嘘発見器、降りる
五分間に及ぶ悶絶の後、俺も何となく腹が減ってきたのでひとまず晩飯にすることにした。
決して更なるイアのビンタに怯えたわけではない。断じて。
まあ、兎にも角にも晩飯の準備をするとしよう。
ご飯はいつも通り一人分しか炊いていないので、たまに飯をたかりに来る龍平用に置いてあった冷凍のご飯を使うことにする。
他に何か使えるものがなかったかと冷蔵庫の中を漁って出てきたのは、ネギ、トマト、豚の挽き肉、 ブロッコリー、ショウガ、豆腐、味噌、シイタケ等々。そして冷蔵庫の一番下の部分におわすは大量の缶コーヒーである。
「うわっ! 何でこんなに缶コーヒーがあるの?」
ビンタ娘、もといイアが後ろで声を上げる。俺を殴って少しはすっきりしたのかさっきまでの機嫌の悪さは見られない。
「好きなんだから別にいいだろ? うまいんだぞー? 風呂上りに冷えた缶コーヒーをこうキューッと……」
「頼人おっさん臭い……」
若干イアが引いているのが悲しい。そういえば龍平もわかってくれなかったな……。
「でも、そんなに良いものなら、何でさっきくれなかったの?」
少し頬を膨らませながらイアが言う。
「あのときはまだ夕方だっただろ? 一日の終わりに冷えたこの缶コーヒーを飲む。これが重要なんだよ」
「うーん、私にはよくわかんないや。じゃあ今日試してみて気に入ったら、これから私も毎日飲んで良い?」
「ああ。それは別に良いけど……」
「やった! 約束だからね!」
そう言ってリビングの方へ消えていくイア。
さて、イアが台所からいなくなったところで、いま俺が思っていることを吐露してもいいだろうか?
イアはここに住むつもりなのか!?
さっきアイツ「これからここでお世話になります」って感じだったじゃん!
確かに俺も自然と晩飯を作ろうとはしていた。けど、俺的には「今日はもう遅いから食べていきなさい」みたいなノリだったんだけど……。
そりゃあ俺は一人暮らしだし、親に関係を怪しまれるとかそんなことはないけど、色々とマズイだろ!? なんか、ほら、色々!
そもそもイアには自分の家はないのか?
さっきも言ったことだが人の身体の中に入るなんて芸当ができるんだから、イアは人ではないんだろうけど、それでも帰る家か拠点ぐらいあるんじゃないか?
……仕方ない、あまり気乗りはしないが晩飯を食いながら聞き出すとしよう。
ひとまず気持ちに区切りをつけて再び晩飯の準備に取り掛かる。
冷蔵庫に残っている材料から作れるものっていったら麻婆丼ぐらいか。幸い調味料や片栗粉は残っているので何とか二人分ぐらいは作れそうだ。
「じゃ、ちゃっちゃと作るとしますかね」
そう言って熱した鍋に油を引き、軽快な音を立てながら挽き肉を炒め始めた。
結局天原家の本日のメニューは麻婆丼、トマトとブロッコリーのサラダ、そして味噌汁という何とも即席で作った感が否めないものだったが
「おいしー! 頼人は料理が上手なんだねー!」
と思いのほかイアが喜んでくれたので、まあ良しとしよう。
人からおいしいと言われたのは久しぶりなので何だか照れくさい。たまに来る龍平も喜んではくれるがイアが喜んでくれるのとで俺の感動のレベルが異なるのは、やはり俺が男の子だからなのだろう。
それにしてもこんなに賑やかな晩飯を過ごしたのも久しぶりだ。最近龍平は親の監視の目が厳しくなったそうで迂闊に外出することができなくなったらしい。遅くまで外出していると親父さんが町を走り回って捜索を開始するんだと。
龍平曰く、親父さんは何というか過保護過ぎる面があって、さっきの例が示すように必要以上に息子に構いたがる性質を持つんだそうだ。
龍平はそれを嫌がっているようだが、直接会った俺の印象としてはは気さくで良い人であるという印象しかない。お手製の龍平アルバムを見せられたときは引いてしまったが。
俺が懐かしの親父さん暴走事件を思い出していると、やっとこさイアも麻婆丼を食べ終わったようだ。
丁度いい、そろそろ本題に入るとしよう。
「イア、ちょっと話があるんだけどいいか?」
「んー? どうしたの?」
お腹が一杯になったのか幸せそうな顔をこちらに向ける。
「これからのことについて話したいんだ」
「これから?」
俺を見ながら首をかしげるイア。
「必要な話はもう全部したと思うんだけどなー。何か話し忘れたことってあったっけ?」といった顔をしている。
いや、話してないことあるよ? そりゃあ、もうたくさん。
しかし、女の子に「ここで俺と一緒に住むの?」とは死んでも真顔では聞けない。そんなことを平然とやってのけるのは石田○一か、ジロ○ラモぐらいなものだろう。
なので時間はかかるだろうが遠まわしに話を進めていくことにする。
「そういえば、俺って全然イアのこと知らないよなー。イアってどこに住んでるんだろうなー」
くぅっ! 棒読みなのはわかってるさ!
仕方ないだろう? 小学校、中学校と文化祭で木の役しか演じてこなかったんだから!
とにかく、ここで大事なのはイアの答えだ。
こういう聞き方をすれば自分の活動拠点の場所を吐かざるを得ないだろう。
そうして場所を聞きだしたらお前を即☆強制帰宅させてくれるわ!
混乱し過ぎて俺自身もよくわからないテンションになっていると、イアは案外あっさりと自分の住む場所を教えてくれた。
「ここ」
俺の家だった。
「……いつからお前は俺の家族になったんだ?」
そう問うとイアは
「家族にはなってないけどパートナーにはなったでしょ? それに私、ここ以外に住む所なんてないし」
と当然のことのように言う。
「ちょっと待て。じゃあ俺に会う前はどうしてたっていうんだよ?」
「どうしてたって言われても頼人と会う前はずっと屋上にいたけど? あ! でも頼人の下駄箱に手紙を入れなくちゃいけなかったから、少しの間玄関にもいたよ」
どうやら話が噛み合っていないようだ。
「待て待て、そうじゃなくて! 俺と会う前はどこに住んでたんだって聞いてるんだよ! 神様の御殿にでも住んでたんじゃないのか!?」
「えー、神様の家なんて知らないよー? それにどこかに住むなんてこと自体したことないし。だって私――」
そこでイアは一旦言葉を切った。
そして、再び口を開き衝撃の告白をしてきやがった。
「生まれてからまだ一日も経ってないんだよ?」
イアの言ったことが本当のことだといつものように瞬時に理解した俺があまりの驚きに何も言えないでいるとイアは続けてこんな提案をしてきた。
「私が生まれたところなら案内できるけど。ここから近いし行ってみる?」
何とも唐突な提案だったが、俺は好奇心を抑えることができなかった。
いや、抑えなかったと言った方が正しいか。
だって俺が失望してきたこの世界でこんなにもおかしく、魅力的なことが起こっているのだ。
喉が渇けば人は誰でも水に手を伸ばす。
それと同じことだ。
「案内してくれ」
気づいたときには俺はイアにそう答えていた。
というわけで俺は食後の後片付けを後回しにして、イアの生まれた場所に案内してもらうことになった。
乾燥機に入れておいたイアの服は乾いていたので、既に着替えてもらっている。
家の中ならともかく女の子をあんなジャージでウロウロさせるわけにはいかないからな。
そうして準備を済ませ、いまはイアの生まれた場所に案内してもらっているところなのだが……。
「これ知ってる! 踏切ってモノでしょ? あ、電車! 頼人、電車だよ!」
こんな調子で俺の数歩前を行く案内人は電柱や信号など様々なものに興味を示し、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしているので、俺たちは果たしてちゃんと目的地に向かっているのかと心配になる。
また、イアのコードは淡く光を放っているので通行人の注意を引いていないかも気になって仕方がない。もし俺がイアと一緒に歩いているこの場面を同じクラスの人間に見られた場合、明日学校での追及は免れないだろう。
そう考え、イアとの距離を少し広げようとしたところで自分が見覚えのある道を通っていることに気がついた。
「……この道、俺の通学路じゃないか」
このまま真っ直ぐ行けば五分と経たずに豊泉高校に着く。
これは余談だが豊泉高校の周りにはまだ自然が多く残っており、校舎の裏側には双子山と呼ばれる大きな山がある。そこは普段子どもの遊び場になっているのだが、最近は失踪事件が相次いで発生しているため、このような遅い時間帯はもちろん、明るい時間帯においても子どもの姿を見ることがなくなった。子どもたちは外で遊べなくなって不満だろうが、事件を未然に防ぐためなので仕方がないだろう。
そして俺も事件に巻き込まれるのは御免蒙りたいのでイアに声をかけることにした。
「イア、まだかかるのか? お前は知らないだろうけど、最近この辺りは物騒なんだ。できればあんまり長居しないほうが良い」
「ああ、やっぱり? 禍渦の気配がするから、もしかしたらそうかなー、とは思ってたんだけど」
「気配がするって……。ま、まさか近くに禍渦があるのか?」
慌てて周囲を見回す。これまで進んできた道とこれから進むであろう道にあるのは暗闇だけだ。何も嫌な気配は感じられない。
そんな俺を安心させるかのようにイアが説明してくれた。
「大丈夫だよ、頼人。気配がするっていっても残り香みたいなものしか感じないから。禍渦そのものに気配はもっと酷いの。こう……、バーッって感じ!」
イアは両手を広げてその凄さを伝えようとしている。心遣いには感謝するが、残念ながら全然伝わらない。
しかし、いいことを聞いた。
「気配がわかるってことは、つまりこうしてイアと歩いているだけで禍渦がどこにあるかわかるってことだよな?」
だとすれば便利だ。ある程度の距離まで近づいてしまえば簡単に位置がわかるということなんだから。
「そうだけど、あんまり期待し過ぎないでね。私だって大まかな位置しかわからないんだから……。あ、着いたよ、頼人」
イアがある建物を指さす。
「着いたってここは……」
イアが指さしていたのは豊泉高校そのものだった。通学路を通って行くので高校方面に目的地があるのだということはわかっていたが、まさか高校そのものだとは思いもしなかった。
自分の通っている高校で少女が誕生するとは誰も思うまい。
俺が唖然としていると、イアはさも当然のように校門を登りだす。
おい! スカートなんだからもっと慎重に行動してくれ! こっちは一応健全な高校二年生なんだぞ!
俺が目を逸らしている隙に、イアはガシャガシャと音をたてて鉄製の門を突破していく。
「頼人―、早く早くー。あんまりここに長居したくないんでしょ?」
そうだ! 早く登らなくてはならない!
つまり、上を見てしまってもそれは不可抗力だ!
そう自分を納得させ、即座に校門を仰ぎ見る。しかし、そこには綺麗な月があるだけだった。
「あれ?」
どこにもイアの姿は見当たらない。そして俺が首を捻ると同時に、イアの声が聞こえてきた。
「ねえ、まだ登らないの?」
声のした方を見ると、既に門を乗り越え、地面に降り立ったイアが俺を見つめている。
「……すぐに登ります」
目を逸らしたことに対する後悔の念を押し殺しつつ、俺も素早く門を乗り越える。
夜の学校には初めて来るが、その校舎はやはりどことなく不気味な雰囲気を醸し出していた。昼間は多くの学生で賑わっている学校も無人になってしまえば寂しいものだ。
ちなみに俺の通う豊泉高校は校門から入って左手にはグラウンドが広がっており、右手には手前に校舎が三棟、奥に体育館が建てられている。
ウチの高校は特にスポーツに力を入れているわけではないのだが、グラウンドも体育館もそれなりの広さを誇る。そのため去年の体育祭では異常な盛り上がりをみせたのだがそれは関係ないので思い出すのはやめておこう。
話が脱線したが、この高校にはそれらの建物以外にもう一つ特徴的なものがある。
それはグラウンドの隅にある小さな古井戸のことだ。
井戸そのものはどこにでもあるような煉瓦造りの丸い口をしたもので、井戸の上には屋根も設置されている。しかし、水を汲み上げるための桶や滑車が見当たらないので、どうやら現在も使用しているのではなく壊す費用が勿体ないので放置されているだけのようだ。
いま俺が何故この古井戸の話をしたかというと、校門を乗り越えた俺とイアが向かった先はその古井戸だったからだ。
そしてイアは目的地に着くや否や、井戸の上に置いてある落下防止用の蓋としての役割を与えられているであろう石板をずらし始めた。見ると既に半分ほどその石板はずらされている。
「頼人も……見てないで……手伝ってよ」
イアが少し怒ったような口調で言う。
「な、何してるんだよ?」
「私が生まれたところに……案内しようとしてるんだけど? 頼人が見たいって……言ったんでしょ?」
そう言って再び石板をずらし続ける。
そのままボーッと突っ立っているわけにもいかないので、慌てて俺もイアを手伝うことにする。
まったく! 俺は! こういう力仕事は! 苦手だってのに!
そう思いながらもイアと協力して石板をずらす作業に没頭する。
思ったよりも石板は重かったが、最初から半分ずらされていたこともあって意外と簡単にどかすことができた。
そうして露わになった井戸の口を覗き込むが、月明り程度の光では井戸の底まで見通すことはできない。試しにその辺にあった石を井戸の中に投げ込んでみると、音が返ってくるまでかなりの時間を要した。……どうやらこの井戸相当深いらしい。
「頼人、頼人」
俺が井戸の底を覗き込んでいると、不意にイアが俺を呼ぶので振り返る。
それと同時に腹部に何やら温かい感触。視線を下に向けると何かがくっついていた。
というかイアだった。
「お、おま! 何してんだ!」
「何って頼人を抱きしめてるんだけど? そんなことより喋ってると舌噛むよー?」
「へ!? 舌!? うぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!?」
抱きつかれ、動揺していた俺がその言葉の意味を問おうとしたその瞬間、俺の身体は空中に浮かんでいた。
慌てて周りを確認するとイアの背中から伸びているコードが井戸の屋根を支えている四本の柱に絡みついている。どうやらコードの力だけで俺とイアは空中に持ち上げられているらしい。
「ちょっとじっとしててね。これ結構疲れるんだから」
そう言ってイアは宙に浮かせた自分と俺を井戸の中に慎重に下ろしていく。
……どうやら大人しく従った方が良さそうだ。そう判断して速まる鼓動を必死に抑えながら俺はイアと一緒に井戸の底へと下りていった。




