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#004 未練

 僕の駆るAA63は国道一号線の山道を小田原方面に向かっていた。

 祐二たちとは十国峠のパーキングで別れた。

 奴らは「乙女峠に行く」と言っていたが、なぜだか気乗りがしなかった僕はそれを丁重に断り、パーキングに彼らを残して、さっき走ってきた道を引き返してきた。

 気乗りがしないのは、絵里の話を聞いたからだというのは疑いようがなかった。

 なぜ彼女は会社を辞めたのか、なぜあの大人しい彼女が声を張り上げるほどに苛立っていたのか。そしてなぜ、僕との連絡を一方的に絶ったのか……。

 いくら考えてもその答えが導かれる気配はなかった。


 大平台の大カーブを抜けると、間もなく現れるギャラリーコーナー。

 コーナーの待避所にはさっきまでいたギャラリーの姿はなかった。

 代わりに赤色灯が回転しているのが見える……警察の登場でギャラリーは蹴散らされてしまったみたいだ。

 箱根の山道を下りきり、湯本の商店街を抜けて駅前の路上に来ると、そこには「難を逃れた奴ら」が屯していた。

 僕は不躾な視線を送ってくる彼らの横をすり抜け、三枚橋を過ぎたところでアクセルを強く踏み込んだ。

 程なく車線が二つに分かれ、左車線から小田原厚木道路・西湘バイパス方面に向かい、更に左に分岐して小田原厚木道路に入った――。




 東名の海老名サービスエリアに立ち寄り、缶コーヒーを買った。

 時計を見ると、帰宅するにはまだ早い時間だった。

 陽が顔を出すのもまだしばらく先……。

 僕は缶コーヒーを一気に飲み干すと、ゴミ箱に投げ入れ、AA63のシートに滑り込んだ。

 そして四点式のシートベルトで窮屈なフルバケットに身体を縛り付けると、クラッチを切りアクセルを軽く煽った。

 回転数を示すメーターのレスポンスを確認するように三回、四回とアクセルを煽る。

 隣に停まっていたトラックの運転席からガラの悪い男が顔を覗かせたが、僕はソレを無視してアクセルを深く踏み込んだ。

 サービスエリアに反響するAA63の排気音。

 僕は心地よいサウンドに耳を傾けながら、ギヤを入れ、SAの出口を目指した。


 本線に合流すると、一番右端の車線に移動した。

 フロントガラスの上をオレンジ色の外灯が流れていく。

 大和トンネルに入ると、高音のトラストサウンドが更にボリュームを上げたように響き渡る。

 トンネルを抜けたところで、目の前にセドリックが現れた。

 まるで停車しているんじゃないかと錯覚するようなスピードに舌打ちをし、ギヤを落とす。

 同時に跳ね上がる回転数をキープしたまま左車線に移り、ギヤを五速に戻し、セドリックを抜き去った。


 

 僕と絵里が出会ったのは三年前の四月だった。

 僕が当時いた店に新人として配属されてきたのが彼女だった。

 入社は高卒の僕の方が一年早かったが、年齢は短大卒の彼女の方が一つ上だった。

 絵里は大人しい女だった。

 上品な雰囲気を持った女だった。

 それは工業高校でもまれてきた僕には少し異質に見えるくらいだった。

 ただ、そのころの僕が彼女に抱いた印象はそれがすべてで、それ以外にはなにもなかった。

 現に彼女が入社してからの一年間、僕らが話をしたことは多分一度もない。

 元々接点がなかったし、取り立てて彼女に興味がなかった。

 でも、あるきっかけで僕らは話をするようになり、そして……あの日を境に僕の中では確かに何かが変わっていった。



***


 あの日、定時で上がった僕は、社員用の駐車場で彼女と会った。

 この場所で顔を会わせるのは珍しいことではなかったが、挨拶以外の言葉を交わすことはほとんどなかった。

 しかしその日に限っては違っていた。

 いつものようにエンジンを掛け、アイドリング中の車内でメーターと睨めっこをしていた僕に絵里が近付いてきた。

 僕はウインドウをおろしドア越しに立った絵里を見上げた。

「エンジンが掛からないの」

 彼女は泣き出しそうな声で呟いた。いつもの澄ました様子とは違う彼女の表情に、僕は不思議な感情を抱いた。

 僕はエンジンを掛けたままAA63を降り、絵里のクルマに近付いた。


 彼女の車はソアラだった。

 MZ20・ソアラ3000GTリミテッド――。

 二十歳ソコソコの女の子が買える車ではないはずだったが、彼女は家の車だと言っていた。

 彼女からキーを預かり、ドアロックを解除し、シートに腰を下ろす。

 装飾品の類がほとんどない車内は、微かな芳香剤の香りがしたが、鼻につくような強いものではなかった。

 シフトレバーの位置を確認し、ブレーキペダルに足を乗せ、イグニッションを回す――しかしセルが回る様子はなかった。

 クラクションを鳴らしてみるが、こちらも反応がない……間違いない。バッテリーだ。

 ボンネットのロックを解除して車を降りると、彼女は心配そうな表情のままソアラと僕を見守っていた。

「……バッテリー」

 僕はボンネットを開け、エンジンルームの一角を指さした。

 しかし彼女の心配そうな表情は変わらなかった。寧ろさっきよりも一層不安げな色をその目に宿していて――。


 ククク――。

 僕は思わず笑い声を洩らした。

 仮にもディーラーに勤める彼女がこんなことくらいで不安になっていることに可笑しくなった。

 いくらなんでも、バッテリーが上がっていることくらい、自分で判断できるだろうに――。

 突然笑い出した僕に、彼女は少し頬を膨らませて不満そうな視線をぶつけてきた。

 しかしいまの自分の立場に気付いたのか、ナニも言葉にせず、不満を押し殺すように目を伏せた。

 そんな彼女の仕草に、僕は肩を竦めた。

「ちょっとココにいて」

 エンジン掛けっぱなしなんで――。

 僕はAA63を指さすと、彼女を駐車場に残し、事務所に向かって走り出した。


 事務所からキーボックスを持って戻ってくると、一本のキーをつまみ上げ駐車場の奥に向かった。

 奥にある事故車の中に、確かソアラと同じサイズのものがあった。

 引き揚げてきたばかりだから、まだバッテリーは十分に生きているはずだ――。




 バッテリーを交換してイグニッションを回すと、セルが重そうに始動し、エンジンが掛かった。

 いったんエンジンを切り、もう一度キーを回す――。

 さっきよりスムーズにセルが回った。

「これでしばらくは大丈夫だと思いますよ」

 心配そうな顔をする彼女に向かって淡々と言った。

 時計を見ると六時の手前を指していた。

「本当にありがとうございます……」

 ボンネットを閉めると、絵里は恐縮したような態度で僕に向かって頭を下げてきた。

「あ、あの……いくらですか?」

 絵里は肩に掛けていたバッグに手を突っ込み、財布を取りだした。

 僕は彼女を窺うと、あからさまな態度でため息を吐いた。

「――いりませんよ」

 地面に置いていたキーボックスを持ち上げた僕は、不意に湧き上がった苛立ちを抑え「困ってるのかと思って勝手に・・・したことなんで」と吐き捨てるように言った。

 親切心でしたことを踏みにじられたような気がした。

 小遣い稼ぎと思われたみたいだが、生憎それほどカネには困ってない――

「え。いえ……バッテリー代、なんですけど……?」

「え……あ、ああ――」

 なんだ。そっちのことか……。

 危うく余計なことを言って恥を掻くところだった。

「黙ってればわからないですよ。僕らもよくやるし――」

 場を取り繕うように頬を弛めたが、彼女はまだ心配そうな顔をしたままだった。

「どうせ近いうちに解体屋が持っていくだけですから……気にすることないと思いますよ」

 僕が彼女にそう告げたとき、駐車場にやってきた人影を見留めた。後輩の品川だった。

 キーボックスを持った僕は品川に歩み寄ると、それを彼に手渡し「事務所に戻しておいて」と伝えた。彼は二つ返事で了解してくれた。

 彼女はまだ何かを言いたそうだったが、僕の方は話すことなど何もなかった。

「じゃ、お疲れです」

 軽く頭を下げ、彼女を残したまま駐車場を後にした。

 その日はそのまま別れた僕らだったが、翌日、昼飯の買い出しにきたコンビニで彼女と会った。

 コンビニに向かって歩く僕の姿を見つけて後を追ってきた、彼女はと笑った。僕は彼女が笑う理由がわからなかった。

「意外と少食なんですね」

 絵里は僕が手にした二つのおにぎりを見て微笑した。

 僕に話しかけてくる理由がわからなかった。そして……その安売りする笑顔に意味もなく苛立った。

「べつに……少食ってわけじゃないです」

 僕は陳列棚から適当なおにぎりを三つ、鷲掴みにした。

 レジに乱雑に並べると、会計を済ませ、彼女の方を見ることなくコンビニを飛び出した。

 途中、何かを期待して何度か後ろを振り返ったが、絵里が後を追ってくることはなかった。

 あの頃の僕は、自分でも首を傾げたくなるくらいに子供だった……忘れたい過去でもある。




***


 横浜町田インターを町田方面に下りると、国道二四六号線を東京方面に向かった。

 江田駅の前を左折し、東急田園都市線沿いを北に向かう。あざみ野駅を過ぎたところを左に入り、田園都市線をくぐると、やがて大きな住宅街が現れた。

 ここには絵里を送って何度か来たことがあった。

 迷路のような住宅街の路地を、AA63は地鳴りのような排気音を響かせながらゆっくりと進んだ。

 やがて目の前に出てきた家。

 そこには「井村」の表札と、見覚えのあるソアラがあった。

 灯りの落ちた窓からは人の気配は感じられない。

 だが、二階の左側の出窓のある部屋……絵里はソコにいるはずだった。

 僕は家の前に車を停めて、しばらく彼女の部屋の窓を見つめていた。

 

 もしかしたら、アイドリングの音に気付いて顔を出してくれるかもしれない――。

 しかし、固く閉ざしたカーテンは揺らぐこともなかった。

 そんな淡い期待を抱いていたのが恥ずかしく思えるくらい、夜明け前の住宅街には僕の気配しか感じられなかった。

 


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