神様の独り言
天原頼人とイアが缶コーヒーで乾杯をしている頃、白衣を着た男が天原家の屋根の上で住人たちのやり取りを覗いていた。
「やれやれ、うまくいったみたいですねー」
禍渦を壊した後に、天原頼人が狂ったときはこれまでかと思いヒヤヒヤさせられたが、これで男の役目はおしまいだ。
安堵する白衣の男の顔には笑みが浮かんでいる。
男は長い、長い人生を歩んできた。男が「神」という役目を負ったのはいつのことだったか。彼にはもう思い出すことはできない。
「それにしてもイア……ですか。あはは、あの子が自分に名前をつけるなんてねー。ワタシが創った頃のことを考えると信じられませんねー」
男がその少女を創ったとき、それは只の人形だった。
感情を表に出すことのできない人形。
そんな人形だった彼女は今、彼の家で笑っている。
「何とか彼と会う前に感情表現ができるように調整できて良かった」
そう言って男は自分の創った『HUMANOID TERMINAL(人型端末)』を愛おしそうに見つめた。
男はかつてあの少女を救えなかった。
そして救えなかったのはあの少女だけではない。その他多くの人間を救えなかった。
彼は彼女らを蘇らそうとし、何度も何度も失敗した。
ある人間は身体機能が蘇らず。
ある人間は心が蘇らず。
ある人間は身体機能も心も蘇らなかった。
しかし、あの少女は身体機能も心も蘇った。
「……結局彼女も記憶の修復には失敗してしまいましたけどねー」
それでも、これで彼女は二度目の人生を歩むことができる。
それだけで男の心は少し救われる。
「……それにしてもあんなに危なっかしい人間は数える程しか見たことがありませんよ」
男はこれまでも異能に悩まされていた人間を何人か知っている。
そして、彼らは例外なく死んだ。
ある人間は自らの異能に絶望して自殺し、ある人間は異能に翻弄され発狂し、ある人間は異能に飲み込まれ禍渦となった。
「禍渦に喰われたなんて嘘をついてまで入念に準備をした甲斐がありました。……それにしても嘘をつくというのは見破られない確信があっても、結構ドキドキするもんですねー」
その言葉通り、男は禍渦に喰われてなどいない、ただ姿をくらましただけだ。
そうして天原頼人とイアが出会うように仕向けた。
桐村龍平に書物を与え、白波瀬美咲から学生証を拝借した。
天原頼人に世界のカタチを教えた。
しかしそこから先、手を貸すつもりは毛頭ない。彼にはまだ他にやることがあるのだ。
よっこらせ、と男は屋根から立ち上がる。
「さて、世界を救いに行きますかね」
そう男が口にした瞬間、その姿は虚空へと消えていた。