#005 真昼の大垂水峠
町田街道沿いのコンビニの駐車場で目を覚ましたのは、正午を少し回った時間だった。
目を覚ましたとは言っても、正確には寝ていたわけではない。ただ細切れになった意識のなかで、時計の針が進んでいくのをじっと眺めていた。
僕にとって一番気持ちが安らげる場所――。
それがこのクルマの中だということは間違いがなさそうだ。
クルマを降り、大きくのびをした。カラダの節々がボキボキと不快な音を立てる。
コンビニに入り、雑誌とサンドウィッチと紙パックの烏龍茶、それとレモン味の飴を買った。
クルマに戻ってエンジンを掛けると、烏龍茶のパックにストローを立て、サンドウィッチのビニールを破った。サンドウィッチにかぶりつきながら、いま買ったばかりの雑誌を開いた。
とてもじゃないがこんな時間に家に帰る気はしない。
こんな晴れた日に家にいるのは不健康な気がしたし、いま里穂さんと顔を会わせるのは何となく気まずい。それに来週からは近所の配送センターでバイトが決まっているから、平日の昼間にこんなふうにしていられるのもあとわずか……。
「……」
僕はサンドウィッチを頬張ると、烏龍茶でそれを流し込んだ。
そしていつものようにフルバケットシートに深くカラダをうずめると、ゆっくりと町田街道に滑り出した。
町田街道を高尾方面に走り出した。
木曽を過ぎて数百メートル進んだところで、僕はアクセルを踏む右足を緩めた。
右手には由佳里の通う高校が見えてきた。
中学から大学までが一つに敷地に収まったこの学校は、高校野球の名門としても知られる学校だった。
確か、今年の夏も西東京大会の決勝まで進んだと、由佳里が興奮気味に話していた。真っ黒に日焼けした腕を僕に見せつけながら。
由佳里は中学からエスカレーター式にここの高等部に進学した。おそらく彼女はそのまま大学へと進むのだろう。
僕も中学まではココに通っていた。
しかし高校は公立の工業高校を選んだ。
当然父は大反対したが、当時の母が僕の意見を後押ししてくれ、僕は自動車科のある神奈川県内の工業高校に進むことができた。
いまにして思えば、あれが僕にとっての反抗期の始まりで、そのしこりは未だに父と僕、双方の心に大きな蟠りとして残っている。
そしてその蟠りが解消されることは今後もないのだろうと、僕は思っている。
少なくとも僕は父の考える生き方に賛同することはできないし、彼が僕に望む生き方と僕の望むそれとは、平行線のまま、決して交わることがないのだと理解している。僕が父に抱く嫌悪感は、よくある反抗期のそれとは違っていることも自覚していた。
もっとも僕が高校に進学以降、父との交流はめっきりなくなった。
父の仕事が忙しく、あまり家に帰ってこないというのもある。
しかしそれは僕と顔を会わせることを意図的に避けていることの言い訳……僕はそう解釈していた。
町田街道は東京と神奈川の都県境を縫うように西に延びていた。
八王子バイパスをくぐって更に進み、高尾駅の先から甲州街道に出た。
真昼の明るい峠道を軽く流しながら相模湖方面に向かった。
神奈川県に入ったあたりから、凹んだガードレールが目に付くようになった。
いつもは暗くて気が付かない誰かが遺した痕跡に、僕はなぜか口元を弛めていた。
峠道に軽快に響き渡るAA63の排気音――。
不意に雑音が混じったような気がして、僕はミラーに目を向けた。
いつからいたのか気付かなかったが、背後にS13シルビアが張り付いていた。
運転席の表情は窺えなかったが、シルビアは好戦的な態度で中央線に寄ると、パッシングを繰り返してきた。
僕はため息を吐いた。
真っ昼間から、いったいナニがしたいんだか――。
僕は四速にギヤ落とすと、アクセルを軽く踏み込んだ。いったん距離は開いたが、シルビアはいきり立ったように再び距離を詰めてきた。
シルビアはパッシングを繰り返しながら、執拗に僕のAA63を煽ってきた。
仕方がない――。
旭山の右コーナーが近付いてきたトコロで、僕は再び加速し、シルビアとの距離を取った。
コーナーの手前でギヤを落とし、フルブレーキングを決めてテールを流す。
ヒール&トゥで回転数をコントロールしながらカウンターを当ててコーナーを走り抜け、次に出てきた左ヘアピンではクラッチを蹴り、強引に後輪を流した――。
なかがみ屋のギャラリーコーナーの手前でミラーを覗くと、ソコにシルビアの姿はなかった。
やがて姿を見せたシルビアは完全に戦意を喪失しているらしく、もう追いかけてくる様子はなかった。
僕はスピードを落とし、ゆっくりとコーナーを流し始めたが、シルビアは一定の距離を保ったまま、僕の背後には近付いてはこなかった。
なんだ。カッコだけか――。
僕はため息を漏らした。
この大垂水峠で、僕のAA63はそれなりに名を知られる存在になっていた。
だからこの場所で僕に挑んでくる奴に遭ったのは久しぶりだった。
僕が大垂水を走るようになったのは高校生の頃からだった。あの頃の僕にとっては、単車でココを攻めることが生き甲斐だった。
元々は家からも近い緑山を主戦場としていたのだが、何度か先輩に連れてこられるうち、いつのまにかココに通い詰めるようになった。
あれから年数が経ち、僕が単車に乗ることはほとんどなくなった。
だけど四輪に変わっても、相変わらずこの峠に来ては、見ず知らずの奴らにその速さを誇示するようにコーナーを駆け抜けている。
やがて松山園のコーナーが現れた。
いつもはギャラリーのたまり場になっている自動販売機の前にクルマを寄せると、しばらくしてその横をシルビアが静かに通過していった。
僕はイグニッションをオフにし、キーを抜くと、AA63を置いたまま歩いてコーナーを下った。
五〇メートルくらい下りてきたところのガードレールには真新しい疵痕があった。
錆の浮き出た疵の上に更に新しい疵が付いている。
三年くらい前にココのガードレールだけが新しくなったはずだが、まるで瘡蓋を剥がし続けるようにガードレールの疵が癒えることはなく、見るたびに新しい疵が付いている。
僕はガードレールに腰を預け、ポケットから取り出したレモン味の飴を口の中に放り込んだ。
ほのかな甘味と酸味が口の中に広がり、同時に耳の下に鈍い痛みを感じた。
通い詰めている大垂水峠だったが、昼間にココに来ることはほとんどなかった。
いつもの禍々しさにも似た張りつめた空気をいまは感じることができない。
目の前を行き交う顔ぶれも、深夜に集まるそれとは違っている。
僅かにココが僕らの聖地であることを思い出させてくれるのは、路面に遺ったタイヤ痕とガードレールの疵だけ――。
僕は松山園のコーナーを下から眺めた。
ココには僕を熱くさせる四人の奴らがいた。
ウォルターウルフのγ、白地に細い赤いラインを入れたVFR、赤テラのNSR。
そして赤いKP61スターレット……僕の先輩・遠沢一弥だった。
家が近所だった一弥君とは、中学は違ったが小学校のころまではよく一緒に遊んでいた。
僕が神奈川県内の工業高校に進んだのは、そこに自動車科があったというのもあるが、一弥君がいたことが何より大きかった。
当時CBXに乗っていた一弥君は僕らの憧れで、僕は買ったばかりのTZRでCBXのテールを必死で追いかけていた。
あの頃の僕はだいぶ無茶な走りもした。
頭の片隅にいつも「死」を意識していた。いつか僕を含めた誰かが「命を落としてしまうのでは」という不確かな予感のようなものがあった。決してそれを口にすることはなかったが。
一弥君は高校卒業と同時に小さな自動車整備工場に就職し、二輪から四輪へと転向した。
僕は一弥君のKP61スターレットの助手席に乗って、大垂水だけではなく本牧の突堤にも向かうようになった。
深夜のD突堤で、狂ったようにドリフトと八の字ターンを繰り返した。
やがて僕も一八歳になり、当然のように四輪に転向した。
解体屋の隅に眠っていたAA63を見つけて譲ってもらうと、一弥君の勤め先の工場に運び込んで夜な夜な整備をした。
エンジンをいったん下ろし、内張はすべて剥ぎ取り、イカれていた電気系統はすべて交換した。
デフは機械式のLSDに交換し、トラストのマフラーを入れ、足回りはTRDとGABを入れた。
そのうち一弥君の上司も面白がって手を貸してくれ、リヤにロールバーを溶接付してくれた。
錆びてボロボロだったボンネットは、一弥君とその同僚の人がFRPで成形したものに替えてくれた。
二週間が経つ頃には、蜘蛛の巣だらけだったカリーナはすっかり見違えるようになっていた。
僕は新しい相棒を手に入れ、いままで以上に走りに情熱を注ぎ込んだ。
高校卒業後は自動車ディーラーに就職し、メカニックとしての道を歩き始めた。
僕と一弥君は「いつかチームを組んでパイクスピークを走る」という目標の下に運転技術を磨き、メカニックとしての成長を誓い合った。
そして四輪に転向して一年が経った頃、この大垂水峠で僕らのことを知らない奴はいなくなっていた。
"デフ、直結しようかと思ってるんですけど"
"バカ、やめとけ。街乗りできなくなっちまうぞ"
"コイツをもっと速くするには、どうしたらいいんでしょうね"
"ブレーキ取っちまえばいいんじゃねえか"
"サイドのガラスをアクリル板にしたら、もっと軽くなると思うんですよね"
"体重落とした方が早いぞ、マジで"
僕らの話題はいつだって「他人より速く走ること」だった。
速さだけを求めて、ただ速い相手を求めていた。
だが一弥君が追求していたのはもっと高い次元の走りだった。
「コースを下見して頭にしっかり叩き込み、あとは頭でイメージしたライン通りにクルマを走らせる――」
それが一弥君の走りだった。
だから初めて走る道では闇雲に飛ばすことはない人だった。
おまえらの走りはそっくりだな――。
いつか誰かにそんなことを言われたことがある。
だけど僕らの走りは似ているだけで根本はまるで違う。
僕は一弥君のマネをしているだけだった。
完璧主義者だった一弥君の背中を追って、そのラインを正確にトレースし続けていただけだった。
そしてソコが僕の弱さでもあり、いまの僕の状況を創り出しているとも言えた。
追いかける背中を見失った僕は、あれから前に進めずにいる。
僕はずっと立ち止まったままだった。
あの日……ここで一弥君が深い眠りに就いたあの瞬間から、僕の足は硬直したように前に進めなくなっていた。




