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#072 Specialist


 日付が変わり水曜日になった首都高速環状線。

 僕はいつものスープラではなく、堤のGS131クラウンを走らせていた。

 1G-GZ改・シーケンシャルツインチャージャーエンジンを搭載したGS131クラウンロイヤルサルーン。

 ここ数日のあいだ「試運転」と「微調整」を何度も繰り返し、ようやく環状線を走る準備が整ったのは数時間前のこと。

 もっとも今日に合わせて「ムリヤリ仕上げた」という方がきっと正しいのだと思うが。



//――こちらローランド。いま環状線に合流しました――//



 スピーカーから聞こえてきたのは伊豆見の声だった。

 最後尾に付けていた彼の合流で、いま現在僕らの仲間総勢11台が首都高速環状線を走っていることになる。

 熊沢の呼びかけに集まった11台のクルマ。熊沢の店に出入りするいつもの連中と解散寸前の「丸蓮宝燈」の奴ら、「瑞穂埠頭」のブラッドリーとトーマス……そして赤黒の86レビンの人。さっき熊沢から紹介されたものの、聞きなれない名前は耳に馴染まず憶えられなかった。

 一度だけ瑞穂埠頭で見かけたことがある赤黒レビン。それもほんの一瞬のことで印象にはほとんど残っていない。丸刈りの黒髪にずんぐりとした筋肉質の体型……ブラッドリーが「サージェント」と呼んでいたから「軍人」には間違いないと思うが。



//――誰の姿もないんスけど、もうちょっと前に詰めちゃっていいですかね――//



 また伊豆見の声がした。

 熊沢はひったくるようにしてマイクを口元に近づけると「いや、取りあえず120km/h巡航でよろしく」と呟いた。

 そしてそのまま僕の方に身を乗り出すようにしてメーターパネルを覗き込んでくると、「おまえはもうちょい前に行けや」とフロントガラスの先を指さした。

 僕は静かに頷くと、ぐっとアクセルを踏み込んだ。

 スーパーチャージャーの作動を示す緑色のランプが点灯し、同時に120km/hのあたりを指していたスピードメーターの針が跳ね上がった。

 加速のフィーリングは悪くない。スーパーチャージャーからターボチャージャーへの切り替わりも違和感はない。ただしアクセルを踏み込んでいるあいだ、緑色のランプが点灯しっぱなしだというのは気になるが。

 それはさておき、クラウンは軽快な走りを見せている。

 フルフレームの重い車体に2Lエンジンのクラウンは、「走り」に適しているのかといえば首を傾げざるを得ない。しかし実際に走らせてみると意外なほどに軽快な動きを見せてくれた。マイナス要因のひとつだと思っていた重いフルフレームも、断続的に細かいカーブが現れる環状線では、むしろその高い剛性が有利に働いているような気がした。そして1G型エンジンも「レスポンスのよさ」という点においてはその「非力さ」を補ってくれているような気がした。もっとも「非力さ」については、いくぶん改善されているというのは間違いなかったが。


「ココを抜けたら、もうちょい踏み込んでみろよ」

 熊沢は前方をアゴでしゃくった。

 まもなく北の丸トンネルに差しかかるところだった。

 ここからしばらくは緩やかなカーブと合流・分岐が続く。シーケンシャルチャージャーの威力を試すのは霞が関の先の直線までは「お預け」ということらしい。


 北の丸トンネルを抜け、千鳥ヶ淵の急カーブに差しかかった。

 僕はオーバードライブを解除して、足先で弾くようにブレーキペダルを叩いた。

 速度の落ちたクラウンは、僕のステアリング操作に即応して素直にアタマの向きを変えていく。それは僕の知る「クラウン」とはベツモノと言えるような動きだった。

 しかし足回りに関しては僕が仕上げたものではなかった。というより足回りは当初のままでいっさい手を付けていない。

 熊沢と山田の会話を盗み聞きしたかぎりでは、足回りは「春日部の門田」がセッティングしたもののようだった。熊沢がいっていたとおり足回りに関して、彼はスペシャリストといえる存在のようで――


「……なにブツブツいってんだよ?」

 熊沢が怪訝そうに呟いた。

「いえ……べつに」

 僕は前方に目を向けたまま言った。

 どうやら声に出していたようだ。無意識の独り言はとても恥ずかしいコトに思えたが、それを悟られないよう努めて平然とした態度を取り繕った。しかし――


「ま……そんなに心配するな」

 熊沢は鼻を鳴らした。僕は心の中で首を傾げた。

「これだけの包囲網を敷いたんだ、きっと引っかかるだろうよ」

 この環状線のどこかで、きっとな――。


 そう言った熊沢の声色は満足げで、まるで僕の心情をすべて理解しているとでも言いたげだった。

 しかし、あいにく僕はそんな心配はしていなかった。


「……会えるといいですけどね」

 僕はそっけなく答えると、視線を前方に固定したまま口元を弛めた。

 クルマの能力だけなら天使のケンメリとも十分に渡り合えそうな予感があった。しかしそれをドライブするのは僕の役目ではないような気がしていた。

 




 やがて霞が関トンネルを抜け、目の前には直線が現れた。

 ため込んでいたストレスを吐き出すようにアクセルを踏み込む。加速したクラウンは瞬く間にスピードメーターを振り切った。

 

「悪くはないな」

 熊沢は独り言のように呟いた。

「そうですね」

 僕は短い言葉を返した。

 熊沢の言葉を借りるまでもなく「悪くない」加速感だった。

 スーパーチャージャーの特性である「下」のレスポンスを殺さずに、ターボチャージャーで「上」を伸ばす。

 堤の注文であるそれについては「クリアできた」と言ってもよさそうだった。ただし気になる点がまったくない、というわけではなかったが。



「もし、天使を見つけたらなんだが――」

 不意に熊沢が呟いた。

 しかしどういうわけか言いかけたまま口を閉ざした。


 僕は続く言葉を待ってみた。

 しかし助手席の沈黙が解かれる様子はなかった。


「……見つけたら?」

 僕は前方を凝視したまま呟いた。

 急かす意図はまったくなかったが、熊沢はそうは受け取らなかったようで、「あ、ああ――」と慌てたように熊沢は咳ばらいをした。そして「今度は踏み込めよな、躊躇することなく」といつになく穏やかな声で言った。


「了解です」

 僕は言ってから口元を弛めた。

「ですけど保険って大丈夫ですよね、これ。事故っても自腹は無理ですよ?」

「心配するな」

 僕の言葉に熊沢は鼻を鳴らすと「堤は金持ちだからな」と声をあげて笑った。

 熊沢からの返事は僕を安心させるだけの説得力には欠けていたが、僕はそれを言葉にすることなく、前を見たまま小さく首を傾げた。

 視線の先には一の橋ジャンクションのカーブが大きく口を広げて待ち構えていた。






***


 芝浦パーキングには排気音が鳴り響いていた。

 僕は缶コーヒーを片手に駐車場脇の歩道に腰を下ろし、クラウンのエンジン音に耳を傾けていた。

 アイドリング状態のエンジンは安定していた。

 始動時はハンチング気味ではあったが、いまではそれも収まっている。まあ特に問題らしい問題はなさそうだ。



「――もう走ってないんじゃないすか」

 不意に富井の呟く声が聞えた。

 ここまで空気以下の存在感しか示さなかった彼の肉声……今日初めて聞いたような気がする。

「……かもな」

 熊沢が応えた。

 彼は眉間に皺を寄せたまま僕の方に目を向けていたが、僕は何も答えずに缶コーヒーを口に運んだ。



 天使は今夜も姿を見せなかった。

 僕らの包囲網をうまく掻い潜ったのか、それともソコにはいなかったのか。

 どちらにしても以前はあれだけ頻繁に遭遇していたのに、いまではその気配すら感じることができなくなっている。「もう走ってはいないんじゃないか」という富井の台詞もあながち否定できないような気がした。

 そして程なくして僕らは解散した。

 僕としてはこのまま横横方面に帰れば家まですぐなのだが、熊沢を送るために辰巳方面に向かった。



 深夜の湾岸線。

 二台のGT-Rが爆音を響かせながら走り去るのを見かけたが、それ以外にはソレらしいクルマの姿もない。遥か前方にはいくつかのテールランプが灯っているのが見えたが、あえてそれを追いかける気分でもなく、僕はただ流れに任せるようにクルマを走らせていた。


「で、どうよ。仕上がりの方は?」

 不意に熊沢が口を開いた。間もなく辰巳ジャンクションに差しかかるところだった。

「完成ってコトでいいのか、これで」

 どこか馬鹿にしたような笑いを含んだ声……僕は微かな苛立ちを覚えたが、あえてそれには気付かないふりで平然とアクセルを煽った。

「……門田さんのところに行ってみようかと思ってます」

 醒めた声で言った。

「門田あ?」

「ええ。足回りの微調整をお願いしたいんですけど」

 熊沢はシートから身を乗り出してきたが、僕はさっき以上に醒めた声で言った。


 エンジンについてはほぼイメージどおりといっても良さそうだった。

 しかしさっき直線で加速したときに気づいた僅かな車体のブレ。環状線の継ぎ目ごとに若干左右に振られる感覚があった。

 おそらくターボを組んだこともあって、重量の微妙なバランスが崩れたのだろう。

 普通ならそれほど気にならない程度の違和感ではあったが、門田が組んだ足回りは精密機器のように絶妙のバランスに仕上げられていた。だからこそ些細な挙動が却って気になる。そしてメーターを振り切るほどの速度域では「その違和感」こそが命取りになるということは疑いようがなかった。


「べつに門田なんかに頼まなくても、自分で調整してみりゃ――」

「あんまり時間を掛けたくないので」

 熊沢の言葉を遮って自嘲気味に呟いたが、それは僕の本音でもあった。

 ある程度の調整は環境さえ整えば自分でもできるような気がした。しかし試行錯誤しながら自分でやるより門田に任せた方が話は早いし、手伝うという口実で彼の作業を直に見られれば僕にとってはさらに好都合だったし。


「明日にでも行ってみようと思ってます」

 僕は有無を言わせない態度で言った。

 熊沢が僕と門田を会わせたくないと思っているのはなんとなくわかっている。まさか僕が「門田のチームに移籍する」なんてことは本気で疑っていないとは思うが、それでも僕と門田を会わせたくないと思っているのは彼の言葉の端々からうかがい知ることができた。


「……わかった。門田にはおれから連絡を入れておく」

 熊沢は渋々といった感じで呟いた。

 そんな熊沢に短く礼を述べた僕だったが、次の瞬間にはべつのコトに考えが及んでいた。それはチューニングに関する問題点というわけではなかったが、少なくとも僕にとっては「難題」の部類に入る作業だといえるもので……。


 近いうちに松井清和に会う必要があるかもしれない――。

 そんなことを考えながら、僕は小さくため息をついた。




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