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#031 イレギュラーな出来事

「北条――。おまえ、メシは?」

 職場の先輩が僕を呼び止めた。

 僕はわざとらしく左手の時計に目をやり、「すみません、これから実家に行かないといけないんで」と死にたくなるくらいの愛想笑いを浮かべて言った。


 週末の仕事帰り、僕は実家に顔を出そうと思っていた。

 四月に引っ越して以来、実家には一度も訪れていなかったし、母と由佳里には置き手紙を書いただけで、直接挨拶すらしていない。

 それが僕の中では「家から逃げ出してきた」ように思えて仕方がなかった。一度会って、ちゃんと引越の報告をするべきだと、いまさらながらに思い立った。

 そしてもうひとつ――。

 昨夜、僕はAA63の凹んだ右フロントフェンダーを取り外すことを試みた。内側から叩けばもうちょっと「見てくれ」が良くなるような気がしたのだ。

 しかしココで工具の類がないことに気付いた。

 僕がメカニック時代に愛用していた「Snap-on」のツールセット。

 それを実家の納戸に押し込んだままだったことを思い出し、ついでに実家に取りに行こうと……

 だけどそんな気分もいまではすっかり萎えていた。

 それというのもカキタの理不尽な説教のせいだった。

 彼の「長話」に付き合わされ、気が付けば既に十時半を回っていた。

 さすがに実家とはいえ、こんな時間から何の前触れもなく尋ねていく気にはなれなかった。せめて電話をしておくべきだった。


 会社の駐車場を出た僕は、国道246号線方面へと向かった。

 東名をくぐり、市ヶ尾の交差点を真っ直ぐに進む。

 微かな空腹感を覚えながら惰性でクルマを走らせるうち、幹線道路から大きく外れてしまったことに気付いた。

 こんな時間じゃ幹線道路沿いのファミレスくらいしか開いてないよな――。

 僕は頭の中で現在地を確認すると、めぼしいファミレスを思い浮かべた。そしてアクセルを踏み込んだ。

 このまま進めば柿生のあたりに出る。柿生から鶴川へ抜け、鶴川街道を通って町田街道へ……そこまで行けば、何かしら開いてる店があるはずだった。



 週末と言うこともあってか、街道沿いのファミレスは混んでいた。

 店員は僕をカウンター席に案内しようとしたが、僕は「あとから友人が来る」と偽ってテーブル席に着いた。

 そしてメニューを形式的にパラパラとめくると、用意してきた"いつものメニュー"をオーダーした。

 メニューを下げて立ち去る店員を横目に見ながら、僕は背もたれに身体を預け、足を投げ出した。そして一度時計に目をやってから小さく息を吐く。


 なぜ、こんな時間に晩飯を食わなければいけないのか――。

 僕は自問してみた。

 昼飯を食べたのは正午過ぎだったから半日ぶりの食事……不規則なことこの上ない。しかもこんな時間まで会社に拘束されていても、仕事ではなく説教だから残業はつかないらしい……馬鹿馬鹿しくてやってられない。

 いまの職場を離れる日はたぶんそう遠くない……僕にはそんな予感があった。

 もっとも縋り付きたくなるような職場ではなかったが。


 やがてテーブルにブレンドコーヒーが運ばれてきた。

 続いてアメリカンクラブハウスサンドとフライドポテトがテーブルに並んだ。

 店員が立ち去ると、僕はコーヒーカップにたっぷりとミルクを注ぎ、それを手に取った。

 ファミレスに立ち寄ると、僕はいつも同じモノを注文する。

 特別これが美味いとは思わない。だけど不味いわけでもない。

 それ以前に、これを不味く調理するのは案外難しいことのような気がする。つまり無難だってことだ。


 ふと顔をあげたとき、隣のボックス席にいる女の子と目があった。

 男二人女二人の四人組。

 周りを見ると、週末だからなのかもしれないが、似たような組み合わせのグループが複数あることに気付いた。

 僕らも昔はあんな感じだったのかもしれない。週末のたびに当時付き合ってた人のクルマで晩飯を食べに行き、そこに一弥君と祐未さんが合流して……。

 あの頃のことを思い出すと不思議な気分になる。妙に感傷的になってる自分に気が付き、最後にはそんなヤワな自分に嫌悪感を覚える。

 視線を戻すと、彼女はまだ僕の方を見ていた。


 なるほど――。

 四人がけのボックス席を一人で占拠している僕のような奴は珍しい……ということか。

 僕はコーヒーカップに手を伸ばした。

 そしてそれを一気に飲み干すと、伝票を掴んで立ち上がった。



 ファミレスを出たのは、ちょうど日付が変わる頃だった。

 八王子方面へ向かう僕の遙か前方……そこには単車が走っているのが見える。向かう先は僕と同じなのかもしれない。

 僕は大垂水峠に向かっていた。

 久しぶりにあそこを走ってみたいという衝動に駆られていた。

 そこは僕にとって走りの原点とも言える場所だった。


 あの日、首都高で天使に遭って以来、僕の走りはなんだかおかしい。

 いや、正確に言うとちょっと前からおかしかった。

 僕は以前よりアクセルを踏み込めなくなっていた。コーナーに飛び込む直前、本当に一瞬だが躊躇してしまうことがあった。

 理由は明快だ。僕は臆病になってしまったのだ。


 でも考えてみれば不思議だ。

 一弥君が事故ったときでさえ、こんな風にはならなかった。寧ろそれまで以上に激しい走りをしていたはずだ。

 だけど……いまの僕は変わってしまった。

 僕は死に対して明らかに恐怖心を抱いている。僕が僕ではなくなってしまう可能性について考えたとき、アクセルを踏み込む右足が急に言うことを聞かなくなる。


 そしてもうひとつ――。

 僕とAA63の信頼関係が崩れつつあった。

 AA63は一弥君と一緒に作り上げた自慢の一台……言ってみれば僕と彼の思いが詰まったクルマだった。

 だから大事に乗ってきたし、それはこれからも変わらないハズだ。

 それでも最近思うことがある。

 いつかAA63に裏切られるんじゃないかと。

 一弥君の魂がこもったAA63が、僕を裏切る日がきっと来るんじゃないか、と――。




 高尾山の入り口付近で、目の前に黒っぽいバスが現れた。

 真っ黒なスモークフィルムを張ったリヤガラスには日章旗が描かれ、その下に漢字のロゴ……どうやら右よりの人たちらしい。

 こんな場所で「この手の人たち」を見かけるなんて珍しい。そして彼らがいったいドコに向かっているのかという興味はあったが、このまま日章旗を眺めながら大垂水を下るのはゴメンだった。

 僕は右によって前方を確認する。

 バスの前にはもう一台、セダン系の車が走っているのが見えるが……。

 僕はステアリングを切り、アクセルを踏み込んだ。一気に加速して一瞬のうちにバスとセダンを置き去りにした。



 山道に入り、少しだけ窓を下ろした。

 真っ暗な深夜の大垂水にAA63の甲高い排気音が響き渡る。

 しかしいつになく静かな気がした。

 いつもならどこからともなく聞こえてくるスキール音が、今日はまだ聞こえてこない。

 ふと寂しさを感じて僕は戸惑った。そしてそんな寂しさを感じている自分が無性に可笑しくなった。

 僕はずっと一人で走ってきた。

 誰とも連むことなく、独りでいることにある種のこだわりを持って走り続けてきた。

 そんな僕が独りでいることの寂しさを感じている……もはや首を傾げるほかない。


 やがて僕らがスタート地点にしている駐車場に辿り着いた。

 しかしソコにも黒塗りのワンボックスが入口を塞ぐように停まっている。おそらくさっきのバスたちを待っているのだろう……。

 基本的に僕はルーティンを大事にするタイプの人間だ。

 だからイレギュラーな出来事を大いに嫌うのだが……僕は駐車場に乗り入れるのは諦め、ワンボックスの横を素通りした。

 いま、彼らに近付きすぎて刺激するのはまったく意味のないことだった。

 もっとも追いかけられるような事があっても、彼らに僕が捕まえられるとは到底思えなかったのだが。


 そして一つ目のコーナーが目の前に現れた。

 走り慣れた大垂水だったが、久しぶりだと言うこともあり、感触を確かめるように軽めにアクセルを踏み込む。

 AA63は安定した挙動でひとつひとつ、コーナーをクリアしていく。

 レスポンスも悪くない。アクセルペダルを踏み込むたび、メーターの針が心地よさを感じるほどに跳ね上がる。

 僕の中にある微かな不安を吹き飛ばすには十分すぎるくらいの軽快さだ。


 このままいったん松山園まで下りきってから、Uターンして松山園の駐車場に乗り入れ、ソコでさっきの"団体客"をやり過ごしてからスタート地点に戻ろう――。

 一応僕の頭の中ではそんなプランが出来上がっていた。


 やがてなかがみ屋のコーナーが見えてきた。

 僕は速度を保ったまま緩やかなS字をを抜け、ギャラリーコーナーへの突入に備えてエンジンの回転数を合わせていく――


――?!!


 その刹那、駐車場から「何か」が飛び出してきた。

 僕は慌ててブレーキを踏み込む――。

 ロックしたリヤタイヤが僕の意志とは関係なく流れ出す。

 左側のどこかが何かに接触した。

 強い衝撃と、耳を劈くような激しい音が響く。

 弾みではじき飛ばされたテールをカウンターを当てて抑え込む――。


――!!


 また、何かにぶつかった。

 目まぐるしく切り替わるフロントガラス越しの映像……もう、為す術がなかった。

 制御不能のままコーナーを墜ちていくその一瞬、僕は駐車場から飛び出してきた「何か」をこの目ではっきり確認した。


 それは男だった。

 道路の真ん中に立ち尽くす一人の男の姿を見留めた。

 コントロールを失ったAA63は男のすぐ横を掠めたが、男は怯む様子もなく、ただ僕を見つめたまま静かに口元を弛めていた。


 そして……次の瞬間、強い衝撃と共に僕の意識は飛んだ。



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