嘘発見器、見抜く
寝ているイアを叩き起こし、同調してもらうと俺は直ぐに美咲の家を目指して跳んだ。民家の屋根から屋根へと跳躍を繰り返す。移動しながらも美咲の携帯に何度も連絡を入れるが応答はない。
そうして五分と経たずに美咲の家に到着し、まず周囲から家を観察する。
家に明かりのついている部屋はなし。
携帯を使って今度は白波瀬家に電話をかけてみたが、家の中で着信音が響くだけ。
だが、まだ家に誰もいないと決めつけるのは早い。
もしかしたら美咲以外の家の人間は出かけていて、当の本人はもう熟睡しているのかもしれない。我ながら無茶のある考えだと自覚しながらも、そうであってほしいと思わずにはいられなかった。
ともかく外から確認できることは全てやった。後は家の中を調べるだけだ。
家の中へ入るにはやはり窓からが一番簡単だろう。そもそもそれ以外にない。生憎とピッキングの技術は持ち合わせていないのだ。
「やっぱり持ってきておいて正解だったな」
懐から取り出したものはガムテープ。それを鍵に近い部分に貼り付け、音を殺してガラスを割る。そうして割った部分から手を入れて窓の鍵を開け、家の中へと侵入することに成功した。
警察に見つかった場合、器物損壊及び住居侵入罪で逮捕ものだが、いまは形振り構っていられない。
美咲が危ないかもしれないのだ。他のクラスメイトならともかく彼女には無事でいてもらわなければならない。
彼女は――俺に嘘をつかない数少ない人間なのだから。
結論から言えば家の中に美咲はいなかった。
やっとの思いで探し当てた彼女の部屋にその姿はなく、部屋の中には可愛らしいぬいぐるみたちがベッドの隅に鎮座しているだけだった。
その後も美咲の部屋だけでなく家の中を隅々まで探させてもらったがどこにも人の姿はない。
この状況が示すものはただ一つ。俺が最も恐れていた事態だ。
美咲は禍渦に捕まってしまった。
「イア」
『ふぁ……、どうしたの?』
欠伸を噛み殺しつつ答えるイアに偽ることなくこれからの予定を告げる。
「禍渦を壊しに行く。サポートを頼む」
そう言って侵入した窓から外に出る。
『えっ! ちょっと待って! まだ七割ぐらいしか回復してないんだよ!?』
イアの戸惑いを無視し、俺は再び屋根の上を疾走する。
ここから双子山までは俺の家よりも近い。あっという間に着くだろう。
『ねえ! 待ってってば! どうしたの急に!?』
「友達が禍渦に捕まった。助けに行かなきゃならない」
簡潔に答える。喋ることで消費する体力すらもいまは惜しい。
『それだけ!? ねえ! それだけのために命を懸けに行くの!?』
それだけのこと? いまお前はそれだけのことって言ったのか?
俺はその言葉を冷静に受け流すことはできなかった。
「お前にとってはそれだけのことだろうさ! だけど俺にとっては命よりも大事なことだ!」
そうとも。
俺がこんな嘘だらけの世界でまだ生きていられるのは美咲と龍平のおかげだ。彼女たちがいなかったらとっくに心が壊れていただろう。俺は彼女たちに救われていると言っても過言ではない。
だから、今度は俺が助けないといけないのだ。
どんなことをしても。
『う~』
イアは不服そうだ。
まあ、理解できないだろう。この気持ちは俺しかわからない。
「……納得できないか?」
少し語気を弱めて尋ねる。
『当たり前でしょ!? 納得なんてできないよ! 頼人の命が懸かってるんだもん! でも……』
「でも?」
イアは若干怒ったような口調で続きを言う。
『……止めたって行くんでしょ?』
「ああ、行く」
そう即答する。
『もう! じゃあ絶対死なないようにして! それが条件!』
「当たり前だ。イアとの約束を破るつもりはないから安心してくれ」
それも同じくらい大事だからな。
俺は絶対に嘘をつかないよ。
そう心の中で呟いて目的地へと急いだ。
前回洞窟から逃げ出すとき俺は走るのに精一杯だったので気づかなかったがイアが言うには、俺が駆け抜けた一本道には何個か横穴があったそうだ。
俺とイアが捕まっていた場所には他に(生きた)人間はいなかったので、美咲が捕まっているとすればそのどこかだろう。
そう予想していま俺はその横穴を手当たり次第に調べている。
しかし、どの穴にも美咲はおろか人っ子一人おらず、次第に焦りが募り始めた。
『ここにもいないね』
四個目の穴を調べたがこれまでと同じく空っぽだ。
「クソッ!」
壁を拳で叩いて悪態をつく。その衝撃に耐えられず壁に亀裂が走る。
『頼人! シー! お友達を見つける前にこっちが禍渦に見つかっちゃうよ!』
「ああ、悪い……」
何をしてるんだ、俺は。イアの方がよっぽど頼りになるじゃないか。
助けに行くと言ってここに来たんだろ!? なら少し見つけるのに手間取ったぐらいで取り乱すな!!
そう自分に言い聞かせる。
「イア、残っている横穴はどれくらいだ?」
『うーん、十個ぐらいかな? 逃げるときに見つけた数がそれだけってだけだから、もしかしたらまだ他にもあるかもしれないけど』
「そうか、なら早く次の穴を調べに行こう」
そう言って横穴から一本道へ戻り、更に下に向かおうとした瞬間のことだ。
巨大な岩がもの凄いスピードで俺の鼻先を掠めて洞窟の奥へと転がっていった。
「『………………………………』」
しばらく俺とイアが呆然としていると洞窟の奥から何かが粉々に砕ける音と獣の鋭い咆哮が聞こえてきた。
『頼人』
「おう」
返事をするや否や脱兎のごとく洞窟の入口へと引き返す!
『もう! 頼人が壁をあんなに強く叩くから!』
「やっぱり、俺!? あの岩が転がっていったのって俺のせい!?」
『それ以外ないじゃん! さっきの振動でどこかの岩がバランスを崩したんだよ!』
あー、そういえばさっきあったな……。グラグラしてて、もの凄く不安定そうな岩が。
『同調状態なら頼人が優しく叩いたつもりでも力士の張り手ぐらいの威力はあるんだからね!?』
「そこまで力上がってんの!?」
ならさっきのパンチは相当な威力だったことになる。
同調した状態ではうかうか普通の人間とは触れあえないな。まあ、この姿で人前に出る気はさらさらないが。
ともかくイアに後ろを注意してもらいながら地上へ向かって走る。
今回はあまりに距離が離れているので糸をこちらに飛ばすことはできないとは思ったが念のためだ。
全快とはいえないこの状態で力を無駄に使うことはできない。
「どうだ? 何もしてこないけどアイツはちゃんと追ってきてるのか?」
『うん、大丈夫。ちゃんと追いかけてきてるよ。唸り声と足音が聞こえるから』
「よし、とりあえずは順調だな」
『でも順番が逆になっちゃったね』
洞窟に入る前にイアと考えた作戦では先に美咲を見つけて安全な場所まで避難させてから禍渦と戦うはずだったのだ。
俺が全快の状態なら禍渦を壊してから美咲を探してもよかったのだが、ジャベリンをぶっ放した後、満足に動ける保証はない。
そうなってしまっては探すのに時間がかかってしまうだろう。捕まったのが昨日だとして、まだ一日しか経っていないとはいえ早く助け出すに越したことはない。
「まあ、仕方ない。俺の失敗だしな。いまのは」
つくづく自分の迂闊さが嫌になる。
『まあ、頼人が動けなくなったら私にどーんと任せなさい! 代わりに探してきてあげるから!』
頭の中でイアが胸を張る。
イアがそう言うと同時に洞窟の入口に到着した。
空き地の中心付近に移動しながらイアと会話を交わす。
「さて、後は禍渦が出てくるのを待つだけだな」
『頼人、ミサイルは用意してなくていいの?』
「出てきたところを撃つと洞窟ごと壊しちまうだろ? できるだけ洞窟から引き離して攻撃しないと美咲が埋まっちまう」
『あ、そっか』
「それに周りの木にも気をつけないと。山火事になって人に集まられても困る。一番良いポイントはいま俺たちがいるここで仕留めることだな」
ここならミサイルを爆発させても周囲の被害は最小限で済むだろう。
周囲の確認を済まし、洞窟の方へ視線を戻すと激しい雷鳴のような咆哮が聞こえてきた。
「どうやらお出ましみたいだな」
『うん』
さあ、大事なものを取り返す戦いを始めよう。
洞窟から出てきた禍渦は空き地の中心に立つ俺をすぐに視認したようだ。低い唸り声をあげるとともに突進態勢に入った。
これはこちらとしては好都合である。一番厄介な攻撃である音波を飛ばしてこられた場合、空き地の中心に誘導するのが困難になるからだ。
禍渦が突進を開始するが、その攻撃を跳び箱を跳ぶようにしてかわす。着地してすぐさま振り返ると、攻撃をかわされた禍渦は俺が立っていた中心部分では止まらず、周りの木々に突っ込んでいた。
「……やっぱりそう都合よく止まってはくれないか」
力を使って巨大な落とし穴でも出せれば簡単に動きを封じることもできるんだが、今回に限ってそれはできない。
力を使わずにどうやって禍渦の足を止めるか……。
その方法を考えている間にも禍渦が糸を飛ばしてくるが、その糸を身体を捻って避ける。
さっきの突進で折れた木を使って串刺しにするか?
そこまで考えてすぐさまその考えを却下する。いくら折れて先が少し尖った状態になっているとはいえ禍渦の身体を貫通することはできないだろう。
禍渦が今度は音波を放つ。
「クッ!」
やはりこの攻撃だけは避けきれない。
音波を食らい、後ろに吹き飛ばされる。
後ろにそびえるのは木々。
「があっ!」
凄まじいスピードで飛ばされる俺の身体を木々がその固い体で歓迎する。
激しい衝撃に襲われるが、このままのんびり寝ているわけにはいかない。
禍渦はこちらにダメージを与えた隙に追い打ちをかけようと突進してくる。
すぐに立ち上がりその突進をかわして距離をとる。
足を止めるのが無理なら、突進してくる途中を「ジャベリン」で直接狙い撃つか?
いや、駄目だな……。
禍渦の突進のスピードは恐ろしく速い。狙いをつけて放つまでにこちらが潰されてしまうのがオチだ。
『頼人! 糸がくる!』
イアの声で間一髪飛んできた糸を避ける。糸は背後の木に付着し、まるで巨大なガムが電柱にくっついたようになっている。
前は気づかなかったがこの糸は禍渦の口から発射されている。てっきり蜘蛛らしく尻の部分から放っていると思っていたので正直驚いたが、それでも何とか避けることができた。
糸のついた木々の側から離れ、禍渦との距離を一定に保ちながら様子を見る。
厄介なのはこの糸だけではない。こうして禍渦が動きまわっている間に張り巡らされる罠こそが最大の障害なのだ。
洞窟で見たときは同調状態であったにも関わらず、視認することはできなかった。ならば今回もその罠を避けるのは至難の業であるといえるだろう。しかも、どうやって罠を仕掛けているのかも未だに謎のままだ。
再び禍渦が突進を仕掛けてくるが、それを難なくかわす。
そのとき、何か光を放つものが禍渦の尻の部分から伸びているのを視線の端に捉えた。
あれは……?
着地しながらその正体を探る。
『どうするの!? このままじゃ先にこっちがやられちゃう!』
確かにな。
いまは何とかなっているが、それにも限度がある。手を打たなければ禍渦を倒して美咲を助けるどころか、こちらが先に殺されてしまう。
そうならないためにもまずは俺の予想が当たっているかを確かめなければならない。俺は一度距離を取り、禍渦の突進によってなぎ倒された大木の枝を折る。
『……。まさかそれで戦う気じゃないよね?』
「もちろん」
へし折った枝を掴み、先ほど光を確認した場所に放り投げる。枝は綺麗な放物線を描いて目的の場所に落下――しなかった。
枝は地面すれすれで反転し、端を派手に地面にぶつけた後、宙吊りにされている。まるで昨日の俺のように。
『頼人、あれって……』
「ああ」
これではっきりした。俺がさっき見た光は禍渦の罠だったのだ。
昨日の戦いではどれだけ目を凝らしても見つけることのできなかった罠。しかし、いまはほんの少し注意を払うだけでその位置を確認することができる。
それは別に俺が何か手を打ったわけではない。
禍渦への注意を続けながらも、俺は視線を上に向ける。そこにあったのは月と星が淡く輝いている光景だった。
つまり、禍渦の糸がこの光を反射することで、敵である俺にその位置を教えているのだ。
これで最大の障害は取り除かれた。
『でも、結局禍渦の動きを止められないなら罠の位置がわかっても意味ないんじゃ……』
「安心しろ。禍渦の足を止める方法ならある。俺が避けることしかしてないと思ったら大間違いだぞ」
罠の位置がはっきり視認できるいまなら思う存分その方法を用いることができる。
『本当に? 嘘じゃない?』
「ああ。嘘だと思うなら見ててみろ」
そうして俺は禍渦に視線を戻した。
俺が禍渦の攻略を開始して既に十分が経つ。
禍渦の攻撃は激しさが増してきている。突進、糸吐き、音波といった攻撃を組み合わせることで徐々にだが俺にダメージを与えていく。
その攻撃を受け続けた結果、俺は全身に打撲を負い、少しずつ動きが鈍くなってきている。しかし、それでも致命傷は受けておらず、禍渦の吐く糸にも捕まっていないので全く問題はないといえるだろう。
そう、硬化しつつある自らの糸によって自由を奪われている禍渦の有り様に比べれば全く問題はない。
『すっごーい!』
禍渦の状態を見てイアが素直な感想を述べる。
禍渦の攻略を開始した直後、禍渦が再び糸を飛ばしてきた。もちろんそれに当たるわけにはいかないので屈んでかわす。すると糸は周りに生い茂っている木々に付着した。
ここまではさっきまでと同じ。違うのはここからだ。
俺は糸の付着した木の一本をへし折り、それを右腕で抱える。当然のことだが糸が自分に着かないように注意して、だ。
これで準備は終わり。
再び禍渦が俺に向かって突進してきたのを皮切りにこちらの反撃が始まる。
突進を真上に跳んで回避し、空中にいる間に抱えていた木の幹を両腕で抱きつくように持ち直す。そして、それを禍渦の背に渾身の力を込めて振りおろした。
禍渦は一瞬怯んだが、特にダメージを受けた様子はない。しかし、これで良いのだ。この攻撃は禍渦にダメージを与えることではなく、禍渦に糸を付着させることが目的だったのだから。
その後は説明するまでもないだろう。そう、俺は禍渦を中心としてひたすら逃げ回っただけだ。
木の幹を片手に抱えて縦横無尽に空き地を駆けまわり、禍渦の放ったありとあらゆる攻撃と地面に仕掛けられた罠をかわし続けた。
そして、その結果は俺の目の前に転がっている。
『でも、どうして頼人は禍渦の糸が硬化するなんてわかったの?』
イアが不思議そうな声で尋ねてくる。
「覚えてないか? ほれほれ」
右腕を顔の高さまで上げて振る。
『え、あー!』
どうやら昨日俺の右腕に絡みついた糸のことを思い出して貰えたようだ。
「な? 別に難しいことなんてないだろ?」
注意深く観察していれば、この程度の作戦は誰でも思いつく。今回の戦いで俺は自分が得た情報を利用したに過ぎない。
『そんなことないよ! だって私気づかなかったし……』
イアが何か言ったが最後の方は声が小さすぎて聞こえなかった。気にはなるが、いまは禍渦に止めを刺して美咲を探すのが先決だ。
木々の周辺で動けなくなっている禍渦を両手で掴みズルズルと引っ張る。
同調のおかげであれだけの巨体を誇る禍渦を手こずることなく、空き地の中心部分へと到着することができた。
後は距離を取り、ミサイルで木っ端微塵にするだけだ。
禍渦は歯を剥き出しにしてこちらを睨んでいる。
これから自分の命を奪う俺が憎いんだろう。
そうして憎しみの視線を一身に受けながらも俺の心は高揚していた。
こちらを睨みつける禍渦を正面から見据え、前回は具現化することのできなかった対戦車ミサイル「ジャベリン」を今度こそ出現させる。
弾薬は装填済み。目標を補足。狙うは禍渦の頭部。
そうして一瞬も躊躇することなく撃った。
バックブラストが噴出するとともにミサイルが発射され、禍渦の頭部めがけて飛んでいく。
これで終わる。これで美咲を探しに行くことができる。そう安堵したときだった。
着弾の直前、禍渦は目を見開き、これまでで最も大きな咆哮をあげた。この世の全てを憎むかのような、そんな咆哮を。
一瞬音波による妨害を狙ったのかと思ったが違う。これはただの馬鹿でかい咆哮。断末魔といっても差支えないだろう。
その咆哮の直後、ミサイルは寸分違わず禍渦の脳天に直撃し、爆発が起こった。日常ではまず体験することのない爆音。身体だけではなく心の芯にまで響くような轟音。
音が止んでしばらくすると砂煙が徐々に晴れていく。
未だ残る煙を腕で払いながら前方を確認すると、そこにあったのは。
着弾点から扇状に広がった禍渦の肉片だった。
顎の肉。
足の先端。
脳漿。
それらが一緒くたになって地面に何とも形容しがたいアートを描いている。
「どうだ、イア? 核は壊せたか?」
『……うん。もう力を感じないから完全に壊せてるはずだよ。この肉片もしばらくしたら消えると思うし』
それは良かった。どうやって始末しようかと思ってたところだったんだよ。流石にこのままにしていくのは気が引けるからな。
そう考えている間にも散乱した肉片はサラサラと砂と化していく。
「じゃあ禍渦も壊したことだし、美咲の捜索を再開するとするか」
『足元が少しふらついてるけど大丈夫? 何だったら私だけで探してくるよ?』
「大丈夫だ。まだ頭痛はしてないしな。それにお前美咲の顔知らないじゃないか。それじゃあ一人で行っても仕方ないだろ?」
『あ、そっか』
失敗、失敗と恥ずかしそうに笑う。
「よし、行くか」
禍渦の肉片が完全に消滅したことを見届けてから洞窟の方を振り返ろうとする。
『待って、頼人! 何か……何かいる!』
イアが唐突に制止しようとする。だが、もう遅い。イアの声が頭の中に響いたときには俺は既に振り返る動作を終えていた。
そして、振り返った瞬間、俺の身体は動かなくなった。
何故なら。
振り返った先、俺の視線の先には俺が倒したはずの禍渦が洞窟から這い出ていたからだ。憎しみのこもった眼で俺を睨みつけながら。