだってば! 勝算でもあるの!?』
「ない」
きっぱりと答える。
あれば良かったんだけどな。
いま俺は三つの約束に縛られている。
一つ目は禍渦を壊すというイアとの約束。
二つ目は美咲を助けるという俺が自分に課した誓い。
そして、最後は死なないというイアとの約束だ。
この三つを全て守ることはできそうにない。ならせめて二つは守らないと。
三つ目の約束を嘘にしてでも。
『勝算がないなら引き返して! 本物じゃないっていってもアレはこの辺りで伝承に残る程の怪物なんだよ!? こんな状態で戦える相手じゃないよ!』
ああ、そうだったな。禍渦は伝承とか昔話をモチーフにして現れる不幸の渦。そんなことも言ってたっけ。
そこまで思いだして、再び思考が切り替わる。
「イア」
『何!? これ以上無茶するんだったら無理やり同調を解くからね!』
「勝算、あるかもしれないぜ」
そう言って俺は懐から携帯を取り出した