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#055 Recipe


 神藤が姿を現したのは午後八時を回った頃だった。

 フルフェイスのヘルメットを抱えた神藤は、いつもの深紅のスイングトップの下に学生服を着ていた。彼の通う高校は名の知れた学校だったが、ソコの制服を見るのははじめてだった。

 神藤はカウンター席に座る僕の姿をみとめると相変わらずの涼しげな微笑を浮かべた。


 久しぶりですね――。

 神藤はそう言ってヘルメットで潰れた紅い髪の毛を掻き上げると、上着を脱いでヘルメットと一緒に手前のボックス席に置いた。

 そして奥のボックス席の長髪の男と二言三言言葉を交わすと、僕の隣にいた男を奥の席に追いやった。

 神藤がカウンター席に着くと、健吾は冷蔵庫から取り出した瓶のコーラを神藤の目の前に置いた。


「なんか食うもんない?」

 神藤は健吾に向かって呟いた。

 健吾は無言で冷蔵庫を開くと「具のない焼きそばぐれーだな」と抑揚のない声で言った。

「じゃ、それ頼むよ」

「あ、おれも食うわ」

 神藤に便乗してボックス席の長髪も声を上げた。

 健吾はぶつぶつと文句をいいながらも、フライパンをコンロにかけた。そして「具がない」といいつつ冷蔵庫の奥から1/4ほどのキャベツを取り出し、ざくざくと刻み始めた。

「ちょっと硬めに――」

「うるせえ」

 長髪の男のリクエストを瞬殺で却下すると、熱したフライパンに油をひいた。仄かにゴマの香りがした。

 健吾は無表情のまま熱したフライパンに麺を放り込んだ。


「――すぐにわかりました?」

 神藤が呟いた。

 僕は顔を上げ、小さく首を傾げた。

「ココの場所です」

 神藤は補足するように呟いた。

「ああ……おかげさまで」

 僕が答えると、彼は小さく頷いてからコーラの瓶に口を付けた。


「あれ……?」

 また神藤が呟いた。

「コーヒーですか、それ」

 瓶から口を離した彼の視線は、まっすぐに僕のコーヒーカップに注がれていた。

 僕が頷くと神藤は不思議そうな顔でカップを覗き込み、やがて目を細めてカウンター内に立つ健吾の顔を覗った。

 その視線に気付いた健吾はやや口を尖らせた。

「なんだよ」

「べつにぃ」

 怪訝そうに呟いた健吾を横目に、神藤は「なるほどなるほど――」と一人で納得したように頷いた。

 さっきまで隣に座っていた男も言ってたが、健吾という男にコーヒーを淹れてもらうことがそんなに珍しい事なんだろうか……僕は心の中で首を傾げた。

 それはともかくとして、隣にいる神藤は以前僕が会ったときとはずいぶん雰囲気が違っていた。

 仲間たちと談笑している彼は普通の高校生のように見えた。少なくとも初めの頃に感じていた「造形物ツクリモノのような冷たさ」はなかった。

 いま目の前にいる神藤には生き生きとしていた。血が通っている生身の表情があるように思えた。


「あ……一応、紹介しておきますよ」

 神藤はそう言うと店内にいた人間を一人ずつ指さしていった。

 ボックス席の長髪の男は成沢慶ナルサワ・ケイと言った。

 その長い髪の毛以上に目立つのが、捲り上げた袖の下からのぞく血管の浮き出た太い腕だった。相当な腕力がありそうに見える。

 そして僕に席を譲ってくれた男が成沢威ナルサワ・タケシ。威は慶の弟だった。兄とは顔のパーツそのものは似通っていたが、弟の方がやや整った顔立ちに見えた。

「で、コイツが――」

「林っていいます」

 さっき神藤に席を奪われた男がそう名乗った。

 男は林壮治ハヤシ・ソウジと言った。そして神藤の隣に座っているのが木川忠義キガワ・タダヨシ

 林は痩せた色白の男だった。取り立てて特徴はないが、左耳にはピアスの穴が二つ開いていた。木川も痩せた男だったが、どちらかというと頬が痩けたその顔は薬物中毒者を連想させる。

 そして……カウンターの中の男。

 彼は濱野健吾ハマノ・ケンゴと言った。神藤とは学校は違うが年齢は同じ……つまり高校生だってことだ。

 ココにいる僕以外の六人のうち、神藤と健吾が高校生で林と威が十九歳、あとの二人は二十歳を過ぎていたが、みんな僕より年下だった。

「みんな……以前まえに言ってたチームの?」

「ええ。他にもいるんですけど……ま、それはそのうちに」

 神藤は嬉しそうにそう言った。


 僕はもう一度カウンター内に視線を戻した。

 彼は無愛想な表情のまま黙々とフライパンを振っていた。しかしそれは不機嫌というわけではなく、寧ろ楽しんでいるようにも見える。


「そういえば、北条さんは料理しないんですか」

 神藤が言った。

「……なんで?」

「実家がレストランを経営してますよね。そういう環境にいれば自然と――」

「なんで知ってるんだ」僕は言った。

「そんな話をした憶えはないんだが」

 自然ときつい口調になった。

「ああ。おれ、北条さんに会ったことあるんですよ。もうずいぶん前の話ですけど」

 神藤はにやりと笑った。

 会ったことがある……?

 僕は反射的に記憶を辿った。決して社交的とは言えない僕は交友関係も狭い。当然、誰かと知り合う機会もあまりないから「会ったことのある人」のことは比較的憶えている。しかし神藤のことは記憶になかった。

「五年位前、北条さんトコで恵比寿に店を出しましたよね」

 そのレセプションパーティーで――。

 神藤は続けて言った。

 恵比寿の店のオープニングパーティーのことは憶えていた。

 高校を卒業したばかりの僕も有無を言わせずにその場所に駆り出され、仲のよい家族を演じさせられたから。

 しかしやっぱり神藤のことは思い出せなかった。会場に子供が来ていたのかどうかも憶えてはいなかった。

「……とは言っても見かけただけで話はしてないですけど」

 神藤は僕の心中を見透かしたように言った。

 北条興産が展開するレストラン、インペリアル・ダイニング。

 恵比寿にオープンした二号店は、父の強い意向でそれまでの「カジュアル志向」から「高級志向」に舵を切った最初の店だった。

 だからオープニングパーティーに招待された人たちも厳選されていた。

 おそらく「ソレなりの人たち」しか呼ばれていなかったハズで……と言うことはやはり神藤という男はお育ちがよいということなのだろう。


 やがて焼きそばがカウンターに上がった。

 楕円形の白い皿に盛られた塩焼きそばの匂いは、決して空腹を感じてはいなかった僕の食欲まで刺激した。


「あ……北条さんも食べます?」

 神藤は僕の視線に気付いたようで、焼きそばを指さして言った。

 しかし僕は「いや、いい」と顔の前で掌を翻した。

「そんなことより――」

 話を切り出すことにした。僕としては早く用件を済ましてしまいたかった。

 神藤は箸をおき、僕の方に向き直った。

「いや、食べながらでいいよ」

 僕は頬を弛めた。そして周りの奴らが聞き耳を立てていることに気付いたが、構わずに話し続けた。

「確か……なんか仕事があるって言ってたことがある思うんだが……」


 ああ――。

 神藤は一拍おいてから合点したように小さく頷いた。

「運送屋……みたいな仕事ですけどね」

「そう言ってたな」

「ワリのいい仕事なんですけど、残念ながらおれら二輪しか乗れないんで」

 神藤はそう言って周りを見渡した。

「で……運送って何を運ぶんだ? 危ないモノとかじゃないよな?」

「そんなわけないじゃないですか」

 彼は薄い笑みを浮かべると、大まかな仕事の内容を話してくれた。それは「運送」というより「車の配送」に近いもののようだった。

 時間の縛りも緩そうで「副業」としては文句はない。ただ、祐未さんと会える時間は少し削られることになるかもしれなかったが――


「あんたはナニが作れんのよ?」

 健吾が呟いた。「さっき言ってたじゃん。実家が料亭だとかなんとか――」


 言ってないし……。

 神藤との会話に割り込んできた健吾のあまりに適当な台詞に、思わず頬が弛んだのがわかった。

「ウチは……というか実家がレストランってわけじゃないよ」

 僕は言った。「父の会社がレストランを経営しているだけで、ね」


 健吾は訝しげに眉をひそめた。

「だから……レストランなんだろ?」

「いや、事業のひとつとしてレストランを運営しているというだけで――」

「あーコイツにそんなこと言ってもわからないですよ」

 神藤が口を挟んできた。

「だってコイツって筋金入りのバ――」

「うるせえ」

 健吾は口を尖らせて神藤の言葉を遮った。

 しかし神藤はそんな健吾の感情を逆撫でするようにクスクスと笑っていた。

「でも、料理をしないってわけでもない」

 僕は呟いた。

「昔バイトしてた洋食屋でいろいろ教えてもらったからね」

「へえ。例えばナニ?」

「そうだなあ……」

 取りあえず作れそうなものの名前をつらつらと並べ立てた。

 しかしそんなことを喋りながらも、なぜこんなことをはじめて会った奴に話しているのだろう、と不思議に思った。

 僕はあまり自分のことを他人に話すことが好きではなかった。もっと言うなら他人と関わること自体も好きではない。できることなら話しかけられることも避けたいくらいだったのだが――。

「それ。作り方、教えてくれよ」

 健吾は言った。

 それは頼みごとをしているとは思えない偉そうな態度だった。

「じゃ……今度、時間があるときに」

 僕は肩を竦めて言った。

 興味津々に僕の言葉に耳を傾ける健吾を見ていたら、いつの間にか「まあそれはそれでいいか」という気持ちになっていた。

 



***


 健吾に解放されて店を出たのは九時半を少し過ぎた頃だった。

 しかし入口の照明は落としたままで、営業しているようには見えなかった。

 実際に客が来ることもなかったのだが、僕にしてみれば「この店が営業中になることはあるんだろうか?」という新たな疑問も湧いてきていた。

 そしてバイトについては、神藤から「詳しいことはまた連絡しますよ」と涼しげな顔で告げられた。

 彼はその連絡方法について言及することはなかったが、僕も敢えて追及することはしなかった。


 そして……スープラが僕のもとにやってきたのはそれから間もなくのことだった。



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