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#028 Chase!

 富井の登場で祐二の話は有耶無耶になった。

 でも僕は驚いていた。

 祐二の「AE86に対する思い入れ」だとか「他のクルマに乗り換える」なんて話は正直どうでもよかった。しかし「いまのままではあいつに勝てない」と言ったときの祐二の表情。いつもの軽い調子ではないその口調が、僕にはとても意外なモノに聞こえていた。


 祐二とは高校卒業してすぐに出会ったわけだが、同期入社だったというだけで特別親しいわけではなかった。寧ろ僕は彼を遠ざけていたくらいだ。

 それは僕と彼の性格の違いというモノもあったのだが、クルマに対する考えの違いの方がより大きかったように思う。

 普通科の高校を出て、就職した先が偶々自動車ディーラーだった彼にとって、クルマは「走り」の為というより、ファッションのひとつ要素と考えていたフシがあった。走りに行くときには、それが休みの日であっても必ず「会社のツナギ」を着てくるあたりがその証拠だ。AE86というクルマを選んだのも「走り」を重視したというより、きっと「走り屋っぽさ」を意識しての事なんだろうし。

 だけど僕は違っていた。

 車についての知識を高めるために「自動車工業科」のある高校に進んだし、整備士の資格を得る近道として自動車ディーラーを選んだ。そして誰よりも速く走りたくて、大垂水のコーナーでは死ぬ気でアクセルを踏み込んできた。コレを続けていけば「いつかは命を落とすことがあるのかもしれない」と漠然と考えながらも。

 だけど僕は死ぬことは怖くなかった。寧ろ心のどこかでは積極的な"死"を望んでいたくらいだ。

 ときどき「ある映像イメージ」が頭に浮かぶことがある。

 僕のAA63がブラインドコーナーに突入し、スピードに乗ってコーナーを走り抜ける。するとソコには中央分離帯を越えて走ってきた対向車がいて、僕は避けきれずに衝突してしまう。激しい衝撃と共にフロントガラスが砕け散り、前部を圧されたボディは、そのままバケットシートに縛り付けられた僕のカラダを音もなく、静かに押しつぶしていく――。

 そして次の瞬間、僕は潰れたAA63を外から眺めている。カタチを残さないほどに潰れた運転席を、なぜか外から眺めている。僕は「僕自身の死」を客観的な目で眺めている。僕が息絶える瞬間を誰かの目を通して傍観している。

 それは僕の頭のなかで何度も何度も繰り返される"僕の死"のイメージだった。たぶんそれは"僕の最後の瞬間"を暗示しているものであって――


「――おい。どうした?」

 助手席の声が僕を現実に引き戻した。

「ぼーっとしやがって、寝不足か?」

 助手席を一瞥すると熊沢が顔を顰めていた。

「いえ。平気です」

 僕は短く応えた。寝不足には違いなかったが、それは今日はじまったことではない。

 そんなことより熊沢は僕の助手席にいた。今日も有無を言わせず僕のクルマに乗り込んできた。

 毎回のことだから驚くことはなくなったが、それでも不思議に思うことはある。

 車内での僕らは会話が弾まないどころか言葉を交わすことも稀。そんな状況なのに毎回僕のクルマに同乗する理由……よくわからないが、僕は彼に懐かれてしまったのかもしれない。少し迷惑ではあったが。


「そういやカッシーニに聞いたけど、一人暮らし始めたらしいな」

 熊沢は言ったが、僕は何も答えなかった。

 祐二たちに加えて、彼らまで僕の家に来るような事になったらだいぶ迷惑だ。これなら実家にいた方がマシかもしれない、と思えるくらいに。

「心配すんなよ。誰もイキナリ押しかけていくようなことはしねえよ」

 ガキじゃあるまいしよ――。

 熊沢は呆れたような声で言った。僕の心配が意味のないモノだと言わんばかりに。

 それでも僕の警戒心はなかなか解けてくれなかった。それは単純に熊沢のことが信用できないということではなかった。彼は人相こそ悪いものの、タイプとしては信用できる人間なんだと思っていたし。

「なあ北条よ。おまえは考えてることが顔に出やすいから気を付けろよ」

 熊沢は乾いた声で笑った。



 都心環状線の外回り――。

 水曜日の首都高速はいつも以上に空いている。このカーブを抜ければ、まもなく北の丸トンネルの出口が見えるはずだった。

 これまで何度も訪れている首都高速都心環状線。これまで天使と遭遇したのは三回……まあ、そのうちの一回は祐二の助手席ではあったが。確かに「神出鬼没」と形容されるだけあって「遭遇率」は低いように思うが、僕はまだマシな方らしい。

 いまだに天使がドコから現れ、そしてドコで下りていくのかはわからない。ただ、習志野ナンバーだったことを考えれば、江戸橋から一ノ橋のあいだのどこかから環状線に合流してくるのだろうという気はする。

 そしてもうひとつ。天使が現れるのは必ず僕らの前方に、だった。僕以外にも天使に遭遇した人はいるが、誰に聞いても同じだった。

 つまり天使は環状線を流しているだけなのかもしれない。それを僕らは追いかけ回し、跳ね返されて、さらに闘志を掻き立てられて……ということなのかもしれない。

 

//――コチラ、内回りのサイダーで~す――//


 突然スピーカーが騒ぎ出した。

 聞こえてきたのは宇野の声だった。


//――現在京橋付近、天使、発見です。これから追跡開始しま~す――//


「京橋か――」

 熊沢が呟いた。

「どうするよ?」

「神田橋で下ります」

 僕は迷わず答えると、左車線に入りアクセルを強く踏み込んだ。

 ちょうど竹橋ジャンクションを通過したところだった。神田橋で下りて再び首都高速に乗れば、走ってくる天使と宇野の間に割り込めそうな気がした。すべては一般道の信号次第ではあったが。

 まもなく神田橋の出口が現れた。左に分岐した坂を駆け下りると左急カーブが出てきた。その先の信号は黄色から赤に変わる寸前で……僕はアクセルを踏み込んだ。

「ちょっ、待て、バカっ――」

 僕は熊沢の制止も聞かずに交差点に突っ込むと、派手なスキール音を残しながら左折して一般道に合流した。そしてお堀を右手に見ながら、消防庁と三井物産のビルの間の路地を抜け、黄信号の交差点をテールを振りながら左へと曲がった。

「ホントに無茶しよるのぉ、ジブン……」

 熊沢が呆れたように呟いた。

 僕は何も答えず左にウインカーを灯し、神田橋入口を左折する。目の前には料金所のゲートが現れた。

「ほらよ」

 熊沢が腕を伸ばしてきた。その指先には千円札が挟まっていた。

 僕は小さく頭を下げると、受け取った札を料金所の男に手渡し、アクセルを踏み込んだ。

「え……。お、おい、お釣りはよ――」

 熊沢は言ったが、僕はそれどころではなかった。

 アクセルをさらに踏み込み、本線に接続する坂道を駆け上った。このままいけば、天使たちの前に出られる可能性があった。


 合流した都心環状線内回り――。

 本線上にはクルマの影はなかった。見事なくらいに一台も走っていない。


「本当に最近の若い奴はカネの有難味ってやつを……」

 熊沢はまだブツブツと僕に対する呪詛を唱えていたが、僕は相手にせず、やや速度を落としてミラーを窺っていた。


 来た――。

 真っ暗なミラーの中にヘッドライトが煌めいた。相当なスピードで近付いてきていることはわかった。どうやら宇野のM3は少し差を付けられているみたいだった。

 僕はアクセルを踏み込んだ。近付いてくるヘッドライトに合わせるように再び速度を上げたが、天使のスピードは僕の予想より少し上だった。

 北の丸トンネルの入口で天使は僕の横に並び掛けた。

 その刹那、僕はケンメリの運転席を窺う――。その間隙を縫い、天使は右側から一気に前に出た。


「ほぉ~。なかなか別嬪さんやないか」

 熊沢が戯けた声を出した。

 トンネルの灯りに照らし出されたシルエットは髪の長い女のように見えた。しかし顔までは確認することはできなかった。

 僕は右車線に移ると、彼女の背後にピタリと張り付いた。そして千鳥ヶ淵の急カーブに差しかかる。

 ケンメリの丸いブレーキランプが一瞬目眩ましのように僕の視界を紅く染めた。

 次の瞬間、Rのキツイ急カーブを芸術的とも言えるコーナーリングで難なく走り抜けた。僕は天使の通った跡を、彼女に引っ張られるカタチで正確にトレースする……どこか懐かしさを感じながら。

「おお~。よく付いていったな」

 熊沢は感心したような声を出したが、どこか茶化すようなニュアンスを含んでいるように思えた。

「ところで宇野ちゃんはどうしちゃったのかね」

 熊沢はノンビリとした口調で呟くと、マイクを握り宇野に呼びかけた。


//――や~、急に吹けなくなっちゃいまして……――//


 宇野から返ってきたのは呑気な声の"言い訳"だった。

 もう今日のところは天使を追いかけるつもりはないみたいだった。


//――いま千代田トンネルに入りました、アイスマンのテールは見えてますね……あ、いま消えちゃいました――//


 僕らは三宅坂の左カーブに入ったところだった。

 ココのブラインドから霞ヶ関まで断続的に続くコーナー……ココが僕にとっての勝負所だと思っていた。

 ココを抜けると一ノ橋まではほとんど直線が続く。パワーで劣る僕にとって、霞ヶ関までに前に出ることが天使に勝つための最低限の条件だった、のだが……。


「ナカナカ隙をみせないお姉ちゃんだねえ」

 熊沢が呟いた。それは僕の気持ちを見透かしたような台詞だった。

 そして天使……彼女も僕の狙いを見透かしているようだった。

 コーナー毎にインを窺った。しかし天使は巧みなステアリング捌きで僕のコースを阻んできた。

 そして霞ヶ関トンネルを抜けた。

 結局、僕は天使を抑えることができないまま、直線勝負に入らざるを得なくなってしまった。


「OK――。気長に行こうぜ」

 まだチャンスはあるさ――。

 熊沢は言った。さっきまでの茶化す感じがそこにはなかった。


 天使のケンメリは徐々に加速していった。僕を引き離しに掛かっているようだ。

 しかしココで簡単に離されるわけにはいかない。僕は必死で食らいつく……今日に限って一般車が走っていないことを恨めしく思いながら。

「それにしても……いつ見ても気持ち悪いな、あれ」

 不意に熊沢が呟いた。

 あれというのは天使の絵のことを言ってるみたいだった。

 リヤガラスに描かれた天使の絵――。

 確かに不気味なリアルさがある。はじめて見たとき、僕も嫌な胸騒ぎを覚えた記憶がある。


 こういう絵をクルマに描いてしまう感覚は僕にはないよな――。

 僕は天使の後ろを走りながら、心の中で首を傾げていた。


 長い直線もまもなく終わりだった。もうすぐ一ノ橋ジャンクションにさしかかる。

 僕は前を走る天使を窺いながら、妙な違和感を覚えていた。

 直線に入り、天使との差は少しだけ開いていた。しかし、その差は広がり続けることもなく、一定の距離を保っている。

 パワーの差を考えれば、直線で振り切られても仕方がないと思っていた。だから霞ヶ関までに前に出るつもりでいたわけだし。


 なるほど――。

 どうやら現在いまの状況をコントロールしているのは天使むこうのようだった。

 天使は僕に対し「パワーに任せて直線で振り切る」ということは考えていないようで……つまり、舐められているってことか。

 僕は、僕の意志とは逆に口元が弛むのを感じた。

 闘争心に似た気持ちが腹の底からフツフツと湧き上がってくるのがわかった。

 長い直線はまもなく終わる。一ノ橋ジャンクションの左コーナーは目前に迫っていた。




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