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#067 Communication


「おお……。ホントに堤さんのクラウンだ……」

 工場を覗きこんできた樫井が呻くような声を上げた。

 例によって何の前触れもなく現れた樫井。

 最近では週に二、三回は顔を見ている。これだけしょっちゅう顔を合わせてると、まるでココの従業員なんじゃないかという気さえしてくるほどだ。


「すげえよなあ。このクルマであんな走りができるんだからさ……」

「触るなよ」

 僕はクラウンに歩み寄った樫井を制した。

「預かりもんだからな」

「カタいこと言うなよ。運転席に座るくらいいいだろ?」

 樫井は悪びれずに言った。

「……ダメに決まってるだろ」

 僕はため息を吐くと、冷たく言い放った。

 だいたい触るなって言ってるんだからさ――。

 独り言のように呟きながら、僕はクラウンのキーを抜いた。そして樫井からの非難の声を背中に浴びながらも、それを無視してドアをロックした。



 堤のクラウンが入庫してから既に一週間が経過していた。

 しかし工場の一角に置かれたままで、いまだに作業には入っていない。

 一応、担当者という肩書を戴いている身としては、決して広いとは言えない工場の貴重なスペースを占拠していることに申し訳ないという気持ちがあった。

 しかし熊沢と山田は「べつにいいんじゃねえか」と大して気にする素振りも見せず、吉岡に関しては「ずいぶん渋い色だな」とまるっきり他人事のようなコメントをくれた。



「ターボを積むんだろ?」

 樫井は言った。

 その興味津々といった表情に、僕は少し得意げな気分で「ただのターボじゃない。シーケンシャル・ツインチャージャーさ」と言った。

「なによ? そのシーなんとかって――」

 樫井は思った通りに食いついてきた。

 だけど僕は彼の好奇心をはぐらかすように首を傾げた。

 得意になって言ってはみたものの、僕の中でも具体的なイメージが出来上がっていなかった。

 熊沢の言葉が引っ掛かっているというのもあった。天使の速さを知らずにして堤の期待に応えることができるのか、と。

 堤が求めている速さ――。それを知るために今夜も首都高速に向かうつもりでいた。

 やはり天使に会わない限り……いや、天使の本気の走りを自ら体感しない限り、作業には取り掛かれないような気がしていた。




 そしてその日の夕方。

 予定より少し早めに仕事を切り上げた僕は、第一京浜を南へとクルマを走らせていた。熊沢の命令でノースピアへ向かっていた。


 コイツをブラッドリーに届けてくれ――。

 三十分くらい前、熊沢はそう言って僕に封筒を押し付けてきた。

 定形より一回りくらい大きい白封筒。中身は当然わからなかったが厚みはソコソコあった。

 大きさから言って「お金の類ではない」というのは間違いなさそうだったが、かと言って他に思い浮かぶものもなかった。


 東神奈川を左折して第一京浜に別れを告げ、埠頭へと向かう。

 鉄橋を渡ると、ソコには青いシビックが停まっていた。その傍らには背の高い男が立っていた。


 シビックの真後ろにスープラを乗り付けると、ブラッドリーはにこやかな表情で歩み寄ってきた。

 僕はそれに応えるように右手を軽く掲げた。

 彼と僕はそれほど親しくはなかった。しかしココでの練習のたびに顔を合わせているからお互いに顔ぐらいは認識していた。

 僕は助手席に置いてあった封筒を掴むと、ブラッドリーに手渡した。

 ブラッドリーは嬉しそうにそれを受け取ると、ビリビリと封を開けた。中から出てきたのは何かの配線図だった。

 彼は二つ折りになった配線図を眺めながら満足そうに頷いていた。しかし……


 日本語で書かれた配線図を彼は読めるのか――?


 そんな素朴な疑問が僕の中で渦巻いていた。

 日本語を話すことのない彼だが、日本語オンリーの熊沢とはコミュニケーションはとれているようだし……意外と喋れたりして。


「……今日は天気がいいよね」

 僕は試しに呟いてみた。キレイすぎる発音の日本語で……。


 しかしブラッドリーは何も言葉を返してはこなかった。

 不思議そうに僕の顔を見返してきただけで、僕の言葉の意味を理解しているようにはまったく思えなかった。




 ノースピアを後にした僕は、第一京浜を再び下り方面に向った。

 まだ空は明るかった。

 陽は落ちているが、まだヘッドライトは必要がない程度の明るさだった。

 僕は時計に目をやった。


 六時二十二分、か――。

 液晶の表示に浮かび上がった数字は、僕の中から帰宅する意欲を失せさせた。


 高島を左折して桜木町方面に向かった僕は、普段は直進する桜木町駅前を左に曲がり海岸通りへと抜けた。

 僕は神藤たちのたまり場でもあるバーに向かっていた。

 健吾からは何度も「催促」の電話をもらっていたし、昨夜は神藤からも電話をもらっていた。

 それに数時間後……日付が変わる少し前には環状線に行かなければならなかった。先週は会えなかったが、今夜こそ天使に会わなければならない。じゃないと何時まで経ってもクラウンの作業に入れない。

 というわけで、それまでの僅かな時間に誰もいない部屋で黙々と自炊するのもなんだかワビシイ気がして、だったら健吾を煽てて何か作らせようという大人の知恵ズルイかんがえもあった。


 倉庫の居並ぶ通りから細い路地へと入る。

 店の前には数台の単車が停まっているのが見えたが、神藤のVFRはそこにはなかった。

 僕は店の前を通り過ぎた路上にスープラを停めた。そして店先に行儀良く停まっている単車を眺めながら、相変わらず準備中の札の掛かったドアを開けた。



「あ――」

 健吾は僕と目をあわせるなり不機嫌そうに目を細めた。

 僕は微笑すると、軽く手を掲げて詫びを入れた。そしてカウンターの一番手前の席に着いた。

「やっと来やがったよ」

 何回も電話しただろ――。

 健吾は口を尖らせたが、僕は微笑したまま「忙しくてね」と肩を竦めた。


 店内にはいつもと同じメンツが揃っていたが、僕に興味を示したのは健吾だけだった。

 成沢兄弟は相変わらず奥のBOX席で雑誌を広げていたし、林と木川は夢中になって何かを話し込んでいる。

 そしてカウンター内の一番奥にいる店主の女性――。

 彼女は何かの本を読んでいた。相変わらず煙草を吹かしながら、周囲からの干渉を一切シャットアウトしているかのような態度だった。

 彼女はユカリさんと言った。

 その名前のおかげもあって、彼女に対して僅かばかりの親近感を抱いていた僕だったが、そんな僕の事情を知らない彼女は僕に視線を向けることもなく、がっちりと固めたガードを下げる気配すらなかった。


「なんか飲むか?」

 少しだけ機嫌を直した健吾が言った。

「ああ。でもその前になにか食うモノはないかな」

 僕は右手を腹に当てて言った。

「食うモンか……」

 健吾はぶつぶつと呟きながら冷蔵庫を覗き込んだ。

「そうだな……あ、ロコモコでも食う?」


「んっ?! ロコモコってなによっ?!」

 奥にいた成沢慶の声が僕らの会話に割り込んできた。


 成沢兄弟の兄貴の方である慶。

 僕の知る限り、彼はほとんど口を開くことがない男だが、誰かが食べ物の話をしたときだけはべつだった。  

 必ず話に食いついてきては「おれも食う」と便乗する。


「それ、おれも食うわ」

 案の定、慶はいつもの台詞を口にした。

 それに対して健吾は何も応えなかったが、口元を弛めた彼は二人分の器を手にしていた。



 やがてカウンターには二つの器が並べられた。

 ひとつは僕の目の前に、そしてもうひとつは林を経由して奥のBOX席へと届けられた。

「味わって食えよな」

 ぶっきら棒な態度でそう言った健吾は、いつものようにコーヒー豆を挽き始めた。

 彼は無表情なまま黙々と豆を挽いていた。しかし無表情ではあったが、どこか嬉しそうな雰囲気を纏っていた。

 僕は不思議な感じがしていた。

 周りの話を聞く限りでは、健吾という男は穏やかなタイプではないみたいだった。むしろ暴れん坊と言ったタイプで、それは彼が時折見せる表情からも窺い知れるところではあった。

 だけど厨房に立つ彼はそんな周囲の評価とは少し違う表情を見せる。違う表情ってなんなんだと問われると言葉に詰まるが、たぶんそっちの方が本来の彼の姿のような気が――


「――美味っ」

 僕は思わず呟いた。

 ロコモコを口にした瞬間、たったいま考えていたことまでドコかに消し飛んでしまった。

 味にはうるさいと自負する僕だったが、このグレイビーソースは深みのある味わいで、お世辞を抜きにして美味かった。


「このソース美味いな。自家製……?」

 僕は健吾に向かって尋ねた。

「べつに。市販のやつに酒を混ぜただけ」

 健吾は視線を落としたままと素っ気なく呟いただけだった。しかし鼻の穴が膨らんでしまうのは隠せないみたいだった。



 そして神藤がやってきたのは僕らがロコモコを食べ終えた頃だった。

 フルフェイスのヘルメットを抱えて現れた彼は、僕と目が合うと柔らかな仕草で会釈をしてきた。そしてTシャツの上に羽織っていた薄手のスイングトップを脱ぐと、手前のボックス席にフルフェイスと一緒に置き、僕の隣のカウンター席に腰を下ろした。

 そんな神藤の一連の動きを眺めながら僕は感心していた。

 いつも思うことだったが、流れるような彼の所作には無駄というものがない。

 ある種の人たちだけが持っている生まれながらの優雅さ。

 ふとした瞬間に見せる彼のしなやかな身のこなしは、僕に微かな敗北感を抱かせることすらあった。


 神藤が席に着くと、挽いたコーヒー豆をネルに詰める作業の途中だった健吾は、その手を休めて冷蔵庫からコーラの瓶を取り出した。

 そしてロックグラスに氷を落とすと、瓶と一緒に神藤の前に置いた。


「ん……なんですか、それ」

 神藤はグラスにコーラを注ぎながら、僕の目の前にある皿に視線を送ってきた。

「ロコモコだよ」

 僕は既に何もない皿をあごで指した。

「ロコモコ?」

 神藤は健吾に視線を向けたが、コーヒーを淹れる作業に戻っていた健吾は「今日はもう作んねーよ」と顔を上げることなく言った。



「そんなことより……昨日、電話もらってたよな」

 僕は神藤を覗った。

「え? あ、ああ……」

 一瞬、微かに首を傾げた神藤だったが、やがて合点したように大きく頷いた。

「例のバイトの話ですよ。先方が今度は少し――」

「なんだよ、それ」

 健吾が口を挟んできた。

 目を向けると、彼は不満そうに口を尖らせていた。

「オカシイだろ? おれが百回ぐれえ電話しても来なかったくせに、神藤が電話したら来んのかよ」

「いや。べつにそういうわけじゃ……」

 僕は言い訳を探したが、彼を納得させるだけの理由は見つからなかった。

 憤る健吾を前に、僕と神藤は顔を見合わせて肩を竦めた。




***


 時刻は間もなく十一時になるところだった。


「じゃ、そろそろ行くよ」

 僕はそう告げてからゆっくりと腰を上げた。

 芝浦までなら余裕を持って行ける時間だった。



「最近は首都高なんでしたっけ?」

 不意に神藤が呟いた。

 他意のないその表情に、思わず僕の頬が弛んだ。

「ああ。よくご存知で」

 相変わらずの耳の早さには驚くというより笑ってしまう。

 僕が首都高に行ってることは、ごく近しい人間にしか伝えていない。もちろん神藤や、彼に近いと思われる人間には話してはいない。

 なのになぜ神藤がソレを知っているのか……僕としても大いに疑問はあったが、それを深く考えたところで僕の中で納得のいく結論にたどり着くとは思えなかった。それに神藤本人に尋ねたところで上手くはぐらかされるのがオチだ。

 だから僕はあまり深く考えないようにしている。

 僕の最近の行動を彼が把握しているのだとしたら、きっとそれは彼がストーカーかナニカで僕のことを尾行しているから……と言う程度にしか捉えないようにしていた。

 いつも澄ました顔をしている神藤が、探偵かぶれの真似をして僕を尾行している様子を想像したらそれはそれで笑える。それにいくら僕の行動を把握したつもりになっていても、僕が何を考えているのかまではわかりようがない。僕が何のために環状線を走っているのかということまでは知る由もないのだから。

 そう考えると落ち着き払った神藤の態度も滑稽に映る。賢そうに見えても所詮は高校生ってワケだ。


「ごちそうさま。美味かったよ」

 健吾に向かって軽く手を切ると、財布から取り出した千円札をカウンターの上に置いた。

 そして誰にというわけでもなく手を振ると、ドアを開けた。


 今日こそは逢えることを祈ってますよ――。


 不意に掛けられた声に、僕は開いたドアに手を掛けたまま振り返った。

 しかし僕に目を向けている奴は一人としていなかった。

 そして声の主もまた、涼しげな表情でコーラの入ったグラスを傾けていた。




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