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#049 モーニングコール


「昨夜はドコに行ってたの?」

 三日ぶりに顔を合わせた祐未さんは尖った声でそう言った。


「何度も電話したのよ?」

「すみません、寝ちゃってて……全然気付かなかったです」

 僕は口を尖らせた彼女から目を逸らすと頭を掻いた。


 彼女は僕の言い訳をあまり信用していない様子だったが、それを口にはせず、ただ訝しげな視線を僕に向けてきた。


 昨晩、僕は首都高に行った。

 いったん家に帰ってから、日付が変わるころを見計らって都心環状線に繰り出した。

 走りに行ったというわけではなく、あてもなく環状線を流した、という程度だったが。

 前日、一昨日の仕事帰りに、僕は久しぶりに首都高に乗った。

 しかし乗ったとは言っても、ただ渋滞の列に並びに行っただけで……そこで昨日、あらためて出直したというわけだ。祐未さんがくる予定もなかったので。


 しばらく遠ざかっていた夜の都心環状線。

 あの事故以来、なんとなく避けていたのだが……意外と何の違和感もなく走れた。

 もちろんアクセルを強く踏み込むことはなかった。環状線をパトロールするように三周しただけだったが、自分でも拍子抜けするほど抵抗なく走れた。

 祐未さんがいない夜の過ごし方……バリエーションがひとつ増えたような気がする。

 だけどそのことを祐未さんに知られるわけにはいかなかった。

 それだけは絶対に避けなければならない――。

 僕は心の中で自分自身に言い聞かせた。


 それはともかくとして、彼女の中でのチーズリゾットのブームは過ぎ去ったみたいだ。

 キッチンから漂ってくるトマトソースの香り……今日のメニューは彼女が得意とするパスタだった。

 鼻歌混じりでパスタを皿に盛る彼女を横目に、僕はテーブルにカトラリーと二つのグラスを並べた。

 そして彼女が買ってきたワインのコルクを抜いたとき、テーブルにパスタがやってきた。

 僕は彼女が席に着くのを見計らい、二つ並んだグラスにワインを注ごうと……しかけたところで手を止めた。

 そして「今日は……泊まっていきます?」と祐未さんを窺った。


 彼女は無言のまま訝しげな目で僕の顔を見返してきた。

「いや、飲んじゃっていいのかな……と思っただけなんですけど」

 他意はないですよ――。

 僕は小さく笑った。

 しかし……彼女は微かに身を引き、胸の前で腕を組むような仕草をした。

「え……ホ、ホントですよ?!」

 僕は慌てて言った。

 彼女の醒めた視線が存在しないはず・・・・・・・の僕の下心を探っているようで……それは僕にとっては心外だった。

 確かに以前までとは違って「何もしない」とは言い切れない。

 だけどいまの時点ではそんなことを考えてたわけじゃないし、だいたい僕って奴は意外とそっちの面においては淡白な方だと――

「やっぱりね……」

 祐未さんは組んでいた腕を解くと悪戯っぽく微笑んだ。

「ムキになるのはヤマシイことを考えてる証拠ね」

「はあ? いや、ホントに何も――」

「――まあいいわ」

 彼女は小さくため息を吐くと、僕の手からボトルを奪い取り、二つ並んだグラスにワインを注いだ。


「その代わり……明日の朝は駅まで送ってよね」

 いつまでも寝てたら叩き起こすから――。

「いや、でもホントに……」

「はいはい、わかったから――」

 祐未さんはそう言ってグラスを手に取ると、僕のグラスに軽くぶつけてから、嬉しそうに口元へと運んだ。


 僕はため息を吐いた。

 結局僕の反論はすべて聞き流されてしまった。僕に着せられた濡れ衣……それを晴らす機会は永遠に奪われた、ということらしい。



「そう言えば……最近実家に行ってないの?」

 不意に祐未さんが呟いた。

 僕は質問の意図が読み取れず、グラスを持ったまま小さく首を傾げた。

「あ……べつにヘンな意味じゃなくて、よ?」

 彼女は慌ててそう言った。


「わかってますよ――」

 僕は微笑し、そして頷いた。


 僕の家族の複雑な関係……祐未さんはソレを知っていた。

 敢えて僕が話したことはなかったが、それでも大体のことは知っているみたいだった。


「そろそろ赦してあげたら?」

 祐未さんは僕の顔色を窺うように言った。

「べつに……赦すも何もないですよ」

 元々怒ってなんかいませんし――。

 本当だった。

 はじめから怒ってなんかいない。

 確かにあのときは表現しがたい感情に苦しめられたのは間違いなかったが、それでもそこにあったのは怒りとは違うモノだと理解している。

 僕としては「もうどうでもいいこと」だと思うようにしていた。

 しかし、頭では理解していてもドコかに蟠りがあるのは確かだった。

 考えてみれば、一度拗れた感情を簡単にリセットできるほど、僕は大らかな人間ではなかったし。

「――それに手切れ金をもらって家を出た身なんで……いまさらタビタビ顔を出すのも、ねえ?」

 僕は少し戯けてそう言った。

 だいたいイマサラ顔を合わせても話なんかないし、お互いに気まずい思いをするだけだ。

 きっと実家かれらにしてみれば、僕がいなくなって平穏な毎日を送っているはずだ。

 由佳里はどうだか知らないが、少なくとも父と母にとっては「ようやく厄介払いができた」程度にしか思っていないのだろうし。


「じゃ、電話でもしてみたら」

 祐未さんは言った。「……彼女、すごく心配してたから」。


 僕は何も応えなかった。

 祐未さんがいつの間に実家に連絡を取ったのだろうという疑問はあったが、それについては深く追及する気もなかった。僕の入院中にも顔を合わせる機会は何度となくあったのだろうし。

 だけど僕の実家の人間が「祐未さんに近付く」のを想像すると、なぜだか無性に腹立たしい気分になってくる。


 僕は大きくため息を吐くと、グラスに残ったワインを一息に飲み干した。



***


 翌朝、いつもより少しだけ早く目が醒めた。

 僕は身体を起こすと、大きくノビをしてからゆっくりと立ち上がった。

 ベッドにはすでに祐未さんの姿はなかった。

 彼女が僕より先に起きるのはいつものことだから、べつに不思議なことではなかったのだが……


「――やっぱりな……」

 ダイニングにも洗面室にも、祐未さんの姿は見当たらなかった。

 代わりにテーブルの上にメモがあった。

 僕はそれを手に取ると、口元を歪め小さく首を傾げた。

 彼女が残した書置きには「よく寝てた」「起こすのがかわいそうだった」と言うようなことが書かれていた。


 僕はまた首を傾げた。

 祐未さんと過ごすようになってから、僕の悩みのひとつだった睡眠障害は解消されつつあった。少なくとも夜中に何度も目が醒めることはなくなっていたし。

 以前までは、いつでも「何とも言えない怠さ」に付きまとわれていたが、ソレからも解放されている。

 おそらく、起きてるときと寝ているときのメリハリがついたからなのだろう。

 それにしても、ちょっと前まではあれだけ眠れずに悩んでいたのに、最近は何の苦労もなくいつの間にか意識がなくなっている。

 いまでは寧ろ「寝るのが惜しい」と思っているくらいなのに……なんだか皮肉な話だ。


「――ん?」

 玄関の呼鈴が鳴った。

 時計に目をやると、まだ七時を回ったばかり……早朝だとは言わないが、ちょっと迷惑な時間帯だ。


 また呼鈴が鳴った。

 僕はブラインドの隙間から外を覗きこんだ。

 知らない奴だったら居留守を使おうと思っていたのだが、ココからは来訪者の姿は確認できなかった。

 仕方ない――。

 僕はベッドの脇にたたんであったジーンズを履くと鏡を覗いた。

 寝癖のついた凄い髪型に思わずため息がこぼれたが、直している時間はなさそうだ。

 Tシャツに袖を通しながら階段を駆け下りたとき、急かすような三度目の呼鈴が聞こえてきた。


 玄関ドアを開けると、ソコにはスーツ姿の男が立っていた。


「おはようございます」

 濃紺色のスリーピースを着込んだ細面の男は、僕と目が合うと慇懃に頭を下げてきた。

 僕は僅かに首を傾げた。

 男の顔に見覚えがあった。しかしドコで会ったのかまでは思い出せなかった。

 そんな僕の視線に気付いたようで、男は慌てて名刺を取り出した。

「除です。山下町の――」

「ジョ……? ああ――」

 思い出した。

 名刺にある横文字の社名には憶えがあった。

 男はココを管理する不動産屋だった。春先に一度会っただけだからすっかり忘れていたが。


「すっかりご無沙汰してましたね」

 除はそう言って微笑んだが、僕は曖昧に首を捻ってから言った。

「そんなことより、ずいぶん早くから仕事してるんですね」

「ええ。夜も遅いんですがね」

 除は満面の笑みを浮かべた。

 どうやら彼は、皮肉を込めた僕の言葉を「好意的な意味」に翻訳したようだ。

 彼は笑みを浮かべたまま、僕にはまったく興味が持てそうもない話題を次々と並べ立てた。


「で……なにか?」

 僕は醒めた声で彼の言葉に割り込んだ。

 せっかく早く目が醒めたのに、このまま彼の話に付き合ってたら遅刻してしまう。

 すると除は、芝居じみた仕草で手を叩くと「そうでしたそうでした」と呟きながら足元に置いたバッグに手を伸ばした。

「コチラをお渡ししようと思って」

 除が手にしていたのは一枚の紙だった。

「なんですか、これ?」

 中華料理屋のチラシにしか見えないが。

「私のお客さん、中華料理店を始めまして。よかったら行ってみてください、美味しいですよ」

 除はニッコリと笑った。


「え……」僕は絶句した。


「わざわざこの為に?」

「ええ。本当に美味しいですよ」

 除の屈託のない笑みに、僕はため息で応えた。


 ウソだろ……。そんな用件でこんな時間に家に来たのか?

 こんなチラシ、ポストにでも入れていってくれればそれで済む話なのに――


「ああ、それから――」

 除がまたわざとらしく声を上げた。

「鍵、換えてしまったのですね」

 彼の視線はドアに付いたカギに向けられていた。プッシュ式の番号錠を興味深そうに眺めていた。

 僕はカギを一瞥すると「ダメなの?」と除の顔を覗った。

 彼は首を横に振った。

「ですが、管理する私どもの立場からすればご一報いただけると助かります」

 除は丁寧な口調でそう言ったが、僕としては素直に頷けない気持ちだった。

 だいたい彼らの「プライバシーに関する考え方」に同意できなかったから勝手に交換したわけだし、今日だってこんな時間に何の前触れもなくやってくるなんて常識的に考えて――

「この鍵は電子錠ですね?」

 除はそう言ってカギに手を伸ばした。

「へ~、配線は……ああ、電池式なんですね、なるほどなるほど――」

 彼は呑気に呟いた。

 あくまでマイペースを貫く除の態度に、僕は反発することすらバカバカしくなっていた。


「ご自分で取り付けされたのですか?」

 カギに目を向けていた除が顔を上げた。

「まさか。知人が鍵屋なんで――」

「知人……おお、ちょうどよかった!」

 除はまたまたわざとらしく手を叩いた。

「もしよかったら、その方を紹介していただけませんか? 実は私どもが懇意にしている鍵屋が先日廃業してしまいまして……」

 除はそう言ってその廃業したという鍵屋の人とナリについてを語ってくれた……まったく僕には関係のない話だったが。


 結局少し迷ったが、僕は除に徹二君の連絡先を教えることにした。

 仕事が増えるのは徹二君にとっても悪い話ではないだろうし。



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