あくやくれいじょう、苺菓子を取った罪で婚約破棄される
「エルミーヌ・ベルフォール。君との婚約を、本日この場で破棄する」
王太子アルマンの声が、春の祝宴の広間に響いた。
楽団は演奏を止め、貴族たちは息を呑む。
アルマンの隣には、白いドレスをまとった聖女セラフィーが立っていた。その目元は赤く、細い指は胸元で固く組まれている。
対するエルミーヌは、菓子卓の前にいた。
片手には、苺を載せた小さな焼き菓子。
しかも、皿に並んでいた中で最も苺の大きなものだった。
「聞いているのか、エルミーヌ」
「はい。きいておりますわ」
エルミーヌは焼き菓子を持ったまま、ゆっくり首を傾げた。
「こんやくを、やめるのですわね?」
「そうだ。ただし、理由も分からず頷かれては困る。君が未来の王妃にふさわしくないことを、この場で明らかにする」
「まあ」
エルミーヌは苺を見た。
「たべてからでも、よろしいですの?」
「今すぐ置け!」
「はい」
素直に皿へ戻した。
食べかけなので、元の場所には戻せない。端へ寄せる。
アルマンは眉間を押さえた。
「まず、その苺菓子だ」
「こちらですの?」
「今まさに君が食べていたものだ!」
「はい。あまくて、おいしゅうございましたわ」
「感想を求めているのではない!」
広間には、誰一人として笑う者はいなかった。
アルマンは断罪を執り行う王太子として真剣であり、セラフィーは被害を受けた聖女として震えている。
居並ぶ貴族たちもまた、ベルフォール公爵令嬢の罪がどこまで暴かれるのかと、固唾を呑んで見守っていた。
「第1に、君は聖女セラフィーを差し置き、最も大きな苺菓子を取った」
「はい。いちばんおおきかったので」
「それが問題だと言っている!」
「おおきいものは、だれもとってはいけなかったのですの?」
「セラフィーが選ぶ前だっただろう!」
セラフィーが潤んだ目を伏せた。
「わたくしも、苺が好きだと申し上げたことがございましたので……エルミーヌ様なら、覚えていてくださると思っていたのです」
「まあ。せらふぃーさまも、おすきでしたのね」
「以前、お話しいたしました」
「そうでしたの」
エルミーヌは、もう一度首を傾げた。
「では、つぎはおはやめにいらっしゃると、よろしいですわ」
セラフィーが息を詰まらせた。
アルマンの顔が赤くなる。
「第2に、君はセラフィーが宮廷作法に困っていると知りながら、何一つ教えようとしなかった!」
「なにを、おしえればよろしかったのですの?」
「昨日の晩餐でも、セラフィーはどの匙を使うべきか君に尋ねた。それなのに、君は窓の外を見ていたそうではないか」
「はい。ことりがおりましたので」
「聖女が困っていたのだぞ!」
「じょかんちょうさまが、おとなりにいらっしゃいましたわ」
「君が教えれば済むことだ!」
「せらふぃーさまのおべんきょうは、わたくしのおしごとでしたの?」
問い返す声には、悪びれたところがなかった。
ただ本当に分かっていないように、柔らかく、頼りなく響く。
「未来の王妃となる者ならば、聖女を導き、支えるのは当然だ」
「まだ、おうひではありませんのに?」
「その心構えがないことを責めている!」
「そうでしたの」
エルミーヌは納得したらしく、小さく頷いた。
「では、第3だ」
アルマンは傍らの側近から紙を受け取った。
「先月、北方連合の使節を迎えた際、私は使節団長の名を一時的に失念した」
「はい」
「君はその名を知っていたにもかかわらず、私へ教えなかった」
「でんかがおむかえになるかたでしたので、でんかがごぞんじだと、おもっておりましたわ」
「私が困っていることには気づいていただろう!」
「おかおが、あかくなっておりましたので」
「ならば、なぜ助けなかった!」
「おたすけしてくださいと、おっしゃいませんでしたもの」
広間のどこかで、誰かが咳払いをした。
アルマンはその方角を睨み、紙を握り直した。
「第4に、君は王妃教育へ真面目に取り組まず、講義中に菓子を食べ、窓の外を眺め、同じ箇所を3度も聞き返した」
「はい」
「否定しないのか」
「おかしは、おなかがすいていたのでいただきました。おそとは、よいおてんきでした。おはなしは、むずかしかったので、3かいききましたわ」
「恥じる気持ちはないのか!」
「わからないままにするほうが、よくないのではありませんの?」
「そういう話ではない!」
王太子の声が広間を震わせた。
エルミーヌは驚いたように肩をすくめる。
それを見たセラフィーが、庇うように一歩前へ出た。
「殿下、どうかお怒りをお鎮めください。エルミーヌ様も、きっと悪気がおありだったわけでは……」
「セラフィー。君は優しすぎる」
アルマンは苦しげに首を振った。
「だが、悪意がなければ許されるわけではない。未来の王妃が、何も考えず、何も担わず、周囲が困っていても菓子を食べている。それ自体が罪なのだ」
「まあ」
エルミーヌは、皿の端に置いた苺菓子を見た。
「さめてしまいそうですわ」
「まだ菓子の心配をするのか!」
「せっかく、つくってくださったものですから」
「もういい!」
アルマンは紙を側近へ突き返した。
「ほかにも、私が来賓への挨拶を終えていないのに定刻で帰ったこと、式典の席順に不備があると気づきながら侍従長へ知らせなかったこと、セラフィーが貴婦人たちとの会話に窮しても助け舟を出さなかったこと。君の怠慢は枚挙にいとまがない」
「でんかのおきゃくさまでしたので」
「せきじゅんをきめるのは、じじゅうちょうさまですわ」
「せらふぃーさまは、ごじぶんでおはなしなさっていました」
エルミーヌは1つずつ答えた。
どの返事も、罪を認めているようで、反省しているようには聞こえない。
「君には、婚約者として私を支える意思がなかったのだな」
「でんかには、たくさんのかたがついていらっしゃいますもの」
「それでも、最も近くで支えるのが婚約者だ!」
「そうでしたの」
「そうだ!」
「たいへんですわね」
アルマンは目を閉じた。
怒鳴ることすら疲れたようだった。
「私は今日まで、君が成長することを待っていた。いつか自らの立場を理解し、王太子妃として責任を担うようになると信じていた」
「おまたせして、もうしわけございません」
「だが、もう待てない。私は、国と民へ心を砕き、未熟でありながら懸命に学ぼうとするセラフィーを選ぶ」
セラフィーは涙を浮かべ、アルマンを見上げた。
「殿下……」
「エルミーヌ・ベルフォール。以上の罪と、王太子妃としての資質を著しく欠くことを理由に、君との婚約を破棄する」
重い沈黙が落ちた。
その中で、エルミーヌだけが、いつもと変わらずぼんやりと立っていた。
「こんやくは、ほんとうにおしまいですの?」
「ああ」
「あとから、やっぱりなしには、なりませんの?」
「ならない」
「こくおうへいかも、ごしょうちですの?」
「父上の裁可はすでに得ている」
アルマンは側近へ手を差し出した。
差し出されたのは、赤い封蝋の施された書面だった。
「王家の印を押した正式な破棄状も用意してある。今夜中にベルフォール公爵家へ届けられる」
「おとうさまにも、かならずとどきますの?」
「ああ」
「これは、でんかだけのおきもちではなく、おうけのせいしきなけっていですの?」
「そうだ。もはや覆らない」
「わたくしは、もう、おうひのおべんきょうをしなくてもよろしいのですね?」
「君が王妃になることはない」
「でんかがおこまりになっても、おてつだいしなくてよろしいのですね?」
「君の助けなど二度と求めない!」
「せらふぃーさまのおべんきょうも?」
「必要ない! 何度言わせる。君はもう、私の婚約者ではない!」
「そうですの」
エルミーヌは、ふんわりと笑った。
それから、細く息を吐いた。
「――そう。せいせいしたわ」
声が違った。
甘く、幼く、どこか舌足らずに丸められていた響きが消えていた。
静かで低い声が、広間の床を滑る。
傾いていた首が戻る。
曖昧に伏せられていた目が上がり、アルマンをまっすぐに見据えた。
背筋が伸びた。
ただそれだけだった。
髪も、化粧も、淡い桃色のドレスも何一つ変わっていない。
それなのに、そこに立っている女は、先ほどまでの「あくやくれいじょう」ではなかった。
唇に浮かんだ笑みは、柔らかいのに冷たい。
幼い少女のように見えていた公爵令嬢は消え、年齢相応の艶と気品を備えた女が立っていた。
「殿下がご自身の意思により、国王陛下の裁可を得た上で、王家の正式な決定として婚約を破棄なさった。確かに承りましたわ」
「君は……」
「セラフィー様」
エルミーヌは、王太子ではなく聖女を見た。
セラフィーが思わず姿勢を正す。
「昨日お尋ねになった匙は、魚料理には外側から2本目をお使いくださいませ」
「え……」
「ですが、次からは女官長へお尋ねなさい。わたくしはもう、あなたをお支えする立場ではございませんから」
「知って、いらしたのですか」
「ええ」
たった一言だった。
それ以上、説明する気はないらしい。
アルマンが一歩踏み出した。
「待て。では、これまでの君は何だったのだ」
「もう婚約者でもない女のことを、殿下がお知りになる必要がありまして?」
「私を欺いていたのか!」
「殿下は先ほど、わたくしが何も考えず、何も担わない女だから婚約を破棄するとおっしゃいました」
エルミーヌの笑みは崩れない。
「望みどおり、その女をお捨てになった。それで十分でしょう」
「エルミーヌ!」
「今後は、セラフィー様とお二人で、どうぞ立派にお役目をお果たしくださいませ」
完璧な礼をする。
誰にも隙を見せず、誰の助けも必要としない、公爵令嬢の礼だった。
「それでは皆様、ごきげんよう」
踵を返す。
歩き方まで違って見えた。
小さく頼りなく歩いていた少女はどこにもいない。
ドレスの裾を静かに揺らし、エルミーヌ・ベルフォールは広間を横切った。
誰も、彼女を止められなかった。
ベルフォール公爵家の馬車へ乗ると、向かいに座った侍女が、エルミーヌの髪から小さな花飾りを外した。
「長いお勤めでございました」
「ええ。11年ですもの。随分とかかったわ」
7歳で婚約したエルミーヌは、18歳になっていた。
屋敷へ戻ると、公爵夫妻はまだ執務室にいた。
父は娘の顔を見るなり、手にしていた書類を机へ置いた。
「終わったか」
「ええ。国王陛下の裁可も得ております。王家の印を押した破棄状が、今夜中に届くそうです」
「そうか」
父はそれだけ言った。
母が、娘のために椅子を引く。
エルミーヌは腰を下ろし、侍女が淹れた濃い紅茶を口へ運んだ。
「7歳だったわね」
母が静かに言った。
「初めて王宮へ上がった日に、殿下が投げ出した外国語の課題を、あなたが代わりに解いてしまったのは」
「使節の子供たちが揉めていたので、順番も決めた」
父の声は低い。
「陛下はお喜びになった。殿下に足りないものを補える娘だと」
ベルフォール公爵夫妻は、娘が幼すぎることも、本人が望んでいないことも理由に断った。
けれど王家は、それほど優秀な娘なら、なおさら王太子のそばへ置くべきだと言った。
名誉ある婚約だった。
断ることを許さない種類の名誉だった。
「婚約した翌月には、殿下が覚えなかった来賓の名を、あなたが覚えさせられた」
「翌年には、殿下が嫌がった式典の進行を任されたわ」
「殿下が失言すれば、お前が相手を宥めるようにと言われた」
「未来の王妃なのだから。婚約者なのだから。殿下をお支えするのが役目なのだから」
エルミーヌは紅茶を飲んだ。
「一度できると見せれば、次も任されましたわ」
褒められた分だけ、仕事が増えた。
王太子がしなかったことまで、婚約者の務めになった。
王太子が失敗すれば、支えきれなかった彼女の責任になった。
けれど、彼女がうまく収めれば、それは王太子が立派に務めたことになった。
「だから、できない娘になった」
母の言葉に、エルミーヌは微笑んだ。
「王宮でだけ、ですわ」
話を聞かない。
集中しない。
難しいことは分からない。
王太子が困っていても気づかない。
頼めば余計に手間が増える。
そう思われれば、仕事は来ない。
来たとしても、すぐ別の者へ回される。
ただし、落第するほどには崩さなかった。
エルミーヌは講義へ欠かさず出席し、試験にも落ちなかった。
王太子妃候補として最低限求められた役目は、自分の分だけ果たした。
ただし、王太子の分まで答えることだけは、二度としなかった。
「あくやくれいじょう」は、誰かを傷つけるための役ではなかった。
仕事も責任も、王家の不足も、幼い娘一人へ集中させないための擬態だった。
「陛下も、王太子を支える役には立たない娘だと判断なさったのだろう」
父が目を伏せた。
「お前を婚約から外せなかった」
「王命に逆らえば、ベルフォール家だけでは済みませんでしたわ」
「それでも」
「家では、わたくしを愚かな娘として扱わなかった。それで十分です」
侍女が、新しい菓子皿を運んできた。
焼き菓子の上には、赤い苺が載っている。
どれも大きさは違った。
「王家は、すぐに助力を求めてくるだろう」
父が言った。
「殿下の公務、聖女の教育、王太子妃としてお前へ預ける予定だった仕事。すでに王宮では、お前が引き受ける前提で組まれているものもある」
エルミーヌは皿を眺めた。
そして、一番大きな苺菓子を取った。
「王家から依頼がありましたら、いかがいたしましょう」
侍女が尋ねる。
「すべて断って」
「聖女様の教育も?」
「王太子殿下の公務も」
エルミーヌは苺へ歯を立てた。
「もう、誰が困っても、わたくしの役目ではないわ」
今回は、平仮名の「あくやくれいじょう」と、その役の奥にいた、漢字の「悪役令嬢」の話でした。
一度できると知られると、次も頼まれる。
頼まれたことを片づけると、いつの間にか自分の仕事になる。
けれど、うまくいったときの成果は別の人へ渡り、失敗したときだけ「なぜ支えなかった」と責められる。
それなら最初から、できない人だと思われていた方が楽なのではないか。
そんな少し後ろ向きで、それでもかなり切実な抵抗から、エルミーヌは生まれました。
悪役令嬢というテンプレを使いながら、テンプレのままでは終わらないように、手を変え品を変え考えています。
同じ「悪役令嬢」と呼ばれる子でも、背負っているものも、逃げ方も、戦い方もそれぞれ違う。
そこが、書くうえで難しいところでもあり、どの子も可愛いと思えるところでもあります。
前半は、一番大きな苺菓子を取ったことまで真顔で罪にされる、しょうもない断罪劇です。
けれど彼女が11年間守っていたものを考えると、「せいせいしたわ」の温度は、少しだけ冷たくなります。
誰かが困っていることと、自分が助けなければならないことは、同じではありません。
まして、正式な担当者がいるのなら。
最後くらいは、誰にも譲らず、一番大きな苺を食べてもらいました。




