#007 Junkie & Messenger
僕が走ってる理由ってなんなんだろう。
一人になったいまも走り続けているその理由って――。
ときどき僕はそんなことを考える。
だけど、そんなことをいくら考えてみても答えなんか見つかりそうな気配はない。
僕は欲望の赴くままにクルマを走らせている。それは本能みたいなものだった。
ヒリヒリするようなスリル――、それだけをただ求めていた。
だけどスリルって奴は感覚を少しだけ麻痺させるらしい。
一度その快感を知ってしまうと、もう現状維持では満足できなくなってしまう。
スピードに魅せられてしまったいま、僕の欲求は際限がなくなってきている。さらなる刺激を求め続け、死と隣り合わせのスリルに溺れかかっている。まるで麻薬に溺れたジャンキーのように。
いつか僕は、僕自身のキャパシティを超えてしまうのだろう。そしてその日は意外と近いのかもしれない――、そんな予感が僕の頭の中には常にあった。
二日ぶりに帰ってきた家。
駐車場には、セルシオとルノーが所定の位置に停まっていた。
僕はAA63を駐車場の右端に停めると、グローブボックスからシガーケースを取りだし、シャツのポケットに徐に収めた。そしてターボタイマーが切れるまでシートに凭れたままでいた。
陽は既に暮れていた。
やがて駐車場のセンサーライトが消え、程なくエンジンが停止した。
暗闇と静寂に包まれた僕はそっと目を閉じてみた……しかし睡魔が訪れる様子は微塵もなく、僕は諦めてクルマを降りた。
人感センサーが反応し、アプローチの照明が点灯した。その淡い光は、僕の帰りを待ちわびていたかのように、足元を優しく照らしてくれた。
重い玄関扉を静かに開ける。
リビングからは灯りが漏れていたが、誰かが顔を出すことはなかった。もっとも僕としても誰にも会いたくはなかったのだが。
僕は腰を屈め、靴ひもを弛めてからシューズを脱ぐと、シューズクロークの上から三段目の棚につま先を揃えて並べた。
そしてスリッパを引っかけ、音を立てないように階段を昇り始めた。
足取りも重く二階の一番奥の部屋に辿り着いた僕は、扉に付いた番号錠を右手の中指でプッシュした。
さっきからなんとなく頭も重い。どうせ眠れはしないのだろうが、取りあえずベッドに横になりたい――。
「……?」
カギはロックされたままだった。
いったんリセットボタンを押し、もう一度指先で番号を打ち込む――。
洒落っ気のない音とともに、カギは難なく解錠された。
僕はため息を吐いた。
留守のあいだに誰かが部屋への侵入を試みたようだ。当然不調に終わったようだが。
僕は部屋に入ると、まずドアを施錠して、部屋を見渡した。
一弥君の病室並みに殺風景な部屋――。
留守中に入られても盗られるものなんかないし、見られて困るものも特には置いていない。だが、僕の関知しないところで、勝手に僕の所有物に触れられるのはあまり気分のいいものではない。
だから僕はカギを付けている。
友人の鍵屋に頼んで、玄関用の番号錠を加工して取り付けてもらった。しかも番号はしょっちゅう変えている……だからといって万全だとは言えない部分もあったのだが。
デスクの上にシガーケースとクルマのキーを置き、ずっと置いたままだった烏龍茶のペットボトルを手に取った。
1.5リットルのペットボトルには、まだ中身が半分ほど入っていた。僕はキャップを外しペットボトルに口を付け、温い烏龍茶で喉を潤すと、シャツを脱いでベッドに倒れ込んだ。
シャワーを浴びたい――。
寝ころんだ瞬間、ふとそんなことを思った。
しかし階下に降りれば誰かとはち合わせする可能性がある。だがいまは誰とも顔を合わせたくない。
寝静まるまで待つか――。
僕は自問しながら時計に目をやった。
時計の針は八時を少し回ったところを指していた。
僕はまたため息を吐いた。
考えてみればこんな時間に帰ってくるべきではなかったのだ。こんな時間に帰ってきても、一人で過ごす夜が長すぎるだけだ。
日帰り温泉にでも行くか……。
僕は立ち上がり、脱いだばかりのシャツを羽織ると、シガーケースとキーをポケットに押し込んだ。
取りあえず、国道一六号線沿いのあそこなら二四時間やってるはず――
――コン。コンコンコン。
ドアがノックされた。
僕は咄嗟にドアノブを握っていた手を引っ込めた。この特徴的な音は由佳里に違いなかった。
――コン。コンコンコンコン。
再び聞こえてきたのは、さっきよりも苛立たしげにドアを叩く音だった。
「……」
僕は新芽のような髭が生えたアゴを撫でると、目を閉じていまの状況を整理した。
ドアの向こうにいるのは由佳里に違いないが、「僕の部屋まで尋ねてくるほどの用事」が彼女にあるとはあまり考えられない。おそらく父に頼まれて呼びに来たとか、そんなどうでもいい理由だろう。
無視しよう――。
僕は自らに言いきかせるように頷くと、音を立てずにベッドに腰を下ろした。しばらく静かにしてやり過ごすことにした。
仰向けになり、そのまま天井を見つめてみる。ベッドに括り付けられた自分をイメージして……。
毎日天井と向き合う生活。
とてもじゃないが僕には耐えられそうにない。そして代わる代わる「弱った僕」の様子を「友だちヅラして」見に来る奴ら……考えただけで吐き気がする。
「ねえ! いるんでしょ?!」
ドアの向こうから尖った声が聞こえてきた。
痺れを切らしたようなその声は明らかに苛立たしげで、それが却って僕の腰を重くした。
それでもドアを叩く音は止まなかったが、僕はベッドに倒れたまま息を潜めていた。由佳里の気配が消えるまで、天井と睨めっこすることを選んだ。退屈と向き合う決意をした。
しばらくして時計を見ると、針は九時の少し手前を指していた。
僕は首を傾げた。
どうも時間の感覚が少しおかしい。
もう二時間くらいたったものだと思ってたのだが……どちらにしてもドアの向こうは静かだった。いつのまにかドアをノックする音も消えている。由佳里がいる気配も今はなかった。
僕は勢いを付けて立ち上がると、大きくノビをした。そしてシガーケースとキーを掴むと、ロックを解除しそっとドアを開けた。
しかし、そこには見事に気配を消した由佳里がいた。
「ほら。やっぱいるんじゃん」
彼女は廊下に腰を下ろし、雑誌を広げていた。
「なんで居留守なんか使うの?」
明らかに不機嫌そうな口ぶりだ。
「寝てたんだ」
僕は何の感情も込めずにそう言ったが、彼女はそれを無視するように、不審そうな視線を僕の部屋へと向けた。
彼女のそんな視線を遮るように、僕はカラダをずらしたが、彼女は突然、僕の横をすり抜けて部屋への侵入を試みようとした。
僕は咄嗟に由佳里の首根っこを掴んだ。
「え~いいじゃん、ちょっとぐらい――」
「だめ」
僕は短く言い放つと彼女を廊下に出し、後ろ手にドアを閉めて施錠した。
「なんでよ、ケチ」
ケチって……。
由佳里は相当不満そうだったが、僕にしてみればそんなことを言われる筋合いはない。
部屋への自由な出入りを認めるくらいなら、こんなカギなど付けている理由がない。
「あ。また出掛けるの?」
「ああ」
「どこへ?」
ドコって……彼女に伝える必要性は感じない。
僕は黙ったまま南西の方向にむかって円を描いた。
「帰ってきたばっかりじゃん」
彼女は不服そうに言った。
確かに彼女の言うとおりではあったが、強いて言うなら、いま帰ってきていることの方が間違いだったのだ。
「昨日はドコに行ってたの? 一昨日は?」
由佳里は執拗に僕を問いつめてきた。
たった二日、家を空けただけ……小学生じゃあるまいし――。
僕は思わず苦笑いした。
彼女の母親にそっくりだと思った。
由佳里の母親は僕にとっては二番目の母親だった。
ちょっと口うるさい人だった。
でも、僕と父の意見が合わないときは、いつでも無条件で僕の味方をしてくれる人でもあった。
その母親がいなくなってから何年も経ったが、由佳里は口調がだんだん彼女に似てきている。
だけど由佳里も僕の味方をしてくるのかといえば、そうとばかりは言えないような気がする……理由は特にはないのだが。
「で、何か用なのか?」
僕は彼女の言葉を遮った。
「ああ――」
彼女は芝居がかった態度で大きく頷いた。
「城戸祐二って知ってる?」
キドユウジ……。同姓同名の男なら僕の知人の中に一人だけいるが。
「ねえ、知ってる?」
由佳里は急かすように言った。口の端に不敵な笑みを浮かべて――。
しかし僕はなにも応えなかった。
キドユウジという名前が珍しいかと言われればそうでもないような気がする。じゃ、同じ名前の奴を他に知ってるかと言われれば「知らない」と答えるしかない。
つまりよくあるようで、意外とない名前なのかもしれない。
だが、由佳里のいう「キドユウジ」が僕の知るそれだったとしても、あいつが高校生の間で人気者になってるとか、有名になってるというわけはない。おそらく僕が留守の間に電話がかかってきたってところ……。どちらにしても僕としては興味がない――。
僕は無言のまま、曖昧に首を傾げた。
「え……知らないの?」
眉を顰めた由佳里に向かって、僕はもう一度曖昧に首を傾げた。
「向こうは友だちだって言ってたんだけど……」
聞き間違いかなあ――。
彼女は首を捻ったが、どうやら彼女の言う「城戸祐二」と僕の知るそれとは、若干「お互いに」認識のズレがあるようだったが同じ人物のようだ。少なくとも僕は彼を「友人」だとは思っていない。
「本当に知らないの?」
彼女は納得のいかない表情で僕を窺った。
「いや――」
僕は口元を弛めた。
「そいつなら知ってるかも」
そう呟いた瞬間、彼女は小さく舌打ちした。そして長~いため息を吐いた。
「な・ん・で……すぐにそうやって惚けるワケ?」
由佳里は口を尖らせて僕を睨んだ。
「べつに惚けたつもりは――」
「電話して。帰ってきたら電話させるって言っちゃったから」
彼女は僕の言葉を遮ると、コードレスの電話機を僕の鼻先に突きつけてきた。
「……わかった。帰ってきたら、な」
僕はそう言うと彼女の前を横切り、階段に向かった。
「ちょ、ちょっと。出掛けるなら電話してからにしてよ?!」
由佳里は慌てたように、もう一度、受話器を僕に押しつけてきた。
やれやれ――。
僕は仕方なく受話器を受け取った。
有無を言わせない態度が、ますます母親にそっくりだと思った。
わがまま三昧だった父も彼女には敵わなかったようで、けちょんけちょんにやり込められているのを何度か目にしたことがあった。
しかし……あの頃はソレを見て笑っていたが、キャスティングがそっくり入れ替わってしまったようないまの状況は、僕としてはまったく笑えないものだった。




