#034 REUNION
「こんにちは……ていうか、コンバンハですよね」
神藤は柔らかな笑みを浮かべていた。
以前会ったときと同じ、黒い革パンに深紅のスイングトップという出で立ち。そして相変わらずの紅い髪。
僕は彼を見据え、一瞬のうちに考えを巡らせていた。
まず、なぜ彼がココにいるのだろうと。
尋ねてみたところで、おそらく彼は「偶然だ」と答えるのだろうが、それは信用できない。
だとしたら僕がココにいることをどうやって知ったのか。
どこかで見つけてあとを尾行てきたのか? それとも「家から出てくるところを見張ってた」という可能性はないのだろうか? それはなんのために? いったい僕に何の用があって? いったいなぜ――
……止めた。
僕はそっと彼から視線をハズした。
そして何事もなかったかのように歩きだした。考えるだけ意味のないことだった。
「ちょっとだけ時間をもらえませんか」
神藤は言った。落ち着き払った声だった。
僕は立ち止まり振り返った。そして彼の問いに答える代わりにビニール袋を顔の高さまで掲げた。
「?」
神藤は不思議そうな顔をした。
その訝しげな視線は真っ直ぐにビニール袋に向けられていた。
「腐る前に帰らないといけない」
僕は醒めた声で言った。
我ながら気の利いた断り文句だと思った。
しかし……一拍おいてから神藤が吹き出した。
それは僕から見た「彼のイメージ」を損なうことのない品のある笑い方だった。
「……北条さんて、マジメな顔して面白いこといいますよね」
一頻り笑った彼は、指先で目尻を拭い、そしてもう一度笑った。
「そんなに長話をしようなんて思ってないですよ」
少なくとも牛乳が腐るほどは、ね――。
駅前は閑散としていた。
十一時を過ぎたあたりだったが乗降客の姿もあまりない。
住宅街の真ん中に位置し繁華街からも離れているためか、僕がイメージする「駅前の喧騒」とは縁遠い景色が広がっている。
そしてコンビニから漏れる灯りに照らし出された紅い髪の少年――。
VFRを背にして立っている神藤は、意外と背が高いと言うことに気付いた。そして……以前会ったときより少しだけ舌が滑らかだった。
どうしてあの日に限って大垂水峠にいたのか――。
神藤は言った。
彼は僕の事故のことを知っていた。大垂水をホームにしている顔見知りの奴に聞いたと涼しい顔で言った。
大垂水に「走り屋狩り」が出るらしいという噂はずいぶん前からあったらしい。どうりでいつもの週末より人が少なかったわけだ。
だが最近はほとんど大垂水に行くことがなかった僕は、それを知ることなく「まんまと狩られてしまった」ということのようだ。
まあ通い詰めてたとしても、僕自身は他人との交流は皆無に近かったから「情報」が入ってこなかった可能性も否定できないのだが。
「でも、大した怪我じゃなくてよかったですね」
神藤は言った。
「……じゅうぶん大した怪我だと思うが」
僕はギプスで盛り上がった右肩に視線を落とした。
服を着ててもわかるくらい、右側だけがアメフトの選手のようになっていた。
「そのくらいでは怪我のうちに入りませんよ」
神藤はそう言うと、意味ありげににっこりと笑った。
「ところでTZRには会えたんですか?」
神藤の言葉に僕は首を傾げた。
「最近見かけなかったから、たぶん都内に行ってるんだろうなと思ってたんですが」
「いや……生憎まだだけど」
いいながら視線を足元に落とす……思わず苦笑いがこぼれた。
本当に見張られてるんじゃないかと思った。それとも僕の行動パターンは短絡的で想像がつきやすいのだろうか、と。
僕は彼に視線を戻した。
相変わらず何を考えてるのか読みにくい瞳だったが、前回感じたような"冷たさ"のようなものはなかった。
そしてやっぱりイメージとは合わないと思った。
目の前にいる神藤と大垂水峠を攻めるVFR……やっぱり同一人物には見えない。
VFRに乗っていると言うだけで、実はあのVFRとは別人ではという可能性について考えてみたが、タンクに描かれたあの紅いラインは確かに僕の記憶にもあって――。
「VFRですか?」
神藤はそう言ってVFRのシートの上に手を乗せた。どうやら僕の視線を感じ取ったらしい。
「結構気に入ってるんですよ」
「だろうね――」
僕は小さく頷いた。
「大事に乗ってるんだな」
「ええ。乗ってみますか?」
神藤は躊躇なくそう言った。
それは本心から言ってるように僕には思えた。
「いや……遠慮しとく」
僕は右肩を一瞥してから丁重に辞退した。バイクに乗れないほど肩の具合が悪いわけではなかったが、他人の単車に乗るのは何となく気が引けた。
「そうですか……」
彼は残念そうにため息を吐くと「じゃ……治った頃に、また」と呟いた。
「それより考えてくれました? ウチのチームに入るって話」
ようやく本題に入ったか……僕は思った。
「親睦会……いや、再会だっけか?」
「ああ……直訳するとそうですね、確かに」
まあ、べつの意味もあるんですけど――。
神藤は曖昧に言葉尻を濁すと「映画とかって見ますか」と呟いた。
「いや。ほとんど見ない」
僕は即答した。
小学生の頃まで遡れば見たことがないわけではなかったが、少なくとも自分の意思で映画を見た記憶が僕にはほとんどなかった。
神藤は残念そうに「そうですか……」と呟くと僕から目を逸らした。
「もともとは三人しかいなかったんですよ」
オレの仲間って――。
神藤は自嘲気味に呟くと小さく笑った。
そして彼らのチームの変遷について訥々と語り始めた。
話を要約すると彼らのチームは「変わり者の集まり」だと言うことだけは疑いようがないらしい。
「そこで……北条さんにも是非加わって欲しいんです」
神藤は言葉にチカラを込めた。
「なるほどね……」
僕は苦笑いした。どうやら僕も変わり者に見える……ということか。
「そのチームなんだけど……」
苦笑いを抑えながら、先日「彼らを見かけた」と言うことを話した。
信号待ちをする僕の前を走り抜けていった一団……そのときに感じた印象を包み隠さず話した。ちょっと僕のカラーとは合わないということも――。
「そうですね……」
僕が話し終えると、神藤はバツが悪そうに口元を歪めた。
「確かに"そんなふうに見える奴ら"もいますね」
それは否定しませんけど――。
そう言ってため息を吐いた。
「でも、ウチは暴走族なんかじゃありませんよ。本当に」
神藤はクチを尖らせた。彼にしては珍しく少しムキになっているようにも見えた。
「わかってるよ」
僕は彼から外した視線を足元に落とすと小さく笑った。
べつにソレを咎めるつもりなんてなかった。彼らが何を目指していて、どう行動していようと僕には関係がないことだし。
ただ、少なくとも彼はそういうふうに見られることを嫌っているみたいだった。
そんな神藤を見て、僕は口元を弛め小さく息を吐いた。
「取りあえず……考えておくよ、前向きに」
「ホントですか?!」
神藤は目を見開いた。
「でもひとつだけいいかな――」
聞いておきたいことがひとつだけあった。
彼が僕を誘う理由……それがどうにも理解できないでいた。まったく面識のなかった僕を誘う理由を聞いてみたかった。
本当に「只の変わり者」と思われているのだとしたら少し嫌だったし。
「そうですね……」
神藤はこめかみに指を当てた。
「なんとなく、似ているような気がするんですよ」
神藤はそう言って僕と自分を交互に指さすと、少し照れたような笑みを浮かべた。
***
日曜の午後、僕は意味もなくガレージのシャッターを開け、折りたたみのイスに腰掛け外を眺めていた。
今日は朝から雨が降っていた。
僕の目に映る雨の街はグレーに染まっていて、ただシトシトと降り注ぐ雨の音が聞こえるだけだった。
退屈だった。退屈を通り越して何もする気が起きない。
それでも居たたまれない衝動が不規則に押し寄せてきては、僕に何かをさせようとするのだが、その何かがいまの僕には見つからなかった。
昨日は定例の走行会の日だった。
当然僕は参加していない。
水曜日には熊沢たちの走行会があったはずだが、それに顔を出すこともなかった。
僕にはアシがなかった。
そして彼らからの誘いもなかった。
もしかしたら気を遣ってくれているのかもしれない。
自爆してキズついた僕を。
あんなに忙しかった僕の週末……いまでは何の予定も入っていない。
毎晩のように走り回ってたのが嘘のように静かな夜を過ごしている。時折遠くから聞こえてくる排気音に耳を塞ぎながら。
神藤たちは、週末になると森林公園近くのカフェに集まっているのだという。
しつこく誘ってもらってはいたのだが、どうしても足が向かなかった。
彼に対する警戒心は薄まっている。
もちろん全幅の信頼を寄せるには至ってない。しかし、少なくとも性根の曲がった人間ではないと言うことは会話の中から垣間見えた気がしていた。
だけど……やっぱりいまは外に出る気がしない。
ココから眺める外の世界に、一人で足を踏み出す気にはならなかった。
僕はふらふらと立ち上がり、ガレージの隅にある流し台に向かった。
小さなシンクが付いた質素なミニキッチン。
本来ならガス台が収まるスペースには小さな冷蔵庫を置いていた。中には、引越当日に祐二たちが持ってきたビールがまだ三本入っている。
僕は冷蔵庫の扉を開き、中から冷えた缶ビールを取りだした。そしてキッチンの縁に腰を預けたまま、プルタブを引きおこした。
アルコールを口にするのは久しぶりだった。
でも美味いとは思わなかった。
禁酒を解いたという感慨もいまの僕にはなかった。
ただ、苦味のある液体が喉を通って胃に落ちていく……それを確認するだけの作業だった。
三五〇ミリリットルの中身を全て流し込んだ僕は、缶を握りつぶしてシンクに転がした。
僕は酔いが回ってくるのを待った。
しかし……ビール一本では酔えそうもなかった。いくら待ってみても頭は冴えたままで――。
僕は縋るように冷蔵庫に手を掛けた。
だが、扉を開けてビールに手を伸ばしたところで思いとどまった。
そして大きくため息を吐くと、力が抜けたようにその場に座り込んだ。
今日は日曜日――。
週に一度だけの祐未さんが来ない日だった。
彼女は一弥君のところに行ってるはずだった。
それはあまりに普通の事だったし、いままでは当然のように受け容れてきた。
だけど……いまでは自分がよくわからない。
ただ止めどなく湧き上がってくる苛立ちが、行き場のないままに僕の中で燻り続けているようだった。




