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#054 違いのわかる男


 信号が青になった。

 シルクセンターの前の変則十字路を真っ直ぐに進むと、左手には山下公園が広がり、その向こうには氷川丸が見える。

 既に陽は落ちていたが、路肩には所狭しとクルマが停まっていた。

 暗くなるのを見計らってから這いだしてきたような地方ナンバーのクルマたち。

 彼らの横をすり抜け、ニューグランドの前に差しかかったところで僕はブレーキを踏んだ。

 目の前には、ハザードランプを点滅させたアコードが、路肩にあった僅かな隙間を見付けて「縦列駐車」に果敢にチャレンジしていた。

 僕はアクビをかみ殺し、四苦八苦しているアコードを眺めた。

 コッチの方ではあまり目にすることのない関西地方のナンバー……ずいぶん遠くから来たんだな――。


 後ろの方からクラクションが聞こえた。

 ミラーを覗き込むと、僕の後ろには長い列ができているみたいだった。しかし対向車も絶え間なく走ってきているから、アコードを追い越していくわけにも行かない。

 僕はギヤをニュートラルにしたまま、アコードを見守ることにした。特に急いでいるわけでもなかったし。

 しかし……アコードは縦列駐車を諦め、急発進した。

 そして右にウインカーを出すと、マリンタワーの先の路地を入っていってしまった……。

 僕は一方通行を逆走していったアコードのテールを横目で見ながら直進し、やがて現れた首都高速の下をくぐり、新山下方面へと向かった。

 しばらく進んだ先の細い路地を入ると、殺風景な通りには大きな倉庫が威嚇するように居並んでいた。

 その通りの一角にその店はあった。小さなバーだった。

 店先の路上には五台の単車が停まっている。

 僕は空いたスペースにクルマを寄せ、エンジンを切った。


 クルマを降りると僕は店先に停まった単車を見渡した。

 その中にはVFRはなかった。しかし単車に貼ってあるステッカーは、紛れもなくこの場所が神藤の言っていた「たまり場」だと言うことを示している。

 僕は店の入口のドアの前に立つと、大きく息を吐いた。



 先日、宇野が見つけ出してくれたスープラ。

 結局僕はソレを買うことにした。若干手を入れる必要はありそうだったが、コレを逃したらターボAが出てくる可能性は低いような気がしたし。

 金額的には僕が考えていたものよりも高かった。

 それでも父からもらった「手切金」の残りでギリギリ買える範囲ではあったのだが、今後の生活を考えると心許ない預金残高になってしまった。

 そのときに頭に浮かんだのは神藤の顔だった。

 彼は以前「いい仕事バイトがある」と言っていた。あのときは「高校生に仕事を世話してもらうなんて」という中途半端なプライドもあったが、いまの状況を考えればそうも言っていられない。

 僕にしてみれば、熊沢に昇給をお願いするよりもよっぽど簡単なコトでもあったし、神藤が僕に紹介したいと思った仕事がどんなものなのか興味があったのも事実だった。



 店のドアを開けると、薄暗い店内には数人の先客・・がいた。

 カウンター席に三人、奥のボックス席に一人、そしてカウンター内には店員が一人……合計五人。

 彼らは突然の来訪者にも驚く様子はなく、無言のまま不躾な視線を僕にぶつけてくる。

 その決して好意的とは言えない視線に晒され、僕はそっと背筋を固くした。


「まだ開店前だけど」

 カウンター席の一番手前にいた男が口を開いた。

 舌っ足らずな声はアクセントが少しおかしかった。それが僕の背筋の緊張を少しだけ弛めてくれた。


「神藤に用があるんだけど」

 僕は店内を見渡しながら、誰にというわけでもなく呟いた。

「ココにくれば会えるって聞いてたんだが」

 そう続けると彼らは顔を見合わせ、やがてカウンターの中の男に窺うような視線を向けた。

 僕はカウンターの中の男に目を向けた。

 やや短めの黒髪の男。取り立てて特徴はないが、一見すると大人しそうな印象を受ける。彼は誰とも目を合わそうとはせず、黙々とミルを挽いていた。コーヒーの芳醇な香りが店内に漂っている。


「あんた誰?」

 奥のボックス席にいた男が口を開いた。

 さっきまで煙草をくゆらせながら雑誌に目を落としていた長髪の男だった。

 店内の視線が再び僕に集中した。

 しかしカウンターの中の男だけは「まるで興味がない」というふうに手元のミルに視線を落としたままだった。


「……北条」

 僕は一切の無駄を省いて呟いた。

 彼らは顔を見合わせた。店内に響くミルを挽く音も一瞬だけ止んだような気がした。

 僕は小さく息を吐いた。

 彼らは僕のことを知っているみたいだった。もちろん僕は彼らのことは知らないが。


「……神藤ならいねえよ」

 カウンターの中にいた男が呟いた。

 独り言かと勘違いしてしまうくらい、ミルを挽くリズムに変化はなかった。

「……じゃ、出直すよ――」

「あと一時間ぐれえで来っと思うけどな」

 男は僕の言葉を遮るように言った。

 僕は男を覗った。男は相変わらずミルを挽いていたが、微かに視線を僕に向けると「座って待ってれば?」と、カウンター席をアゴで指した。

 それに呼応するように手前にいた男が立ち上がった。そして僕に席を譲ると、奥のボックス席へと移動した。

 僕は声を出さずに礼を述べると、まだ男の体温が残るカウンター席に腰を下ろした。


 ボックス席に目をやると、僕に向って「誰?」と尋ねてきた長髪の男は雑誌に視線を戻していた。

 僕に席を譲ってくれた訛りのある男も、長髪の男の向かいに座り雑誌を広げている。カウンターに座った残りの二人は、僕の存在などもう忘れてしまったかのように喋りに熱中していた。

 そしてカウンター内に視線を戻した。

 男は相変わらずミルを挽いていた。まるで彼にとって、それが彼の世界のすべてであるかのように一定のリズムでミルを挽いている。

 神経質そうな男――。

 そんな印象を受ける。もしかしたら几帳面なだけなのかもしれないが。

 そして妙に落ち着き払っている。

 いまココにいる誰よりも幼いようにも見えるのだが、それを補って余りある静かな迫力を纏っている。そう言う意味では、どことなく神藤と似ているのかもしれない――。


 僕の視線に気付いたように男が顔を上げた。

 僕は彼の顔に向けていた視線をさりげなくミルの方へと下げた。

「飲むか?」

 男が言った。

 相変わらず表情に変化はなく、僕と目を合わせることもなかった。

 ただ、僕らを取り巻く店内の空気に妙な変化が訪れたことに気付いたが、あえてソレに触れることはなく「いただくよ」とだけ呟いた。


 男は一瞬だけ視線を上げた。

 そして小さく頷くとサーバーにネルをセットし、慣れた手つきで挽きたての粉をネルにいれた。

 男はヘラを使って、丁寧にネルに粉を詰めている。コンロにかけていたポットの蓋がカタカタと音を立てた。男は火を止めるとネルに視線を戻し、几帳面に表面を平らに均した。

 僕はお湯を注ぐ男の手つきを興味深く見守った。

 やがて抽出されたコーヒーはイブリックに移されコンロにかけられた。コーヒーの表面が白い気泡で覆われると、男は火を止めてイブリックをコンロから下ろした。

 そして二つのカップを並べてコーヒーを注ぐと「砂糖とミルクはねえけど」と呟きながら一つを僕の前に置いた。

 まどろっこしいルーチンを経て、僕の目の前に出てきたコーヒーはとてもいい香りがした。

 僕はカップを手に取り、鼻を近付けた。そのとき、男の視線が僕に向けられていることに気が付いた。

 その視線に急かされるように、僕はそっとカップに口を付けた。同時に口の中に広がる濃厚な香り――。


「……美味いね」

 僕はカウンターに向かって呟くと、再びカップを口に運んだ。 


 だろ――。

 男は初めて口元を弛めた。


「さすがに手間がかかっているだけのことはある」

 そう言って僕はコーヒーを啜った。

「豆の挽き方にも拘ってるからな」

 男は言った。少し誇らしげなその態度に彼の幼さが見え隠れしているように思えた。

 それはともかくコーヒーは美味かった。

 普段飲んでいるペーパードリップでは出せないようなコクと深い味わいがあった。


「――あんたついてるね」

 隣に座っていた男が耳打ちしてきた。

 僕はカップから口を離し、男の顔を覗った。

 男は僕が手にしたカップを覗き込み「健吾のコーヒーが飲めるなんてめったにねーよ」と意味ありげな笑みを浮かべた。

「確かにな。おれも飲ましてもらったことねーわ」

 ボックス席の長髪が同調した。


「おまえらに飲ましても無駄だからさ」

 カウンターの中の男が顔を上げた。

「砂糖と塩の区別もつかねえような味覚音痴どもに――」

「砂糖と塩ぐれーはわかるぞ?!」

 隣の男は声を上げたが、カウンターの中の男は「似たようなもんだ」と一切の反論を跳ね返した。


 健吾と呼ばれたカウンターの中の男。

 僕は男を覗った。仲間たちと談笑する彼はやはりどう見ても子供だったが、時折その表情に浮かぶ迫力と落ち着いた佇まいは、単に「肝が据わっている」というだけではないような気がした。

 不意に健吾が僕に目を向けた。はじめは刺すような冷たい視線だったが、それも徐々に和らぎ、やがて口元が弛んだ。


「おかわりならねえぞ」

 余分には淹れない性質たちなんでな――。

 健吾は澄ました顔で言った。


「いや、べつにそういうわけじゃないんだが」

 僕は言いながら吹き出した。

 全然的外れなコトを言っておきながら、まるで「おまえの考えてることくらいお見通しだ」と言わんばかりのスカした表情に無性に可笑しくなった。

 健吾は怪訝そうな表情を浮かべていた。

 なんで僕が吹き出したのか「まったく心当たりがない」といった顔で、何かを言いたそうに口のあたりをモゴモゴと動かしている。


「でも本当に美味いよ、このコーヒー」

 場を取り繕うように僕は言った。

 しかし健吾は相変わらず怪訝そうな表情をしていた。

「僕も結構こだわってる方だけど、この味はなかなか出せないと思う」

 僕は言葉を続けた。

 それは若干の社交辞令は含んではいたが、僕が抱いた率直な感想だった。

「拘ってるって、あんたはナニに拘ってんの?」

「そうだな、いちばんは――」

 僕は丹沢の湧水の話をした。

 時間は腐るほどあるから、わざわざ丹沢まで汲みに行っている――、と自嘲気味に話して聞かせたのだが、健吾は意外なくらいにその水に興味を持った。

 彼は湧き水の場所を教えてくれと言った。しかし口では説明しづらい場所だったし、あまり他人に教えることもしたくなかった。

 僕は適当な言葉ではぐらかしてみたが、彼は熱心に食い下がってきた。寡黙だったさっきまでの彼とは別人なんじゃないかと思えるくらいに――。


「じゃ……次ぎに行くときには声をかけるよ」

 結局、僕は根負けした。

「でも、このあいだ汲んできたばかりだからしばらくは行かないけど」

「おし、約束したからな。絶対に抜け駆けすんなよ」

 健吾は満足そうにチカラ強く拳を固めた。


 抜け駆けって……。

 思わず苦笑いがこみ上げてきたが、それを表情に出すことなく小さく頷いた。


「ところで……ココはきみがやってるのか?」

「は?」

 健吾は眉を顰めた。意味が通じなかったようだ。

「いや……ココはきみの店なのか?」

「んなわけねーだろ」

 彼は鼻で笑った。

「おれ、まだガクセイだぜ……いくつに見えてんだか知らねえけど――ん?」

 健吾が窓の外を窺った。

 そのとき、遠くから聞こえてきた野太い排気音が店の前で止まった。


「来たんじゃねえの」

 健吾はドアの方をアゴでしゃくった。



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