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#064 彼女のいない週末


 東名高速道路・港北パーキング――。


 間もなく日付の変わる時間だったが、パーキングを出入りするクルマが途切れる様子はなかった。

 爆音をまき散らしながら一台が出ていくと、また別の一台が爆音とともに現れて……そんな繰り返しの光景が、焦点の合わない僕の眼に延々と映し出されていた。

 僕は左手の時計を眺めて小さく息を吐いた。

 そして、やっぱり集合時間はキッチリ決めておくべきだった、といまさらながらに反省していた。



 首都高に走りに行こうぜ――。

 そんな電話を祐二からもらったのは、つい一時間くらい前だった。

 祐二は数日前の落ち込みようが嘘だったかのように明るい声だった。もっとも、僕もまた、あのときの気持ちの昂揚が嘘だったかのように醒めた気分になってはいたのだが。

 彼はピアッツァにちぎられたのがよほど悔しいようすだった。そんなことは当然僕には何にも関係ないのだが、その熱意のこもった誘いに負け、僕は祐二の練習に付き合うことにした。


「集合場所は港北でいいだろ?」

 祐二は言った。

 東名を経由して首都高速に行くのは少し無駄なような気もしたが、いまの僕には無駄じゃないモノの方が少ないからべつに問題はない。

 構わないよ――。

 僕は素っ気なく呟くと、集合時間だけを確認した。

 すると祐二は「もう家を出てくれ。おれもいますぐ出発るから」と忙しなく言った。

 僕の知る限り、祐二の家からココまではそれほど時間はかからない。

 彼がすぐに家を出たのであれば、待たされるのは僕ではなく、彼に割り当てられる役目だったはずだ。

 現に電話の切り際には「あんまり待たせんなよ!」と笑っていたくらいだし――。


 僕は自分の愚かさを一頻り呪うと、小さくため息を吐いた。

 時間だけは決めておくべきだった。せめてソコだけはキチンと確認しておくべきだったのだ。


 缶コーヒーを片手にスチール製の車止めに腰を預けた僕は、手持無沙汰にスープラの黒いボディを眺めていた。

 艶やかな光沢に包まれた車体がパーキングの水銀灯に照らされて、いっそう輝きを増しているような気がした。

 僕のスープラは、外観上ではノーマルとさほど変わらない。

 若干車高が低かったが、それでも日常の走行に支障をきたすこともない程度だ。

 もともと外観上のこだわりなど持ち合わせていない僕だったから、おそらく今後もここから大きく変わることはないのだろう。

 しかし見えない部分についてはべつだった。

 走りに関してもいまのとこは問題はない。だけど何とも言えない物足りなさを感じているのは疑いようがなかった。

 以前、試運転のときに体験したソアラの加速感。あのとき感じた背筋が痺れるくらいの恐怖心――。

 あの感覚を味わったあとでは、いくらターボAといえども見劣りしてしまう。

 だけどあの痺れるような加速感を手にするためには、おそらく本格的なエンジンチューンの必要があって……。


 僕は迷っていた。

 渇望とも言える「飽くなき欲求」と自己満足とも言える「幼稚なポリシー」とのあいだで、僕の気持ちは大きく揺れ動いていた。






「――悪い! ホントに申し訳ない!!」


 やがて現れた祐二は、僕に向かって手を合わせた。

 時刻はまもなく一時になろうとしている。軽く一時間以上、僕の時間が費やされた計算になる。

 いくら僕がヒマな人間だと言ってもモノには限度というものがある。しかもコイツは常習犯だ。しかし……

「本当にゴメン――」

 祐二は、放っておいたら土下座でもするんじゃないかという勢いで僕に頭を下げた。

 そして相変らず言い訳の類を口にはしなかった。


「……いいよ、もう」

 僕は頭を下げる祐二に向かって言った。

 彼に対するクレームをたんまり用意して手薬煉を引いていた僕だったが、そんな彼の態度を前にしたら何も言えなくなっていた。そして……




//――こちらマーベリック。アイスマンさん、聞こえてますか――//



 何がマーベリックだ――。

 僕はそんなことを考えながらも「聞こえてる」と短い応えを返した。

 港北パーキングを出てまだ一分も経ってない。

 しかし、あんなにシオらしい態度だった祐二は完全にいつもの彼に戻っていた。

 

 祐二って男は切り替えの早い男である……僕は勝手にそう思っていた。

 しかし、本当は少し違うんじゃないかと思い始めていた。

 本当は単なるバカなんじゃないか、と。物事を記憶する容量がちょっと小さいんじゃないか、と。そして反省してるフリが凄く巧いんじゃないか、と……。

 そう考えてみると腑に落ちる点はいくつかある。

 ジムカーナのコースが憶えられないなんていうのはその典型的な症状のひとつと言えるのかもしれないし。


 東京料金所を通過すると、祐二のRX-7は速度を上げた。

 彼の後ろに張り付いたまま、僕は一番右側の車線を進んでいる。



//――アイスマンさん、前に行ってもらえます? 後ついて行きますんで――//



 祐二は言った。

 僕としてはソコに何か意味があるのかと不思議に思ったが、それを問いただすのも億劫だったので「了解」とだけマイクに向かって言った。

 そして祐二のRX-7は左車線へと入った。

 僕は加速して祐二を追い越すとハザードを二回点滅させた。祐二はそれに呼応するようにすぐに右車線へと復帰し、僕の背後に張り付いてきた。


 首都高速へと続く連絡道路はガラガラだった。

 時折左車線を往くトラックがいるだけで、僕と祐二の走りを阻害する存在はドコにも見当たらない。

 しかしスープラのスピードメーターの針は、制限速度を少し超えたところで固定されていた。

 やがて首都高速の料金所を通過した。

 僕は相変らずの巡航速度をキープしたまま右車線を進んだ。ミラーを覗うと、祐二も焦れている様子はなく、のんびりとしたこの速度に付き合ってくれていた。



//――こちらマーベリックです――//



 池尻を過ぎたところで祐二が喋りだした。



//――内回りから攻めたらどうかと思いますが……どうですか――//



「いいんじゃない」

 僕は言った。

 内でも外でも、どちらがいいという希望やこだわりはまったくない。それに右車線にいるから、そのまま流れに沿っていけば内回りに合流することになるはずだったし。

 そんなことより、いまの僕は左手に握ったマイクの置き場に困っていた。

 先日熊沢が改造した携帯用の無線機は僕のクルマに載ったままだった。

 シガーライターから伸びたコードは助手席のシートとセンターコンソールのあいだに挟まった無線機本体へとつながっていて、その本体にはこのあいだはなかったマイクが配線されている。

 さっきまでは助手席に転がしてあったのだが、このさきはカーブの多い環状線……固定しておかないとちょっと危険かもしれない。

 そんなことを考えてるうち、谷町ジャンクションに差しかかっていた。

 結局左手の指先にマイクを挟んだまま、Rのきついジャンクションのカーブへと飛び込んだ。



 環状線に合流してからも、特に速度を上げることもなかった。

 僕は僕のペースで走り続けた……一人でいるときと同じように。

 そしてコーナーでは、頭の中で描いたコーナーリングを思い浮かべ、理想のラインを丁寧にトレースしてみた。



//――アイスマンさ~ん。もう少しペース上げない?――//



 シビレを切らしたような祐二の声が聞こえてきた。

 確かにこの速度では、いったいココまで何しに来たのかわからない。それに僕の思い描く理想のコーナリングのためには、ある程度の速度が必要だというコトも気付いていたし。



 了解――。

 僕はマイクに向かってそう告げると、アクセルを強く踏み込んだ。


 一の橋を過ぎると、左手には東京タワーが現れた。

 その刹那、ふと熊沢の台詞を思い浮かべた。

 彼は自分のことを「地方出身者」だと言っていた。ドコの出身だとは言ってなかったが、確かにそう言っていた。

 だけど僕には意外に思えていた。

 熊沢は地元というかワリと近くの人なんだと思いこんでいた。言葉には特に気になる特徴などなかったし、ずっと鶴見で働いてたと聞いていたから、たぶんそのあたりの出身なんじゃないか、と。


 そう言えば、祐未さんも大学進学とともに東京に出てきた、と言っていた。

 本人から直接聞いたわけではないが、実家は新潟だと耳にしたことがある。そう言えば、去年の夏には「実家に行ったお土産」で新潟の酒をもらってるし……もっともそのほとんどは彼女が飲んでしまったのだが。

 それはともかく、彼女とは東京タワーに行ったことがあった。

 僕が高校生だった頃の話だが、思い返してみればそれは祐未さんの強い希望だったような気が……そう考えると、熊沢の説はあながちでたらめというわけではないのかもしれない。


 そんなことを考えていた僕の左側を、二台のクルマが相次いで走り抜けていった。

 黒っぽいS13シルビアと何色なんだか判らない180SX――。見るからに品のない改造を施してあるといった感じの似たような二台だった。

 彼らは僕らに見向きもせず浜崎橋方面にカッ飛んでいった。まあ絶対に意識してないはずはないのだが……。



//――こちらマーベリックですけど――//



 祐二の声が聞こえてきた。



//――なんかチョーセンテキじゃないすか? いまの――//



 祐二の声は弾んでいた。

 ようやく遊び相手を見付けた……だいたいそんなカンジか。


「――奇遇だな。同じコト考えてた」

 僕は呟くとマイクをセンターコンソールに収め、アクセルを踏み込んだ。

 弾かれたように加速したスープラだったが、ミラーに映る祐二はしっかりと僕の背後についていた。彼もすでに臨戦態勢だった、ということらしい。


 前を行く二台を捕まえたのは浜崎橋ジャンクションの手前だった。

 僕は彼らを刺激することなく180SXの背後に張り付いた。

 しかしココまで来ると、さすがに彼らも「僕らに対する意識」を隠そうとはしなかった。

 突然速度を上げたシルビアと180SX。

 彼らは必死に僕を振り切ろうと試みているようだったが、それは無駄なあがきにしか見えなかった。

 僕らは綺麗な縦の列を形成しながら浜崎橋の左カーブに進入した。 


「なんつうか……隙だらけだな」

 思わず口元が弛んだ。

 前を行く二台のあまりに甘い走りに少しガッカリした。

 コーナーへのアプローチも弱いし、なのにブレーキングが甘いもんだから、コーナーの入口の時点で完全にアンダーが出てしまっている。

 インを突けば一気に二台まとめて躱せそうな気もしたが、その瞬間に彼らがテンパってしまいそうで少し怖い。それに後ろには祐二がいるから、ムリに仕掛けることは躊躇われる。


 まあいいや――。


 僕は仕方なくアクセルを弛めた。

 彼らの後ろに張り付いたまま、コーナーの外縁をゆっくりとなぞっていった。




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