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#066 Sequential


 GS131クラウン2000ロイヤルサルーン・スーパーチャージャー。

 YAMAHA製のスーパーチャージャー付きエンジン『1G-GZ』を搭載したトヨタのフラッグシップモデル。

 4ドアハードトップ+フルフレームの車体は5ナンバーサイズとは言っても重く、「走り」に適しているとはお世辞にも思えない。特に環状線のようなコーナーの連続する場所には不向きだと言える。

 しかし堤はこのクルマを軽やかに操り、ときにはドリフトをきめ、数多の挑戦者を退けてきたんだそうだ。

 ただし天使を攻略することは未だに叶わないままで、その天使に勝つためにこのクルマはココにある、らしい。


 僕は車内を見渡してみた。

 装飾品の類を一切排除したシンプルな車内は僕好みでもあった。

 ステアリングはナルディ、シートは運転席助手席ともにレカロのセミバケットとサベルトの四点式シートベルト。

 オーディオスペースには、本来装着されているはずの純正オーディオが外され、代わりにナカミチのCDデッキとパーソナル無線機が埋め込まれている。同系色でまとめたインパネ周りのおさまりも良く、「これが純正だ」と言われれば、たぶん普通にそう思えてしまうくらいの丁寧な仕上がりだった。

 外観上もいたってシンプルだった。

 HKSのマフラーは、断然TRUST派の僕としては解せない部分もあったが、それ以外の部分については総じて僕と趣味が合いそうだった。

 フロントとリヤのバンパー一体型のスポイラーは、滑らかな曲線を採用した押し出し感の強くないデザインで、それをつなぐサイドステップスポイラーも若干低めの車高とバランスが取れている。

 その足回りは、TANABEのコイルスプリングにビルシュタインのショックアブソーバ。そしてBBSの鍛造アルミにADVANグローバを履いていて――


「なんだよ。まだそんなところに突っ立ってたのかよ」

 工場に戻ってきた熊沢が言った。

「さっさと行くぞ」

 準備しろ――。

「え……どこへですか?」

「何言ってんだよ。試運転に決まってるじゃねえか」

 そう言って熊沢はクラウンを指さした。




 朝の掃除を免除され、僕は熊沢とともに試運転に出た。

 塩浜から首都高速に乗り、辰巳ジャンクションから千葉方面へ向かう。行先は聞いていないが、おそらく東関道方面……この時間に出たってことは、銚子のあたりで美味い魚が食えるのかもしれない。

 空は雲に覆われていた。

 家を出てきたころには薄日が差していたのだが、いまは濃い灰色の雲が広がり、時折り小雨がぱらついてはフロントガラスに不快な模様を付ける。

 僕は雨の日が嫌いだった。

 特にこれと言った理由はないのだが、雨の匂いを嗅ぐだけで酷く憂鬱な気分になるのは昔からだった。


「じゃ、北条センセイのプランを聴いておこうか」

 不意に熊沢が呟いた。

 助手席を覗わなくても小馬鹿にしたような笑みを浮かべているのがわかった。


 ターボを組んでくれ――。

 それが堤からの依頼だった。低速でのトルクを殺さずに高速にノビを加える……そんなイメージだと言っていた。


「1Gだったらツインターボもありますし、簡単なんじゃないですか」

 最低限の加工で済みそうだし――。

 僕はたいして考えないで言った。すると――

「五点だな。それはディーラーのメカニックの答えだ」

 熊沢は何の感情も窺えない声で言った。


 五点……。

 〇点と言われるよりも否定された気分になる。

 確かに我ながら短絡的な考えだとは思うが「低速をスーパーチャージャーで、そして高速をターボで」というのは間違ってるとは思えない。それにエンジンというパーツの性格上、耐久性も無視できない。そう言う意味でも純正パーツのビルトオンが一番望ましいというのは考え方としては正しい、とは思うのだが。


「おまえは顧客のニーズってもんがわかってねえな」

 熊沢はため息まじりに言った。

「堤はGSを"天使に勝てるクルマ"に仕上げて欲しいわけだ。わかるだろ?」

「はあ」

 僕は曖昧に頷いた。

「まずだ。1Gのツインターボなんて6MのNAよりもかったるいんだから、ただくっつけたってなんの意味もねえ。だったら加工してでも7Mを積む方法を考えた方がはるかに賢い選択だ」

「まあ、確かに」

 その意見には同意できた。

 僕がまだディーラーのメカニックだった頃に、当時の同僚と東名高速道路の直線で「実践」してみたことがあるからそれには素直に頷ける。排気量の差は間違いなく大きい。

「とは言ってもだ。エンジンルームのスペースを考えるとそれも現実的じゃない。……つうわけで最終的には1Gのツインターボを組んでもいいかな、となる」

 熊沢はしれっと呟いたが、それには素直に頷けなかった。

「……僕の答えと同じような気がしますけど」

 僕は囁くような声で言った。

 気のせいではなく、結論を出すまでのアプローチが違うだけで答えはまったく同じだ。しかし――


「ばかやろう、話は最後まで聞け」

 熊沢は訝る僕を鼻で笑った。

「確かにスーパーチャージャーってやつは低速じゃソコソコ働いてくれる。で、ターボを組んじめえば高回転の方ではターボが活きてくるから問題が解決……かと言えばそうでもない。高回転になると今度はべつの問題が出てくる」

「べつの問題……」

 ……あ。

「気付いたか」

 熊沢の言葉に僕は頷いた。

 低中回転時にチカラを発揮するスーパーチャージャーだったが、ターボと直列でつながっている関係で高回転時にはその存在がロスを生むことになるわけで……そんな大事なコトを見落としていた。

「解決策は?」

 続けざまに熊沢が言った。


 僕はエンジンルームの構造を頭に思い浮かべた。

 低回転時のスーパーチャージャーはそのままで、高回転ではターボを活かす……つまりは高回転時にはスーパーチャージャーが機能しないようにすればいいんだが――。


「……シーケンシャル」

 僕は頭に浮かんだ言葉を口にした。高回転時にはバイパスさせてスーパーチャージャーを通さなければいいのだ。


 正解――。

 熊沢は指をぱちんと鳴らした。


「だが、それで全部が解決ってわけじゃないがな」

 そう言って足を組み直した熊沢は自身の「チューニング哲学」について語りだした。

 その偉そうな物言いが鼻につくところもあったが、僕は一切口を挟むこともなく、熊沢が喋るに任せてクルマを走らせた。


「――つうわけでよ、お客さんの要望ってのは様々だ。湾岸線を速く走らせたいとか、ドリフト仕様に仕上げたいとか、いろいろとな。そんな乗り手のニーズに合わせて作りこんでいくのがおれらの仕事ってわけだ。不特定多数を相手にして最大公約数を拾っていくディーラーとは考え方がまるっきり違う。それに同じ部品を同じように組んでも、それでみんなが同じように走れるとは限らない。人によって癖ってものもあるからな」

 じゃ、幕張に寄ってくれや――。

 熊沢は一気に喋りきると、ふうっと大きく息を吐いた。


 僕は指示通りに湾岸幕張パーキングにクルマを乗り入れた。

 熊沢は車が停止するのと同時にドアを開け、勢いよく飛び出していった。

 僕はため息を吐いた。

 店を出てからそれほど時間も経ってない。いいかげん彼の膀胱こそボアアップしてやりたいという気分にもなるが、あいにく僕は医者ではないからそれはできない。もっとも医者にもそんなことができるのかは知らないが。

 そして程なくして熊沢が戻ってきた。両手に缶コーヒーを持って、その顔には薄ら笑いを浮かべて。


「――というわけでだ。堤の要望は天使に勝ちたいという一点にある」

 熊沢は戻ってきて早々、何のマエフリもなくそう言うと、左手に持った缶を口に運んだ。

「つまり、天使のコトを知らなければこのクルマを仕上げることはできない。で、天使の走りを知ってるのは残念ながら・・・・・おまえしかいない」

 おれは助手席からしか見たことがねえしな――。

 熊沢はそう言ってクラウンを一瞥すると口元を弛めた。


「……なるほど。そういうことですか」

 僕は理解したふりをして小さく頷いた。

 堤が僕にクルマを預けた理由――。それは僕が天使の走りを知っているから、というコトらしいが、堤は大きな勘違いをしている。

 僕は天使の走りを知っているとは言えない。少なくとも彼女の本気の走りを知っているとは言い難い。もちろん「いまの時点では」という意味ではあったが――。


「……いつまでに仕上げないといけないんですか」

 僕は熊沢を覗った。その答えによって僕の方針も変わってくる。


「さあ、はっきりとは聞いてないが……」

 熊沢は眉間に皺を寄せた。そして――

「たぶん一、二か月は平気だと思うぞ。あいつ、しばらく海外に行くらしいからな」

 大変だな、公務員ってやつは――。

 そう言って肩を竦めて笑った。


 一、二か月か……。十分とは言えないが、多少は時間的な猶予はありそうで安心した。

 取りあえず、まずは天使に会う必要がありそうだった。なにより彼女を本気にさせないことには何もはじまらないみたいだ。






***


 仕事を終え、家に着いたのは午後九時を回ったところだった。

 いつもなら晩飯を終えてまったりしている時間だったが、しばらくは自主的な残業が続くことになりそうな気配がある。

 スープラをガレージに収め、階段を駆け上ると、真っ暗な室内に赤く点滅するものが目に入った。

 以前まではほとんど置物以外のなにものでもなかった電話機。

 しかしいまでは、僕の留守中にもフル稼働していることをアピールするかのように赤く光るランプを点滅させていた。


 僕はツナギのファスナーを下ろしながら、ダイニングテーブルの上に車のキーと空っぽのシガーケースを無造作に並べた。そしてツナギを脱ぎ捨てるとそのままバスルームへと向かった。

 シャワーを浴びて戻ってきても、電話機の赤い点滅は続いていた。

 僕は濡れた髪の毛をタオルで乾かしながら冷蔵庫を開けた。中には迷うほどモノは入っていなかったが、それでも少し迷ってからトマトを三個取り出した。

 そして何かに急かされるような気持ちで再生ボタンに指を伸ばした。


 録音件数は五件あった。

 僕は少し遅い晩飯の準備をはじめながら、電話に残されたメッセージに耳を傾けた。


 一件目……無言だった。

 二件目は由佳里から。実家に電話をくださいと告げる彼女は、言葉遣いこそ神妙ではあったが、その声色は有無を言わせない雰囲気があった。

 三件目は健吾。

 圧力鍋を買おうと思ってるが何を基準に選んだらいいのか、という僕にとってはまったくどうでもいい用件だった。しかも彼は「明日か明後日、店の方に顔を出してくれ」と一方的に言った。まあそういう相手の都合を考えないトコロがまだまだ子供だということなんだろうけど。

 そして四件目。

「……帰ってきたら電話ください。夜遅くてもいいので――」

 僅かな沈黙の後に聞こえてきた消え入りそうなメッセージ……祐未さんの声だった。

 そして五件目は除だった。早口で何かを捲くし立てていたが、苦情の類ではなさそうだったので最後までは聞かずに消去した。


 メッセージを一通り聞き終えた僕は、晩飯の準備をする手を止めて冷蔵庫を開いた。

 水の入ったペットボトルを取り出し、かわりに下拵えの途中だったトマトを冷蔵庫に戻した。なぜだか急に食欲がなくなってしまっていた。


 窓際のスツールに腰を下ろした僕は、冷たいペットボトルに口をつけた。

 今夜はベイブリッジが見えなかった。

 分厚い雲が低く立ち込め、外の景色全体が霞んでいた。

 僕はもう一度電話に手を伸ばすと、目を閉じてスピーカーから流れてくる声に耳を傾けた。


 祐未さんとはしばらく会っていなかった。

 こうして留守番電話を通して声は聴いているが、生の声を聴く機会は訪れていない。

 電話をくれと言われているんだからそうするべきだとは思っている。しかしなんとなくそんな気になれずにいる。


 一弥君が目を醒ましたあの日から、僕らの関係には少しずつズレが生じている。

 それは僕がそう思っているだけで、実際にはそんなことはないのかもしれない。しかしそれを確認する術を僕は知らなかった。少なくとも「絶対に自分自身が傷つかない」という保証なしに彼女の口からソレを聞くことは躊躇われた。いまの僕は意味もなく臆病になっていた――。





 僕はぼんやりと外を眺めていた。

 やがてソレにも飽きてしまい、窓に背を向けてそっと目を閉じた。


 しばらくそうしていた。

 少し不安定なスツールにカラダを預け、ときどき遠くの方から聞こえてくる排気音に耳を傾けていた。


 不意に電話が鳴った。

 部屋の静寂を切り裂くように無機質な電子音が鳴り響いた。


 僕は壁に目をやった。

 時計の針は「11」と「7」のあたりをそれぞれ指している。

 こんな時間に電話をくれる人の心当たりは数人しかいない。それにしても……

 僕は鳴り響く電話に目を向けた。

 なぜ留守電に切り替わらないのかと訝しく思った。しかしすぐに、さっき再生したときに解除してそのままになっていたことに気付いた。


「……迂闊だったな」

 僕は自嘲気味に呟いた。

 そして留守電に切り替わることもできずに騒ぎ立てる電話から目を逸らした。とてもじゃないが誰かと話をする気にはなれなかった。


 電話はしばらく鳴っていた。

 それはまるで僕に対して根競べを挑んでいるかのようで、思わず苦笑いがこみ上げてきた。


 しかし……ホントにしつこいな――。

 僕はため息を吐いた。

 電話の主はどうあっても僕に受話器を取らせたいようだ。

 やがて僕の方が挫けた。仕方なく重い腰を上げたのだが……それを見計らったかのように電話は切れた。


 勝った――。

 僕は可笑しくもないのに微笑していた。

 意味もなく意地を張っている自分が哀れにすら思えた。

 そしてその刹那、雨の匂いがしたような気がして僕は窓の外を振り返った。




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